057 東京都地下下水ダンジョン その1
ダンジョン担当の十二天座、巨蟹宮の青年が自らの使徒二人と共に、神国でも未だ貴重で強力な武具である機動鎧を着て東京都地下下水ダンジョンに向かったのは気まぐれや偶然などではない。
自衛隊員ゾンビの他に、強力なスライムがダンジョンの一階層に大量に出現し、地下のモンスターたちを駆逐していると聞いたからだ。
神国アマチカは下水ダンジョンの攻略は諦めているものの、地下一階層のアイテムまで諦めているわけではなかった。
大規模襲撃後は一時的に止めていたが、以前は学園の生徒に偵察鼠を倒させ、機械素材を集める一方、その監督に巨蟹宮の部下たちを派遣することで人食いワニやスライムの素材を集めていた。
地上の殺人機械たちに苦戦している神国では、比較的弱い、ダンジョンのモンスターを倒すことでモンスター素材を獲得することは重要なことだったのだ。
それが広大なダンジョンの一画とはいえ、神国首都の地下というもっともアクセスの容易な場所でモンスターが狩れなくなるというのは重大な問題だった。
(とはいえ、今回は偵察のつもりでしたが……)
巨蟹宮は問題を把握し、その解決にどれだけの兵が必要なのか自らの目で確認するためにやってきたのだ。
巨蟹宮とその使徒二人はダンジョンの地下を歩いていた。
三人を先導するのはユーリという少年だ。
(何がここで起こっている?)
がちんがちん、と機動鎧が歩くごとに、その重量を受け止めた鉄橋が盛大な音を立てる。
鉄橋の下を轟々と流れる水の音が響いている。
周囲を蠢くスライムたちの音は生理的な嫌悪と恐怖を抱かせる。
フェイス部分を持ち上げ、顔面を露出させている巨蟹宮に地下のじめっとした空気が不快感を与えてくる。
ここは陰鬱になる。だが巨蟹宮の意識はそちらには向かない。もっと考えるべきことがあった。
――地下ダンジョンで異常事態が起こっている。
機動鎧に備えつけたスマホから、自らの使徒たちの不安そうな相談のようなメッセージが届いてくる。
やれ、目の前の少年を拘束しましょうだの、周囲のスライムは安全なのか、などだ。
(黙っていてほしい。ですが……)
その気持ちもわかる。だが何もしないのが得策だと巨蟹宮は考えていた。
(この少年のことは知っている)
ユーリ。目の前を歩きながら、自分たちを先導している少年。
処女宮の使徒を一時的に務めていた少年だ。
外交の場にも出てきて、なかなか小癪な質問で敵国の将軍を困らせていた。
学舎を卒業したら軍に欲しいと思っていた人材だった。
(この少年は、信頼……信用……どちらもできる)
命を張って、亡霊戦車との作戦に参加し、自分たちが身にまとっている機動鎧を制作した。
そうだ、この少年は。少なくとも敵ではない。
(というより敵だった場合、私たちは殺されていなければおかしい)
ふふ、と舌先に感じる緊張の苦い唾を巨蟹宮は飲み干した。
自らを先導して歩くユーリという少年は隙だらけに見えた。
彼を殺すだけなら簡単だ。枢機卿である巨蟹宮には処刑の理由を作ることができる。不敬罪でもなんでもいい。宣告したあとに、機動鎧の鋼鉄のグローブで握っている鋼鉄の槍を背後から突き刺す。これだけだ。如何にレベルが高かろうとも、子供のHPは低い。どうやっても殺せる。
(だが、『大聖堂』で復活できる私はともかく私の使徒はふたりとも死ぬでしょう)
周囲は強力なスライムたちによって固められていた。
宝瓶宮から提供された、最近レシピがわかったことで作れるようになったという『鑑定ゴーグル』で鑑定してみれば、周囲のスライムは全てレベル20を越えていることはわかる。
ユーリを殺せば統制を失ったスライムたちは巨蟹宮たちを即座に殺すだろう。
同時に貴重な機動鎧も失われる。
(それに、その後が怖い……)
おそらくこれらはユーリが隷属させているモンスターだ。
この少年のスキルは『錬金術』。ワニの素材から『隷属の巻物』を作り、スライムを隷属させ、地下ダンジョンでレベルを上げてここまで育てたに違いない。
なぜそんな危険なことをこの少年がやっているのかはわからないが、その理由を聞くまで巨蟹宮は拘束も殺害もすべきではないと考えていた。
「それで、どこまで向かうのですか?」
「はい。安全なところまでです」
背後の自分たち、というよりその先の何かを恐れているらしいユーリは背後を気にしながらも、手元の地図に目を落とし、「このあたりに休息所を作ってます」と巨蟹宮たちを導いていく。
「まるで庭のように歩くんだね。君は」
ユーリが従えるスライムたちはモンスターを見つけると襲いかかって即座に殺していく。
そんなスライムに対する使徒たちの怯えを感じながらも巨蟹宮は穏やかにユーリに問いかける。
自分が怯えていればユーリも話しづらいと思ってのことだ。
「はい。いいえ、スライムを隷属するまでは何もできませんでした」
「なぜ――いや、落ち着いてからでいいか」
「はい。ありがとうございます。全て話します」
ユーリは真剣な顔で鉄橋の上を迷いなく歩いていく。
(素直だな)
むしろ素直すぎて怖いと巨蟹宮は思う。
(観念してる、というよりこれは……)
ああ、嫌だな、と巨蟹宮は思った。
(この少年は、私を頼ろうとしている)
