053 双児宮の困惑
「奨学金? 名前は奨学アマチカの方がいいと思うが、それ以外はいいんじゃないか? 俺はこの制度、全面的に賛成してもいいぞ」
内政担当の十二天座、金牛宮の言葉に、双児宮はおや? と首をかしげた。
「子供たちには大規模襲撃で苦労させちゃいましたしね。うん。いいんじゃないですか? 私も賛成です!」
牧畜や道路を管理する少女の十二天座、白羊宮もまた機嫌良さそうに賛成した。
「へぇ、なかなかいいじゃねぇか。奨学アマチカって奴を配る生徒の審査には軍の人間を混ぜるってんなら賛成してもいいぜ。俺はよ」
「そうだね。やたらと生産スキル持ちなどを優遇されてはたまったものではないし、そういう条件なら私も賛成しようかな」
獅子宮と巨蟹宮もまた賛成の声を上げ、いよいよ提案した双児宮の方が困惑してしまう。
――もともと断られれると思って提案した制度なのだ。
牢でユーリに説得されてしまったのか、不甲斐ない使徒、フィールが連日連夜どうしてもどうしてもと食い下がるから、ユーリが作った計画書をそのままに議題に放り投げただけなのだ。
熱心に説得してなどいない。賢いとはいえ、子供の考えた案だ。却下されるだろうと安易に考えていた。
「え、えっと? よ、予算は難しかったはずでは?」
「提案したお主がいうのか、双児宮よ」
議会のまとめ役たる天秤宮の老人の呆れた言葉に一同に笑いの気配が広がる。
「お主にしてはまともな政策だから感心しておったところでそれとはな。大方使徒にでも――いや、お主のところの使徒はそこまで知恵は回らなかったか。ふむ? 双児宮よ。これは誰が考えた?」
しん、とした気配。
――政争の気配だった。
(しまった……油断した)
双児宮は唇を強く噛みしめる。
大規模襲撃が近かったときはその対応で結束するしかなかったが、本来、十二天座同士はそこまで仲が良いわけではない。
国家が使える予算は限られている。人員も、物資もだ。
十二天座は国家運営のために深く協力しあう関係でありながらも、限られたリソースを取り合い、敵対する関係でもあった。
「ねぇ、双児宮。これ、とても見やすい企画書ね。帝国で似たようなものを見たことがあるわ。双児宮、貴女、帝国出の文官でも雇ったの?」
外交を担当する双魚宮の言葉に、さらに全員の視線が双児宮の小さな身体に集中する。
双児宮は純白の衣装に、長い白い髪、ビスクドールのようにも見える美しい少女だったが、誰も可愛らしいなどとは思わない。
この少女が本当に小さな子どもだったときから十年が経った。
学舎という人材を管理する双児宮だからこそできる様々な手口に煮え湯を飲まされた枢機卿も多かった。
「ローレル村のユーリ」
宝瓶宮の呟きに、数人が小さく反応を見せた。
「なぁ、双児宮。彼は今どこで何をしているのだ?」
他者を攻撃することが少ない宝瓶宮にしては攻撃的な態度に十二天座たちは困惑する。
攻めるにしても宝瓶宮は関わらないと思っていたからだ。
宝瓶宮は他の枢機卿を攻撃することが少ない。それは気質が穏やか、というより、アイテムの多くを任せられているゆえにだ。
宝瓶宮は担当する案件が多すぎて誰かを攻撃すると進んでいない案件のことで反撃されるのだ。
だからこそ、彼女は誰かを叩くことができない。普段は。
だが、今日は違った。珍しく感情的に立ち上がった宝瓶宮は双児宮に向かって夜叉がごとく、怒りと共に言葉を叩きつける。
「答えろ! 双児宮!!」
双児宮は小さな顔をうつむけ、何も答えない。その様子をじれったく感じたのか、宝瓶宮が立ち上がったまま大きな声で攻め立てる。
「答えろ! 早く!! お前が独り占めしているんだろう!! 彼を!!」
「し、知らない。知らない!! ひ、独り占めって何!? あ、貴女こそ、こ、子供にそんな趣味が!!」
