第4話:エデンハイムの騎士祭
桃色銀髪の少女ハイデリカが語るマナのお話、そしてツカサに待ち人がやって来て……。
中世騎士の姿をした男たちが数名、ぞろぞろとツカサの視線の先を横切って行った。
鎖かたびらに甲冑、鋼鉄のアーマー姿もあれば、マントをなびかせる貴族風ファッションもあり。おまけに鋼の肉体をテカらせた上半身裸の男、などなど。
異国情緒?
いやいや。
これじゃあ、まるで異世界か中世世界にでも紛れ込んだみたい。
腰には剣と鞘、大きな盾や弓矢を持っている人なんかもいて、これから戦争でもおっぱじめる気? なんて思わせる人たちの集団が通りをウロウロしている。
どうして異国に富んだ人たちが街中を闊歩しているのか。
その理由をハイデリカは語った。
「お祭りを楽しむには、なんと言っても衣装が大事よね。日本だって夏祭りには浴衣があるでしょ? それと同じで、《騎士祭》では中世ヨーロッパ時代の服装をするのが習わしなの」
「それで、鎧姿の人が街に多いのか」
「そういうこと」
黒いローブに身を包み、頭にはちょこんと乗った三角帽子。これぞ魔女、というよりは魔女っ子な女の子たちが楽しそうにメイン通りを駆けて行く。
騎士姿もあれば、貴族もあり。
どこかの部族のような人もいれば裸族まで。
各々が選んだとっておきの中世衣装で賑わう街中は、さながら仮装パーティの一幕のようでもあった。
「私にとっては、今日からいわゆる預言の日。でもね、ここ《エデンハイム》にとっては、一年に一度のお祭り《騎士祭》よ」
気分を盛り上げるみたいに、ハイデリカは両手を大きく広げて言った。
「まずは、ごゆるりとご覧あそばせ」
ペコリとハイデリカがお辞儀すると、トランペットのファンファーレが鳴り響き、それを合図にドンドコ小太鼓の音が響いた。
言われるまま、ツカサがあたりを見渡すと、祭りの開催を祝福するように、音楽を奏でるキャラバン隊と足の長い白いピエロたちが行進を始めたところだった。
街のどこかの空で、パンパンと打ち上げ花火が弾けた。
石畳で作られた街一番の大きなメイン通りには、お祭りよろしく、縁日のように屋台がズラリと並んでいる。
屋台は広げたパラソルみたいな白屋根のテントに、三角屋根の小さい木造古屋といった可愛らしい姿をしていて、お店の中ではB級グルメや中世をモチーフにした雑貨なんかが売られていた。
お祭りの活気を見守るように、屋台の頭上には建物から建物へとカラフルな三角フラッグが渡されている。名産品のソーセージが炭火で贅沢に焼かれる香りと、焼きアーモンドの甘い香りが風に乗って運ばれてきた。
見た目の景色こそまったく違うけれど、街全体が浮き足立つ雰囲気は、日本の夏祭りや学園祭に流れるご機嫌な空気感と同じだった。
思わず小躍りでもしたくなる陽気な気分をツカサが感じていると、ふと空に揺れる場違いな代物が目に留まった。
『祭』
『京都』
『居酒屋』
黒で書かれた達筆の漢字が、三つ仲良く空に浮かんでいた。
異国の空には似合わない、「日本のお祭りヨ・ロ・シ・ク・!」と言わんばかりの赤提灯たちが、どさくさに紛れて空を泳いでいる。
「誰だよ、こんなの吊り下げたの」
きっと日本好きの誰かだろう。
面白半分で飾ったに違いない。
「さーて、誰の仕業だろうねぇ」
空を見上げながら、ハイデリカは無邪気に笑った。
「騎士祭の起源はね、中世の頃なんだよ。元は貴族や騎士たちが始めたパーティーだったらしいの。それが時を経て、中世に思いを馳せるというか、古き時代をテーマにみんなで楽しくお祝いするお祭りになったわけ」
「どうりで、本格的に中世にタイムスリップした気分なわけだ」
「異世界転生した気分、ともいうよね」
「残念ながら、オレはただの留学生だけどな。あいにく、特殊な能力を授かったわけでもなければ、前世の記憶を持った生まれ変わりでもなし。あと、これからチート能力を発動する予定も、その片鱗もなしだ」
「うーん。自信満々に自慢することでもないような……」
小さな笑みをこぼしながら、ハイデリカは自慢の銀髪をくるくると指で持て遊んだ。
「凡人自慢?」
「……」
たしかに。
胸を張って自慢することではなかった。
少し反省とばかり、ツカサは視線をそらした。
「でも、君には普通の人には見えない《マナ》の光が見えてるもんね?」
「まぁ……」
小さく丸いぼんやりとした紫の光が、今も夜空を飛ぶ蛍みたいにツカサの前を浮遊している。
ついさっき突然見えるようになった謎の光。
街行く人たちには光が見えていないようで、誰も気にかけている様子はなかった。
