191 旧茨城領域征伐 その14
まどろみの中にいる。
退屈なままに、彼はインターフェースに表示されたカウントが終わるのを待っている。
――彼はこの世界を憎んでいた。
旧茨城領域の山中深くにある『オーガキングダム』の君主が鬱々と籠もっている洞窟。
その奥に彼、鬼人種の王は退屈そうに寝転がっていた。
傍には昨晩抱き殺したメスのオーガの首が転がっていた。
生前は美しい鬼人種だったのだろうが、顔は苦痛と恐怖に歪んでいた。
配下を殺すことを、彼は躊躇しない。それが彼の力となるからだ。
憎悪と絶望を糧とし、この領域には呪いの力が巡っている。
――この王に、配下に対する愛情はない。
王に人であったときの記憶はほとんど薄れている。
生前は彼はただの一般人であった。良識も常識も善も愛も知っていた。まともな人間だった。
だが鬼人種の身体に、人の魂を押し込められ、そのような良識は潰れて消えてしまった。
だから彼は毎日毎日、配下を増やしている。呪いの力を増やしている。
理由は一つだ。この世の全てが憎い。その一心だった。
理由はわからない。人を食らう鬼人種の特性かもしれない。だがそんなことはどうでもいい。
――嗚呼、願いが叶うのならば、今すぐにこの世の全てを滅ぼしてしまいたかった。
消えぬ憎悪が身体を巡っている。人の理性など欠片も残っていない。魂も心も身体に引っ張られ、穢されきっている。
洞窟に差し込んでくる陽の光が落ち、完全な暗闇が訪れて、彼は寝所より身体を起こした。
「朝など来なければ良いのに。この世の全てが地獄であればと思ったよ。私は」
聞く者は誰もいない。死体だけがこの部屋には転がっている。
そして彼は数日ぶりにインターフェースを開き、目を見開く。
「グレタ……失敗したな」
シモウサ城塞周辺の食料庫であるゴブリンが焼かれている報告は聞かされていた。
それが隣国の獣人領域からの攻撃だということも。
この雪だ。機動性の低下したオーガたちでは空を飛ぶ鳥人を倒すことができないことはわかっていた。
だからゴブリンをシモウサ城塞の内部に格納するように指示を出した。餓死する兵の数を減らすように指示を出した。
飢餓で総数は減るだろうが、強力な個体であるグレタがいるのならばオーガの数を維持できると踏んでいた。
「ユニーク個体が三体も死んでいる……無能め……無能なグレタ……」
彼は将来を見据え、集中的にレベリングを行い、固有名を与えることでグレタを強化してきた。忠誠心を維持するためにシモウサ城塞も与えた。
だがそれはあくまで一時的な措置にすぎない。
グレーターサイクロプスは確かに個体としては強い。グレーターサイクロプスの進化前であるサイクロプスを生産するためのコストは大量に使っているし、成長のために経験値も大量につぎ込んだ。
――だが、だからといって四万のオーガよりも貴重かと言えばそうではない。
グレーターサイクロプスは何度でも作れるからだ。
だが四万のオーガは違う。グレーターサイクロプス一体よりも莫大なコストを使っている。
また、ユニーク個体も別だ。オーガの生産ツリーで生成できる、ただ一体しか作れない貴重な個体。
かつての戦国武将と同じ名を持つオーガたちは、グレタと同じレベルにまで成長すればグレーターサイクロプスよりも多彩な技能を覚え、グレタを超える個体となっただろう。
彼は洞窟の暗闇の中で呟く。
「ゆえに、ヒデヤスは残さねばならない……」
人類絶滅のためには、優秀なオーガは重要だ。特に、将を任せられる個体が。
自分一人いれば、人間を殺せるなどと思い上がった個体になどに将は任せられない。
彼は知っている。
人の科学力の行き着く先を、火薬の力を。世界を焼く、鉄と火薬の果てを。
たった一体のモンスターで人間は滅ぼせないのだ。
だが彼は、ユニークオーガを無駄したグレタを責めようとは思わなかった。
「モンスターどもは愚かで、増長する怪物どもだ」
そういうこともある。それだけのことだ。
ほんの少し、この邪魔な縛りが解けたあとに使える手札が減っただけのこと。
しかし過去は許したが、このあとまで許そうなどと彼は思わない。
気づいたならば、人間どもが攻撃圏内にいるのならば、彼は人間を絶滅させねばならなかった。
彼の理由のない憎悪が、彼にそう命じるのだ。
◇◆◇◆◇
『グレタ、何をやっている』
シモウサ城塞のバルコニーから退屈そうに戦場を見ていたグレタは自らの腕に埋め込まれた水晶より主の言葉が聞こえた瞬間に、この場からは見えない本領側へ向かって膝をついていた。
