190 旧茨城領域征伐 その13
寒風吹きすさび、雪の舞う空で鳥人部隊は地上のオーガ部隊を攻撃していた。
そろそろ夕闇が迫る。だというのにオーガの部隊は攻撃をやめようとしない。
だが、敵の勢いには陰りが見えていた。
「急に敵が脆くなったわね」
矢を番えたクロスボウを片手にバーディは地上を見下ろし、疑問を口にした。
整然と行動し、けして隙を見せないように動いていたオーガの大軍に緩みのようなものが見えるようになっている。
(これが年寄り共が言う戦術眼って奴かしら? 確かに、明確にそうとはわかりにくいけど、攻撃したくなるような、そんな緩みよね)
空から見るとよくわかる。部隊長に身が入っていないのか、ちょうどそこに魔法を叩き込めば、部隊に大きな損害を与えられそうな、そういう緩みがあるのだ。
「バーディ様、その件でユーリ様から報告が、敵の大将を処理したそうで、休息している人員を投入し、敵の兵糧を潰すようにとのことです」
バーディが見えた緩みに雷の範囲魔法を叩き込めば、食らったオーガたちが口から煙を吐いて痺れて倒れる。今までならばしっかりと耐えていただろうに、精神的な支柱が崩れたのか、やはり脆い。
(なるほど、将がいなくなるとこうなるのか……)
――敵は大将を排除され、勝利への確信を持てなくなったのだ。
軍というものはそういうものだ。しっかりと統制できる将がいてこそ全軍は力を発揮できる。
(ただ、ユーリ様はそうならないように、中間管理職を増やしたいと仰っていたけれど……)
冬の間、ユーリの傍で書類仕事を手伝っていたバーディはユーリが求める軍の形を聞いたことがある。
ユーリが作りたい軍編成は、十二剣獣をトップとした軍構造だ。それは変わらない。
しかし、たとえ自分たちが死んだとしても大丈夫な、丈夫な軍を作りたいと言っていた。
そう、将が消えた程度で機能しなくなる軍は原始的すぎるのだ。
十二剣獣は首都の大聖堂で復活できても、兵はそうではない。戦場に取り残される。
だからこそ、取り残された兵が戦える軍を作らなければならない。
将が消えても、副将や使徒が戦略や戦術を引き継ぎ、その副将が倒れればその次に高い地位にいるものが、その人間が倒れればその次の人間が。
確かにそうだとバーディも思う。自分たちがこうやって将を狙い撃ちにできたのだ。
敵がやってこないなど、そんな甘いことは考えられない。
――とはいえ、今は目の前の戦いだ。
バーディは敵軍を見る。オーガの餌である大量のゴブリンが詰め込まれた場所の位置は確認している。
今までは防衛のためにこの場を離れられなかったが、敵が脆くなったならば、今が襲う機会だろう。
「兵糧ね。いいわ、私が一人で行ってきます。貴方たちは継続して攻撃を」
危険です、と弓を手に進言する部下に対し、バーディは自分が持っているクロスボウを叩いてみる。
「安心しなさい。これがあります。下手な敵には負けませんよ」
氷を固めたような、白と青の斑色のクロスボウは、この戦いの前にバーディが倒したレイドボス『雪原陸王亀』を倒した際に出現した宝箱からドロップした装備だ。
レア度EXのユニークアイテム、クロスボウ『氷嵐王亀』。
耐寒、耐雪、即死無効の『冬属性無効』に加え、『【氷雪嵐】付与』『頑丈』『天才』『器用』『氷属性強化Ⅲ』『自動装填』の強力なスキルがついたこれは、スキル付与を自在とする神国においても製作が不可能な強力な装備だ。
バーディが手にしたクロスボウで地上のオーガ部隊を狙い撃った。すると着弾地点に強力かつ小規模な範囲魔法である『氷雪嵐』が発生する。
敵のレベルが高いために一撃での殺害には至らないが、多くのオーガが凍傷の状態異常で行動力が低下した。
そこに部下たちの追撃の魔法が放たれる。
壊乱するオーガの部隊。そこに氷壁の上からウルファン部隊の追撃が入る。
バーディが軽く手を振れば、狼族の部隊がにやりと笑って次の目標を攻撃していった。
――教区軍の士気は高い。
小数でもこれだけやれるのはやはり中心にユーリがいるからだろう。
彼が的確に敵の意図を潰すことで、レベルも数も少ない教区軍をオーガの軍勢と戦えるようにしている。
獣人たちのユーリに対する信奉は厚い。
それはユーリが餓死者が続出し、内乱寸前だったニャンタジーランドを救ってくれた恩人だからだ。
だからこの、意図のわかりにくい旧茨城領域への出兵にも文句一つ言わず付き従えるのである。
