088 七歳 エピローグ
地下の大騒動は終わった。
損害は出たがそれ以上の成果もあった。特に三階層のボスドロップが凄まじく、どう使っても凄まじい効果が出るのだとか。
そして攻略が終わったあとに、ダンジョンの調査も再び行われ、神国の近くに敵拠点が他に造られていないことも確認された。
様々な事後処理が行われ、その中には当然落下した学舎に関するものもある。
奇妙なことにあれだけの規模の大崩落にも関わらず、死傷者はいなかったようだ。
生徒たちや周囲の住民は事前に避難済みだとか、地下の私たちに直撃しなかっただとか、運が良すぎるにもほどがある。
(まぁ、掘り下げるつもりはないが)
何かしらの幸運があったにせよ、次は期待できないだろう。
私の場合、運が良ければたいてい次は悪くなるから、期待してるとひどい目に遭うのだ。
さて、崩壊した学舎から生徒たちは神国各地にある学舎へと分散して転校していった。
キリルもまたその中の一人で、次に会えるのはきっと卒業後かもしれない。
(まぁ、地下ですら会いに来た彼女のことだ。何かしらの手段で私に会いに来るだろうさ)
だから心配はしていない。むしろ心配すべきは私の方で。
そんな私はまた地下にいる。
神国政庁の地下の牢獄だ。捕まったというか、保護されたというか。
――私の安全を考慮してのことらしい。
羊の実と呼ばれる、牧畜用に飼育されているモンスターからとれたふわふわの絨毯に覆われたその牢獄で私は退屈な日々を過ごして――どたばたという音が聞こえて私は牢獄の外を見た。
牢番というか、警備役の兵士が嫌な顔をしていて、来訪者についてはすぐに察する。
「ユーリくぅん……!!」
処女宮様―本名、天国千花という女子高生―が鉄柵越しに涙目で私を見ていた。
「はい、なんでしょうか?」
「これ!! これどうするの!!」
処女宮様の使徒に、私はまだなっていない。
それは私がまだ子供だからだ。なる条件はわかったが、それを行うには少しばかり時期が悪かった。
双児宮様の裁判は終わっていないのだ。
さすがに生徒を地下牢に閉じ込めていたというのはある種のタブーであり、そう、子供もまた女神アマチカの財産なればこそそれは神国の法を犯したという解釈を、巨蟹宮様をはじめとした、何人かの有力者によってされた。
つまり双児宮様の罪は枢機卿でも安易に許されることのない大罪となったわけだ。
――とはいえ双児宮を罷免にまではならないだろう。
処女宮様はなんらかの手段でスキルの剥奪もできるらしいが、双児宮様が蓄積してきたレベルやノウハウを考えれば現在、あの少女を失うことは神国の損失に他ならず、私とて迷惑を被ったが子供一人の人生を(それが何年も生きている子供の姿をした何かであろうと)台無しにしてまで――いや、言い訳はよそう。私が双児宮様を許すのは、つまり……。
――次の双児宮様がまともである保証がないからだ。
ただでさえ人材不足の神国である、次に双児宮様のスキルごと双児宮の座を引き継がせたとして、そいつが今の双児宮様よりひどかった場合のフォローはどうする? ソーシャルゲームのガチャじゃないのだ。よい人材が出るまで双児宮のポストを空白にしておくわけにもいかない。
ブラック企業で上司が消えて新しい上司が来たらそいつが前のよりもひどい奴だったなんて話、前世では珍しい話ではなかった。
とはいえ完全に許すわけでもない。法は法だ。これを甘くすれば神国の権威がゆらぎ、つまりは治安が悪化する。
だから今回の件で、双児宮様の権限を弱め、扱いやすいようにするのが裁判の目的――「ユーリくん!!」
処女宮様が牢獄の隙間に顔を押し付けて私を睨んでいた。
黙っていれば美少女なのだから、どうして自分からそんなぶちゃいくな顔をしてしまうのか。
牢の脇に立っている兵士は見ないふりをしてくれているが、いなくなってからため息のようなものを吐くのを私はよく聞いている。
「はいはい。ちゃんと聞いてますよ、処女宮様」
「ちゃんとね! この経済特区っていうのは、どういう効果が――」
それは私が会議で提案するように指示した政策だ。
ただ、この方に口で説明したところでたぶん半分も覚えないだろう。
だから私は牢獄内の机の上にあった、処女宮様に用意しておいた紙束を渡した。
十二天座会議で出される質問を予想した解答集だ。
「はい。これの通りに答弁すれば通りますよ」
「わぁい! って、そうじゃないよ! なんで最初から渡さないの!」
牢獄で暇だった間に作ったものだから、ついさっき書き上げたのだ。でも私はそんなことは言わないで鉄柵に隙間に挟まっている処女宮様の頭をよしよしと撫でてあげることにする。
「処女宮様に多少なりとも成長してほしくて」
「そういう家庭教師みたいなことはいいからさぁ……!!」
