059 東京都地下下水ダンジョン その3
「へぇ、すごいじゃないか」
私が牢の地下に作った通路を身を屈め、よちよちと歩いて進む巨蟹宮様は通路の頭上にぶら下げていたランタンをひょい、と避けつつ私を称賛した。
「はい。いいえ、狭いところで申し訳ないのですが」
「気にしないでいい。私が無理を言って入らせてもらったんだからね」
鞄を背負ったままでも自由に歩けるように、ある程度の広さの拡張を行っている通路だが、さすがに大人が悠々と通れるほどの幅はなかった。
ちなみに巨蟹宮様が着ていた機動鎧は、パーツごとに分解して通路脇に急遽作ったスペースに押し込んでいる。探索のときに着ればいいだろう。
ただ、巨蟹宮様はこんな狭いところでも機嫌がよさそうに見えた。
まるで小人の国を訪れた巨人のように、大きな身体を屈めながらも、私が作った拠点をあちこちを見て回りたがっている巨蟹宮様。
その落ち着きの無さは子供のようにも見え、この人物が深い知性のほか、好奇心に満ちている人物だということがわかる。
――だからダンジョン探索担当なのかもな。
「それで巨蟹宮様、私はもう牢に戻らなければならないので一度失礼させて貰いますが……」
「ユーリ、君が望むなら今すぐ牢から出してもいいんだよ?」
私もそれを頼もうか迷っていた、だがいくつかの不安要素があるので首を横に振る。
「はい。私もそれは考えました。ですがそれは避けた方がいいでしょう」
「そうだね。君を正式に牢から出すには双児宮に抗議をする必要がある。動議には時間がかかるし、その場合、私が地上でそれらを主導する必要があるだろう。そして出したとしても、次は解任動議だ。時間を与えると様々な手を打たれかねないからね。そうなれば双児宮を追求するための証拠である君をあれこれ都合をつけられ奪われないように、軍で拘束しなければならなくなる。そうなると君が言う、地下の脅威への対応が遅れることになる」
「はい、巨蟹宮様。それはまずいです」
私の言葉に、巨蟹宮様が少し意外そうな顔をした。
「どうしました?」
「いや、以前会ったときより君は男らしくなったね」
「ええと」
「自信とやる気に満ちているように見える、ということだよ」
それは、そうかもしれない。
「そう見えるなら、望外の喜びです」
うん、と私の返答に満足したように頷く巨蟹宮様。
私は彼が休めるように、カプセルホテルのような穴を作っておくことにした。
しばらくの沈黙。作業は考えをまとめるのにちょうどいい。
あれこれと聞かれながら、それに答えつつ、私は完成した穴を巨蟹宮様に紹介しつつ、ここで過ごすための注意を説明しておくことにした。
「それと巨蟹宮様、いくつか注意点が」
「うん? 注意点」
「スライムが溜まっている部屋には近づかないようにしてください。部屋から出ないように言ってはいますが、もし近づいてきた場合はこの鋼鉄の棒で叩いてください。それと寝る場所は――」
「待った待った、ユーリが隷属させているんじゃないのかい? 人を害するのかいそいつらは」
「はい、もちろん隷属させています。人の害にならないように躾けてもいます。ですが、じゃれてくるんですよ。酸と毒の身体を持ったモンスターが。遊んでもらおうと寄ってくるんです」
なのでこの鋼鉄棒で触れてあげてください、と私は巨蟹宮様に鋼鉄棒を押し付けるように渡した。
「そ、そうか。そういうものなのか」
「もし触れた場合は殺されかねないので、すぐにスライムから身を離して、解毒ポーションや軽傷治癒ポーションを飲んでください。あと
、食料はそちらの倉庫に、飲料水はないので同じく倉庫にあるポーションを飲んでください。ここのものは全て自由に消費していただいて構いません」
「ふむ、それは信用してもらったということでいいのかな?」
「はい。当然です。巨蟹宮様は我が国の枢機卿猊下なのですから」
スライムの隷属がバレている以上、何を見られても怖いものはない。
そして、すでにダンジョンに拠点を作るノウハウはあるので、ここのものがなくなろうと、取られようと私には問題はなかった。
それに巨蟹宮様も相応のリスクを踏んでここにいるのだ。
私としてもいくらか返しておきたい。
こんな粗末な拠点を見て何か得られるなら、好きなものを持っていってくれていいぐらいだった。
「それでは巨蟹宮様、私は牢に戻ります。ああ、そうだ。時計はありますか?」
持っている、と巨蟹宮様から差し出された時計を私の時計と見比べる。装飾の有無があるものの、それは神国の時計生産レシピで作れる時計だった。
――時計はそれぞれ同じ時間を差している。
(基準となる時間がある?)
