077 東京都地下下水ダンジョン その21
「君、次はこっちを手伝ってくれ!!」
「はいッ! わかりました! そっちに行きます!!」
キリルは東京都地下下水ダンジョン一階層にいた。
指揮所から渡された地図を使って、いらない鉄橋や倉庫などのダンジョンの地形を鉄材などの素材に還元しているのだ。
「おい! どこも鉄が足りねぇから急いで送ってこいってよ!」
「馬鹿言うな! こっちも限界だぞ! 生産スキル持ちを送ってくるように言え!」
「あっちも限界だって連絡が来てる! 今入る分でうまくやれってよ!!」
「ぐ~~~~ッ、鉄だな。わかったよ! そこにさっき取り出した分があるから持っていってくれ」
「あるじゃねぇか!!」
「緊急用なんだよッ! 今が緊急時ってのはわかるが、ユーリ様がすぐ使える分は最低でも貯めとけって。あー、おいッ!」
鉄を取りに来た男は最後まで聞かずに、鉄材の入った台車にロープをくくりつけると連れてきた馬に結んでいく。
「さぁ、急げ急げッ! 敵は待っちゃくれねぇぞ」
鉄材を乗せた台車を馬が引いて走っていってしまう。
「クソッ、まぁいい。今取ってる分ですぐ補填できる」
「おいッ! 鉄が足りねぇから、送ってこいって連絡がッ!!」
「あー!! あー!! 言わんこっちゃねぇよ! 待ってろって伝えてくれ! すぐ送る!! おらッ、みんな、還元すっぞッ!」
男たちは叫びながら鉄橋に張り付いていく。
(馬……)
四つの足で歩いたり走ったりする生き物。手はなくて、首が長くて、胴体は太い。神国にはいない。
近づくと危ないので、興味を持っても近づくなと大人からは言われている。
その馬は、わざわざこのために獅子宮様が地上の自宅から連れてきた貴重な生物らしい。
(大きな生き物だわ)
キリルは四本足で動く獣を初めて見た。
(本当に本と同じなのね)
もっとも知識では知っていた。
図書館でユーリが写真にとった本のデータで見たのだ。
だが、実物を見るとやはり知識とはほんの少し違う印象を受ける。
「勉強って大事なのね。やっぱり」
見ていなくとも、知識で理解していればこうして実際に見たときに狼狽えずに済む。
その知識を運用するにはまた別の知識が必要だろうが、そこまでは求めない。自分はその位置にはいない。
いずれ必要になるかもしれないが、今ではないのだ。
「おう、どうした嬢ちゃん?」
「はい。馬という生き物を見たのが初めてだったので」
一緒に鉄橋を素材に還元している中年の男性に問われてキリルが正直に答えれば、男は手を止めずに、そうさな、と言った。
「神国じゃああんまり動物を見ねぇが、他の国ならそう珍しくないらしいぞ」
「そうなんですか」
「ああ、くじら王国とか七龍帝国なんかじゃ軍にも馬を導入しているらしい。嬢ちゃんも大人になって外交なんかで行ってみたらたぶん見られるんじゃないか?」
もしくは軍部だな、なんて言いながら男は鉄材をまとめて担ぐとガラガラと素材を貯める箱に入れる。
肉体の素質か、レベルが高いのだろう。余裕そうな表情でキリルがいるところまで戻ってくるとまた鉄材を取るために鉄橋に手を触れる。
「なんにせよまずはこの窮地を抜けてから――うぉ、おいッワニが湧いたぞッ!!」
叫びにキリルが水路を見れば、確かに人食いワニの巨大な口が見える。
――ダンジョン内ではモンスターが自然発生する。
それはダンジョン内の魔力が集まったからだとか、時間経過が条件だとか言われている。
先程は影も形もなかったというのに、水の中からワニの巨大な口が現れ、人間のいる地上へと飛び出してこようとしてきた。
ばたばたと慌てたように大人たちが走ってくる。
だが還元するためにこの鉄橋は細くなっている。人食いワニの巨体が乗っかればこの橋は折れてしまうだろう。
そうすれば水に落ちて、溺死か、それともワニに食われるのか。
(嫌ッ。死ぬのは絶対に嫌ッ!!)