近侍のオーガたちもグレタに従い、膝をつき、本領の方角に向けて無言で頭を下げる。
『はッ、申し訳ありませぬ。我が主よ。しかし――』
『今すぐ人間どもを滅ぼせ。何もかもだ。老若男女、一人も残さず根絶せよ』
グレタの言葉を遮る主の命令。グレタの頭が白くなる。自分は何か失敗したのかと、しかし何かを考える時間はない。
主の命令は絶対だ。ゆえにグレタは即座に立ち上がっていた。
『はッ――お命令のままに!!』
近侍のオーガたちに命令を出すグレタ。
捕らえていた人間たちを全て連れてくることを。人の骨で作られた、付与された呪いの効力を強化する大骨槍を全て持ってくるようにと。
『グレタ。お前に命じていたのは戦力の維持と強化だ』
『承知しております。ですので、今部下に人間どもを攻撃させておりました』
水晶の先からは呆れたような声が聞こえる。
『そうではない。グレタ。そうではないのだ。お前はそこにいるだけでよかったのだ。教育などということを考えず、ただ敵を殲滅するだけでよかったのだ』
『は? ええと……では強化、とは……』
『レベル80のお前がいるだけで、お前の配下のレベルは自動で上がった。お前が訓練をしろと言えば、城主であるお前のレベルに応じて配下のレベルは上昇した。モンスターとはそういうものだ。そういうものなのだ。教育など必要ない。お前がいることが重要であって、お前のようなモンスターが教育など考える必要はなかったのだ』
その言葉の意味を、グレタは理解できなかった。
ただ主が時折言う、技術ツリーというものに関わるものだと理解した。
『グレタ、容赦なく、躊躇なく人間どもを殲滅せよ。その人間どもは手強いぞ。お前が気づかぬうちに地下のゴブリンどもの三割が殲滅されている。人間どもを生かしておけば、お前たちの軍は戦わずして、餓死して全滅することになるぞ』
主の命令に、グレタは即座に近侍に命令する。
『地下へオーガどもを回せ』
だが主の言葉は否定だった。
『無駄だ、グレタ。無駄なのだ。お前の配下では勝てない相手が地下に侵入している。ゆえにお前が戦場に立ち、お前の存在でスライムどもをおびき寄せるのだ……それと、いや……』
主が何かを言いかけたことを察するグレタ。
何か忠告をしようとして、だが無駄だと悟ったのか、ただ魔法防御と雷耐性の付与をしておけと主はグレタに言う。
装備にまで付与をする時間はなかった。脅威への完全耐性を与えることはできなかった。
『しかし……そこまでの相手なのですか、主よ』
グレタの眼には、人間は全て同じに見えた。
そもそもグレタもある程度の戦況は報告で聞いている。さすがに敵が強すぎればグレタも配下だけに任せなかった。
だから知っている。敵のレベルが40台ということも。敵が人間とモンスターの混成部隊であるということも。
レベル差というものは、非常に重要だった。2やら3やらではそこまで変化はない。だが10も差があればどれだけ武技を鍛えようとも勝つことはできない。
――グレタが傲慢になるのも当然だった。
オーガのユニーク個体に違い種族値を誇る、グレーターサイクロプスのレベル80ともなれば、一分も掛けずにレベル40台の人間の部隊千名を殲滅できる人類の大いなる脅威の一つだ。
だが主はそんなグレタの考えを否定する。
『愚かなグレタよ。お前がそこまでの相手にしたのだ、相手の現在のレベルを確認したか? もはや奴らの軍はレベル50に入ったぞ。それにちらほらと、お前を上回りそうな連中もいる』
空を飛ぶ炎を操る魔女。
ユニーク武器を持って飛び回る鳥人兵。
兵を次々と即死させていく狼の弓兵。
グレタの眼には塵芥にしか見えない兵たちを、グレタの主は脅威だと評している。
『そんな、はずは……いえ、主よ。挽回の機会をお与えください』
玉座の間に骨の大槍や捕虜が運ばれてくる。
『私は見ているぞグレタ。うまくやれ』
『はッ――!!』
主の気分が理解できないグレタは骨の大槍を手に取り、呪いの火を付与した。
――主の眼を醒まさなければならない。
このグレタが。敵を全て殺すのだ。
用意された骨の槍は十本以上。呪いの犠牲に使う捕虜も全て連れてきた。
人間どもなどこれで終わらせる。あの氷壁をぐずぐずに溶かし、この戦いを終わらせる。
グレタの巨大な手が、呪いの炎の付与された大槍をしっかりと握った。
踏み込みと共に、全力で槍が投擲される。