巨蟹宮様の時計がいつ作られた時計なのかわからないが、私のものとぴったり時間が一致していることに違和感を覚える。
「ユーリ? どうしたんだい?」
「いえ、なんでもないです。明日の、そうですね、一時ぐらいに戻ります」
なるべくなら時間をフルで使いたかったが、怪しまれないためにはそうもいかない。
課題を提出し、昼食を食べ終わり、使徒様との会話をする必要があった。
巨蟹宮様はわかった、と頷いてくれた。よかった、ごねられたら困るからな。
「それまで待っているよ。何かあったら何かしら合図をしてくれ。すぐに助けに行く」
「合図ですか……そうですね。では何かあった場合は床を消失させますのでそれを合図としましょう」
今の私ならば、全力で錬金を使えば牢の床の一部にこの拠点まで貫通する巨大な穴を作るぐらいは可能だ。
わかった、と頷いた巨蟹宮様に礼をして、私は牢へと戻っていく。
◇◆◇◆◇
平均的な成人男性よりも長身な巨蟹宮は、身を屈めながらユーリの作った拠点を這い回っていた。
(これは、すごいな)
穴は狭く窮屈だが巨蟹宮はそれらのことを忘れるぐらいにこの拠点に熱中していた。
次から次へとダンジョン探索のアイデアが湧き出てくる状態だった。
そして見れば見るほどに巨蟹宮は宝瓶宮と連携を取りたくなってくる。
(ここはすごい。便利だ。これをダンジョンの各地に作れれば……)
途中で休息した倉庫もそうだが、ダンジョンの一部を要塞化すれば多くの兵をそこで安全に休ませることができる。
いくらか手間は必要だが、物資を貯蔵し、人員を常駐させることも可能かもしれない。
――可能性は広がっていく。
ダンジョン内に拠点を作れれば、長い探索で疲れた兵を休ませ、消耗した道具の補給を可能とするだろう。
死傷者は減るし、二階層の探索も進むかもしれなかった。
(ただ、死傷率の高いダンジョン探索に宝瓶宮が自身の配下を送るとは思えないのがな……)
枢機卿たちは配下の育成に多くのリソースを使っている。だからこそその配下を貸し出そうなんて考えない。
巨蟹宮とて自分の配下を危険地帯に送ると言われてもそれを承諾しようとは考えない。
――だからこそ、奨学金制度に賛成したのだ。
あの制度には軍から金を出していいとも思っている。
先んじて欲しい人材に金を出すことで軍へ優先的に引き抜くのだ。
そうすれば生産スキル持ちを軍に揃えることも可能になるだろう。
そこで巨蟹宮はふと気づく。
「いや、軍専用の学舎……軍学校を作ればいい……のか?」
双児宮から人員を分け与えられるだけでは人材の供給は不安定だ。
如何に彼女が持っているスキルのおかげで神国の子供たちのステータスが格段に上昇するとはいえ、それでも多種多様な人材の安定供給に勝るものではないと巨蟹宮は考えている。
軍学校の建設、それには内政ツリー内の教育技術ツリーが障害だった。
インターフェースから発展させることのできる教育の技術ツリーは様々な効能を生徒たちに齎している。だからこそ箱だけ作ることはできない。きちんと双児宮の権能の下に学舎を置かなければならなかった。
だが、それは双児宮に特権を与えるも同然の行為だ。軍学校を作るとしてもそれは軍の影響下に置きたかった。
(あの小娘は少し以上に力を持ちすぎている。解任は無理でも、いくつか権限を削りたい)
双児宮が本気になれば、巨蟹宮が持つ『教師資格』を停止させ、ユーリとのコミュニケーションをできなくさせることすら双児宮は可能だった。
すぐにユーリを牢から出さないのはそのためだ。動議の前にそれらの権限の停止を含めた様々な根回しをしておく必要があるのだ。
「やはり双児宮の権限を削るまで軍学校は難しい」
ため息を吐く。まずは奨学金から双児宮の利権に食い込める環境を整える必要があった。
(……しかし、いろいろなものがあるな)
ユーリが貯蔵しているアイテム倉庫を巨蟹宮は眺めていた。頭が天井に当たるので身体を屈めながら鉄の箱に入れられた道具類を調べていく。
「装備もたくさんある。毎日ボスを倒してるのかな。熱心だね彼は」
ボスは強敵だ。大規模襲撃の前は毎日のように巨蟹宮も部下たちに狩らせていた。
ただ、下手に弱い兵を連れて行くと死んでしまうので巨蟹宮は使徒たちに主に狩らせていたが。
ボスは強いだけあってドロップもよく、ボス部屋にあるアイテムも優秀なものが多かった印象がある。
「いくつか道具は回収させてもらって……ただ無理に徴収すると恨まれるな……」
とはいえ資金にも限りがある。勲章や特権あたりでどうだろうか、と考えながら巨蟹宮はそれを見つけた。
それは一見、マジックターミナルに見えた。
神国アマチカの国民は全員スマホを配布されている。スマホに魔法を登録すれば電力を消費するものの、マジックターミナルより多くの魔法を、高威力で、少ないエネルギーで使えるようになる。
だから、マジックターミナルはいわゆるハズレアイテムに分類されるものだ。
「彼はスマホを取り上げられたと言っていたな」
マジックターミナルを集めたのはそのためか? と巨蟹宮は鉄の箱に無造作に入れられているマジックターミナルに手を伸ばし、鑑定ゴーグルで調べ、唸る。
名前:火の球・五号
種族:レアメタル
レベル:15
スキル:機械寄生
「マジックターミナル、じゃない?」
なんだこれは、と鉄の箱に入れられたマジックターミナルをそれぞれ確かめる。
「モンスターなのかこれは。隷属化したレアメタル? なぜ?」
呟きとともに、どくり、と鼓動を刻むように脈動したマジックターミナルの感触に、巨蟹宮はわくわくとした気分を抑えられなかった。