201 ニャンタジーランド教区にて その1
――ニャンタジーランド、海岸付近の港街にて。
『キリルちゃんがね。みんなでやればいいってさ! そんな楽じゃないのにね!』
スピーカーにしたスマホから届く声に私は苦笑を浮かべる。
周囲には人はいない。双児宮様には席を外してもらっている。
「みんなでやればいいじゃないですか。いいと思いますよ、ニャンタジーランド教区に北方諸国連合と近畿連合の難民や亡命者を受け入れるっていうのは。土地は余ってますし、仕事はどんどん作れますからね。ただ教化や住居、食料の支援のために人を回していただく必要がありますが」
『無理難題ってわかってるくせに……ユーリくんも知ってると思うけど、それが難しいんじゃん。効率的な手法を導入して、なんとかうまく回そうとしてるけど、やっぱり人間が足りないし、無節操に人を取り込んでも治安が悪くなって国内がボロボロになるだけだよ』
十年以上君主をしていた処女宮様からのアドバイスだ。この人のそういった感覚に関しては信用していい。
私は頷きながらスマホに向けて言う。
「そうですね……あまり教区に人を送ってもらっても本国がスカスカになるだけですから。ただ、玉璽は惜しいですね。可能なら、なるべく集めておきたいところです」
『他国の技術ツリーなんてそこまでいらなくない? 何かあるの?』
「他国の種族特性はうちでも欲しいですから、技術そのものでなくとも、種族人間に適応する技術があれば神国人にも適応されますし」
そっか、という声に私は本当の言葉は隠した。愚痴のような報告を聞きながら、それなりの返答をして私は思考をする。
玉璽は集める必要がある。神国の強化のためではない。
ブショー様が死に、近畿連合の玉璽は残り三つ。それらをミカドに破壊されるわけにはいかないのだ。
ブショー様がミカドに殺された以上、奴の技術ツリーの強化度は二回目だ。これ以上強化されれば、どうやっても止められなくなる。
(対抗するためにはうちも転生者……それも技術強化の恩恵が得られる君主転生者を殺害する必要があるが……)
なぜだろうか。兵に戦争をさせるのと少しだけこの感覚は違う。
(生々しさが違うというか……明確に、殺すことが目的だからだろうか?)
そしてこれもまた難しい。あまりやらせたくない。倫理の問題ではない。
ツリーが強化されることを知れば、処女宮様のことだ。
――私を利用して次々と他国へ戦争を仕掛けかねない。
彼女は北方諸国連合への侵略に乗り気だが、それは弱国を叩くことで得られる利益を見てのことであって、今の段階では積極的に君主を殺そうなどとは考えていない。
だが君主を殺して得られる技術ツリーの強化を知れば、北方諸国連合をくじら王国より早く蹂躙することを彼女は提案するだろう。
(神国としては、それが正しいのかもしれないが……)
果たして、それで勝利した先に神国の未来があるのだろうか?
いや、そんな大きな話じゃないな。
――尖兵となるのは私だ。
舌に苦い味が広がる。人を殺して回って楽しいのだろうか?
それが必要なことだからと私は連合軍を叩き潰したが、別に楽しくなかった。
人殺しが楽しいわけがないのだ。もちろん勝った瞬間に微かな喜びがないわけではない。だがそれ以上に苦い味が口の中に広がるのだ。心が重くなるのだ。それを続けなければならなくなるのだろうか?
『ねぇ、ユーリくん。この前さ――』
「ええ、聞いてますよ。大変でしたね」
『でしょ? だから私はさ――』
スピーカーから聞こえる声に返答をしながら私は思う。
私は処女宮様をある意味で信頼している。彼女には堪え性がないことをだ。
君主の殺害における利点を彼女が知ったときに、自らの力が増していく誘惑に彼女は耐えきれるだろうか? 他国の君主を皆殺しにするなどという発想に至らないだろうか?
引き際を間違えやしないだろうか?
――引くことを、周囲は許してくれるだろうか?