宙に浮かんだ紫光に照らされて、ハイデリカの桃色を帯びる銀髪の一部が輝いたような気がした。
「これってさ、何なの?」
エイと光を指先で突いてみるも、特にコレといった感触はなく。ツカサの指はするりと光を貫通した。
「マナの光だよ」
カラフルなポップコーンをサクサク食べながらハイデリカが言い、残りのコーンたちを一気に流し込むと、空の袋を近くのゴミ箱にポイと捨てた。
「力の強いとこに現れたりするみたい。いわば予兆的なもの、かな」
「さっき言ってた預言の魔女……だっけ? それと関係しているの?」
「おおッ!」
「な、何?」
「ついに乗り気になってくれたなぁ、と思って」
「いや、まあ、なんというか……」
「うんうん。嬉しいなあ。気になる? 気になるよね? よね?」
「ついでに聞いただけだよ」
「なによ〜。照れなくていいのにな」
「照れてない。……それに。変な光は見えても、さっき言ってた女神だっけ? それは見えないからな」
ハイデリカは言っていた。
出会っていきなり、「見えてるの?」と聞かれた謎の存在。
普通の人には見えない《災禍》と呼ばれるものが、キミには見えるのかって。
ツカサが再びハイデリカの背後に目を向けると、感じていたイヤな予感はすっかりと息を潜めていた。
その代わり、ツカサは穏やかな視線を感じた気がした。
隠しカメラで誰かにずっと覗き見でもされているような、そんな感じだ。
本当にハイデリカの上に何かいるのかもしれない。そう思えるような視線が張り付いていて落ち着かなかった。決して心地の良いものでもない。
周囲に浮かんでいた紫光がゆっくり動きだした。
空に向かって上昇を始めると、高度が上がるに合わせて徐々にその光は力を弱めていく。
気がつくと全ての光が消えていて、辺りを満たしていた紫の明かりはキレイに見えなくなっていた。
いつもと変わらない異国の風景よ、おかえりなさい。
「その女神様がね、まさしく関係しているの。だって女神様だよ? ご利益たっぷりなわけ。この街に繁栄と秩序と幸せをもたらしてくれるの。今日の平和があるのは女神様がいて、大聖堂でみんなが熱心にお祈りしているから。いわば世界を包む《マナ》の源みたいなものね」
「うーん。どういうことか、サッパリわからない。ごめん」
「えっと、そっか」
ハイデリカはしまったと反省するように自分と頭をポカンと小突いた。
「ツカサくんはね、お祈りってする?」
「祈り? とくには……しないかな」
「あれ? 年末の大晦日って、たしか日本だと神社に行ってお祈りするんじゃなかったかな?」
「ハイデリカってさ、なかなか日本に詳しいよな。さっきから気にはなっていたけど」
「ふふん。まあね。そのあたりは追い追いわかってくると思うよ。今はまだ気にしない、気にしない。それで?」
ハイデリカが続きを急かすので、ツカサはしぶしぶと話を戻した。
「神社には行くけど、なんて言うか、祈るとは違うような気がする。今年はいいことありますようにとか、大金持ちになれますようにとか、テストで100点取れますようにとか、願い事を念じている的な感じ……なのかな? たぶん。深く考えたこともなかったけど」
「あらまあ、なんて俗物的!」
「もちろん、みんなってワケでもないけど」
「じゃあさっきのはツカサくんのこと?」
「そういうわけじゃ……」
「なんて俗物的!」
「俗物的って言いたいだけだろ」
「そ、そ、そんなことないもんッ」
言われてみれば本来、神社という場所はお祈りをする場であって、自分の願いを聞いてもらう場所ではない。
世のため人のための精神で、みんなのために、誰かのために祈りを捧げるのが、いわゆる清いお祈りで、自分のことを願うのは不浄とも言われている。
いつから、自分の願望を神頼みするようになったんだろう。
人から聞かれて、改めて感じてる不思議というか疑問というか。
寺と神社と大社の違いを説明せよ、なんていきなり聞かれても上手く説明できないみたいに、ツカサは気にするでもなく、深く考えるでもなく、当たり前のことと受け入れている日常に妙な不思議を感じた。
「この街、エデンハイムはね、女神様の加護する《マナ》の力に守られているの。《マナ》があるから毎日の暮らしがあって幸せが訪れる。だから、感謝を込めて私たちは祈るの。みんなに《マナ》を与えてくれて、女神様ありがとうって。私たちの《マナ》を一度お返しする感じね。そうやって《マナ》の力はくるくる循環しているの。これで、みんな元気モリモリ。街もハッピー!」
