073 東京都地下下水ダンジョン その17
地下下水ダンジョン二階層の一画で人類とゾンビによる激しい戦闘が行われていた。
「すぐに前衛を入れ替えて! 医療部隊は前衛が入れ替わったらすぐに治療!!」
響くのは銃声と魔法を放つ音。
陽動部隊の背後で休んでいた兵たちが大盾を持ち、兵に囲まれた巨蟹宮の指示に従って前進すると、今まで前衛に立っていた兵と入れ替わる。
「負傷五名! 死亡一名!」
「わかった! 控えから兵を出して、死亡した兵と入れ替えて!」
「機動鎧一着耐久力残り一割! エンチャント済み大盾九枚も同様です!」
「陣地に戻して修復してくれ!!」
「部位欠損治療ポーション残量三割切りました!!」
「優先して生産させろ!!」
ぎりッ、と巨蟹宮は歯を噛み締めた。
この戦いに向けて、あらゆる資材をあるだけかき集めてきた。
兵も、装備も、薬も食料も何もかも、あらゆるものを持ってきた。
せめて地上が落ち着いてからここが見つかれば――そこまで考えて巨蟹宮は心中で首を横に振る。
(むしろ今でよかった。あと一ヶ月も時間を与えていれば、手がつけられなくなっていた)
三箇所で陽動を掛けているというのに、磨羯宮に破壊を任せた主攻方面から吉報は届かない。
それはつまり、これだけの好条件が整っていながら自分たちが相手に勝れていないということだ。
「自衛隊員ゾンビのレベル40個体出現しました!!」
「集中攻撃しろ! 絶対に逃すな!!」
ユーリがいてよかった、と思うのはこの瞬間だ。
――寄生マジックターミナルの発見は偉業だ。
神国史で称えてもいいほどの偉業。この戦いが終わって地上に戻り次第、勲章の一つは必ず与えなければならない発見だった。
これがなければおそらく自分たちは負けていただろう。
本来のマジックターミナルは魔法を二、三発撃って終わり、チャージにも時間のかかる欠陥武器だった。
戦場にマジックターミナルを持っていくぐらいならポーションの一つも携帯した方がマシなぐらいのものだった。
それを隷属させたレアメタルを寄生させることで威力の向上と自動チャージ、また進化による様々なスキルの入手を可能にさせた。
それは、ただ魔法攻撃の手段が増えただけではない。
マジックターミナルで魔法を使えるようになったことで、スマホに攻撃魔法を入れなくてよくなったのだ。
今回、マジックターミナルを兵に持たせた巨蟹宮は、代わりに常時発動系の身体強化スキルをスマホに入れさせている。
消費するエネルギーやメモリが多いために、スマホにしか入れられないスキルは多いのだ。パッシブスキルはそれに該当した。
レベルの低い神国の兵が、レベルの高い自衛隊員ゾンビと戦えているのは『銃撃耐性』や『物理耐性』などのパッシブスキルの効果が大きかった。
今後レアメタルの寄生は研究が進むだろう。
ユーリが寄生レアメタルの育成や寄生パターンについて、詳細な記録を残したことでそれはもっと進んでいくはずだ。
――記録。
データを記述して残すことで誰にでもわかりやすくするという行為。
今までも宝瓶宮のように、手記という形で研究結果を残していたものはいた。
だが、グラフや日数などの細かいデータまでも記述した、読みやすい研究記録というものはいままで神国には存在していなかった。
誰もその意味を理解していない。それこそ記録を提出したユーリでさえわかっていなかった。
(レアメタルを隷属させるなんて発想、子供だからできたのかな……)
ああいった子供が増えるのならば難事ばかりが続く神国にとっては吉報だろうが、それはないだろうな、と巨蟹宮は考えている。
(あんな子供、千年に一人の逸材だろう)
だからこそ、あの子供を守らなければならない。こうして頼るしかなくとも……だ。
「巨蟹宮様、スライム部隊、攻撃準備完了しました!」
「よし! 『埋伏の計』を解除だ! 奴らの頭の上から魔法を叩き込んでやれ!!」
軍師スキルのアビリティ『埋伏の計』による大規模隠蔽によって隠されていた、天井に張り付いていたマジックスライムたちが自衛隊員ゾンビの頭上より魔法の雨を降らせていく。初級魔法といえど百を越えるスライムによる豪雨がごとき魔法の一斉射は自衛隊員ゾンビたちに大打撃を与えていく。
「よし! 敵が崩れた! 前衛は前進、マジックスライムには魔法を撃たせ続けろ!!」
巨蟹宮たちは陽動部隊だが、敵部隊を殲滅できればこのまま進撃するつもりだった。
ガトリングだのレベル60だのと情報は入ってきているが多方面から攻撃すれば敵の拠点を崩すことも可能になる。
とにかく攻撃だ、と指示を出している巨蟹宮に迫る人影があった。
「巨蟹宮様! ユーリ様から連絡が入りました!!」
通信兵だ。またか、と巨蟹宮は思ったが顔には出さないようにする。
こうして逐一連絡を入れてくれるのは助かるが、その報告が毎回衝撃的なのも困るのだ。
やれ目の前に敵の生産拠点があっただの、レベル60のゾンビが出ただのと。
「ユーリはなんと?」
「本当か? いや、疑ってるわけじゃないが……!」