戦争ばかりをするような国にしてしまった場合、最終的に神国の幹部もまた、戦争の旨味を知った人間だらけになるだろう。
それではまだくじら王国についた方がマシだったなんてことになりかねない。
ゆえになるべく融和策にしつつ、固有ツリーの強化はモンスター君主を殺させるしかない。
モンスター君主でも人間の君主を殺したときと同じだけの恩恵を得られるだろうから。
(それに、下手をすれば転生者である私も殺されかねないしな……)
倫理観を失った処女宮様によって、技術強化とは別の、アリスのお茶会での権限上昇のために殺されかねない。
私が役に立つのも、処女宮様の権能があるのと人口が少ないからだ。
移民政策が成功し、人が増えてくれば私程度の人材などいずれ国からあふれるほどに生まれてくるだろう。
いや、私が知らないだけで、今も神国のどこかにまだ見ぬ才能の持ち主がいるのかもしれないのだ。
そのときに私が用済みとなって殺される危険性を考えれば、転生者を殺すことで得られる快楽を処女宮様に教えるわけにはいかなかった。
だが……だが固有技術の強化は必須だ。あまりに技術ツリーに差がつくと、他国との戦争で勝てなくなる。
(やはり、どうにかして鯨波を殺すしかないが……)
現状、鯨波が死ねば関東、というより神国周辺の混乱は多少収まる。
(しかし、暗殺も難しい)
状況は変わっている。三ヶ国になった神国ならば王国の土地を無理に奪う必要がない。
進軍も占領もしないなら王国などどうでもいいと、王国の混乱を覚悟し、試しに雷神スライムを動かしてみたがどうにも芳しくないのだ。
雷神スライムが王国内の大聖堂への侵入を嫌がっていた。玉璽の破壊を狙おうにもまず侵入自体ができなかったのだ。
これは恐らく王国にあるモンスター避けの技術だろう。大規模襲撃対策か、神国がスライムを多用するから設置したのか。
解除には大聖堂を破壊する必要があるが、さすがにそこまですれば雷神スライムの存在がばれる。王国を本気にさせてしまう。
本気になった王国を今の時期に相手をしたくない。流石に十万近い王国軍の全てを相手にすれば、教区が陥落するかもしれないし、負けなくても神国の軍事物資が枯渇する。来年の大規模襲撃に耐えられなくなる。
『ねぇ、ユーリくん。話聞いてる?』
「聞いてますよ。天秤宮様の小言が鬱陶しい、という話でしょう?」
『そうそう、っていうか何してるの今?』
「造船の進捗を確かめるために、港に進捗を確認しにきています。近畿連合のところに次回の貿易で亡命希望者用の船団を向かわせる予定ですので」
亡命受け入れはまだ決まったわけではないが、船自体は使い道があるので作っておいて損はない。
航海に使う船員は少し不安だが、十二剣獣の一人、ペンギン族のペンキチがなんとかすると言っているので信用して任せている。
ちなみに今私がいる場所は、ニャンタジーランドの港街だ。
造船ドックがあるので、そこの休憩室を使って、急に連絡を入れてきた処女宮様と連絡を取っている。
私も休憩がほしかったし、ペンキチとはある程度話は終わっているので、処女宮様の愚痴を聞くぐらいは問題はない。
窓の外から海風の匂いが室内に入ってくる。
潮の香りは前世とそう変わらないことに、少しの安堵のようなものを覚える。
『で、近畿連合、どうなの? 次の転生者会議までに保つの?』
来月の会議のことを処女宮様が聞いてくる。そう、転生者会議だ。
そこで私たちは神門幕府への危険を提案し、包囲網を敷く予定だった。
発起人は近畿連合だ。処女宮様もさすがに神門幕府の矢面には立てない。
私たちがすることは武具やスライム、蟹の供給を担当し、可能ならば敗戦国の亡命や難民を受け入れるぐらいである。
「近畿連合の情報提供と、殺人ドローンからの報告で、神門幕府の将の供給方法がわかりましたからね。なんとか神門幕府の勢力が大きくならないうちに仕留めたいところですが……参加国が少なければ耐えるのも難しいかもしれません」
――調査の結果、神門幕府がアンデッドを使うことが判明している。
ミカドは陰陽道と呼ばれるスキルの一つを使って、死んだ高レベルの兵を骸骨兵や死霊として利用している。