「なんともスピリチュアルな話だな」
「悪い《マナ》もね、女神様にお返しすれば、穢れが払われて浄化もされるんだから」
「ふーん。まぁ、そういう考え方があってもイイと思うよ」
「ムムッ。さては信じていないな。もうッ! さっきまで紫蛍を見て、ウホッって言ってたのに」
「ゴリラにはなってないから」
「違う! ゴリラじゃありません。イイ男ですッ。漢字の『漢』って書くヤツですぅ」
「いや、もうツッコミどころが分からないから、それ以上はストップだ」
「じゃあ素直に私を信じてくれたらいいのに。この世界はね、誰かが祈っているから成り立っているのよ、ツカサくん。そう考えたことはない?」
「ないよ」
「なんと即答!?」
「普通に考えれば、みんなが祈らなくても世界は続いていくだろ? 誰も祈っていない恐竜の時代があったようにな」
「あら、恐竜の片隅で誰かが祈っていたかもしれないもんね。もしくは恐竜が祈っていた」
「恐竜に祈るなんて考えがあったとは思えないけど」
「でも、誰かが祈らないと世界に《マナ》が巡らないよ?」
「う、うーん。そこに行き着くのか……」
あくまで話は《マナ》が世界にあふれているって前提で進んでいるのか。
ツカサが否定したって話が進まないわけで、ここは話を合わせてあげるのがきっとハイデリカにとっては正解なのだろう。
「で、そのマナって、そんなに重要なの? 普通の人には見えないもの、なんだよな?」
「だ・か・ら。重要なのよ! 誰にでも見えないからこそ、大事にしないとだよね」
ハイデリカは一息入れて、落ち着いた口調で続けた。
「もし誰も祈る人がいなくなって、みんなが《マナ》の存在を否定したら、それは《マナ》を司る女神様にしてみればご立腹ものだもん。せっかく恩恵を与えているのに、タダで受け取って、誰も感謝もしないってことだし。ほら、ツカサくんだって、テストで満点たのむ! とかは祈るわけでしょ? そんな都合のよい押し付け一方通行ばかりだと、女神様だって耐えきれないわ。最悪の場合はストレス過多で大暴れ。この街くらいは木っ端微塵」
「祈らないと神様がプンスコ機嫌を損ねて街は崩壊ねぇ。とても信じられる話じゃないけど……」
なんともスピリチュアルで、信じるにも難しいお話だった。
世界の危機を救うには、この金のブレスレットを買えば……なんてセリフが続けば、胡散臭い商売のお話でしたってオチにもなるわけで、現実味だけは出てくるけど。
「って、ツカサくんが信じないみたいに、信じていない人も多いけどね。でも、私は信じているの。だから、ご安心を。女神様がそうならないように、私がみんなを代表して騎士祭で祈りを捧げるからね。ツカサくんも見た光……というか《マナ》を集めてね」
世界平和のために祈りを捧げる。
なんともぶっ飛んだお話だけれど、これもある種の信仰なのかもしれない。
祈りは世界に平安をもたらす。
なんとも清らかで美しい行為ではないか。
それに、ハイデリカの青い瞳は力強く、真剣さを物語っていた。彼女は本気なのだ。
真剣な人をただ小馬鹿にするのは、ちょっと違う気がするともツカサは感じていた。
海外には海外の。
日本には日本のルールや決まりがあるように。
エデンハイムにはだって、きっと日本とは異なる風習や信じることがあるのだろう。
「じゃあ、オレはハイデリカのお祈りが成功するようにでも祈ってるよ」
「そこッ!」
「ん?」
「そこなの。実はそこが問題。大問題!」
良いことを言ってくれましたとばかりにハイデリカはパンと手を叩いた。
「なんたって街まるごと吹き飛ばす強力な《マナ》だからね。この力を狙う人もいるというワケ。せっかくの晴れ舞台なんだけど、《預言を読む会》によると先行きはちょこっと怪しいみたい」
「さっき言ってた魔女ってやつ?」
「そう。預言によるとね」
「預言ねぇ……」
「私の命を狙ってね、女神様の力を奪い取ろうとしている者がいるみたいなの」
「でもさ、狙われているって分かっているなら、辞めておけばいいんじゃないか。別の日にするとか」
「それは難しい話かな。みんなが楽しみにしている騎士祭のメインイベントだし、大事な儀式だから。それにほら、預言って曖昧な部分も多いから」
「当たるも八卦、当たらぬも八卦みたいな? って、それじゃ占いか」
「ふふふ、まあでも、実際のところ預言って、外れることも多いじゃない?」
たしかその昔、ノストラなんチャラの大予言が話題になったけれど、結果は大外れしたんだっけ。
いや、解釈によっては当たっている部分もあったんだっけ?
