009 宝瓶宮の憂鬱
崩壊した東京に根を張る神国アマチカ。
その運営を行う十二人の枢機卿で構成された組織『十二天座』のアイテム製作担当、宝瓶宮はようやく製作できた高品質ワインを研究室で試飲していた。
ただその姿は枢機卿というにはだらしがなかった。
着ているのは豪奢な枢機卿の衣装ではなく、ゆったりとした寝間着。
ソファーに寝転がる身体からはだらしなく力が抜けていた。
そこに、外ではまるで自他共に厳しいと噂される宝瓶宮の姿は微塵もない。
ただのそっくりさんではないのは、椅子より垂れる青く長い髪を支えている美少年の使い魔を見ればわかることでもあったが。
この使い魔は女神アマチカより賜った『宝瓶宮』の権能でのみ召喚できるものだからだ。
ああ、と宝瓶宮が呻く、美少年の使い魔が心配そうに宝瓶宮を見上げ、宝瓶宮は使い魔の髪を愛おしそうに撫でた。
だが誰もが見惚れるだろう宝瓶宮の美しき相貌は苦悩で歪んでいる。
「機械系アイテムの製作ツリー……実際、これはどうすればよいのだ?」
現在、神国アマチカが抱えるとある学舎、その中に所属する一人の生徒の学習指示を出しているのは宝瓶宮だった。
本来は越権行為たるそれだったが、教育担当の双児宮に大量のアマチカを積んで権限の委譲を願ったからできたこと。
宝瓶宮にとってもネジ+1を作った生徒、彼は特別だった。
いまだ六歳ながらも製作指示を出せば確実に+1か+2のアイテムを製作してくれる。
それは女神が与えた『宝瓶宮』の権能であらゆるアイテムを高クオリティに製作ができる宝瓶宮にもできないことだ。
それに、彼はアイテムの製作に失敗したことがない。一度もだ。
レシピがあろうともスキルによるアイテム製作にはどんなアイテムにも失敗確率が存在する。
ネジとて百も作れば一個は必ず失敗する。何もできず素材は虚空に消える。
それは宝瓶宮でも回避できない、アイテム製作を行う上での絶対の法則だった。
彼にはそれがない。彼は特別だ。顔も見たことがない少年を宝瓶宮は深く想う。
――早く学舎を卒業してくれ。
宝瓶宮は唇を噛み締める。十二歳まで待てない、と。
とはいえ六歳の彼はいまだ神国では人間として扱えない。
女神の作った法で決まっているのだ。十二歳から人間として扱い、神国の国民としての義務を背負わせることができるのだと。
ただ、彼は学舎を卒業したら確実に奪い合いになるだろう。
知能学習とスキル学習の一位を半年以上取り続けている特別な人材だ。
双魚宮、金牛宮、天秤宮、天蝎宮、磨羯宮。
スキルが錬金術であっても、いや、幅広くアイテム製作を行える錬金術はどの分野にも適応できる。だから他の枢機卿が確保しようと必ず出張ってくる。
いや、それだけじゃない。
巨蟹宮、獅子宮、人馬宮。
宝瓶宮がダメならと機械系アイテムの生成に成功している彼を彼ら軍部は必ず手元に置きたがるだろう。
それは許されないことだ。全てのアイテムを統括する宝瓶宮の下でこそ彼は、ローレル村のユーリは輝ける。
優秀すぎてもしかしたら宝瓶宮の座が奪われるかもしれなかったが、それよりも宝瓶宮は女神アマチカからの突き上げが怖かった。
最近は会議の度に機動鎧の製作を急かされていた。
理由はわかっている。
うぅ、と胃が痛くて宝瓶宮は呻く。別にサボってなんかいない。宝瓶宮とてなんとしても作りたかった。
自分だって、と宝瓶宮の瓶からグラスへワインをドボドボと注ぐ。
味わうこともせずそのままぐいっと飲み干した。
――都市の地下施設で発見される偵察鼠の数が増えていた。
宝瓶宮は五年前に神国アマチカを見舞った惨劇を思い出した。
殺人機械どもの大規模襲撃だ。あれのせいで農場が十以上、都市が三つ潰された。宝瓶宮たち戦闘に向かない十二天座も非戦闘員を率いて戦いの場に出なくてはならなくなった。
軍はトップである十二天座を残して壊滅し、国家の人口の八割を殺された。
なるべくしてなった結果だった。当たり前だった。
神国アマチカの軍事技術は遅れている。
石や木の武器で殺人機械どもの鋼鉄の装甲を破壊できるわけがない。
助かったのは女神アマチカの指示で一日中遅延戦闘を続けた結果、どうしてか殺人機械どもが引いただけなのだ。
