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八月七日、瞬いた星。

作者: 鷹津翔

 数ある作品の中から、この作品をお読みいただきありがとうございます。

水紲(みずな)ちゃん。君の目の天の川だけど、今日も変わらず、見えているかい?」


 ほどよく冷房の効いた診察室に、主治医の先生の声が響く。大きな総合病院の診察室だからか、なんとなく響き方が良い気がする。

私は今一度、視界いっぱいに広がる天の川を見てその質問に答える。


「はい。とても綺麗に見えています。いつもと、何も変わらず」

「うん。今日も変化ナシ、だね」


 そう言って、先生が素早くキーボードを叩く音が聞こえた。

 私の目には色が見えない。

 その代わり、私の目にはいつでも天の川が見えている。

と言っても、私は実際に天の川を見た事がない。話で聞いたものとカタチが似ていると思ったから、勝手にそう呼んでいるだけだ。

 今では、それが定着しているけれど。

 後に続く先生の話を、ソレを眺めながら聞き流す。聞いたって仕方がないからだ。


(それにしても、もう十五年も経つんだ)


 私は目の他に、足にも障害を負っている。どちらも私が三歳の頃に遭った交通事故が原因だと言われている。

 目はさっきの通りだが、足は足首から先しか動かない。だから、車椅子が無いと生活ができない。

 だけど、それを不自由だと思ったことは無い。私にとってはこれが普通だからだ。それをネタに虐められた事も無いし。

 ただ、唯一苦しいと思う事がある。

それは、私が両親の時間を奪っている事だ。

 中学までは、いつもお母さんが一緒だった。

 高校に進学してからは、流石に授業までついてもらう訳にはいかないので、一日中付きっ切りではなくなっている。それでも、朝は送ってくれているし、帰りは迎えに来てくれている。