女神アマチカに祈る。悲鳴を上げたくなるような気持ちを抑えるも涙が目の端に浮かぶ。
やっとユーリに会えると思ったのにこんなところで自分は死ぬのか。
「クソワニがよ~~!!」
だが一緒にいる男は全く諦めた表情を浮かべずに懐から小さな機械を取り出していた。
スマホではない。キリルは知らないがマジックターミナルと呼ばれる攻撃用のアイテムだ。
「喰らえッ!!」
マジックターミナルから発射された巨大な炎の球の直撃を受け、水路へと飛び上がってこようとした人食いワニの身体が大きく吹き飛ばされる。
追撃もまた放たれた。鼻先への攻撃だ。大きなダメージを受けたのか、ワニの鼻先は消し飛ばされている。
「やったッ!!」
キリルが喜びの声を上げればワニがぐるぐると唸り声を上げて悔しげにキリルたちを睨みつけた。
再び水路から鉄橋へと跳ね上がるための予備動作をする人食いワニ。
その身体は、天井から落ちてきたスライムに包み込まれてしまう。
「す、スライムッ! スライムです!!」
キリルは大慌てで男に向かって叫んだ。
このダンジョンでの注意事項として、スライムの多くは物理攻撃が通じないので、ある意味素早く襲いかかってくる人食いワニよりも警戒すべきモンスターとキリルは教えられていた。
だが男の方は余裕の表情を浮かべている。
「安心しな嬢ちゃん。あのスライムはうちの兵士が隷属させてるものだからよ」
「れいぞく?」
「従わせてるんだよ。敵じゃねぇってことだ。もっとも鑑定ゴーグルなんかがねぇと野良のスライムと見分けがつかねぇから、ここでスライムを見かけても迂闊に近づくなよ」
おずおずとキリルが頷けば男は満足したように他の兵に向かって叫ぶ。
「ワニはスライムが駆除した! 作業を再開するぞ!!」
男が鉄橋に手を当て、鉄材の回収に入りながら、感慨深げに言う。
「昔はこんなことできなかった」
「むかし、ですか?」
「ああ、俺たち兵士はびくびくと周囲を警戒しながらダンジョンを探索するしかなかった」
スキルやら何やらで警戒もできたが、いつでもできるわけじゃなかったしな、という兵士。
「それがこうして変わった。マジックターミナルを身につけることで強力なパッシブスキルをスマホに入れられて、身体能力が上がったし、壁やら天井やらを這って警戒する隷属スライムがいるからモンスターにびびる必要もねぇ」
何を言いたいのか。キリルは大人が無意味なことを言うとも思えず、還元作業を続けながら耳を傾ける。
「ユーリ様はすげぇよ」
「ユーリ様?」
「ああ、ユーリ様だ。あの方が全部見つけたんだ。隷属をうまく活用する方法や、マジックターミナルの利用法なんかを。俺らみてぇな生産スキルをうまく使えるようにしてくれたのもあの方だし。本当に俺たちはあの方に感謝してる」
涙を浮かべてユーリを褒め称える男の姿に、キリルはユーリの価値を正しく理解している者がいることに驚く。
――ああ、やっぱりとられてしまう。
光り輝く才を持つものは、ただ過ごすだけでも誰かが見つけてしまうのだ。
双児宮がさらって隠したユーリは自分の力で外に出た。
そして自分の力で多くの人々を魅了し、信頼を得た。
今もこうして鉄材をとるしか仕事のないキリルと違い、大きな場所で大きなことをしているらしい。
(私が、こうやって助ける必要ってなかったんじゃ……)
わからない。わからないが、でも、とキリルは鉄橋を素材に還元しながら思う。
今ここで歯を食いしばって、ユーリに続かなければきっと、ユーリの視界から自分は消えてしまう。
耐えるのは得意だ。
我慢するのは慣れている。
祈ることも。頑張ることも。自らを高めて評価を得る方法も。
――なにより私は可愛い。
それは、他の誰にもない利点だとキリルは思っている。
自信は力となる。
男に相槌を打ちながら、キリルは巧みにユーリのことを聞き出していく。
もちろんここで「ユーリは私の友だちなの!」なんてことは言わない。
ユーリの名前をここで持ち出して何になるだろう。
他人と仲良くなるのに他の人の名前を持ち出して何になるだろう。
何より、ユーリにそれを聞かれたらどう思われるだろう。
他人の名前を出すにしても、それは必要なときだけ、許可されたときだけだ。
(ユーリは絶対に良い顔をしないわ)
それがわかるのは、キリルがそれをされれば嫌だと知っているからだ。
学舎ではキリルが知能学習の女子たちのまとめ役のような立場にいた。
自分が気軽に使っている子供が、自分がいないときに自分の名前で誰かを顎でこき使っているときに、不快感を覚えたことがあった。
別にやられても構わない。怒らないし、好きにすればいい。
自分がそういう立場にいることをキリルは理解していたから、名前を使われて思ったのはそういうことだけだ。
だけれどそれでいい気分になるとは限らない。
(私は知っている。ユーリが求めるのは強い人間だ)
キリルが求められたのは、キリルが可愛くて才能があったからだ。
そう、だからユーリの隣に立つために、ユーリに好かれるためにユーリの力を使うのは間違っている。
まだまだ子供だけれどキリルは知っている。
そういうものは、使った力に効力がなくなれば味方ではなくなるということを。
学舎でキリルも結果を見たことがあるから知っている。
自分の名前で好き勝手やっていた子供を自分の派閥から放り出した。
その子がどうなったかといえば、誰も隣にいなくなった。それだけだ。
別にキリルが何かを指示したわけではない。
放り出しただけ。それでも、キリルの名前だけで交友関係を作っていたその子供はキリルの名前を利用できなくなったときに誰も隣にいなくなってしまった。
誰かの名前に頼った力は、誰かの気が向かなくなっただけで消えてしまうことをキリルはそれで学んだ。
だからこそキリルは思う。
自分の力を高める。自分の魅力で他人を取り込む。そうやってユーリに追いつく。
全部だ。全部やるんだ。
(だって私の人生だもの。私の好きにやるわよ)
キリルはこうして世界を知った。
世界を知れば視野は広がる。広がった視野の中でも、ユーリは輝いていた。
彼はずっと、素敵なキリルのユーリだった。