216 神国にて その3
――アマチカ教ユーリ派、そういうものが神国にはある。
もっともそれは宗派というほど大仰なものではないし、彼らも通常のアマチカ教徒と同じく女神アマチカに信仰を捧げることに変わりはない。
ただ単純に、彼らは女神アマチカと同じく、使徒ユーリを崇めているだけの派閥だ。
「……それがこうも大きくなるとはな……」
「危急の時に寄り添ってくれる小さな英雄だ。国民から人気がでないわけがない」
十二天座会議、その席上での天秤宮の言葉に、宝瓶宮がどこか嘲るように言う。
「特に山賊を教化したことで農業ビルから出られた芸術家だの数学者だのといったかつての神国では活用できていなかった人材からの人気は凄まじいものがあるぞ」
「……それは聞いている。だが、まさか事件を起こそうとするなどとはな……」
法と秩序の位置にいる天秤宮は人よりも法を重視する。
誰かを特別に贔屓しない代わりに、誰かを不当に貶めることもしない。
国の機能であろうと務めているこの老枢機卿にとって、民との距離は本人が思うほどに遠い。
ゆえに、ユーリ派がここまで巨大になるとは思っていなかったようだった。
「それでその元帝国の諜報兵はどこまで信用できる? そいつがこの情報を持ってきたんだろう? ユーリ派の過激集団が帝国諜報兵の扇動を受けて小神殿を占拠するというのは」
金牛宮が報告書片手に質問をすれば天蝎宮が返答する。
「確実に。彼は信用できる」
諜報兵バリーの心が折れる様を見ている天蠍宮にとってはバリーが今さら神国――いや、ユーリを裏切ることは考えられない。
それに、バリーが裏切っているとするなら、帝国の動きは素直すぎた。もう少し危険を回避する動きが見えても良いだろう。
天秤宮の暗殺という主目的が神国にバレていることを帝国が把握しているならば、帝国諜報兵の動きは首都アマチカでの大規模な破壊工作にシフトするか、所在が割れている諜報兵の全面撤退のどちらかになるだろうと思われるからだ。
――帝国には強行するか撤退するかの二択しかないのだ。
「ユーリ派か……うちにも何百人かいるぜ」
獅子宮がつまらなそうな表情で言う。
「うちなどほぼ全員だ」
宝瓶宮は気にしていない表情だ。
「うちは半分ぐらいかな」
教皇就任祭のために一足早く首都に帰ってきていた巨蟹宮の言葉にも特に気にした風情は見られない。
ユーリ派といっても、その中にも種類はある。ユーリを称賛するだけのものも中にいる。
ただ共同体に別の思想が交じると統率は面倒になる。そういう意味で、ユーリ派は軍にとっては悩みの種ではあった。
とはいえ、全く気にしない者もいる。
「別に悪いことをしているわけではなかろう。信仰とは強制されるものではない。崇めるものが自然と輝いておるからこそ、崇めたくなるのだ」
禿頭の僧侶然とした中年男性、磨羯宮が言えば、まぁそれはそうかもという空気になる。
「ユーリが如何に民衆から支持を得ようと、女神アマチカの威光に変わりはない」
枢機卿にとってはユーリ派があろうがなかろうが、別にどうでもよかった。
――過激なことをしたり、要求をしてこなければ、だ。
諜報兵による工作を受けたとはいえ、教皇就任祭の際にユーリ派が過激な行動を起こすつもりならば問題にしなければならなくなるのだ。
「それで処女宮、どうするつもりだてめぇは?」
「どうするって、何が?」
獅子宮の問いに、処女宮はどうでもよさそうな顔で答える。
「てめぇのとこの使徒が起こした問題だろうがよ」
「うちの使徒がって、ユーリくんが?」
話を理解してねぇのか、と獅子宮が呆れたように言えば処女宮としては逆に目をぱちくりさせるしかない。
「ユーリ派って名前をつけてるけど、ユーリくんの影響を受けただけの人たちでしょ? 別にユーリくんは関係なくない?」
ニャンタジーランド教区はともかく、神国のユーリ派はユーリ直属の部下というわけではなく、統括する教区の人間というわけではない。
ただユーリに恩を受けた人間が、ユーリはもっと良い待遇にあればいいと騒いでいるだけのことだ。
小さな英雄はもっと国家に報われるべきだと本人を余所に要求しているだけのことだ。
今回はそれを帝国の諜報に利用されたのだ。つまり、ユーリは巻き込まれた側だった。
「い、いや、あのガキから何か言うとか……注意とかよ……そうすりゃ多少は」
処女宮の本当に国民に興味のない口調に、獅子宮は言葉の勢いを失う。
注意をすれば、国民同士の争いが多少は避けられるかも、という獅子宮の言葉の真意を読み取ってなお、処女宮はユーリ派に興味がない。
