220 前夜 その3
「センリョウ様! すごいですね!!」
「ああ、中々たいしたもんだなこりゃ」
傍のアパートメントから聞こえる陽気な音楽を背に、センリョウは部下である毘沙門天、ニャンタジーランド教区から唯一スカウトに成功した熊族の少女、神国から付けられた案内人と一緒に街中を歩いていた。
外交担当である双魚宮の部下である案内人の司祭は「こちらは職人街になります。少し主要な通りを外れてしまいましたので戻りましょう」と言いながら、センリョウを表通りへと案内しようとする。
神国中の人間が祭の前夜を楽しく過ごしていた。
それは民が豊かな証だとセンリョウは都市を見て思う。
富がない人間は、祭の日であろうと家に篭り、寝て過ごす。富があるから彼らは外に出て、屋台で食事をし、酒を飲む。
――都市は煌々と光輝いていた。
神国アマチカの首都たる首都アマチカに張り巡らされた電灯の効果だ。修復するのも大変だったろうに、とセンリョウは見ながら思う。
『電灯』は都市設備の一つで、センリョウもレシピ自体は持っている。
センリョウの国家である『護法曼荼羅』の以前の君主が開発を完了していたからだ。前君主のインターフェースを引き継いでいるセンリョウはそれらを建設することができる。
だが『電灯』は都市の電気を常時使用するのと、都市に電灯を張り巡らせるのに莫大な経費がかかるために護法曼荼羅では設置する余力はなかった。
――『電灯』の効果は『商業』と『治安』の上昇だ。
夜間の犯罪率の低下に、住民の活動時間が伸びる電灯の効果はセンリョウが思うよりもずっと高いのかもしれない。
(いや、初期位置か。おそらく、もともとそういったものを設置できるだけの下地はあったはずだ)
護法曼荼羅の都市は、現代のインフラがほとんど破壊されているためにこういった近代設備を設置するのには不向きだ(できないわけではないが、下地から作る必要があるので建設費用が神国の数倍はかかる)。
ただ護法曼荼羅では平地が廃ビル街に占拠されていないうえ、木材や魚が安定して取れる土地のため、そういった部分では都市計画を練るのは楽だったようだが(建材や食料の心配が少なかった)。
「センリョウ様? どうなされましたか? 表通りの方が良いものが見られますが?」
教皇就任祭のために飾り付けられた職人街を見るセンリョウに、案内人が問いかける。
「いや、このままでいい。もう少しこの素晴らしい都市を見ておきたい」
表通りに出てもいいだろうが、センリョウとしてはこちらの町並みの方が興味があった。
人々が実際に過ごしている場所なのだ。為政者として興味が湧く。
「……はぁ、といってもろくに面白いものはないと思いますが……」
「普段見ている案内人殿にはそうではないだろうが、他国人の俺としてはなかなかに面白いぞ」
職人街ともいうべき、裏街では都市の人々が酒を飲んだり、出店で買った食事を食べながら笑っている。
地面に座って音楽を奏でる者がいれば、都市の外壁に女神アマチカの即興アートを描き出すもの、芸人らしき人間が音楽に合わせて踊っている姿もある。
「ニャンタジーランド教区よりすごいです!!」
熊族の少女――センリョウが助けた少女だ――が楽しげに言えば、毘沙門天が少女の手を慌てて掴み「こらこら、はぐれたらどうするんだ。落ち着け」と少女をなだめた。顔についていた殴打の痕跡は、回復魔法によって消えているが、その心の傷はまだ残っているのだろう。毘沙門天が触った瞬間の少女の様子で、大人が怖いのだろうとセンリョウは推測した。
(……時間だけだな。心の傷を癒せるのは……)
えへへ、と気まずそうに笑う少女を視界の端に捉えながらセンリョウは案内人にいう。
「神国アマチカは、様々なことを推奨してるんだな」
「様々な、ことですか?」
「技芸に関しては力を入れるのは難しいだろう? 治安が低下する」
遊興を推奨するのは住民の評判を上げ、商業を活性化させるのにはいいが、治安という面では別だ。
センリョウが君主になってからは緩めているが、護法曼荼羅ではかつて芸人たちを弾圧した過去がある。
自立心の高い芸人たちが、大規模襲撃の失敗に関して君主を風刺する演劇などをしたからだ。
君主の怒りを買った結果として芸人たちは皆処刑され、護法曼荼羅からはそういったスキル持ちは隠れるようになってしまい、センリョウの治世になってから復興させるのには苦労している。
技芸スキル持ちが隠棲して出てこなくなっているからだ。
