093 キリルの苦労
『天座修学院』内の、人の居ない建物の陰でキリルは複数の女子生徒に絡まれていた。
「低レアリティが使徒様に取り入って何様のつもりよ」
「そーよそーよ。低レアリティの錬金術がなんなのよ」
「あたしたちなんてSRスキルよ? じんせー舐めてるの?」
あれこれを理由をつけて罵ってくるが、結局は態度が生意気だのなんだのと脅されているのだ。
――キリルは唇を噛み締め、耐えていた。
反論はしたい。したいがそれでは言葉の応酬が激化してしまうかもしれない。だからキリルは黙っている。
そもそも反論が無意味だ。相手は感情的で、数が多い。理論的な会話にはならないのだ。
そしてキリルは強かった。
身体能力が優越しすぎていて、うっかり殺してしまわないように、怒らないように耐えなければならなかった。
鑑定スキルを使わなくても、こうして息遣いがわかるほどに詰め寄られればわかるのだ。
彼女たちのレベルはまだ一桁台だと。
もちろんキリルだって一度もモンスターを直接倒したことはない。
だが、レベルは高い。それは大規模襲撃と地下ダンジョン攻略に参加したことで『作戦経験値』と呼ばれる、後方支援役でも成長できるシステム的な恩恵を受けたからだ。
ユーリが作戦の指揮やスライムが倒したモンスターの経験値を得て、レベルが上がったのと同じことだった。
だからキリルの筋力や知能などの基礎的な数値は自分に絡んでいる少女たちより圧倒的に高い。
加えて言うなら、スマホに入っているステータス成長パッシブの効果もあって、キリルの戦闘能力は下手な大人の兵士よりも高かった。
そのうえ、ユーリによる徹底的な教育によってこの半年で足踏み式の錬金術も覚えていた。
アビリティ『形成変化』によって建物の壁の中にでも埋めてしまえば誰に気づかれることもなく殺人すら可能なほどに――。
「キリルちゃんはさ~、自分ってのをわきまえてよ。新参のくせにでしゃばらないで」
「そうそう~」
「私たちの方がうまく使徒様のサポートできるからさ~」
――できると知っているからこそ、キリルは抑えなければならなかった。
キリルは自分が愚かならば、とこれほどまでに思ったことはなかった。
自分が何もかも台無しにできるほどに愚かだったなら、この場で彼女たちを殴ったり蹴ったりしていただろうし、それで殺してしまって慌てて証拠隠滅に壁でも床でも、建材の中に埋めて死体を消してしまっただろう。
いや、埋める必要もない。殺せば『人間の死体』というアイテムになる。それを『還元』して――馬鹿らしいと、幸せな妄想だとキリルは自分の愚かな考えに反吐を吐きそうな気分になった。
そんなことをして何になる。ユーリがこの国の人口を増やすことに必死になっていることをキリルは知っている。子供を殺してどうなる。怒りで暴力を振るってもユーリはけして喜ばない。ユーリの隣に立つことはできない。
(同じ国の人を殺すことは、女神アマチカもお許しになられないもの)
だから仲良くなる努力をしなければならない。敵を増やすより味方を増やさなければならない。
キリルはにこりと笑ってみせた。
そうなのだ。彼女たちの嫌味を黙って聞いていたのは、彼女たちに怒りを吐き出させるためだった。
これはいつものチャンスだ。優秀な子供たちが自らキリルに交流を求めてきたのだから。
あの四人組のように、神国の偉大な使徒であるユーリに突っかかる阿呆には優しくできないが、キリルにだけ突っかかるなら問題はない。
――いつものように仲良くなってしまえばいいのだ。
むしろこちらから行く手間が省けたと思えば溜飲も下がる。
「アンタたち、そんなに言うならさ」
「な、なによ」
自分を囲む女子一人一人の手を掴むキリル。