険しい顔に少しの安心が見えるのは、巨蟹宮がユーリに優しくしているから処罰が軽くなる、と考えているわけではないだろう。
処罰が怖いなら逃げればいいのだ。この少年にはそれをできるだけの力がある。
だからそうではない。この少年の悩みはそんなちっぽけなものではない。
――そう、ユーリが抱えている事情に巨蟹宮を巻き込めることに安心しているのだ。
言わなくてもわかる。悩みを抱えている兵の相談を聞いたときと同じだからだ。
自分ではどうにもできないときに、頼れる人間に会えた人間と同じ反応だからだ。
巨蟹宮としてもただの兵に頼られるならいい。仲間の相談を受け、それを解決することは組織の長として当然のことだ。
――だが、ユーリはまずかった。
このスライムの集団、これを使えるなら巨蟹宮は、神国の首都ぐらいなら陥落させる自信がある。
それほどの戦力を持った少年が相談してくること。
このスライム集団でも対応できないことの事態を想像し、巨蟹宮はすぐに使える兵の数を考えた。
足りなかった。いや、足りない、というより兵が死ぬ。どうしようもなく死ぬ。
(獅子宮を呼ばなければ……)
廃墟探索を主とする獅子宮の部隊は迷宮探索でも使える。何より獅子宮自身のレベルが高いし、彼なら死んでも復活できる。
「そういえば巨蟹宮様」
「あ、ああ、なんだい?」
「巨蟹宮様は私と会話ができますね」
「ん、ああ、それは私が教師の資格を持っているからだろう」
「そうですか、それで」
学舎に籠もっている子どもたちはその規則に気づくことはほとんどない。
どこでそれを知ったのだろうか、と巨蟹宮はユーリを再評価した。
神国アマチカでは大人は子供との会話や接触を許されていない。
聖書の記述や、法律では穢れを与えるとか、そういった理由だったと巨蟹宮は記憶している。
――例外は教師や農場管理官などの資格持ちだ。
巨蟹宮の配下の多くは、戦闘スキルを持った学舎所属の子どもたちの監督を行うために教師の資格をとっていた。
「教師の資格だが、処女宮は持っていないよ。安心していい」
「はい。ありがとうございます」
ユーリの険しい顔に少しの笑みが浮かぶ。冗句のようなものだったが少年の心を和ませられたらしい。
ユーリと巨蟹宮たちはダンジョンを歩いていく。
少しの沈黙のあとに巨蟹宮はユーリに問う。
「処女宮は嫌いかい?」
「はい。嫌い、というより苦手なだけですね」
「そうか。私も苦手だ」
権能以外無能だから、ということは言わない。使徒のときに散々苦労させられたのだろうユーリは察したのか何も言わない。
ユーリが立ち止まる。少し離れた位置にある倉庫を指差していた。
「巨蟹宮様、そこです」
だがこれは、と巨蟹宮は少しだけ緊張する。
ユーリが指差したのは、鉄板でガチガチに固められ、大量のスライムが天井にへばりついた倉庫だったからだ。
「安全なのかい?」
「隷属させたスライムを先行させて周囲のモンスターを排除させました」
「そ、そうか」
隷属モンスターはそこまで便利か、と巨蟹宮は考える。軍への導入も考えた。
(個人ならともかく、軍はダメだな)
自分たちがユーリに逆らえないように、一人がそれだけの力を有するようになれば管理が難しい。
巨蟹宮自身が隷属モンスターを多数所有するならともかく、部下にそんな人物がいたならば巨蟹宮はその人物をコントロールできる自信がない。
(なにより、モンスターを配下にすれば兵の士気に関わるだろう)
女神が与えるスキルに隷属系のものがある以上、モンスターを隷属させても罰することはないが、やはり良い印象を持つことは難しい。
ユーリに対する反応が良い例だ。
自分のような特権階級ですら危険だと思うのだ。
仮に隷属スキル持ちを重用しても、使徒たちのように拘束した方がいいだのなんだのと言い出す輩は続々と湧いて出てくるだろう。
「粗末な場所ですが」
ユーリによって、倉庫にあった鋼鉄の椅子をすすめられるも三人は断った。機動鎧の重量で座れば椅子が潰れるからだ。
だから三人は直接床に座り、ユーリもまた床に座る。
「巨蟹宮様。それで、まずは」
「こら! お前――」
巨蟹宮からの問いかけより先に言葉を発しようとしたユーリを使徒の一人が叱ろうとするが、巨蟹宮は手を鷹揚に上げて、怒りを感じていないアピールをする。
使徒たちの忠誠はありがたい。
だが、融通が利かないのは交渉の場では不便だな、と巨蟹宮は思った。
「構わないよ。だが質問は私からしようか。まずはそうだね。ユーリ、君がどうしてここにいるかを教えてもらおうか」
使徒のせいで、口を閉じてしまったユーリは自分に失望していないか、と巨蟹宮は心配する。
信頼が十分にあれば、人は余計なことまで喋ってくれる。
だが、一度でもこいつはダメだと思われればその人間は重要な情報は隠すようになる。
――特に、ユーリのような有能な人間がやるのだ。そういう見切りを。
(その歳で、自分一人でなんとかすればいいなどと考えないでほしい……)
誰かに頼ることを学んでほしい。
もっともそれはユーリのためではない。
巨蟹宮とその部下たちが困るからだ。
(人は簡単に死ぬ。あっさり死ぬ)
なによりここはダンジョンだった。
少しでも油断すれば死ぬような魔境なのだ。
巨蟹宮は、ユーリが情報を抱えたまま、誰にも伝えずに死ぬことを恐れていた。