あまり多用できないのか、それともデメリットがあるのか大規模に使っている特徴はない。
しかし将軍や指揮官などの替えの利かない人物の蘇生を奴は行っていた。ミカドが多方面に攻撃ができたのはそのせいだ。
だからこそ、今のうちに倒さなければならなかった。
固有技術にアンデッドへの強化があるなら、今のうちに止めなければ奴らは神聖魔法に対する完全耐性を取得しかねない。
いや、すでにもう取得しているのかもしれないのだ。
『っていうか、うちも本格的に参加するとかは? アンデッド使うんなら、亡霊戦車のときみたいにぱぱーっと浄化できるじゃん?』
処女宮様の言葉に私はゆっくりと首を横に振った。
「神国は周囲を敵に囲まれすぎていますし、神国兵は疲労しすぎています。今までの遅れを取り戻すためにとにかく頑張らせすぎましたね。税率を下げたり、日曜日を作って対応してきましたが……どうにも皆の顔から疲れがとれてません。遠征しても兵が持つ力を発揮させることは難しいでしょう」
やってもいいが、兵の被害はどうにもならないだろう。
神門幕府を倒せても、兵が死にすぎて大規模襲撃やくじら王国の滅ぼされては意味がない。
忠誠度や信仰ゲージに問題はないが、私が内政のために頑張らせすぎてしまっているのだ。
刻まれた疲労が抜けきれていない。兵のミスも増えてきている。
「神国には休息が必要です。今年いっぱいは内政に専念した方がいいでしょう」
『そう……』
皆、健気なので、頼めば頑張ってくれるだろうが、頑張って勝てるなら戦術などいらないわけで、必要だからと無理をさせすぎて殺してしまっては可哀想だ。
それに神国には少し問題があった。
一部の人間以外が文明の変化にも対応しきれていないのだ。
つい一年前まで鉄製文化が浸透していなかったニャンタジーランドの方がわかりやすいが、神国にもそういった人間が出てきている。
文明を進歩させた速度が早すぎたせいで基礎的な知識が抜け落ちているのだ。
知能ステータスは重要だが、スキルをうまく使うにも最低限の知識は必要だ。周囲が落ち着いている今のうちに文明度に合わせて、兵の再教育をしなければならない。
欲を言えば、低レアスキルを持っている有能人材のスキルの付け直しなどもしたいが……熟練度がリセットされた人間は一年は無能化する。
それはまずい。だが、スキルの付け替えも熟練度稼ぎを考えれば早ければ早いほど良いのも確かで……じゃあ、来年の大規模襲撃を考えればどうにか熟練度をうまく稼げる施設を作るしかないが……頭も手も回らない。何をどう作ればいいのかまだわからない。私もかなり疲れていた。
教区の内政と旧茨城領域の武装化と貿易となんだかんだと仕事を抱えすぎている。それに加えて亡命に関しての準備も行っているのだ。
人、人、人……人だ。人が足りない。だが無理をさせ続けてもダメだろう。私が目指すのはホワイト国家だ。こうして管理職になったなら、努力しなければならない。
「今年は兵を休ませ、その間に教育を終わらせる必要があります」
『そう……じゃあやっぱり戦争じゃなくて亡命受け入れか……っていうか神門幕府との同盟ってさ、組めると思う? 私は覇権国家とかいうの目指してないし、共存できると思うんだけど』
処女宮様の問いに、可能性を考えてみる。
状況は以前と変わっているし、神門の性格ならば不可能ではない、と思う。
以前のように情報が全くなかったときと違い、降伏した際の属国システムに関してもわかっているからだ。
「うちが五ヶ国以上を有する国家になっていて、最初の一戦だけ勝ったあとに降伏を申し出れば……相手が面倒臭がるかもしれません。無理に我々を倒すよりも我々を取り込むことを優先するかもしれません」
『降伏……面倒臭がる……うん、なるほど……』
「ただこれは希望的観測ですし、今の神国では無理に土地を大きくしても中身がスカスカな国になってしまいますからね。なので次の転生者会議は時間稼ぎのために包囲網の形成に全力を向けましょう」
わかった、という処女宮様の言葉を聞きながら「それではそろそろ作業がありますので」と私はスマホの電源を切るのだった。