189 旧茨城領域征伐 その12
「……教育……教育……教育……」
「どうされましたか? ユーリ様。何か問題でも?」
双児宮様が『祈りの障壁』のために神殿へと戻り、私は本陣で考え込んでいた。
報告と休憩のために本陣に入ってきたベーアンが不安そうに私に問いかける。
「ベーアン、問題はありません。指示通りにしていれば大丈夫です。それよりも敵のボスが我らを使って、将のレベリングをしている、という意見を双児宮様から貰ったんですが……どう思いますか?」
どうだろう。その可能性は、なくはないと私も思う。
というより、それだけで敵の動きに説明がつくのが恐ろしい。
ボスが手を出さないのは、たった一撃だけ撃ち込んできたのは、兵のレベリングのためだと考えれば腑に落ちるのだ。
余計な手出しをして、兵の成長を阻害したくなかった、のかもしれない。
(将が変わったのも、そのためかもな……配下のうちから大将としての適性を持つ者を探しているのかもしれない)
ジョブとしての『大将軍』と、実際に大将軍につけるべき人材の適性は別だ。それは私も知っている。
例えば十二剣獣は全員『大将軍』のジョブについているが、ウルファンやバーディが満足に統率を行き渡らせられるのはせいぜいが千人といったところだし、ラビィなどは優秀な副官がいなければ百名も怪しい。
――彼らには大軍を率いた経験がないからだ。
とはいえ、百名でもすごいのだ。四、五人さえまともに統率することのできない人間も中にはいる。
自分以外の人間にきちんと目を向けられる才能というのは生来のもので、後天的に取得するのがとてもむずかしいものだから。
なのでラビィが順調に成長すれば一万人を率いることのできる大将軍になれる未来だってあるかもしれない。
そう、ウルファンもバーディもだ。
彼らは若い。経験を積めばニャンタジーランド教区の兵を率いる素晴らしい将軍に育つだろう。
(つまり、私と同じく、オーガたちも将の育成をやっている、ということか?)
考え込む私の前で、ベーアンが顎に手を当てていた。その表情には疑念が含まれている。
「……軍略のことはわかりませんが、レベリングというには、敵は兵を大事にしているようには見えませんが……」
「雑兵のことなら、あれは間引きでしょう」
「間引き、ですか?」
「敵は食糧不足という問題を抱えていますからね。余計な兵を抱えるよりもここで消費するつもりなんでしょう。シモウサ城塞地下の、ゴブリンのコロニー。あのゴブリンのコロニーで維持できる数まで雑兵を間引くつもりだと思われます」
「それは、恐ろしい話ですね」
本当に、心底といった具合にベーアンが表情に嫌悪を浮かべた。
私はベーアンに向けて、開いているインターフェースの一点を指す。
「教育論で敵を判断するなら……そうですね。この位置の敵軍に将がいると思われます。このあたりの個体には呪いによる強化が行われていません。教育個体はこのあたりのオーガの上級層、というところでしょうか」
「その、敵に教育をする余力があるのですか? どうにも私には理解できません。戦っているんですよ?」
「三万対六千ですからね。当たり前に考えれば我々は戦力で劣っています。獣が子供に生き餌を与えるようなものです。加えてオーガたちのボス個体は尋常のモンスターではありませんから」
きっと自分が出ればどんな敵も殺せると思っているに違いない。
――さて、であるならばこちらとしてもやりようはある。
ボスが出てこないのは兵の教育の為――つまりレベルアップか、大軍指揮経験のどちらかはわからないが、それを兵に与えるためだろう。
つまり、兵がいなくなるか、兵の数が減ればボスが出てくる。
これがわかっただけでも私としては大いに助かる。妙な不安を感じないで済むだけ、頭も働くし、大胆な手も取れる。
そもそもマジックターミナル一個とて無駄にしたくない現状をを考えれば今の状況は無駄だ。
兵は死ななくてもマジックターミナルが破壊されるだけで、教区の財政に大打撃なのだから。
(そもそも旧茨城領域をとったところで財政的には助からないからな……)
旧茨城領域は巨視的な面で見れば戦略的に重要な地だが、神国はニャンタジーランドの開発すら終わっていないのだ。
