058 東京都地下下水ダンジョン その2
下水ダンジョンにもともとある倉庫を私が改造した休憩所には四人の人間がいた。
一人は私、残りは巨蟹宮様とその使徒様が二人。
機動鎧を纏ったままの彼らと私は床に直接座って顔を突き合わせるように話をしようとしていた。
これから、私がここにいる理由を話す、のだが……。
「私が、ここにいるのは……」
どうしても言いよどんでしまう。素直に話さないことに怒りを覚えたのか、使徒様が怒鳴ろうとしたところを巨蟹宮様が手を上げて抑える。
「静かに。子供だよ、ユーリは」
さぁ、話してくれ、と巨蟹宮様は私に向けて穏やかな顔を見せた。
「わ、私は……」
――どこまで話すべきだろうか。
言いよどんだのは目の前にいる巨蟹宮様が一体どのような派閥を形成しているのか、子供の私にはわからなかったからだ。
話すとは決めた。
(決めたが……)
こうしていざ話そうとすると口が固くなる。
前世の記憶を思い出す。まだ私がブラック企業の新入社員だったころ、仕事がきつかったときに優しい雰囲気を出して話しかけてきた隣の部署の偉い人間の記憶が蘇る。
ちょっとした愚痴だった。悪意や憎悪など込めていなかった。軽く相談するつもりで、もしかしたら待遇が良くなるかもしれないという気分で軽く上司のことを相談した。
――翌日には、その相談内容が、私の部署に広まっていた。
告発はときに状況を悪化させる。
(巨蟹宮様と双児宮様は、どういう関係だ……)
親しかったら処理されるのは私の側だ。抵抗したところで枢機卿は死んでも復活する。
私が実力行使に及んでも翌日には神国の全軍がこのダンジョンに攻め込んでくるだけだ。
――攻め込んできた彼らを二階層で全滅させれば……。
精鋭自衛隊員ゾンビたちにぶつければいい。
(私は穴蔵の出入り口を隠してしまえば……いや、いやいや、そうじゃない。それはダメだ。自棄になるな。冷静に見定めろ)
私は言いたいけれど言えない気分で口をもごもごとさせる。
黙り込む私に対して使徒様たちが怒りを顔に浮かべる中、何かに気づいたのか、巨蟹宮様は小さく、だがはっきりと私に向けて言った。
「これは仮の話だが……十二天座を解任させるなら、最低でも七人の枢機卿から票をとる必要がある」
何を言い出すのか、唖然とする私に、安心させるためか、にこりと巨蟹宮様は微笑みかけてくる。
「君の話に嘘がないなら、私が獅子宮を説得するよ。ほら、これで二票だ。そして君から頼めば処女宮と宝瓶宮、二人の枢機卿が釣れる。これで四票。解任までには届かないが、十二天座の三分の一が解任動議を出すなら、どんな荒唐無稽な話であろうとも他の枢機卿は真面目に聞かざるを得ないだろうね」
これでどうだろうか、と巨蟹宮様は私に向けて、さぁ、と話を促してくる。
(どこまで勘付いているんだ、この人は……)
まだ何も話していない。
だがこの方は私がここにいる理由を自分なりに推察しているようだった。
そして、そこまで勘付いていながら私を処分しないということは、双児宮様と親しくないということだろうか。
――わからない。わからないが、信頼して話さねばならない。
これでどうにかされるなら、私の命運はここまでだ。
いや、私が協力しなければ神国アマチカは地下からゾンビどもに攻められて潰されるだろう。
不死の双児宮様とて『大聖堂』が落ちれば死ぬ。別に復讐するつもりはないが、どちらに転んでも私をこうした元凶に鉄槌を与えられるわけだ。
(そんなことに意味はないが……)
そんなことに何の意味もない。復讐に意味はない。私は一時的な欲望のために破滅するよりも長く生きてこの生を楽しみたい。
まだ七歳児なんだぞ。私は。特にやりたくもない復讐が、自分の命よりも優先されることなどない。
「話します。全て」
そもそも私は忘れていた。
双児宮様のことなどついでにすぎないのだ。
もっとも優先されるべき話について話せば、あの小娘のことなど彼らの頭から吹き飛ぶに違いなかった。
◇◆◇◆◇
「なる、ほど。奨学アマチカは君の発案だったのかい。双児宮から出る案ではないと思っていたけれど」
「はい。その提案をした結果、双児宮様から彼女の使徒になる提案をされました。私には過分だと断った結果、双児宮様に牢に閉じ込められました」
当然だ、という顔をする巨蟹宮様の使徒様たち。いちいち剣呑な彼らは正直苦手だが、トップである巨蟹宮様は納得顔で頷いている。
「いや、私も君のような知恵者が使徒に欲しいね」
「巨蟹宮様!?」
使徒たちが驚いた顔で巨蟹宮様を見るも、ふふふ、と巨蟹宮様はそのイケメンフェイスに薄い笑みを浮かべるだけだ。
「それで、それだけかい? 君がこうしてここにいるのは? スライムを率いてまでやっていることは双児宮に対抗する力を得るためかい?」
「はい。いろいろと理由はありますが、脱獄し、処女宮様に訴えを届けられればと思っていました」
「情状酌量の余地はあるが、君はいろいろと国法を犯している」
アイテムの所持やダンジョンの改造、モンスターの討伐にスキルに使用などだろうか。
だが、巨蟹宮様からは私を罰しようという気配はなかった。むしろ、それだけかい? というような安心した空気すら感じる。
――もちろんそんなわけがないでしょう?
