209 神国にて その2
軍事担当の十二天座、獅子宮と巨蟹宮。諜報担当の天蠍宮。
三人の枢機卿が処女宮の前にいた。
ここは処女宮が所有する庁舎の一室だ。部屋の中にはこの四人以外に誰もいない。
「処女宮、私たちも暇ではないんだけど……急に集めてどうしたんだい?」
「キリルがいない」
処女宮に問いかける巨蟹宮に、部屋を見回して首を横に傾げる天蝎宮。
「いつもいる双児宮の奴もいねぇな」
獅子宮が処女宮の顔を見て、嫌な感じだな、と呟いた。
処女宮の顔はいつもの不敵なものではない。何か焦っているのか、顔に少し焦りと緊張が見えた。
「三人に来てもらったのは、まずはこれを見てほしくて」
机の上に写真が置かれる。それは帝国の帝城の女帝の間の写真だ。
「雷神スライムか……数がねぇからあまり戦場には連れてけねぇって奴らしいが帝国にも仕掛けてたのか」
「うん、その雷神スライム内に偵察鼠のセンサーを入れて、映像を送らせてるの。最近はちょっと工夫して、監視室を作ってそこで天蝎宮から諜報部隊を借りて、読唇術で会話を読み取ってもらってるんだけどね」
「へッ、そりゃ怖ぇな。じゃあ俺らも防諜対策で十二天座会議は顔でも隠すか?」
いいんじゃない? と巨蟹宮が用意されていた椅子にどっかりと座った。
天蠍宮は立ったままだが、思い出したように処女宮と獅子宮も遅れて椅子に座る。
いつも誰かしらが用意するお茶などはないが、ボトルに詰められた水を処女宮はテーブルに置く。
密閉されているもので、封は開けられていない。
プラスチック製のボトルは『水』と『プラスチック』を錬金して作れるものだ。
毒殺対策なんだろうが、巨蟹宮、獅子宮もなぜこんなものを、と顔を顰めた。
処女宮は二人の様子を気にせず、本題に戻る。
「まず最初に、帝国がアップルスターキングダムとの侵攻戦で敗北した」
「そりゃめでたいな。教皇就任祭も近いしな。一緒に祝祭でも開くか?」
獅子宮は喜ぶが、処女宮の報告に巨蟹宮が顔を顰めた。
巨蟹宮が天蝎宮に顔を向ければ、処女宮の言葉が確かなようで頷いている。諜報関係の彼女から処女宮にされた報告だろうからだ。
神門幕府の盾として使うはずの七龍帝国は強すぎても困るが、弱すぎても困る国だ。
また帝国は弱体化しすぎると立地と外交関係から隣接するくじら王国やエチゼン魔法王国の属国になりかねない国である。
「それとエチゼン魔法王国の侵攻で北方諸国連合の一国が崩れた。情報筋は帝国以外に、魔法王国に潜ませてる天蝎宮からの部下からの報告」
処女宮の言葉に補足するようにうんと頷く天蝎宮。待て待てと獅子宮が天蝎宮に問いかけた。
「今まで思ってたんだが……なぜ報告先が処女宮なんだ? 普通は俺たちじゃないのか?」
「なぜって、私が女神アマチカに仕えてるから」
もともとは諜報関係は天蝎宮が勝手に政治方針に沿って動いていたが、ここ数年は処女宮とその使徒のユーリから頼まれごとという形で様々な依頼がやってきていた。
その関係で処女宮からは神託という形で様々な依頼がなされ、ニャンタジーランドへの潜入時などで友好関係を深めた結果、こういった報告も入れるようになっている。
そもそも天蝎宮の報告前から処女宮が報告内容を知っていることもあり、天蠍宮としては処女宮を通じて女神アマチカに報告しているような気分になるので悪い気分ではなかった。それがこの関係だった。
なんだそりゃあ、という顔をする獅子宮に対し、天蝎宮はそれ以上を言わない。
もっとも彼女は、今後は教皇となる天秤宮に諜報結果を報告するようになるのだな、ぐらいは思っている。
「まぁ話を進めようよ」
巨蟹宮は二人を横目にしながら処女宮を促した。頷いた処女宮が話を戻す。
「それに合わせてくじら王国が攻勢を強めて、軍勢を弱体化した北方諸国連合に向けてる。北方諸国連合は主力が壊滅してるから、たぶん来年には全部落ちるね」
巨蟹宮は「二国の攻勢に耐えても大規模襲撃で落ちるね」と処女宮の推測に頷いた。
「なら、帝国がやべーから今度は帝国に肩入れしろってことか?」
獅子宮がつまらなそうに言う。命令があればやるが、乗り気ではないという顔だ。
だが処女宮は首を横に振った。
「違う。弱体化した帝国が二国の攻勢に焦って、教皇就任祭で天秤宮を暗殺しようとしている。神国を攻撃したいんだよ、女帝自身が教皇就任祭の来賓として来るほどにね」
は? と獅子宮が唖然とした顔をする。