「……外交でも機械技術はとれなかった……出し渋られたか……いや、帝国や王国だって機械技術は進んでいないのか?」
最も軍事技術の進んでいる帝国さえも大規模襲撃を警戒し、武具を出し渋っている。だが、なんとか高品質ワインをあるだけ差し出し、帝国製の鋼鉄の武具を少数取引することができた。
大分ぼったくられてしまったが。
とはいえ、宝瓶宮は今回の外交で機械技術に関して少しだが推測ができた。
コイルやセロハンテープのレシピ獲得には一定以上の強さを持つ殺人機械からのドロップが必要だということだ。
他国が技術を出し渋るということはそういうことだ。神国と同じでどこかで技術開発が止まっているのだろう。
獲得できるジャンルは別だが、他国で出現するゴブリンやオーガ、盗賊たちのドロップのレアリティはほぼ同じと言われている。
そして今まで未確認であるコイルなどのレア度はきっと高いのだろう。
ちなみにだが、この東京エリアは殺人機械だらけなのでそういった異界の怪物たちや蛮族は存在していない。
殺人機械たちは等しく生命を敵視しているからだ。それは人間以外の生物も例外ではない。
「次回の襲撃、他国も同じ状況だと思うが……今回の襲撃で兵を出してくれるのだろうか……」
神国は他国に対して食料を輸出することで良好な関係を保っているが、援軍は厳しいだろうなと宝瓶宮は気落ちする。
他国も厳しいのだ。
北方諸国が連合を組んでいるのは五年前の大規模襲撃で国の維持ができなくなるぐらいに国力を削られたからと聞く。
帝国も王国も同じだ。おそらく神国に援軍を出してくれることはない。
それとも膨大な食料を輸出すれば部隊の一つぐらい出してくれるのだろうか、と考えるも、装備品の質が自分たちと同じなら壁にすらならないだろうなと宝瓶宮は口角を歪めた。
「我々も早く武装を調えなければ……」
軍事技術が遅れているのは東京エリアの敵が強いこともあるが、廃墟に野生生物が存在しないからだ。
神国は他のエリアのように狩猟や採集で食事を賄えない。
そうしなければ飢えるからと農業や牧畜に手を出し、安定させるために注力した結果、軍事技術の発展は遅れてしまった。
なんとか自衛するための戦力を手に入れようと周辺国家へ麦や酒を輸出することで鉄の剣や盾を手に入れることはできたが、鉄の武具で殺人機械に勝つのは難しい。
スマホに登録できる汎用魔法も魔法開発の機材が開発できていないためにたまに廃墟探索で手に入るものしか手に入っていない。
その廃墟探索も今は浅層部分だけだ。
亡霊戦車が出現し始める『都庁双星宮』『無限螺旋迷宮東京タワー』『エーテル海・スカイツリー』などには近づくことすらできていない。
あの辺りの採取物にエンジンや鋼鉄のレシピがあるに違いないと宝瓶宮は推測している。
「ああ、畜生。亡霊戦車、今回も出てくるんだろうな……」
ワインをごくごくと飲み、うぅ、と呻く宝瓶宮。
酔ってきたのか、ぐるぐると思考が回りだしている。
そうだ。五年前の大規模襲撃はあれが三両出てきた。
悪夢だった。分厚い石のコンクリート城壁がわずか数分で破壊された。
近づいた獅子宮の率いる歩兵隊は一人残らず虐殺され、帝国から大枚はたいて輸入した巨大弓でも破壊できず、逆に一撃で破壊される始末だった。
だいぶ遅くに亡霊戦車は出てきたから首都陥落を避けられたが……今回はどうなるだろうかと宝瓶宮は想像して「私が考えることじゃないか」と酒臭い息を吐く。
「せめて彼をここに呼べたならな……」
いまだ六歳の少年に頼るのは情けない話だが、宝瓶宮とて藁にもすがりたい気持ちなのだ。
宝瓶宮も宝瓶宮の配下も生産物は農業に特化してしまっている。交易用の物資の製作を考えれば、今更他のアイテムの生産熟練度を一から上げるのも難しい。
だが彼ならば……製作に失敗しない彼ならば……。
宝瓶宮の研究室には神国に所属する『ものひろい』スキルによって集められた多種多様なアイテムが大量にある。
大量生産することはできないが、彼ならこのアイテムを使って機動鎧の一着ぐらいは作れるのではないだろうか、と宝瓶宮は考えていた。
(私では無理だ。仮にレシピがあっても失敗する)
