068 東京都地下下水ダンジョン その12
メガネを掛けた、禿頭の太った男性が狂喜も顕に壁をばんばんと叩いている。
「すっばらしいですぞ! なんだこれ? なんだこれほんとなんだこれ!?」
うぞうぞとうごめくマジックスライムで満たされた部屋を見ての第一声がそれだった。
私が一度も見たことのない人物だったが、こんなダンジョンの中でも豪華な装飾で彩られた服装、枢機卿専用の高ステータス補正の『枢機卿服』を身に着けているということは枢機卿の一人だろう。
ちなみに獅子宮様と巨蟹宮様はそういったものを身に着けていない。
死ねば装備はその場に取り残されるためか。平時はいつ死んでもいいようにとそこまで良い装備は身につけていないようだった。
「おい! 鑑定! 鑑定来い!!」
枢機卿猊下、おそらくは磨羯宮様が連れてきた兵に声をかけている。
――不思議な兵たちだった。
真っ白なローブを深く被り、仮面で顔を隠した兵の集団。磨羯宮様の魔法兵団だ。
大規模襲撃時に見た限りだが、あれらの装備で知能ステータスに補正を掛けているらしい。
兵の中から枢機卿猊下の言葉に反応し、一人が進み出て、鑑定結果を告げれば猊下は飛び上がって喜んでみせた。
「おお!! おお!! マジックスライム!! 新種か! しかも全属性魔法! すばらしい! すばらしい!!」
蠢くスライムたちにそのまま飛びかかろうとする猊下。
「お、おやめください! 磨羯宮様!!」
「ええい止めるな! 拙僧の知的欲求が溢れて止まらんのだ!! 欲しい! 拙僧はこの場所が欲しい!!」
「この場所が欲しいなら終わったあとに双児宮と交渉しな。学舎の地下だからな。ったく、ようやく来やがったか磨羯宮」
おお! 獅子宮!! と禿頭の男、磨羯宮様が獅子宮様に向かって喜色満面に振り返った。
「お主らが送ってきた寄生レアメタル! あれを拙僧にくれるという話は本当か!?」
「好きなだけ持っていくといいよ。ただし全てが終わってからだけどね」
磨羯宮様の問いかけに、獅子宮様の後ろに続いていた巨蟹宮様が答える。
おお、おおぉ、と感激したような磨羯宮様に獅子宮様たちはうんざりした顔で文句を言う。
「神国の一大事だってんのに、てめぇは随分と余裕そうじゃねぇか」
「磨羯宮、君が来てくれてありがたいけどね。すぐに報酬の話に移るのは感心しないよ」
「はっはっは。しかし放っておけば君たちは報酬を有耶無耶にするではないか」
にこやかに口角を緩ませながらも目だけは笑っていない磨羯宮様。
舌打ちをする獅子宮様と目だけが笑っている巨蟹宮様。
周囲の兵たちはおろおろとした目で三人を見ている。非常に胃に悪い場だった。
「というかだな。拙僧とて欲深いがゆえに言っているのではなく。神国の未来! 神国の未来のためにだな!!」
「わかった! わかったってんだろうが、報酬は払う。契約もしてやる。それでいいだろうが。それよりもてめぇに作戦を説明するからそれに従って準備を――」
「わかればいいのだよ。わかればな。作戦については我が使徒に全て任せる。兵は連れてきた分ならばいくらでも使っていいが、死傷者が出た場合は後で請求させて貰うぞ。死んだら遺族にきちんと金を払わなければならんからな」
「ちッ、めんどくせぇおっさんだ」
「そら、我が使徒よ。獅子宮に従うのだぞ」
磨羯宮様の言葉に従い、ローブを被った兵が進み出て、巨蟹宮様たちにひざまずく。
「なんなりとご命令を」
「どうする巨蟹宮?」
「そうだね。いきなり管轄の違う兵を混ぜても混乱するだろうし、陽動部隊を追加しよう。これで本命の偵察の生存率も上がるだろう」
巨蟹宮様が使徒様を連れ、会議室へと戻っていく。あそこには地図が貼ってあるからそれが目的だろう。
獅子宮様も「俺も兵を見てくる」と去っていく。
残されたのは私と磨羯宮様と彼の世話をするだろう兵が数人に、スライム部屋のスライムたちの世話をしている兵が数人だ。
(私も任された部隊の様子を見に行くか)
磨羯宮様は気になるが、私も私の仕事があるのだ。
巨蟹宮様や獅子宮様が来てくれたおかげで減った仕事もあるが、来たせいで増えた仕事もあって、それに加えて作戦のための部隊を――。
「なぁお主ら、このスライムを隷属させ、さらに育成するというアイデアは誰が出したんだ? 巨蟹宮の頭でっかちや獅子宮の馬鹿はこういったことは考えないだろう?」
磨羯宮様の声が背後で聞こえる。