「わかってんだからぶっ殺せばいいだろうが。いや、捕まえちまえばいい。チャンスだな。捕縛して地下に閉じ込めよう。以前捕まえた十二龍師のようにだ」
激高する獅子宮がテーブルに強く拳を叩きつけた。誰も口を付けていない水のボトルが地面に落ち、衝撃で転がっていく。
そんな獅子宮と違い、巨蟹宮は唇に指を当て、考え込んでいたが、理解した顔で口を開いた。
「追い返さないのはなるほど、情報の入手手段が問題ということかな。雷神スライムで手に入れた情報だから国際社会では使いにくい。帝国の帝城の会話が筒抜け、ということを他の国に見せるわけにはいかないので帝国を追い返せば疑惑を持たれる、と」
自分も重要な会話を取られているかも、ということが各国の君主に伝われば、弱体化した帝国は後回しにして、まずは厄介な神国をやってしまおう、という感情を持たれる危険性がある。
知ってても教えられない情報というのはあるのだ。
もちろんどの国も似たような諜報行為はやっている。だが、あからさまにはしないという暗黙のルールがある。
灰色の疑惑でいるうちは許されても、それを黒い真実とすれば許せないことというのはある。
もちろん軍事力の強い国ならば強硬に訴えれば他国を納得させられるかもしれないが、神国は国際的にはまだまだ弱国であった。
軍事力という豪腕で外交はできない。
「諜報で手に入れた情報だから表に出すにはイメージが悪すぎるんだよね。雷神スライムを帝国に潜ませてることがバレれば周辺国が敵に回るかもしれないから。あと、神国のスタンスとしては来賓として帝国が来ることを断れない。外交を完全に遮断すると逆に細かい動きがわからなくなるから」
雷神スライムからの情報ですべてがわかるわけではない。外交チャンネルは必要だった。
「知るかよ。追い返せばいいだろうが……首を切って、帝国に送りつけてやれ」
そんな処女宮と巨蟹宮の言葉に対し、めんどくさそうに獅子宮が言えば巨蟹宮が首を横に振る。
「外交を担当している双魚宮が泣くからやめてあげよう。それでそれだけかい?」
まだある、と天蠍宮が巨蟹宮の問いに答える。
彼女は新しい写真と帝国内の情勢の書かれた報告書をテーブルに置いた。
写真は帝国各地で兵が移動しているもので、報告書には食料の移動などが行われていることが書かれている。
「帝国は軍を動かし、教皇を殺したあとの混乱を狙って神国内に進軍してくるつもりらしい」
めんどくせぇな、という顔を獅子宮がする。
「磨羯宮が要塞化した廃ビル地帯があるだろう? 奴ら、あそこで全滅するんじゃねぇか?」
獅子宮の発言に巨蟹宮が考えて返答する。
「二、三万は削れるかもしれないけど、帝国軍の全軍は耐えきれないかな。彼らも後がないと認識してるから、死兵となって突っ込んでくるだろうし」
前回連合軍が廃ビル地帯を抜けようとしたのは、守将であるユーリが子供で、駐屯している神国軍がほとんどいないと思いこんでいたからだ。
要塞化していることがわかっている以上、廃ビル地帯は避け、殺人機械地帯を強引に抜けてくる可能性もあった。
八王子側じゃない殺人機械地帯は殺人機械の密度も薄い。帝国軍全軍で掛かれば抜けられなくもない。
ただそれらは予想だ。廃ビル地帯を抜けてくる可能性がある以上、獅子宮は言葉を続ける。
「廃ビル地帯に軍を配置してもか? 磨羯宮と炎魔を合わせればそう難しくねぇだろう?」
獅子宮の言葉に処女宮が苦い顔をする。
「炎魔はダメだよ。裏切るかもしれない」
裏切り、という言葉に獅子宮が顔を顰めた。
「マジで言ってんのか? 炎魔の奴はよくやってると思うが……それに奴も女神アマチカを信仰するようになっただろ?」
「炎魔は頭が良すぎる。信仰を騙って、女神アマチカを騙しているかもしれない」
処女宮の疑心に獅子宮が目を丸くする。
「おいおい、そりゃ……可哀想だろう?」
そんな獅子宮の言葉に、巨蟹宮も、いや、と処女宮をフォローした。
「確かに、炎魔は強すぎる。旧茨城領域のような遠い戦場で働かせるならともかく、帝国が本国に迫る中で使うには危険すぎる。彼女の心の天秤に国の命運を託すのはダメだな」
廃ビル地帯に磨羯宮と炎魔を配置したとして、そこで炎魔が裏切り磨羯宮を含めた魔法部隊を殺害し、帝国軍を素通りさせた場合が問題だった。
なにしろ帝国が勝利すれば彼女は何の問題もなく魔法王国に帰れるのだ。そのうえ神国の陥落に寄与したならば本国での復帰も早くなる。
