獣心
星崎夜船が学校を休んで、もう一月が経ってしまった。最初の頃は彼女の事なんて歯牙にも掛けていなかったのだが、流石にこの長期間となると、出席日数は大丈夫なのかとか思い病気を患っているのではないか、と無為なことをふと考えてしまう。私の周囲でも、ちょうどその話題で盛り上がっていた。
「星崎さんほんと学校来ないよね」
三住綾子が話題を提供すると、餌に食いつく鯉のように取り巻きの女子は反応する。私もその一人だ。
「進級とか大丈夫なの?」
「さぁ。ゆうても先生とかも留年とかさせたくないんじゃない」
「だよね〜。てゆうか学校休んで何してんだろ、あの人」
「あっ! そういえば星崎さんが井和須先生と一緒に歩いてるの見た人がいるんだって! 顔は見えなかったらしいんだけど、うちの制服で腰まである髪って星崎さんくらいしかいないよね!」
西織咲が興奮気味に言う。その程度の特徴なら、1000人も生徒がいればそこそこの数がいるはずだろうに。リークした本人が言うのもなんだけど、どうして群れる人間というのは下衆の勘ぐりが好きなのだろうか。見えない真相をどうして自分勝手に着色したがるのだろうか。私には、その烏合の衆らしい行動が愉快で仕方がなかった。
「え〜やば! それって大問題じゃん!」
「だよね〜。生徒に手を出すとかマジヤバいでしょ」
「あの先生結構イケメンだし私はいいと思うなぁ。禁断の恋とか憧れない?」
「わかる〜。でも相手が星崎さんだよ?」
「やっぱないない。さっきの取り消し〜」
「ていうか、綾子何でさっきから黙ってるのよ〜。ね、ね、綾子はどう思う」
言い出しっぺであるはずの三住綾子がスマホから目を離す。その顔は普段の気怠げな顔とは全く変わっておらず、この話題への興味がすでに無いことを表していた。それでも、会話のメインに立っていた鈴瀬成美と西織咲は三住の答えを聞こうと視線を向け続けている。よくない流れだ。
「あっ、私自習課題やってなかった。えー、やばいよ!もう授業終わるじゃん」
「私もやってなかった!てか綾子いつの間に終わらせてたの!?答え写させて!」
「ん、いいよー」
三住の一言で会話が切れた。
女子グループの、ひいては女子の友人関係を維持させるのは容易ではない。気分屋の三住は何事にも乙に澄まさず、斜に構えず、ただひたすらに融通無碍なのにも関わらず、その一頭地を抜く才能が彼女をクラス内ヒエラルキーの頂点に押し上げている。その取り巻きの鈴瀬と西織は、三住さえいなければヒエラルキーの頂点に君臨していたはずだ。そして、そういう女子は往々にして空気が読むのが下手だ。自分たちが空気を作っているのだから空気を読む必要がない。だからこのグループの構図はやや変わっている。それこそ、私のような仲介役がいないと今すぐにでも崩壊しそうなほどに。
教室はすでに満目蕭条。残っているのは日直を除けば三住しかいない。
「ごめん。今日は先に帰って。日直の仕事あるし」
「うん。ばいばい」
「…どうかした?」
私に話しかけているはずなのに、視線はまったく別の方を向いていた。その視線の先に目を向けると、窓際の最前席で突っ伏して寝ているもう1人の日直がいた。名前は確か…白河…。下の名前が分からない。おそらく聞いたこともない。そのくらい、彼のクラス内での存在は薄かった。
「あー、あの子も起こさなきゃね」
「白河君、自習時間すごい眠そうだったから、まだ寝かせてあげた方がいいんじゃない?」
その言葉を聞いて一抹の可能性を論ったが、すぐに否定した。
「綾子がそう言うなら、そうしようかな」
ありえないから。彼女ほどの高潔な存在はそうそういない。私が惚れ込むほどに、彼女という人間はでき過ぎている。彼女ならどんな多士済々の群衆の中でも、白眉最良になり得る。要はレアな人間なのだ。だから、面白い。あの関係性を敢えて取り繋ぐのも、彼女と深い友人関係を築いているのも、腹蔵なく言えば玩具だからである。こう言うと私の良心が痛むのだが、実際に思っていることであり、私はそれを自覚している。私がクズであることを、私が一番よく知っている。