040 七歳 その9
「さて、音を静かにするか、火か……どちらを優先すべきか」
天井に開けた穴から鉄橋に降りるときは階段を使わず、ロープを使って下降した。
む……あの穴、スライムが入ってくるとまずいんだが、どうしようか?
(中はほぼ暗闇だからな……入り込んでたら何もできない私では死ぬぞ……ううむ、先にあそこを封じるのが先か?)
ええと、どうしよう。出入り口の穴はワニ革でも張っておくか?
いや、待て……技術ツリー内の神国固有技術に『聖道』というモンスターが近寄らない道のレシピがあったはずだ。その応用はどうだ?
ツリーに表示されていたレシピを思い出す。ええと、確か……『石』と『聖水』、だったかな……?
石はコンクリートだとダメなんだよな。ちゃんと石じゃないとダメで、砂利からはレシピが派生してなかったはず。
「ここで作るのは無理じゃないかこれは」
ううむ。どうしよう? ダンジョンからモンスターがでてくることは前回の大規模襲撃で把握している。
このままでは普通にあの出入り口をスライムに覆われてしまう。中にも入ってくるだろう。明かりのない穴の中でスライムと接触すれば私は死ぬしかない。
ここで作業していたときならスライムが近寄ってきたらすぐに穴に戻ってコンクリートで封じればよかったが、今日は遠出するつもりだったのだ。
(とりあえず封じるか)
穴を塞いでしまおう。私はレバーをぐるぐると回して階段を持ち上げると食事に出てきた青野菜から作成した『セロハンテープ』と一緒にワニ革を錬金術で貼り付けた。
これで帰ってきたときに剥がれていればスライムが入ってきた、ということだけはわかるだろう。
あとは静音対策に梯子の足にワニ革を巻けばいい。
よし、と頷いた私は探索道具を確認すると、ダンジョン探索へと出かけるのだった。
◇◆◇◆◇
さて、探索だ。
欲しいのは油なので、ここで偵察鼠を狩ってレアドロップを期待するか、人食いワニを倒して脂のドロップを期待してもいいが、たぶん自分からモンスターを探した方が圧倒的に楽であるし、ダンジョンであるならゲームのように宝箱があるはずだった。
いや、ゲームと同じに考えたらまずいんだが……いや、ここまでゲームっぽいならそういうものはあるだろう。たぶん。
さて、宝箱があるなら中身から有用な道具が見つかるかもしれない。
(スマホってダンジョンドロップするのだろうか?)
考えながら鉄橋の上を歩いていく。
私の一歩がだいたい50センチぐらいなので、2歩で1メートル。丁寧に歩数を計算して地図も作っていく。
地図に意識を集中させないようにしながら、耳を澄ました。
天井から垂れる水滴の音。轟々と流れる下水の音。
時折人食いワニとスライムの移動音が聞こえる。スライムは現状接触すれば死ぬしかないので避けていく。魔法が使えるようになればいいが、私のスキルは錬金術だけだ。
スマホがあればな……いや、私のスマホは攻撃魔法は登録されていないからダメか。
(魔導書か何かあるんじゃないか?)
ここって普通に近接職だけで入ったら詰むだろう? 救済措置のようなものがあっても良いと思うが……。
どうかな。ゲームっぽく思えるがその辺りはどうにも現実基準というのもあって酷く難易度が高く設定されているように思えた。
それに神国の国民がスマホで魔法を使えるようになるというのも少し考えるべきかもしれない。
「まずいな……」
魔法が手に入ったとして、もしかしてそれはスマホがないと読み込めない仕様なのでは?
軽率にダンジョンに入ってしまったのではないか? 指が震えている。抑え込むようにして息を吸う。心を落ち着ける。
地図を作りながらしばらく歩くと視界の先に何かが転がっているのが見えた。
「お?」
鉄橋の上に何かが落ちていた。
ええと、これはアイテム? かな?
盾のようなものが落ちている。というか、盾だ。え? 盾?