 私自身、目が見えないなりに生活する術を身に付けている。

だから大丈夫だと言っても、お母さんは決まって「水紲は心配しなくても大丈夫よ」と、明るく返してくる。

 そんな筈ないのに、という言葉を私はいつも喉元で止めている。

 それを言ってしまうのは、両親の努力を否定してしまう事だから。

 色が見えない代わりだろうか、私の耳は良く聞こえる。そのせいで時々、聞きたくもない事を聞いてしまうのだ。

 私が中学一年の時の、ある日の夜。あの時は寒くて目が覚めたから、きっと冬だったんじゃないかと思う。

 目が覚めて、ベッドから体を起こした私は、お母さんが泣いている声を聞いた。リビングに居るのだと、耳を澄ませると分かった。

 お父さんの声も聴こえて、何を話しているのだろうと思っていると、どうやらお母さんが、学校で先生に言われた事を相談しているらしかった。

 その雰囲気の中に入る事も出来ず、当時の私はベッドから動かずに、話しに耳を傾けた。


『水紲に付きっ切りなのは、甘やかしている訳じゃない』『水紲は目が見えないだけで、普通の女の子なのに』


 詳しいやり取りまでは憶えていないけれど、そんな事を、お母さんが話していたのは記憶に残っている。

 その中でも、あの言葉だけは、今でも声色までハッキリと思い出せる。


『私達のせいじゃないの。水紲がああなったのは。でも、私達はこんな事でしか、水紲に償いができないのよ』


『聞こえなければよかったのに』と、その時ほど、私は自分の耳が良いのを呪った事は無い。

その後は、私はまたベッドに潜り込んで泣きじゃくって、結局そのまま寝てしまったんだっけ。

 とにかくそのせいで、私は知ってしまった。

私が当たり前に笑っている時も、構って欲しくてイタズラをした時も、私が一緒にいない時でも、両親は自分を責めながら生きているのだと。

そして、同時に気付いてしまった。

私が、両親の時間を奪って生きている事に。

目は、ほとんど治る見込みが無いと言われていた。

けれど、足はリハビリ次第で動くようになると言われた。

だから、せめて自分の足で歩けるようになれば、二人の償いを終わらせられるのではないかと思った。

そう思ったから、大して変化の無いリハビリに、毎回馬鹿みたいに真剣に取り組んで。

それで十年以上かけてやっと、足首から先しか動くようにならなかった。

それでも、私は続けるしかない。

私にも、それしか方法が無いのだから。


「今日も、特に変化はありませんでしたね。足もリハビリを続けていきましょう」

「はい。分かりました」


 先生が締めると、お母さんがそう返答した。

 やっぱり、いつもと何も変わらない。これで今日の定期診察も終わりだ。

 そう、思っていたのだけれど。


「それと一つ、お話ししておきたい事があるのですが」


 つい数秒前の声色に比べ、少し慎重な声色で先生が言葉を加える。


「はあ。なんでしょうか?」


 一拍置いて、お母さんが訊き返した。

 もちろん私も、耳を傾ける。


「と、いうのがですね。水紲ちゃんの目を、治すことができるかもしれないんです」

「……え?」


 先生が話を区切った後、診察室には私の困惑した声が酷く際立って響いた。


   ○ ○ ○


話の全貌は、先日、最新の手術器具が配備されたから、それを使うことで私の目の手術が可能になるという事だった。

 私はそれを聞いて、その場で「受けたい」と答えた。

 だけど、まったく何も聞かないで、という訳ではない。

 一応、私の症状に似た人がその手術を受けて完治したという前例がある事を聞いたからだ。流石に私のように、天の川は見えていなかったそうだけど。

 私が手術を受ける意思を示してからは、お母さんも肯定的に話を聞いてくれるようになって、話しはすぐに進んで行った。

 その日の夜、お父さんにも話をしてみると、手術を受ける事を喜んで許してくれた。

 先があるかも知れない道を進んでいた私達にとって、それは唯一、終わりに繋がる道標だった。

そこに少しでも安心できる条件が加わった時点で、その手段を取らざるを得なかった、とも言えるけれど。

 そして、翌日には病院に手術を受けるという連絡を入れた。

 それから約一ヶ月が経った、八月七日の午前十時。

 私は手術室のベッドに寝かされて、準備が整いつつあるのを感じている。

 先生の話では、手術自体は一時間程度で終わるらしい。手術の後、二十三時までは眼帯をしておかないといけないそうだけれど。

 だけど、眼帯を外した後は、私は普通の人とほぼ同じ視界を手に入れているそうだ。


(これで、もう両親から無意味に時間を奪わなくても済むんだ)