炎魔には裏切るメリットが多すぎる。
ゆえに内部情報を知りすぎている炎魔を重要地帯に配置するのは問題だった。
獅子宮は面倒くさそうな顔をした。彼の配下にも敵国の降将がいる。
「クロマグロはよくやってくれてる」
武烈クロマグロ、ニャンタジーランドがまだ教区ではない頃に、神国に攻め込んだ王国軍の地霊十二球の一人だ。
降伏した彼は部下と共に現在は獅子宮の元で山賊の捕獲や騎馬兵の育成に専念していた。
部下を庇うような口調の獅子宮に対し、巨蟹宮は冷たい声で否定する。
「彼は状況が違う。敗戦の責で妻子を含めた親族を鯨波によって処刑されているから王国に対する恨みがある。鯨波に失望しているクロマグロなら死ぬまで戦ってくれるだろう。だが炎魔はダメだ。魔法王国は彼女が帰還するなら彼女に対して寛大に振る舞う用意がある。それは炎魔も知るところだ」
舌打ちする獅子宮に対し、巨蟹宮は悩む仕草を見せた。炎魔ではなく、帝国の動きに疑問があるようだった。
「ただ、帝国一国の死力ではうちを陥落させるのは足りなくないか?」
そんな巨蟹宮に天蝎宮が肯定する。
「うん、くじら王国がニャンタジーランド教区側で陽動に動く。帝国が『武龍剣』を引き換えに差し出したし、くじら王国は神国が邪魔。動く理由には十分」
「なるほど、じゃあユーリは使えないな。くじら王国はユーリが教区にいないと知れば陽動を切り替えて、本気で侵攻してくるね。国境砦にはうちの軍を詰めているが、くじら王国の全軍には耐えられないし、守れたとしても兵が多く死ぬ。来年の大規模襲撃を考えれば、ここで兵を失うわけにはいかない。私とユーリは教区側に戻る必要があるかな」
遠隔地からの指揮にも限界があるし、トップが不在では部下の士気も変わる。
なによりユーリがいれば王国軍は絶対に侵攻してこないだろう。戦争は避けられる。
そのうえユーリ不在だと問題が起きる。
ユーリに良い報告をしよう、王国に舐められるのは嫌だ、と獣人たちが王国軍に突っ込む危険性があるからだ。
王国軍に被害を与えられても獣人が多く死ねばそれだけで神国の損になる。
ニャンタジーランドはまだまだ手のかかる子供のような存在だ。危急のときには重しが必要になる。
「しかしスキルを変えたのが痛いな……私と獅子宮は今回戦力にならないぞ」
十二天座の権能や、ジョブである枢機卿としては動けるが、獅子宮は戦闘力のほとんどを喪失している。前線は張れない。
そして巨蟹宮も新しいスキルに変わり、軍師スキルが使えなくなっている。
軍師スキル持ちは部下にいなくもないが、巨蟹宮ほどスキルを使いこなせているわけではなかった。
「ああ、もちろん女神アマチカを批判しているわけではないからな。帝国の動きは予想外だった、という意味だよ」
処女宮に対して言い訳するように巨蟹宮が言えば、処女宮はそう、と興味なさそうに返し、思い出したようにユーリについて語る。
それはこの場の全員に、この先の困難を予期させる内容だった。
「ああ、ユーリくんに関してもバッドニュースね。彼、魔法王国の侵攻地奴隷化の噂を受けて北方諸国連合から大量の難民が旧茨城領域に流れ込む気配があって、そっちに忙殺されてるから、今回は本当に動けないよ」
大量の難民。
北方諸国連合も難民に関しては関所を立てるなどで自国から住民が逃げ出すのを防ごうとしたものの、強引に突破されてしまったようだった。
そんな彼らが解放された旧茨城領域に向かっているという。
国民が増えるのはいいが、かといって増えすぎるのも困ると処女宮が顔を曇らせる。
そしてその難民を前回手に入れた旧茨城領域の巨大施設、シモウサ城塞に詰め込めるだけ詰め込む予定だと処女宮はユーリから報告を受けていた。
そして人間は縛りから外れると気が大きくなる。
ユーリは難民のリーダーが独立して勝手に国を作ったり、独自の法を作り出して、武装集団化しないよう、難民がたどり着いたら彼らをきちんと掌握しに現地に赴くらしい。
教皇就任祭には来るが、すぐに戻るのだと彼は言う。
しばらく沈黙が続いたが、獅子宮が悩みながらも口を開く。
「まぁ、なんでもかんでもあのガキには任せられないからな。わかってんなら俺らで対処すればいいんじゃねぇか?」
暗殺されるとわかっているなら、やりようはあるだろう、と獅子宮は言う。
とりあえず、そういうことになった。