「なんでこんな?」
え? もしかして宝箱方式じゃないの? ここって。
鋼鉄盾だ。結構重い。回収して……したくない……いや、回収するか。
「はぁ……え? マジかこれ」
重いアイテムを見つけるたびに拠点まで帰るのかこれ。
嘘だろ、と呟き。置いていくか錬金術で軽めの素材に還元するかと考え、いや、と思い直す。
私は鑑定ができない。錬金術でわかるのはふわっとした効能ぐらいのものだ。だからこの盾の正式な価値がわからない。
ただダンジョン産の盾というのが気にかかった。
――何か効能があるかもしれない。
(……まぁ鉄ならその辺に転がってるしな……)
わざわざ解体するほどのことはない。
いつかこの盾が役に立つかもしれないし、盾には木材や皮などが使われているから木材がほしければこれを素材に戻して使えばいい。
ただ、と思った。ここに盾が落ちているということはつまり。
(ここは未探索領域かもしれない)
神国アマチカはこのダンジョン『東京都地下下水ダンジョン』の探索を途中でやめている。
ここが広大なのもあるが、主な理由は二階層からの被害が甚大だったかららしい。
また一階層の入手アイテムも被害に比べてリターンが少なかったからとか。
そういうわけで神国はダンジョン探索自体に乗り気でなかった、ということを処女宮様に聞いたような覚えがある。
そこから考えればこうして手つかずの盾が落ちていることは不自然ではない。
不自然ではないが、そうなると少し困ったことになる。
(地上への道は遠いかもしれないな……)
それに未探索領域ということは特殊なモンスターがいるかもしれない。ダンジョンというぐらいだからボスぐらいはいるかもしれないのだ。
(それに、前回の大規模襲撃の際に地下から来た連中がいるかもしれない)
自衛隊員ゾンビと遭遇するのはまずかった。あれは銃を持っている。鉄橋を防護施設に変換して守勢に回ってもこちらに遠距離攻撃手段がない以上、私だけでは何もできずに殺されるだけだ。
(ううむ、鼠の一匹でもいればな……)
小動物がいれば魔法系の技術ツリーにあったあれができる。
私は魔法系のスキルを持っていないからあれを作ってもボーナスはつかないものの、こうして一人で探索するよりもずっと楽になるはずなのだ。
(ただ、ここ。鼠一匹ゴキブリ一匹いないんだよな)
たぶんスライムに全部食われてしまったんだろう……。
「はぁ……前途多難だな……」
私は深い深い溜息をつくと、盾を背負って拠点へと戻ることにした。
◇◆◇◆◇
「うわ……マジか」
それを見て私は帰還途中で嫌な気分になる。
道の途中で人食いワニと自衛隊員ゾンビが戦っているのが見えたからだ。
荒々しく自衛隊ゾンビの肩に食いついているワニと、ワニに肩を砕かれながらも手に持った自動小銃を撃ち続ける自衛隊員ゾンビ。
(やっぱいたかぁ……)
何しろ都市を襲うぐらいの人数の自衛隊員ゾンビがいたのだ。さっきも考えたとおりだ。
大規模襲撃が終わったならこうして地下を彷徨い歩いている個体がいてもおかしくはないのだ。
とはいえああやって戦っているのを見ると恐ろしく仕方がない。
(道を変えるか……)
モンスター同士が戦っているあの道から私は来たからあそこを通りたいが、自衛隊員ゾンビも人食いワニも私が真正面から戦って勝てる相手ではない。
ワニも水路にいれば勝つことができるが、ああやって鉄橋の上で対峙したら私は殺されるだけだ。
モンスター同士で争っていてくれて結構。私はあれらを避けて帰還する。
道をもどり、脇道に入――ああ、マジか。やめてくれ。
脇道の先にも白いワニがいた。鉄橋の上で眠っているかのように目を閉じている。
(これは詰んだのでは?)
足が震えそうになるも腰を落とし、体重と気合で押さえ込む。
冷静に考えろよ。ここで間違えたら当たり前に死ぬしかなくなる。
そうだ。私。そんなことはない。詰みなんてことはない。
緊張で心臓がどくどくと震える。短槍を握る手が死を意識して震える。だが私は諦めないように自身を叱咤する。
息を吐く。
(壁に穴を開け、拠点まで戻る……)
これしかない。問題は使徒様が私の牢へやってくる時間には帰れない、ということだがここは仕方ない。命には代えられない。
息を吸う。吐く。心を落ち着ける。
(とにかく、道を戻る。戻って――なん……?)
ぺたぺたという音。天井を見上げれば寝ている人食いワニの上に液状の何かがいる。それが落ちた。
『グルルルルルルォオオオオオオオ!!!!!!』
べしゃり、とワニの頭部を飲み込むようにして巨大な透明な生物が天井から落下していた。
(す、スライム!? あんなやばいのかよッ!!)
だが、好機だった。私は落下の衝撃で眠りから覚めたワニがスライムを引き剥がそうと暴れる真横を駆け抜ける。
鉄橋の幅はそれなりに広い。七歳児の私ならばワニとスライムが格闘する横を駆け抜けるぐらいはできる。
「うぉおッ!?」
ちょうど真横を通ったときに背中に衝撃を受ける。ワニの尻尾がかすったのだ。
盾を背負っていなければ背骨を砕かれてもおかしくない衝撃だった。
だが通り抜けた!
「今日の探索はもう終わりだ!!」
この先の道は元の通路と合流しているはずだ。
私は一目散に、後ろを振り返らずに一直線に鉄橋を駆けたのだった。
――なんとかその日は使徒様が牢に来るまでに帰還できたものの、やはり一人は辛い、ということを痛感するのだった。