そんな処女宮様の様子に苦笑を覚えた私はくすくすと笑う。なんとも無邪気で元気な子供だ。
「笑ってないで、次はね! 宝瓶宮の奴がユーリくんを寄越せって――」
そんなことをさんざんに愚痴りながら、時間だと帰っていく処女宮様を私は快適な牢獄の中から見送った。
――ここに来るのは処女宮様だけではない。
技術ツリーの相談に来る宝瓶宮様、地下下水ダンジョン探索のシステム化の相談に来る巨蟹宮様、魔法研究の相談に来る磨羯宮様、作成したスライム浄化槽を用いて、下水ダンジョンから水を汲み上げる下水システムを神国全土に張り巡らせる計画の相談に来る金牛宮様など様々だ。
牢番のため息を聞きながら私は絨毯の上にごろりと横になった。
本や菓子、甘いジュースなどを差し入れられるが、今は読んだり食べたり飲んだりする気分ではない。
国家の重鎮がこうして相談に来ることは、今後のコネクションを考えればきっと良いことなのだろう。
(だが、終わっているな。この国は……)
内政系の人材の能力不足だ。
数は力で、この国を救うには一人の天才ではなく、十人の秀才や、百人の凡才が必要だ。
そうして数を増やせば、いつか多くの天才が恒常的に生まれる土壌もできるだろう。
(……どうにかして人口を増やす必要があるか……)
即戦力になる大人が必要だ。
そして図らずも、今回の事件で兵士の代用となるスライムの育成マニュアルは作れた。これで戦争には対応できる。
だが、内政の人材となればきちんと人間を用意する必要がある。
それも、本格的に手を付けるのは使徒になってからか。ここでは資料を読むにも……――疲れたな。
(前途多難だな)
絨毯の上でごろごろと転がりながら、私は脳のどこかに力を入れて、それを引き出す。
(転生者殺害特典、か)
これは処女宮様の使徒になったときに得たインターフェースに似たシステムだ。
私のステータスの正確な数値だとか、私が知っているだけのこの国の情報だとか、アイテムレシピだとかそういうものをきちんとしたデータとして確認できる。
もっとも現在は操作権限が低いのだろう。
できることはほとんどない。だから、これを使って大人になったりはできない。
全部いくつかのアイテムで代用できる程度の機能しか今はない。
ただ、それでもこれをもっていなければできないことがあって。
私がそれにそっと意識で触れれば、遠のくように意識はここではないどこかへと運ばれる。
――『アリスのお茶会』に接続します。
――『ユーリ@神国所属』が入室しました。
意識が飛んだ先は、奇妙に明るい森の中で、そこにはケーキだのティーポットだのが真っ白なテーブルクロスの上に、尽きぬほどに並べられている。
いくら飲んでも食べても減らないそれらの先に、その二人はいた。
「やぁ、来たんだねユーリ!!」
私に話しかけてきたのは古めかしい和服を来た男だ。私を見てすぐさま立ち上がったその男の頭の上には『ミカド@神門幕府所属』という表示が出ている。
「ええ、まぁ、暇なので」
「そうか! 僕もだ。何しろ部下が優秀だからね!!」
ミカドは京都を始めとした畿内三ヶ国の君主だ。
「ささ、座ってくれユーリ。こうして君と語らうことができるのがとても嬉しいよ僕は」
「ええ、私もです」
「ちッ、君主でもねぇガキが来るんじゃねぇよ。おい、ミカド。俺は帰るぞ」
もうひとりいたボロ服の女性が椅子から立ち上がってお茶会を出ていく。表示されたログは『アザミ@鬼ヶ島』。あれでいて、九州に居を持つ、二ヶ国の君主だ。
つまりは、ここはそういうことだ。
転生者を殺したものが来ることのできる場所。殺人者のお茶会というわけだ。
「ユーリ、すまないね。アザミのことは気にしないでくれよ。隣国の攻略が進まなくてイライラしているらしいんだよ」
「いえ、気にしてません。時間をかけてでも仲良くなりますから」
「うん! うん! それがいい、さ、ユーリ。何を飲みたい? 何を食べたい? ここにはなんでもあるからね。好きなものを言ってくれたまえよ」
気さくに声をかけてくれるミカドが席に座った私の肩の上に手を置き、にこにこと笑って言った。
「で、いつ殺すんだい? 神国の処女宮を」
「……まぁ、いずれ、ですかね」
「そうかい? 急いでくれよ? 僕は君が君主になるのがとても楽しみなんだ。なにしろ敵が強くないとこんなゲーム、すぐにクリアしてしまって、面白くないからね!!」
私はミカドの淹れてくれたお茶を飲みながら、なるべくにこやかに見えるように笑ってみせた。
――なんとも本当に、前途多難なことだ。
どうやら私が幸福になるには、この男をどうにかしなければならないらしい。
――創世のアルケミスト第二章『七歳から始める大規模プロジェクト責任者』完