うわぁやばい、と心の内で叫んだ私は早足でその場を立ち去ろうとする。
スライムを育成を担当している兵は私が最初に始めたことだと知っている。
(言うなよ。言ってくれるなよ)
だが私の祈りは女神アマチカには届かない。無情にも兵が磨羯宮様に答えを告げる声をが聞こえてくる。
「ユーリ様です。そちらの……あれ? ユーリ様! ユーリ様!! 磨羯宮様がご質問があるとのことですが!!」
叫ばなくていい! うぐ、と立ち止まって振り返れば禿頭に太っちょで眼鏡の中年男性である磨羯宮様が私をじっと見ていることに気づく。
「おいスライム係の君」
磨羯宮様は私を疑わしく見る目で眺めたあと、スライムを育成している兵に問いかけた。
「はい! なんでしょうか!」
「本当にあの子供がこれを始めたと? 拙僧を謀っているわけではなかろうな?」
「まさかそんな! 女神アマチカに誓ってそのようなことはありません。磨羯宮様、ユーリ様はスライムの安全な隷属方法やレベリング方法、安定的な餌の入手手段や安全なスキンシップのとり方に加え、三匹以上のスライムをしっかりと統率するテクニックや、環境に応じてスライムの進化先が変化するなどの偉大な発見をしたとても天才的なスライム学者ですよ」
スライム学者じゃない! ただの七歳児だ、と心の内で叫ぶ。
だいたい私はやり方をまとめただけなのだ。
(進化先や育成方法のデータ取りに関してはほとんど君たちの功績だぞ)
私はそんなことを考えながら、諦めの心境で磨羯宮様に近づいていく。
正直、変人っぽいので関わりたくないのだが、これも双児宮様との戦いのためだと自分を納得させた。
「君がか? ふぅむ、スキルはなんだ?」
「はい。磨羯宮様、錬金術です」
錬金術!? と仰天した表情で磨羯宮様が私の全身を見る。
「あんなゴミスキルでか? 隷属スキルや捕獲スキル持ちではないのか? 教育者や敏腕トレーナーなどのSRスキルでもなくか?」
「はい。錬金術です」
「信じられん。どういう思考でこれらを育てようと思ったのだ? だいたいなんで小僧のお前がここにいる? なぜ様付けで呼ばれている」
「はい。巨蟹宮様からこの拠点の整備の指揮を命じられたので、その指揮のために巨蟹宮様に様々なことを取り計らっていただいたからです」
質問に答えたのに、胡散臭そうに見てくる磨羯宮様。
「わからんな? あの胡散臭い似非男にそれだけの甲斐性があるのか? おい、お前。この小僧をどうして敬う?」
「はい、磨羯宮様。ユーリ様は以前、処女宮様の使徒様を任じられたこともあるうえに、この拠点では様々な――」
他の兵たちも集まってくる。
私がやったことを口々に褒め称えてくる。
やめてくれ、褒めるな。全身が痒くなる。私は褒められ慣れていないし、そもそも君たちが来てからは私は指示を出しただけじゃないか。
そんなことをしていれば薬毒師のイドさんと機械技師のメカチャさんが駆け寄ってくる。
なんだ? 次はなんなんだ?
「ユーリ様! 完成しました!」
「ユーリ様! やりましたよ! とうとう汚染水から清浄な水を作成できました!!」
それ自体は喜ぶことだった。ずっと任せていた仕事が片付いたのだ。素晴らしいことだと思った。
だが、ほう、と磨羯宮様が私を見てくる。なにかにロックオンされたかのような悪寒が全身を走る。
――最悪だ。
「お主ら、汚染水から清浄な水を作ったと?」
一瞬怪訝そうな顔をした二人だが、相手の顔や衣服を見て位階に気づいたのか、すぐさま畏まった姿勢で手に持った水入りの瓶を磨羯宮様に向かって恭しく差し出した。
「鑑定!!」
瓶を受け取らずに叫んだ磨羯宮様。すぐさま彼の傍に控えていた白ローブの兵が鑑定スキルを使って、水入りの瓶を確かめる。
「磨羯宮様、確かにこれは『清浄な水』でございます」
ほう、という顔をする磨羯宮様。
「素晴らしい。素晴らしいな。ふむ、ふむ、ふむ」
何かを考えている磨羯宮様。なんだよ? 早く言ってくれ。不安になってくるじゃないか。
「君たち二人のスキルは何かね?」
イドさんとメカチャさんにスキルを問うた磨羯宮様は「薬毒師!? それに機械技師!?」と私を見た。
(なぜ私を見るんだこの人は)
なんでこんなことに……兵たちが過剰に私を持ち上げたせいで、変な目で見られてしまっている。
私はやってくれと命じただけだ。頑張ったのは二人だ。
――評価されるべきは私ではなく二人なのだ。