通信兵が困った顔で通信先へ問い返しているのを見た巨蟹宮は怒鳴りつけるように兵に言う。
「なんだ! おい、言ってくれ!!」
「画像を送ったんだな! わかった! 今確認する。……よし、巨蟹宮様、これを見てください!!」
まさか磨羯宮の部隊が壊滅したとかじゃないだろうな、と思いながら通信兵が見せてきたスマホの画面を見て、巨蟹宮は強い頭痛を覚える。
「なんで、こんなときに!!」
それは処女宮と宝瓶宮が、ユーリとともに映っている画像だった。
◇◆◇◆◇
「なん、で、処女宮様たちが」
「なんでって、捕まったって聞いたから迎えに来たんだよ!」
ぎゅうぎゅうと柔らかい身体を押し付けてくる処女宮様をレベルが上がったことで力強くなった手で押しのけつつ、私は周囲の兵に言う。
「この方たちは任せてください。話が終わり次第戻りますが、今は私が死んだ場合のプランに沿って動いてください」
臨時の指揮官に指揮を譲って、とにかくこの場から離れることにする。
「え? 死、死って何?」
「今、そういうことが起きそうな場所なんですよここは」
「ええ!? あ、危ないよ! 上に帰ろう!! 私が守ってあげるから」
「そういうわけにもいかないので」
邪魔にならない場所を見つけ、適当に壁を拡張する。
土器スキルを持つ兵を呼び寄せ、椅子を造らせてからそこにワニ革を敷いてとりあえずの体裁を整えた。
「どうぞ、座ってください」
「う、うん」
「宝瓶宮様も」
入り口で兵の行き来を眺めていた宝瓶宮様を呼び寄せ、とにかく兵たちの邪魔にならないように彼女たちを隔離することにする。
「カーテンは?」
「できました。設置します」
ありがとう、と兵に言って私はふぅ、とため息にも似た息を吐いた。
――まさか、この二人がやってくるとは。
兵がカーテンを設置するまでの間に通信兵を呼び寄せて写真を撮らせて各部隊に送る。
兵がカーテンを閉めて作戦に戻っていくのを見送りながら、いろいろと考え、出した結論を――。
「ユーリ、君の錬金術は以前よりも上達したのだな」
「え、あ、はい。宝瓶宮様」
感慨深げに宝瓶宮様は私に言う、
「還元の速度が以前見たときよりも早くなっていた」
力に対する理解を深め、何度も使ったならそれはそうなるだろう。
「やはり私は君に宝瓶宮を譲りたい……この国は、ダメなんだろう?」
あ? ダメ? ダメって、何を言ってるんだこの人は?
「大規模襲撃の被害も残っているのに、こんなことになっている。あれこれと言われる私だが、ここの様子を見ればわかる。ダンジョン攻略なんかじゃなく、また問題が起きているんだろう?」
宝瓶宮様は美しい顔を憂鬱に染め、対面に座っていた私の手を握ってくる。
「ユーリ、宝瓶宮になるんだ。君さえ天座の地位につけば、少なくともこの国の遅れに遅れた技術の問題が解決する。私ももちろん全面協力する。頼むユーリ、宝瓶宮に――」
「ダメダメダメダメ!! ダメだって!! ユーリくんは私の使徒にするんだから!!」
「だからお前はッ、彼を使徒などにしてどうする!! お前の使徒になったところで彼に何をさせるっていうんだ!!」
「そ、それは! ぜ、ぜんぶを」
「全部とは何だッ!!」
――頭が真っ白になっていた。
この人たちは、この人たちはここの様子を見て、まだそんなことを言っているのか。
宝瓶宮? 全部? くだらないくだらないくだらない。
皆が戦っているというのに。国の未来などどうでもいいだろう。今だ。今しかないんだ。まずはここを乗り切らなければ私たちに先などないのだ。
(今……ああ、そうか。処女宮様の誘いを受ければとりあえず私だけは逃げられるのか)
自分のことだけを考えるなら、その選択もありだろう。巨蟹宮様たちもそこまでして逃げる私を追おうとはするまいし、磨羯宮様も私が逃げるなら快く背中を押してくれるだろう。
そういう面では宝瓶宮様の申し出もありがたい。不老不死の権能を持つ十二天座の地位は、私が他国へ亡命するまでの時間を稼ぐ役に立つだろう。
――そのような下衆な真似ができるほど、私の誇りは安くないがな。
二人分の人生だぞ。せめて逃げるにしても最後まで頑張ってからに決まっているだろう。
私は、パン、と手の平を叩いてみせた。言い争いを始めてしまった二人が私を見た。
「お二方、落ち着いてください」
「あ、ああ……すまないユーリ」
「う、うん。ご、ごめんね」
気まずそうに見ている二人を見て、いくつか思いつくことがあった。
――この二人をうまく使えないだろうか?
これでもこの二人は枢機卿なのだ。
処女宮様は一見無能に見えるが、高位の神聖魔法が使えるので医療部隊に置いておけばいい。
そして重要なのは宝瓶宮様だ。この方は腐っても十二天座、一人で来ているわけがない。
(こういうのをなんというんだったか……)
濡れ手に粟ではなく、死中に活を求めるではなく、ええと。
(藁にもすがるだったか?)
目の前の事態を認識していないお二人へ私は微笑んで言ってみた。
「それよりもお二方にお願いがあるのですが」