こちらの人口が増えるまでは維持するだけでも茨城領域は神国の重荷になる。
ただ、くじら王国を威圧するためにはこの土地は必須だ。
(そして内実はどうであれ、三カ国を領有すれば転生者会議で処女宮様は発言権を得られるだろう)
発言力を支えるのは力だ。
クロ様を口説き落とせるほどに口の回る処女宮様が転生者会議で今までなんの発言権も得られなかったのは、その発言の裏に力がなかったからだ。
(それにくじら王国や北方諸国連合でさえ取れなかったシモウサ城塞を陥落させれば、我が国に対するくじら王国の警戒心も高くなるだろう)
モンスターを使ったとしても三千の兵でこの領域を奪えた、という事実を他国はどう思うか……。
戦争で強い、というカードは外交上で非常に強い効力を発揮する。
――閑話休題。
「そういえばベーアン、なにか報告があるとか?」
「あ、はい。頼まれていたものができましたので休憩がてら報告を、と」
ベーアンがテントの外を示す。そこには巨大な網状の鉄の塊が陸海老車にぐるぐる巻きで乗せられている。
「昨日回収したオーガの装備を、鍛冶スキルで加工した鉄網です」
私は立ち上がると、陸海老車に近づき、鉄網を手に取り確認する。
よし、問題ないな。これならうまくいくだろう。
「ベーアン、よくやりました。骨槍による攻撃が来てもこれで塞げば大丈夫でしょう。この上から水を掛ければすぐに凍ります」
槍の直撃を食らったマジックターミナルは消滅するだろうが、骨槍に対する氷壁の対策はこれで完了した。
(教育論ならば……ボスはこの攻勢の間は出てこない……となると、動かせるな)
では敵の本陣も判明したことだし、私も少し頑張ってみるか。
◇◆◇◆◇
太陽が中天から少しずれた時間帯。白銀の雪原をオーガたちの血や屍が染めるも彼らの勢いは止まらない。
一万というオーガの大軍が氷壁に籠もる教区軍六千を囲み、数々の攻城兵器で攻め立て続けている。
そこから少し離れた位置。教区軍の魔法攻撃の範囲から逃れ、オーガ軍約一万九千ほどが(八百ほどが午前の攻勢で死亡した)駐屯している場がある。
その中の半分は、午前中に攻撃をしていたオーガたちだ。死者や、負傷した兵もいるが、攻めるオーガ軍と交代し、今はめいめいに休息をとっている。
そしてただ休んでいるだけでもない。魔法よりも射程の長い、攻城兵器による攻撃が続けられていた。
時折、教区軍の妨害が入るものの、数の多い、攻城兵器の攻撃を止めることはできていない。
「地上は壮観だな」
「ああ、生きているうちにこんな戦いに参加するとは思わなかったよ」
そんな中、防寒と迷彩の性能を持つ航空服を着た鳥人の偵察兵のペアがオーガ軍の上空に来ていた。
「そうだな。くじら王国に殺されるか、大規模襲撃で死ぬかと俺も思っていた」
「どうかな……そんな立派じゃなくて、餓死か内乱か、そんなものじゃないか?」
くつくつと偵察兵たちは笑って空を飛んでいく。
彼らの高度は高く、空を警戒するオーガの兵士たちも気づかないよう、空の色に溶け込むように位置取りを努力していた。
また、彼らの手には隷属させた偵察鼠が握られている。
スマホを手に、偵察兵は本陣にいる使徒ユーリへと通話を繋いだ。
「ユーリ様、命令書にあった地点に到達しました。偵察鼠の映像は届いていますか?」
『はい、問題ありません。そこが本陣のようですね』
本陣――そう、ユーリが狙っているのは敵の本陣だった。
敵が統率の取れた行動をしているのならば、取れないようにすればいい。
敵の嫌なことを狙うのが戦術ならば、それをさせないのもまた戦術だからだ。
偵察兵の一人が滞空したまま、地上を望遠鏡で観察する。
鑑定スキルのついたそれは高級品だが、偵察兵の標準装備になるようにユーリが努力していた。
「……確認できました。敵将は――『鬼槍将軍マサカツ』。伝令の行き来も確認できます」
本陣の外から、氷壁を望める位置に立派な軍装をしたオーガがいる。大槍を手にして佇み、周囲に武威を振りまくその姿はまさしくオーガの将軍に相応しい存在だ。
『そのまま監視してください――映像は途切れないように、こちらで落とします』