「何を言えばいいの? ユーリくんのことなんかそもそも全然見てない人ばっかりじゃん」
そもそも熱狂は避けられるものではない、と処女宮は言う。
「そのうち飽きるから、適当にやればいいよ。ユーリくんが興味を持たなければ浅い人は忘れるからさ。人間なんて恩を受けたって一年もすれば忘れるんだから、教区にいるユーリくんを本国にいてなお信奉できる人なんか極少数だよ」
神国としてはその極少数を監視すればいい。
「興味を……って、あのガキもユーリ派に興味がねぇのか?」
「言葉としては理解しているし、存在を迷惑がってるけど、そこまでだよ」
――処女宮は口角を釣り上げた。
「ユーリ派ねぇ……なんだっけ? ユーリくんを教皇にだっけ? 絶望的に向いてないのにね。ユーリくんにそんな立場は」
ユーリを嘲る、というよりユーリ派を嘲るように処女宮は言う。
「向いてねぇのか……いや、女神アマチカの信託だから向いてる向いてねぇもともかくあのガキに教皇になる資格はねぇが……向いてねぇってのは一体? 教区を統括する教導司祭だろう? 奴は」
「ユーリくんには精神的な弱点があるからね。教区ぐらいならともかく、国全体の一番上には向いてないの」
にこにこと言う処女宮に全員が視線を向けた。
ユーリに弱点? あの超人のような少年にそんなものがあるのかという顔である。
聞きたがる全員に向けて、処女宮は口角を釣り上げ「それより天秤宮の当日の護衛はどうするの? 隣に獅子宮でも置いとく?」と問い返す。
表向きには発表されていないが、すでに獅子宮のスキルは変更されており、スキルの修練にも入っている獅子宮は「あ、ああ」と頷いた。暗殺者ぐらいなら権能に加え、レベルと装備で押し切れると踏んでのことだ。
「教皇への就任とスキル授与式を一緒にやることが決まった。だから式の最中で天秤宮が無防備になるのは処女宮、お前が天秤宮に教皇の冠を授ける瞬間ぐらいのもんだ」
「了解。じゃあ、私もまとめて殺されるかな?」
「なんだお前、珍しくビビってねぇんだな」
獅子宮の問いに、処女宮は挑戦的に獅子宮に向かって言う。
「全部わかってるんだから、防げて当たり前でしょう?」
――そもそも会場にはユーリがいる。あの少年が傍にいるなら、防御に関しては問題がない。
◇◆◇◆◇
ユーリに存在する精神的な弱点。
処女宮はあれこれと文句を言ってくる獅子宮に対して適当に反論をしながら心の中で自分だけが知るその秘密を楽しく転がして遊んでいる。
ユーリにも弱点はあるのだ。
――ユーリは、無能を切り捨てることができない。
決断力のなさというよりも、自らの手が回ってしまうがゆえの判断だった。
彼はどうしようもなく使えない人材でも切り捨てたり殺したりすることができない。自分の手が回る範囲であるからこそ、どうにかして立ち上がらせようとしてしまう。
――かつてブラック社員として働いていた性質からだろう。
処女宮は就職をしたことがないのでわからないが、彼はダメな人間でも切り捨てることに恐怖を覚えているのだ。無意識に。
処女宮がユーリに全ての権限を渡したあの大規模襲撃の日のことを処女宮は思い出し、心の中でクスクスと笑う。
あの瞬間、ユーリは処女宮を見捨てて、国外に逃げることができた。神国の全軍を用いて、自分を廃して君主の位置に立つこともできた。
可能不可能の極論でもしを考えることは馬鹿のやることだと処女宮は思っているが、ユーリはやる気になれば様々なことがあの瞬間できた。
だが、ユーリがやったのは処女宮のような小娘の言うことを聞いて、国を守ることだった。
そのあともそうだ。処女宮の無茶を聞きながら、ユーリは唯々諾々と様々なことを為してきた。
処女宮を切り捨て、神国アマチカを自らの自由にした方が一時的な不便はあれど、最終的には上を目指せるというのに、ユーリはそれをやらない――できない。
――ユーリにはそういう精神的な弱点がある。
(私、ユーリくんのそういうところ好きだなぁ)
この場の全員の信仰ゲージを半分以上消費すればユーリの教皇就任を認めさせることもできた。
だがユーリは望まなかったし、処女宮もユーリのその弱点を知っているがゆえに説得をしなかった。
あの少年に、一番上は苦痛以上のものを与えるだろう。
「おい! 聞いてるのか処女宮!!」
「はいはい、なに? 獅子宮」
「お前ら、いい加減に黙れ! 議題はまだまだあるんだぞ!!」
――ユーリくんが苦手なことは自分がやってあげようじゃないか。
ユーリが注意しない、暴走するだろうユーリ派の過激派を処分できるチャンスがあるのなら、この馬鹿げた騒ぎもなかなかおもしろいものだと処女宮は考えていた。