「話を逸らすな! お前が彼を閉じ込めていることはわかっているんだよ! おい! 処女宮! お前も加勢しろ!! ここでこいつを――」
双児宮を口撃するために、処女宮に向かって支援を要請した宝瓶宮は、処女宮の姿を見て困惑した。
――処女宮は涙を流していた。
「お、おい。処女宮?」
「――こんな、ところに――」
双児宮が提出した奨学金の企画書。それを処女宮はずっと見つめていた。
そこに書かれている文字は神国の文字だ。
だがその特徴的な文体。ブロック体にも似た、きっちりとした、読みやすい文字。
仮にも高等教育を受けたことのある処女宮、元日本人、天国千花は瞬時に理解した。
練り上げられた文明の匂いに反応した。
――これは現代人にしか書けない企画書だった。
帝国の女帝が似たような文面を帝国の文官に作らせているが、女帝ももともとはただの高校生だ。頑張ってはいてもこれだけのものを作ることはない。
技術ツリーを石器時代から進めさせられた処女宮は知っている。
現代社会を再現するには膨大な文明の積み重ねが必要なことを。
「ああぁ……こ、これは、これを、書いたのは……」
「処女宮?」
当然、双児宮がこんなものを用意できるわけがなかった。
処女宮が見出したあの少女はまさしく子供だった。当然だ。子供だから採用したのだから。
だから、うかつにもこんなものを十二天座の会議に差し出すなんて真似ができてしまう。
この文書の本当の価値を知らずに、たいしたものではないと思ってしまう。
だからこそ、これを書いたものは違うのだ。双児宮では絶対にないのだ。
奨学アマチカではなく、奨学金なんて名前をつけてしまう人間。
――日本人だ。
「ユーリくんがそうなら……ユーリくんを、確保しないと……」
処女宮の目には、誰が書いたなど明白だった。該当する人物は彼しかいなかった。
計画書を片手に、処女宮が会議室をふらふらと出ていく。
「お、おい。まだ会議の――」
獅子宮が止めようと声を掛けようとして、それ以上声が出ないことに気づく。
それは女神アマチカの啓示を受けているときと同じ気配があたりに存在していた。
それをされれば、十二天座たちは黙り込むしかない。
――処女宮は特別だった。
こうして彼女が本性を表せば十二天座は思い知らされる。
何も仕事をしていなくとも、ただ女神の声を伝えるだけの処女宮を自分たちがなぜ許してしまえるのか。
これだ。他者を問答無用で黙らせることのできる力。
神性と呼ぶことしかできない能力。
場は、もはや双児宮を追い詰めるような雰囲気ではなくなっていた。
宝瓶宮は力なく席に戻り、双児宮はふてくされたように顔を背ける。
「はぁ……全く、今日はもう終わりだ」
天秤宮がやる気なく閉会を告げ、十二天座の会議は閉会する。
◇◆◇◆◇
廊下を駆けるように歩きながら、千花はスマホを取り出した。
開くのはSNSアプリだ。表示された画面に急いで返信を打ち込んでいく処女宮。
――その申し出を受けるつもりはなかった。
キリルという少女からの連絡。
ユーリを見つける手段があるから自分に取引を申し込むなど。子供の言うことにしては大げさすぎた。
国家の頂点にただの子供がするような話ではないのだ。
ユーリを見つける? どうやって? アイテムで? どうしてそんなものを見つけられた?
問い詰めれば問い詰めるほどに要領を得ない返答ばかりが返ってくる。
怪人アキラだの学舎の噂話など、取り合うにはバカらしすぎた。
だが、だが、と千花は返信を待ちながら自分の邸宅に向かって歩いていく。
「ユーリくんが逃げる前に捕まえないと」
現代日本人である千花は理解していた。
確保しなければ逃げるのだ。現代人は。
双児宮は理解していない。どういう手段で拘束しているかわからないが、スキルを持っているユーリならば絶対に脱獄をする。
だからこそちゃんと話をして、神国にいてもらわなければならない。
千花を救ってもらわなければならない。