(……ユーリ様……)
バーディは思う。
獣人たちの何人が、この出兵の意図を察しているだろうか……バーディたち十二剣獣でさえ、ユーリに説明されてようやく意図を把握できたのだ。
(だから、失敗は絶対にできないのよ)
ただでさえ兵の数の少ないニャンタジーランド教区で、出兵先の隠された場所で戦果も上げられずに全滅したなんて国民が知れば、たとえユーリが生き残ったとしても彼の教区での立場は失墜するだろう。
いや、それどころか今度こそ内乱が起きるかもしれない。
アマチカ教に改宗した国民も多いが、国民感情は複雑だからだ。神国人に率いられた獣人の精鋭が全滅したなど、受け入れられるわけがない。
(私がやってみせる)
兵に後を任せ、バーディは空を飛び、移動していく。
敵の兵糧を破壊するために。
◇◆◇◆◇
頭上から飛んでくる火球の連弾を回避しながら『鬼眼将軍ヒデヤス』は生贄のいらない低ランクの『呪水』を付与した速射を空に放った。
弓術スキル『虎の顎』だ。四本の矢が空中で分裂し、十二本の矢となって高速で空を駆る人間の将、『炎魔』へと襲いかかる。
しかし炎魔が即座に手を振れば、大きな炎の塊が百個以上の小さな炎弾に分裂し、炎魔を追尾する矢を次々と撃ち落としていった。
『急報とはどういうことだ!!』
ヒデヤスは炎魔法の熱波で完全に雪の解けた平原を駆けながら、並走するオーガの伝令に向けて問いかけた。
『鬼槍将軍マサカツ様の行方がわからなくなりました! 地面に突然現れた穴に巻き込まれ、そのあとの消息がわかりません! ヒデヤス様には今すぐ本陣に戻って全軍の指揮を引き継いでいただきたく!!』
『馬鹿なことを言うな!!』
ヒデヤスが空に向かって牽制の矢を放てば、炎魔が放った火焔玉が爆散して、周囲に炎の散らばらせる。
呪炎とはまた違う、粘性のある炎が平野に残り続ける。地上の温度が上昇し、ヒデヤスは鎧を脱ぎたくなる衝動に駆られる。
だが装備を脱げば付与されている様々なスキルの恩恵を失う。ヒデヤスは上空の炎魔を睨みつけ、そしてオーガ軍の本陣の方向を見つめた。
――この場には、ヒデヤスと炎魔、そして伝令のオーガしかいない。
炎魔とヒデヤスの戦いは、お互いが周囲を巻き込みたくない、という思考から戦場を遠く離れた場所まで来て行われていた。
もちろん示し合わせて移動したわけではない。周囲を避け、移動するうちにたどり着いた場所だ。
そんなヒデヤスが遠方の本陣の様子を確認すれば、確かにそうだ。休息しているはずの二万の兵が立ち上がっていた。そわそわとして落ち着きがない。今にも戦場に飛び込もうとしている。
馬鹿な真似をするな、とヒデヤスは怒鳴りたかった。そんなことをしたところで人間どもに勝てるわけがないというのに。
(……陣に乱れが見える……マサカツ、貴様、本当に死んだのか……)
憤怒でヒデヤスの身体が震える。人間どもめ。人間どもめ。おのれ。我が友を……。
ヒデヤスが空を飛ぶ炎魔に向けて矢を放つもそれらは弾かれる。ここから本陣に戻ることを空を飛ぶあの魔女は許さないだろう。
『おい! 貴様!』
『ヒデヤスさ――!?』
ゆえに伝令のオーガの心臓にヒデヤスは自らの腕を埋め込んでいた。鼓動する心臓を握り、そのまま引き抜く。
上空の炎魔が慌てて伝令の身体に火球をぶつけるも関係がない。命を一つ消費し、ヒデヤスの身体に強力な強化呪詛がかかる。
『人間の女! お前は落ちろ!!』
多大なSPを消費し、『呪水』の付与のかかった必中にして剛力の矢が炎魔の防御を貫き、彼女の身体を地面に落とした。
ヒデヤスは炎魔に止めを刺しておきたかったが、距離が遠い。
炎魔は邪魔だが、早く陣に戻らなければ軍団が壊滅しかねない。
それに、ヒデヤスの眼には、遠目に鳥人が兵糧としてゴブリンを拘束している檻に向かって飛んでいく姿が見える。
地上のオーガたちは隠蔽のスキルを使っているだろうその鳥人を見つけることができていない。
『くそッ――止めねば!!』
オーガの驍将が、駆け出していく。
◇◆◇◆◇
地面に落下した炎魔はすぐさま自らを貫いた矢を握り、炎によって焼き払った。
持っていたマジックターミナルが治癒魔法を発動し、炎魔の致命傷を癒やしていく。
「くそッ、やられたわね」
まさか味方を殺して一時的に強力な強化を自らに掛けるとは炎魔も予想ができなかった。
「絶対に奴は私が殺してみせる……」
悔しげに歯を噛み締め、炎魔は再び空へと飛び立つ。