「は、離しなさいよッ」
「ち、力つよ」
「なにこいつ、筋肉の塊なの!?」
失礼な、とキリルは思った。
もちろんキリルの二の腕は細い。触ればぷにぷにとした柔肉の感触が返ってくるくらいに。
『錬金術』は地味に肉体労働をすることが多いので、八歳児でもそれなりに力はついているが、それは単純にレベルで得た腕力である。
「私がいろいろ教えてあげる。それでユーリの役に立ちなさい」
ぎゃあ、だのと、ひぇぇ、だのと女子らしくない悲鳴をあげる女子たちを引きずりながらキリルは適当な空き教室へと向かっていく。
ユーリが庁舎で仕事をしている間、キリルはこのように地味に天座修学院の生徒たちを自分の派閥に取り込んでいた。
◇◆◇◆◇
「あのー」
十二人の枢機卿が集まる十二天座会議、その開始と同時に処女宮はおずおずと挙手をした。
それに十一人の枢機卿がまたか、という顔をする。
「……なにかね? 処女宮よ」
「ええと、ユーリくんが、じゃなくて私から提案が……」
処女宮につい一年前に被っていたミステリアスな雰囲気はない。自分の使徒にいいようにこき使われている哀れな少女の姿がそこにはある。
本人を呼べばいいのでは、と全員が思っているが規則は規則だ。使徒をここに入室させることはできない。
「ええと、人口増加問題解決のために……他国から人間の輸入を……」
「それは前年から帝国に打診しておったな。双魚宮、進捗はどうだ?」
「すみません。何度も交渉をしているのですが断られています。どうやら帝国は今結んでいる不戦条約が切れ次第、こちらに攻め込みたく思っているようで不戦条約の更新もままなりません。さらに言えば帝国内の世論も神国との戦争ムードに切り替わっています」
「頭が痛くなるな。なぜそうなっておる。我らは奴らにきちんと食料を供給してきたはずだが?」
「前も報告しましたが、前回の大規模襲撃後から相手国の方針が突如変わったようです」
天秤宮と双魚宮の会話で会議場に暗い雰囲気が満ちる。攻められれば戦うしかない。
神国の重鎮として、他国に負けるつもりはない。
だからといってそうなれば、神国を侮辱した帝国を神敵とみなして終わりのない戦争をしなければならなくなる。
負けはしないだろう。だが、勝てもしないことを誰もがわかっていた。
枢機卿の誰もがこの国に外征するほどの体力がないことを知っているのだ。
急速に文明や技術を進めているとはいえ、まだ大規模襲撃の傷跡は各地に色濃く残っていた。
「おい、処女宮。帝国が攻めてくる詳しい理由はわかるか?」
「え!? わ、私!? なんで!?」
獅子宮の突然の振りに、自分の出番はまた後だな、と安心しきっていた処女宮がびくりと身体を跳ね上げた。
「いや、なんでも何も女神アマチカの神託を伝えるのがお前の……ああ、いいや、あのガキだよ。ユーリだ。あいつ、何か言ってたか?」
「え、えぇ……うーん、ちょっと待って」
パラパラとユーリの作成した答弁書を処女宮がめくる音が響く。
「あー、あった。ええと、帝国が戦争ムードの場合、七龍帝国の西側に勢力を拡大しようとしている国家が存在している可能性がある、だって。危機感から帝国は国力を強化しようと弱い神国を狙っている、って書いてあるよ」
「書いてあるよ、じゃねぇだろ。おい、双魚宮。どうなんだ? あってんのか?」
「帝国より西側のことなんて知らないわよ! 不戦条約結んでる魔法王国の内情ですら掴めてないのよ? 人手が足りないのよ」
「天蝎宮、どうじゃ? 諜報はお主の仕事じゃろう?」
「……知らない。私たちもあんまり遠くまではいけないから……」
「人馬宮と一緒に国内地図を優先して作らせていたから仕方ないですね。そちらはどうです?」