 そう思うと、ずっと私の心に渦巻いていた自責の感情や心苦しさは、嘘のように晴れていった。

 その代わりなのか、今は緊張で胸が張り裂けそうだ。

 唇はぱさっぱさに乾いているし、手が妙に冷たい。

 きちんと末端まで血が巡っているのか不安になるので、気を紛らわすためにも何度も手を握り込む。


「水紲ちゃん。最初に見るものとか、もう決めてる?」

「――え、あ、いえまだです!」

 そのとき、急に先生から話しかけられて、私は驚きと一緒に返答した。突発的だったけれど、違う事は言っていない。

「そう、か。それなら、天の川ではどうだろう」

「あ、天の川……ですか? けど、天の川って七夕に見るものじゃないんですか? 今は八月ですけど」

「行事的にはそうだね。だけど実は、天の川は見るだけなら、七夕よりもこの時期のほうが綺麗に見えるんだよ」

「……そうなんですか?」

「うん。それにココは、夜空が綺麗に見えるって事でちょっと有名でね。もし、ココで天の川を観るなら、警備に話しをしておくけど」


 言われ、考える。

 私にとって天の川は、目が見えない事の象徴だ。恐らくコレは、事故に遭った後から見え始めたものの筈だから。

 それなら、きちんと治った目で、本物の天の川を見るというのも良いのかもしれない。

 そう思い、私の天の川を見る。

何だかんだ十五年も見てきたせいだろうか。

ある意味で愛着も湧いていたけれど、もうこれを見る必要も無いだろう。


「……私、最初に本物の天の川を見ます。偽物じゃない、本物を自分の目で見て初めて、見えるようになったって実感できる気がするんです」

「分かった。それじゃあ、これから少しだけ、頑張ろうか」

「はい。よろしくお願いします」


 手術が始まる。

 心の隅で燻ぶる不安があったけれど、きっと大丈夫だからと言い聞かせて、私は心を落ち着けた。


   ○ ○ ○


 そして、無事に手術は終了した。

 私は今、院内四階の病室に居る。私の希望のために、今日は入院する事になった。

 今は包帯を、目を覆うように頭に巻いているから何も見えない。

 だけど、もうあの景色は見えなくなっていた。その事実だけで、私の期待は膨れ上がっていた。


「そろそろ移動しよっか」

「うん」


 隣に居るお母さんの提案にそう答え、私はベッド脇につけてある車椅子に座った。


「もしかして、もう見えてるのっ?」

「いや、いつもこんな感じじゃん」

「あはは! 分かってる分かってる」


 そんな冗談も言い、お母さんに車椅子を押されて病室を出る。

 時間的に人が他にいないからか、不気味なほど音が響く院内を移動し、非常通用口に向かう。時間外の出入は玄関ではなく、そこから行う事になっているそうだ。

 エレベーターで一階に降りて、それから二分ほど移動すると、そこに着いた。


「ご用件は?」


 皺枯れが目立つ男の人の声で、そう尋ねられた。きっとお母さんに向けられた質問だと思うけど、ここは私が答えるべきだろう。


「星河水紲です。これから、少し星を見に行く予定なんですが」

「ああ、星河さんですね。お話しは既に眼科の橘先生から伺っています。どうぞ」

「……よかった」


 きちんと話が行き届いていたようで安堵した。

 こうなれば、あとは天の川を見るだけだ。

 少し移動すると自動ドアが開き、それと共に吹き込んできた外気は少し肌寒かった。

 病院を出て、二分ほど移動しただろうか。

その場で車椅子が停められ、車輪にストッパーがかけられた。


「さ、着いたわよ。水紲」


 後ろについたまま、お母さんが言った。

 お母さんには、もう天の川が見えてるんだろうな。


「ねえ、お母さんにはもう見えてるんだよね。天の川ってどんな感じっ?」

「それは言わないわよ。後に取っときなさい」

「はーい」


 呆れたように、けれど嬉しそうにお母さんは言った。私も初めから冗談のつもりだったので、適当に返事をしておいた。

 それにしても、今は何時なんだろう。天の川が見られる場所に来たという事は、二十三時は近いんじゃないかと思うけど。


「いま何時?」

「えー、とね。いま、二十二時五十分」

「あと十分かー。長いなぁ」


 想像した以上に時間があったので、思わずぶー垂れてしまう。


「十分なんて、すぐ経つわよ」


 そう言った後、足元から砂の擦れる音がした。お母さんが身体の向きを変えたのだ。


「それとさ。ちょっと車に毛布取りに行っていい? 冷えてきちゃって」

「もちろん。あと、私のぶんも欲しいな」

「分かってるわよー」


 そう言うと、お母さんは駐車場の方に歩いて行く。

病院を出る時にも感じたけれど、外だとより気温を低く感じる。震えるほどではないが、腕に鳥肌が立っているのが分かる。


「さて、と……」


 図らずも一人になってしまった。

 つまり、私が包帯を外すのを止める人間は誰もいないという事だ。

 後頭部の、包帯の結び目に触れる。

 この包帯の向こうには、本物の天の川が広がっている。

 二十三時まで外したらダメだと言われたけど、私は十五年も待ったんだ。

 だから、ほんのちょっとのわがままなら、許してもらえるんじゃないだろうか。

そう思って、私は包帯の結びを引いた。

意外にもするすると簡単に結び目は解けて、はらりと膝の上に落ちた。

そして、まるで接着されているかのように重い瞼をなんとか上げる。


「うっ」


目を開いて、まず初めに見えたのは光だった。一瞬眩しく思えたけれど、目が慣れたのかすぐに穏やかになっていく。


「は――」


 そして、私はその光景を前に、思わず息を呑んだ。

 そこには、どこまでも先に続いている、夢のような深い水の色をした天の川があった。


「これが……本物の、天の川……」


 色もかたちも大きさも、私が十五年見ていたものとは全く違う。

まるで塗りつけられたように、ずっと同じ場所にただ『あった』アレとは違い、それは静かな流れに任せるように、本物の川のように揺らめいていて、確かにそこに『ある』のだと分かる。

それに、手を伸ばせば――もう少しで、その光が手に取れそうなほど近くにある。

天の川は、遠い宇宙にある筈なのに。

しかし私は、その常識を知っていてもなお車椅子から身を乗り出ようにして、星に向け、手を伸ばす。

そもそもそんなものが、こんな場所にある筈がない。


(だから、これは夢なんだ)


 手術中も、その後も、検査などであまり休めなかったから、きっと疲れていたのだ。自分でも気付かない内に眠ってしまったのだろう。


(それに夢なら、せっかく天の川が近くにあるんだ)


あの、どこまでも自由な光のなかに飛び込むことも、きらきら光る一粒の水滴のような星を手に取ることだって出来る筈だ。


(そこまで、行きたい。どうせ夢なら、自分の足で!)


そう思って、まずは爪先から順に、地面に足をつく。

そして足裏に、下から押し返してくるような感触を確かに感じた。


「せー、のっ!」


 声と一緒に、肘置きに置いた両腕で身体を支え、足に体重をかけるのをイメージする。

 足裏にかかる重みが増す。車椅子から手が離れ、グッと一気に視点が上がった。


「お、ととっ……」


 しかし、やはり上手くバランスが取れず、よたよたと数歩、足が出る。

 勢いに負けてもう一歩、足が出たところで、なぜか足裏に地面の感触が無い。


(えっ?)


 一瞬、首筋に悪寒が奔る。

と、思いきや、先程よりも少し下の位置で足裏が地面の感触を捉えた。

でも、安心はできない。バランスを崩したのも相まって、かなり勢いがついている。

止まれない。

二歩、三歩と、落下するように足を踏み出して――。

そして、私は星の海に飛び込んだ。

 一瞬の浮遊感。その後、思わず瞑ってしまった目を開く。


(星だ)


 するとすぐ目の前に、小さな星があった。手で包めるぐらいの大きさだけど、ほかの星の輝きに埋もれないように、自分自身で確かな光を放っている。


(私とは、大違い)


 もっとも、それはこの星だけに限った事ではないけれど。

 自嘲気味に笑って、星に添えた手を離した。

 視野を広げてみると、視界を埋め尽くすほどの星々が一斉に視界に映り込んだ。

だけど、不思議と眩しいとは思わない。

 外からでも感じたけれど、この只中にいる方が、光のぬくもりがより鮮明に感じられる。

 お母さんに抱きしめられている時のような安心感にもたれながら、私はふと思い付いた。


(もしも、これと同じ天の川が見えていたとしたら。そしたら私は、どうしてただろう)


 考えても、すぐに答えは出そうになかった。

一瞬だけ、思ってしまったから。それなら見えないままでも良いのかもしれない、と。

 だから、今はこれ以上、考えない事にした。

 ぼぉんやりと、霞みゆく思考を手放して……私はゆっくり、星の河底に沈んでいく。

                 ―終―

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