それに風刺でなくとも、演劇、小説、音楽などは情報媒介として国家内に拡散する。文化度や国民の満足度は上がるが、こういったものを無制限に許せば国民の統制が難しくなるのは当然だ。敵国の諜報にも利用されやすい。
そういった意味のことを言っているのだと理解している案内人は(彼は外交官にして司祭である)、ええ、と頷き「良識の範囲であるように、と法で定まっております」と言う。
「良識……とはなんだ?」
「それはもう、聖書に書いてある通りの内容ですね」
案内人の言葉を理解できないのか毘沙門天が首を傾げ、センリョウはなるほど、と頷いた。
「便利だな……宗教は。定義しにくい良識を、そういうように定義しているのか」
「便利というか、我らにとっては当然のことですね」
案内人の礼を言いながらセンリョウは周囲を見回した。
酒を飲み、高歌放吟する人間はいても、そこから喧嘩などをしている人間はいない。
センリョウは君主となって知ったことがある。国民は群れると知能が低下すると。
一対一でならば良識を持った個人であっても、集団となれば個人が消え去り、無秩序な群れとなると。
そういったものに良識などと説いても理解できるものではない。
だが信仰を保つために全国民に徹底して教義を教えているアマチカ教では、良識とは法であり、また国民へ常識を植え付けるためのものなのだろう。
技術ツリーの効果もあるのだろうが、この国の国民の質はセンリョウが思うよりずっと高いのだと思われた。
(神という概念が上に立つことで国家統制をうまく機能させているのか)
宗教国家は戦闘系の固有技術が少ない代わりに国民統制や文化度の向上に役に立つ固有技術が多いのだろうか?
センリョウは街を見ながらそんな感想を抱くのだった。
◇◆◇◆◇
自分の胸ほどの身長の熊族の少女の手を取りながら護法曼荼羅の幹部である『毘沙門天』はニャンタジーランド教区を出る前のことを思い出す。
使徒ユーリが許したとは言え、他国で引き抜きをすることに改めて毘沙門天一人で謝罪に行ったときのことを。
(使徒ユーリ……奴は引き抜き自体は構いません、と言った。そして……)
――センリョウ様がどういった人物が理解しましたので、と。
(皮肉ではない。理解したと言った。恨んでいる様子も怒っている様子もなかったが……)
他国で堂々と引き抜きができる人間だから君主に相応しい、とユーリは言っていた。
二度目は許さないが一度は許すのはそのためだとも。
(だが私たちが引き抜けたのは、この少女だけだった……)
十三歳の熊族の少女。センリョウが助けた少女だ。彼女だけがセンリョウについてきた。他の熊族の人間は他国に行くことを嫌がり、センリョウの説得には応じなかった。
それ自体は良い。毘沙門天としてもこの愛らしい少女だけを助けるなら問題はない。
子供が殴られる境遇にいるなど、他国のこととはいえ、毘沙門天としても気持ちの良いものではないからだ。
(熊族内で差別されていたものたちは、待っていれば使徒ユーリが自分たちの境遇を良くするのだと信じ切っていた)
思い出す。差別されているものたちですら、使徒ユーリを信奉していた。それは、凄まじいことだと毘沙門天は思う。
そして、そんな使徒ユーリが未だ小国である護法曼荼羅の君主センリョウを頼りにする理由も、あそこまでできる使徒ユーリが神国の一番上に立とうとしない理由も毘沙門天にはわからなかった。
(使徒ユーリの言葉……我が主、センリョウ様のことを使徒ユーリは羨ましいと言っていた)
謝罪に現れた毘沙門天に、使徒ユーリは言ったのだ。
センリョウを理解した、と言った使徒ユーリに問いかけた毘沙門天に対し、使徒ユーリは言った。
センリョウの持つ資質。
つまり他国でこのように振る舞える資質を使徒ユーリが持たないがゆえに使徒ユーリは君主にはなれないということを。
――毘沙門天が無意識にセンリョウに惹かれる部分がそれだ。
当然ながら暴れることが君主の資質ではない。そうではない。
事態に対し、どう振る舞えるかがその本質だ。可哀想と思ったなら、どう動くかが君主の資質だ。
どうでもいいと思い、無視するのもいい。
相手国は問題を抱えているからそれを突こうと考えるのでもいい。
だが可哀想だと思ったときに他国や自国の迷惑になるから動かないで置こう、と考える者は君主の資質を持たない。
外交の問題になるから動けない、ではない。であるならばそれを回避して動けるようにするのが君主というものだ。その力があるのが君主なのだから。
その資質を見て取れたからユーリはセンリョウを理解したと言ったのだ。
だからセンリョウと組もうと考えた、とも。