巨蟹宮が援護するように天蝎宮を庇えば、人馬宮がへっ、と地図を議場に広げた。
「オイラと天蠍宮で、今いける資源獲得が可能な地域の探索は終わったよ。いくつかのダンジョンの入り口も見つけたぜ」
「……探索可能な地域はやはり狭いですね。人間型モンスターの出現地域は?」
「ない! 自衛隊員ゾンビぐらいしかいなかった」
「やはり他国から輸入が必要ですか」
巨蟹宮の言葉で全体に陰鬱さが満ちる。人口問題の解決は神国の急務だからだ。
数年先を考えればなおさら今年中に解決したい問題だった。
「……それで、ええと……」
「なんじゃ処女宮。まだあるのか?」
全体の意見が出揃い、会議が止まってから言ってください、とユーリに言われていた提案を処女宮がぐっと唾を飲み込んでから発言する。
「隣国の、『ニャンタジーランド』で人型モンスターを狩るのはどうでしょう――なんて、いうのは?」
千葉県の位置にある国家の名前を出しつつ、恐る恐る周囲を窺う処女宮。
下手をすれば侵攻ととられかねない、言っている自分でも大胆すぎる意見ではないかと思いつつの提案だった。
とはいえ意見は出尽くし、誰もが打開策はないと思っている状況での提案はゆっくりと浸透していく。
最初に言い出せば馬鹿らしいと一蹴されたであろう意見も、思考し、議論する余地が出てくる。
「それもあの小僧がか?」
獅子宮の質問にえへへと笑うしかない処女宮。
「いいんじゃないですか?」
「双児宮が賛成するのか? いや、いいのか? 他国だろ? 一応不戦条約結んでただろ」
「攻め込むわけではなく、隣国のモンスターを駆除して上げるだけですよ。名分だって、双魚宮がちょっと行って、条約に条文を追加してくればいいでしょう」
「気軽に言わないでよ。条文に追加って、どれだけ苦労すると……」
双魚宮と双児宮があれこれと言い合う中、「あの!」と声を上げたものがいた。少女の姿をした枢機卿、白羊宮だ。
彼女はおずおずと「あの!」ともう一度声を張り上げ、天秤宮が「珍しいな。言ってみなさい」と言葉を促す。
「あの、あの国も前回の大規模襲撃で結構な被害が出てましたよね? きっと我が国がニャンタジーランドのモンスターを捕まえることには賛成してくれるはずです! それに、それに、そうです。貿易用の聖道の傍で、私、何度かニャンタジーランドで出るモンスターを見ました! これは駆逐が必要です! ニャンタジーランドのためにも! やってあげるべきです!!」
気弱気な白羊宮の過激な提案に全員がぎょっとした顔で白羊宮を見てしまう。
「わ、私……帝国に攻められて死にたくないです。できることをなんでもしていかないといけないんじゃないかって……!」
涙を浮かべた白羊宮の言葉に、全員も深刻に帝国に攻められた場合を考え始めてしまう。
これを言ったのが処女宮であるなら通じないが、輸送や牧畜を担当し、神国の発展に常に寄与し続けている白羊宮の言葉ならば別だった。
涙を浮かべた白羊宮がじっと処女宮を見た。
う、とその視線に処女宮が内心で引きかける。白羊宮の提案もまた、事前の計画の通りだったからだ。
(ど、どんな説得をしたのよユーリくんは……)
経済政策を進める以上、国内の道の整備は必須だ。
その関係でユーリがこの半年、足繁く白羊宮のところに出向き、意見を交わしていたことを思い出す処女宮。
おそらくその度に他国の脅威を説いていたんだろうが、それなりに平和主義者的なところがあった白羊宮にそんなことを言わせてしまうとは……。
処女宮がびくびくと同僚の別の面を見て怯える中、枢機卿たちの間で、ニャンタジーランドへ善意でモンスター退治をしてあげることが決まるのだった。