いいや。それも違うっけ?
たしかに、ハッキリしない。
預言って曖昧な部分が多くはある。捉え方次第でいかように解釈できるというか。
けれど、不安があるならやめておくのも一つだとツカサは思った。
命が狙われているなら、なおさらだろう。
命と天秤にかけてでも実行すべき儀式なんて、きっとないはずだ。
ツカサの心配を悟ったのか、ハイデリカは気丈に振る舞ってみせる。
「大丈夫よ。心配してくれるのは嬉しいけど、ちゃんと護衛もついているから。それに、狙われていると分かっていれば怖いものなしだもん。迎え撃ってみせるわ。魔女vs美少女の戦いね。預言は阻止するためにあるもの。私ってこう見えて以外と強いのよ。まぁ、ツカサくんが勇気凛々でピンチを助けに来てくれてもいいけどね」
打倒魔女に燃えて、ハイデリカは力強く握った拳をブンブンと振り回してみせた。
自分のことを美少女と呼んでいる部分については、ツカサはツッコミは入れないことにする。
「あっと! いっけないッ!」
大きく開いた口元に手を添えながら、ハイデリカは急に大声を出した。
ポケットから手のひらサイズの懐中時計を取り出し、時間を確認すると「ヤバッ、遅刻かも」と焦りをみせる。
「どうしたんだ?」
「ちょっと長居しちゃった。そろそろ行くね。そうだ! ツカサくんには不吉な《魔女のマナ》が見えるから、今宵はくれぐれも魔女にご用心を。こんな雰囲気だと、本物の魔女が紛れ込んでいても分かりづらいからね。いつ危ない目に合うかわからないよ」
街ではお祭りの夜に向けて、続々と人が増えてきていた。魔女のコスプレ姿をした人たちも多い。
「魔女って、そんなザ・魔女みたいな姿をしているの?」
「じゃないなら、どんな格好? 忍者だって黒装束でしょ? それに同じよ」
「いや、それは闇に潜むザ・忍者な姿であって、昼間の忍者は意外と——」
言いかけて、最後はやめておいた。
時刻的にもタイムアウトギリギリだろう。
急ぐハイデリカを見て、ツカサは自分にも遅刻すると面倒なことになる待ち人がいることを思い出したのだった。
「お話聞いてくれてありがとう。なんだかスッキリしたかも。私って誰かに話を聞いてもらいたかっただけなのかな? そうだ、記念にコレ、あげるね。プレゼントフュアディヒ。何かあれば守ってくれるよ」
断る暇もなく、ハイデリカはツカサの手に有無を言わさず握りこませた。
綺麗な青色の包装紙に包まれた、手のひらサイズの小箱だった。
「今日は騎士祭。せっかくだから楽しんでね。メインイベントと本日の主役にもご注目を〜」
再び懐中時計をひらいて時間を確認すると、ぴょこぴょこ跳ねるウサギのようにハイデリカは賑わう街並みへと消えて行った。
お祭りの熱狂に吸い込まれていくハイデリカの後ろ姿には、尾びれをなびかせるように、紫の光が流れる線を描いたような気がした。
ハイデリカがいなくなると、あたりにお祭りらしい騒がしさがやって来た。
中世ムードに賑わう平和なお祭り風景をぼんやり眺めていると、ふと背後からツカサの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ツカサ。もう終わりましたか?」
感情の起伏がないような落ち着いた声の調子。
ツカサが振り返ると、少年のような、それでいて少女のようにも見える、小柄な人ありける。
クセの少しついた黒髪がよく似合い、中性的な見た目を持つその人はツカサのよく知る人物だ。
「いつからいたの?」
「舞夜がお呼びです」
ツカサの質問は無視され、執事のように淡々と必要なことだけが伝えられる。
「伝言。いつまで待たせるつもりか、と」
魔女にはご用心。
心配してもらって早々なのだけれど、いわゆる《魔女》と呼ばれる人物からの呼び出しだった。