宝瓶宮の機械系アイテムの製作熟練度は低い。今まで麦だのワインだのそういったものしか作ってこなかったからだ。
ああ、早く六年が経ってくれと願い。五年周期で襲撃があるならあの少年が十二歳になるまでにもう一度襲撃があるのか、と考え――。
「それまでにこの国が滅ばないように努力しなくてはな……」
自分さえも信じていない言葉を呟いた。
女神の権能で不死を与えられていても、胃が痛くてたまらなかった。
◇◆◇◆◇
女神アマチカにして、十二天座の神託担当処女宮にして日本人天国千花は内政ウィンドウに浮かんでいる警告を苦い顔をして見ていた。
ウィンドウには『機械系モンスターによる大規模偵察部隊が出現しています』と出ている。
各都市の戦闘スキル持ちに撃退させているが、前回と同じならそろそろ殺人ドローンが出現するタイミングだった。
「五年ごとの定期襲撃ってどうやって防ぐのよぉ……」
他国の君主と情報交換をして千花は知ることができたが、定期襲撃はそのエリアに存在するモンスターが大挙して襲ってくるイベントらしい。
戦闘要素有りの都市育成ゲームなら定番だからむしろない方が違和感、とまで言っていたその君主は最初の定期襲撃イベントをギリギリの軍備で乗り切ろうとして死亡している。手慣れていたがゆえに軍事部分をギリギリでやりすぎたのだ。
それはそれとして、初回の襲撃から推測して、五年周期で襲撃があるのではないかという予測は他の君主たちによってもされていた。
だが本当にあるなんてことは千花は信じたくなかった。
五年前の最初の襲撃イベント、それで神国アマチカは十二天座を除く全ての戦闘ユニットを喪失した。
非戦闘ユニットを緊急コマンドで戦闘ユニットとして徴兵し、立ち向かわせ、遅延戦闘を繰り返し、ようやく一日を乗り切ったのだ。
一日凌げばたぶん退くということは、死んだゲーム慣れした君主が言っていた言葉だ。信じていたわけではなかったが戦闘ユニットが壊滅した時点で千花にはそれしか生き残る手段は残されていなかった。
ああ、と絶望の息を吐く。
他国の君主からはNPCだから使い捨てればいいと言われている国民たちだが、こうして彼らの中に入って生きている千花には友人となった国民が多い。
「戦車が出てきたら終わり……戦車が出てきたら終わり……戦車が出てきたら……」
あれが出てくるまでは戦闘ユニットはすり減らされながらもなんとかコンクリートの防壁で抵抗できていた。
中には飛行するドローンもいるが、初期購入できるスマホスキルの魔法でもなんとか撃ち落とせるぐらいにあれは脆い。
でも戦車だけはダメだった。悪霊に乗っ取られた戦車、という背景を持つ亡霊戦車は本当に怖くて仕方がなかった。
コンクリートを薄紙みたいに吹っ飛ばす主砲。あらゆる不整地を踏破する無限軌道。至近の人間ユニットを殺戮できる対人用機銃。
うぅ、と千花は胃を抑えた。
死にたくない、と呻く。
「大規模襲撃ってどんどん難易度が上がるって本当なのかな……」
だったら今度は早期に亡霊戦車が出てくるかもしれない。
ああ、嫌だ嫌だと千花は呻く。死にたくない死にたくないと布団を被る。
「宝瓶宮の馬鹿ァ。早く機動鎧作ってよぉ……」
千花も宝瓶宮と同じだった。機動鎧のレシピを発見したという六歳児を呼びつけたかった。
だが、この世界では十二歳にならないと君主はユニットに命令ができないし、何か『役職』を与えなければ個別のユニットとしても運用できない(通常はリーダーを決め、10人や100人単位で纏めて運用するシステムとなっている)。
建築ツリーで早期に解禁される『学舎』はそんなこの崩壊した世界の人間を幼少期から育成でき、簡単な命令を与えられる施設だ。
生産スキル持ちが所属していれば資源生産すらも可能なので千花も他の君主から勧められてありがたく開発した。
だけど不便だ、不便だ、と千花は呟く。
六歳児を呼びつけて、命令するなんて簡単なことがこの世界ではできない。
この世界はおかしい、と千花は呻く。
モンスターだの魔法だのダンジョンだのおかしすぎる。
どうして助けてと頼みに行くことすらできないのか。
元の日本に戻して、と千花は呟いた。
何がどうすればあの平和な日本がこんなおかしい世界になるのか千花には全くわからないのだった。