偵察兵がじっと見つめる中、マサカツの真下に穴が開き、落下し――オーガの将軍が即座に跳躍した。
おお、と偵察兵が感心したようにマサカツを追って、偵察鼠を動かす。マサカツは落ちた瞬間に手に持っていた大槍を地面に突き刺し、そのまま飛び上がったのだ。
しかし、ユーリの声に驚きは少ない。
『これだけ堅実な戦いをするレベル60オーガならばそれぐらいはするでしょう』
オーガの将軍たるマサカツが落下する地点に再び穴が開く、今度は避けられない巨大なものだ。
周辺のオーガをまとめて地面の下へと落とすと、そのまま穴は閉じられた。
『落ちましたね。よし、ご苦労さまです。帰還して大丈夫ですよ』
その声に、なにかをやったような達成感は感じられず――偵察兵たちは切られたスマホに目を向け、ぞくり、と震える。
威風に満ちたオーガですら、なんなく倒してみせたユーリ。
――この神童こそは、まさしく教区最強の存在であると。
◇◆◇◆◇
『うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!???』
護衛を務めるオーガたちと共に落下する『鬼槍将軍マサカツ』は自分が地下深くに落とされたことを、落ちながらにして理解していた。
『こ、小癪な!! このようなことで!!』
このあたりの地下はゴブリンの巣だ。どうやったか知らないが、人間どもはここまで地下道を探索し、本陣に向けて地上を掘り進めたのか。
なんとも小癪な手段。人間どもめ、このようなことでオーガの攻勢を留めることなどできないと知れ。
マサカツは落下し、足を痛めるもレベル60ともなればただ落下しただけでは死なない。
ともに落ちたオーガたちもそれは同じだ。
『マサカツ様! ご無事ですか!!』
自己治癒能力で即座に体力を回復させたマサカツは『早く立て! 地上に戻るぞ!!』と一緒に落ちてきたオーガたちに命令するが、頭が天井に当たる。
ゴブリン用の狭い地下道だ。身をかがめて、オーガたちは移動しようとする。
そう、ここはゴブリンの巣だ。恐らくシモウサ城塞地下のものに通じる巣。
ならばマサカツの威光は通じるだろう。ここに生息しているゴブリンを見つけ、道案内をさせればいい。
オーガたちに不安はなかった。暗闇は彼らにとっては心地よさすら覚えるものだからである。
そこに、ぬるり、となにか、空気に湿ったものが混じるのをマサカツは感じた。
――土臭さに混じる、血臭。焦げ臭さ。
『暗視能力』を種族特性で持つオーガの目に、紫電が走った。
『な――』
まずい、と思う暇もなく、ずどん、とマサカツの腹に穴が空いていた。
『ぐ、お……』
紫電を纏ったスライムが放った強力な雷魔法によってだ。
『な、なぜ……』
なぜこんなものがゴブリンの巣に生息しているのか、そしてなぜ気づけなかったのか。マサカツにはわからない。
だいたい、こんなものがいたならゴブリンどもなど生きているはずがないというのに。報告がなかったのはなぜだ。
悲鳴が聞こえる。一緒に落ちてきたオーガたちが襲われている声。
まさか、とマサカツは即座に理解した。地下を攻められている。それも尋常ではない敵に。
(グレタ様に、ほ、報告を……しなければ……)
マサカツを一撃で葬るということは、このスライムのレベルは高い。
こんなものを人間どもが隠していたならば、グレタでも危険だ。
(ま、魔法対策を……雷属性に対して……)
オーガの頑丈さでなんとか生きていたマサカツは、地下道を這いずって逃げようとして、自分の身体の上を何かが這い回っていることに気づく。
雷神スライムが身体の上を這い回っている。
『う、うぉ、うぉおおおおおおおおおおおおおおお!!』
自分の身体が消滅していっている。雷神スライムが強烈な電撃で焼いているのだ。
――状況は変化した。
ユーリ率いる教区軍にとって、三万の軍が一斉に攻めかかってきたならば全軍を上げて対応しなければならなかったが、一万の軍を小分けにして送ってくるならば別だ。
敵軍が持久戦を望むのならば、教育のためにボスが出てこないのならば、ユーリとしても雷神スライムを温存しなくていい。
円環法で落とせないゴブリンの繁殖場にスライムを送り込める。
閉所での戦闘が得意な、雷神スライムをだ。