私はにこりと微笑んだ。
巨蟹宮様の表情が固くなる。
ようやく話せるのだ。口角が緩む。
巻き込んでやる。私だけの問題じゃなくしてやる。お前たちも一緒に苦労しろ。私と同じ苦しみを味わえ。
――都市の地下に、都市を襲った集団が隠れていて、そいつらがレベルアップして進化し、手に負えなくなっている事態を知れ。
「巨蟹宮様、それで本題に入りますが」
「おい、待て。本題とはどういうことだ? 双児宮様の方が――」
黙っているんだ、と巨蟹宮が私の話を遮ろうとした使徒様の言葉を遮った。
「続けてくれ」
巨蟹宮様に促されたので私は倉庫に転がっていた木箱を逆さにして机代わりにし、そこにダンジョンの地図を広げた。
先程侵入し、撃退されたボス部屋を指差す。
「巨蟹宮様、ここに二階層への階段があることはご存知ですか?」
「知っているよ。階段なら他にもあるね。ただ、二階層では死傷者が多くだして、撤退するしかなかった」
「二階層に大規模襲撃の際に首都を襲った自衛隊員ゾンビというモンスターが大量に潜伏しているのは?」
「いや、それは知らない」
「その自衛隊員ゾンビが地下でレベルアップを繰り返し、精鋭自衛隊員ゾンビに進化したというのは?」
「それも知らない」
――沈黙。
飲み込ませる時間が必要だったのもあるが、私が黙ったのは別の理由があった。
私が告げる事実に使徒様の一人がもはや限界とばかりに顔を真っ赤にして立ち上がったからだ。
「こ、子供が! で、でたらめを――」
鉄に覆われた拳が私に落ちてこようとする。
目を閉じる。私はレベルは高いがHPが高くない。即死だろう。
(まぁ、こんなものか――)
――金属音。
目を開く。巨蟹宮様の起動鎧に覆われた手のひらが使徒様の拳を受け止めていた。
「黙れ! 座れ!! お前たちはこの場では一切喋るな!!」
驚いていた使徒様も、巨蟹宮様に一喝されて座り込む。
「お前にはあとで罰を与える。ただで済むと思うなよ」
――少し意外な気分だった。
「巨蟹宮様は、使徒様よりも私を信じるのですか?」
私の問いかけに巨蟹宮様はむしろ驚いた顔で私を見る。
「ユーリ、なぜ比べる必要があるんだい? この情報を受け取って、なぜ私が使徒の顔色を窺う必要があるんだ?」
「それ、は……」
「それよりも私はお前たちの方が残念だよ」
使徒たちを見て、巨蟹宮様は冷たい目をしている。
殴りかかった方とは別の使徒様が言い訳をするように巨蟹宮様に抗弁する。
「で、ですがあ、相手は子供! 子供がどうやって二階層から生きて帰って――」
「私は黙れと言ったはずだ」
ぐぅ、と唸る使徒たちを呆れたように見ながら巨蟹宮様は私に言う。
「ユーリ。これが軍の現状だ。人材の分配が偏っている。軍だからと知能学習を疎かにした脳筋ばかりを寄越されても困るんだ」
「巨蟹宮様は、双児宮様に恨みがあると?」
「そういうことだよ。これで多少、私のことを信用してくれると助かるんだけどね」
「信用は、しています」
するしかないからだ。
私は鞄から精鋭自衛隊員ゾンビから手に入れたドロップ品を取り出した。
スライムはドロップ品を溶かしてしまうが、レアメタルが寄生したマジックターミナルで倒せばドロップアイテムを取得することができる。
そういった経緯で手に入れたいくつかの品だった。
私が取り出した、壊れたマジックターミナルや強化された自動小銃を鑑定ゴーグルらしきもので確かめた巨蟹宮様は、黙り込む使徒たちに向けて言う。
「物証も出た。これで決定だ。お前たちは地上に戻って軍の招集を始めろ」
渋々とだが立ち上がった使徒様たちは「は! 巨蟹宮様は?」と巨蟹宮様に向かって問いかける。
巨蟹宮様は少し考え、私の肩に機動鎧に覆われた鉄の手を置いた。
「この場に残り、ユーリを守る」
沈黙。
下水の流れる轟々という音だけが私たちの耳に届く。
巨蟹宮様を除く、誰もが思った。
何を言っているんだ、この方は、と。