「イド、メカチャ、君たち二人のスキルでこの水を作ったのか? 『汚染水』を『浄化水』に変換するレシピを発見したのか?」
「いえ、磨羯宮様。レシピではなく、『汚染水』を『浄化水』に変換する機械を作成しました。作成方法も文書化しましたので量産も可能です」
「機械!? な、ならばイドよ。薬毒師のお主は何をした? 機械技師のメカチャだけが作ったということか?」
いいえ、と首を振るメカチャさん。イドさんも「私は浄化槽の部分を作りました! 汚染を栄養源とするスライムを浄化槽部分で育成することにより汚染の大部分を取り除くことが可能になったんです!」と自分が関わった部分を報告する。
スライム――そう、薬毒師であるイドさんが毒を餌にして育成したスライムたちだ。
それらは育成の過程で厳選し、選別を行ったことで幸か不幸か戦闘能力を喪失してしまったスライムたちだが、代わりに汚染を食べるスキルを手に入れることに成功していた。
そのスライムたちから同じスキルを持ったスライムを産ませることで浄化槽用のスライムを増やすこともできるようにした。
戦闘能力がないから隷属化も必要がない。
二人から説明を何度も聞きながら浄化設備の構造を理解したらしい磨羯宮様が放心したように呟いた。
「……それは、つまり……機械を稼働させておくだけで浄化水が取り放題ということかね?」
はい、と頷く二人。
素晴らしいと呟いた磨羯宮様は再び私を見た。胃が痛くなる。
「小僧よ。なぜこの二人を選んだ? 水を浄化するならそれこそお主の錬金術の分野だろう?」
「お二人が適任だったからです」
「そうではない、なぜ選べたのかを問うておるのだ」
(なぜ、なぜって……?)
なぜかと言えば前世で水は浄化設備で浄化するものだったからだ。
(そしてあのときの私は清浄な水が欲しかった)
ついでに言えば、あのときの拠点では機械技師のメカチャさんに振り分ける仕事はとくになく、薬毒師のイドさんもまたポーションを作ってしまえば暇だったからだ。
暇な二人にちょうど良い仕事が転がっていた。それだけの話だ。
それこそ食料が足りなかったらもやしの栽培に挑戦していたかもしれない。それだけのことだ。
――もちろん仕事を任せて放置したわけではない。
浄水施設のだいたいの構想をメカチャさんには説明したし、微生物を使った濾過などのアイデアがあったからスライムを使ってみるようにイドさんにもアドバイスした。
だが功績の全ては実際に仕事をした二人のものだ。
私をわざわざ持ち上げて何がしたいんだこいつらは。
――また、私に仕事を押し付けようとでも……。
私がそんなことを考えていれば巨蟹宮様の使徒様であり、私の護衛でもあるシザース様がやってくる。
「磨羯宮様、お取り込み中のところすみません。ユーリ様、そろそろ作戦の準備に取り掛からなくては」
「は、はい! そうですね。すみません磨羯宮様。神国の危機ですので、先程の問答はまた後ほど」
天の助けだ。私がそう答えれば、磨羯宮様は作戦、と首を傾げた。
知らないのか。この人は何をしに来たんだろう、と思っていれば使徒様のシザース様が律儀に答えてしまう。
「ユーリ様はこれから敵の拠点を掴むために偵察部隊を率いるのです」
「ぬ、なぜこの小僧を連れて行く。お主が行けばいいだろう?」
困った顔をするシザース様。ぐぬぬ、と面倒くさくなった私は巨蟹宮様の名前を出すことにした。
こういう場では上司の名前を出すのが一番なのだ。面倒事は押し付けるためにあるのだ。
「磨羯宮様、巨蟹宮様の立てた作戦です」
「巨蟹宮……ああ、困る。困るな」
何が困るんですか? とは聞きにくい。なんであろうともろくでもない返答をされそうだった。
それに、作戦が近いのに何もしていないのはまずい。
私は磨羯宮様にでは、急ぎますので、と頭を下げるとシザース様と連れ立って部隊の幹部が集まっているという部屋へ向かおうと――磨羯宮様に呼び止められた。
「ユーリ、拙僧を連れて行け」
「……はい?」
「うむ、お主に死なれると困る。拙僧が守ってやろうではないか」
はっはっは、と笑う磨羯宮様。
前世の記憶が蘇ってくる。
有能だろうが無能だろうが、現場によくわかっていない上司がやってくることの恐怖。
(え、あ? こ、これは、大丈夫なのか……?)
私が不安がる中、おお、助かります、とシザース様が喜びの声を上げていた。