179 旧茨城領域征伐 その2
目標たるシモウサ城塞の前に布陣した我々ニャンタジーランド教区軍は、氷の城壁を作って氷壁を破壊するべく繰り出されたオーガの軍を迎え撃った。
安全が確保できたので戦車から降りた私は城壁の内部から指示を出す。
インターフェースには鳥人兵士たちが集めた情報が次々と表示される。
オーガの軍、奴らがとりあえず繰り出したのは千体ほどの軍団か。
ユニーク個体も見えない。どういうことだ?
「ウルファン! 迎え撃ってください! 神国軍もマジックターミナルで迎撃!! ドッグワン、防柵の輸送を急がせて!」
私が叫べば伝令が走る。白い息が口から漏れる。
空を見る。夕闇が消え、夜がやって来ようとしている。
――城壁ができるまでが勝負だった。
作った城壁はまだハリボテだ。冷気と驚愕でこの場の主導権は奪えたが、この夜の間にこの壁をもっと巨大に、もっと固く凍らせて敵の全力に耐えられる強固な壁にしなければならない。
「ユーリ様、戦車、配置につきました」
報告は次々と来る。「戦車隊はレベルの高い敵個体から優先的に狙って潰してください」「了解です」空に叫ぶ。
「炎魔様も! 頼みます!!」
あいよー、と軽い返答が帰ってくる。
戦車から降りた炎魔様は『飛行』の付与のついた杖を手に、空へと浮かび上がっていた。
そんな炎魔様は傍らに『炎魔』のインターフェースを表示させている。権能『戦場俯瞰』による戦域の把握だ。
城壁の中なら安全に魔法を飛ばせるが、炎魔様ぐらいの熱量を使われると今の状態の城壁では崩れかねないから、飛んでもらったのだ。
(鳥人部隊に紛れたから、弓矢からはバーディが守ってくれるだろう)
水を流しながらもマジックターミナルを使えば鳥人部隊も攻撃ができる。問題ない。
炎魔様の防具には耐寒や耐雪以外に耐性系のスキルはついていない。スキル枠は魔法力強化や火属性強化に使われている。
炎魔様による魔法が放たれた。上空を炎の塊が飛んでいった。
遠くでオーガの部隊が焼かれる音が響く。連合軍のときほどの威力はない。だがそれでも強力な一撃だ。範囲は以前より狭いものの、一撃で部隊が崩れている。
炎の光が戦場を一瞬だけ赤く照らす。
――だが、夜の闇は深い。
魔物であるオーガは『暗視』を持つ個体もいるので暗闇に意味はない。
だがこちらもベーアンに篝火は焚かせているし、完全ではないが暗視スキル付与済み装備も配っている。
加えて炎魔様の火が迎撃を行うウルファンやバーディたちの目印となるだろう。
「氷壁形成、どうですか。問題などは?」
「問題ありません! 今晩中には終わらせます!!」
部下からの返答――よし、大丈夫だ。焦るなよ、私。
深呼吸しながら情報の取り落しがないことを確認していく。
問題ない。空からは順調に滝のごとく水が流れ落ち、氷壁に降り注いでは分厚くしていく。
とはいえ流れる水はそうそう凍らないので、木柵を設置して以降は、離れた位置から連れてきた殺人蟹の進化系である、氷結蟹が氷魔法による気温の低下を行っている。
脆い氷壁の上に立っている部隊も耐寒スキル付きの装備がなければ凍死しているだろう寒さだ。
――轟音が連続して響く。
銃座を作った位置から亡霊戦車が砲撃を始めた音だった。
驚いた獣人たちの部隊の動きが止まるが、隊長たちが動けと叱咤することで行動を再開する。
私の位置からでは敵の様子は見えないが――む、持ってきた隷属偵察鼠が氷壁の上に設置されたらしい。視覚情報がインターフェースに送られてくる。夜の闇でわかりにくいが、オーガたちは氷壁に近づくこともできずに部隊が崩壊していく。
「ユーリ様!!」
判明した敵の編成を見ていれば、巨漢の使徒である巨蟹宮様の使徒のシザース様が部下を連れてやってきた。報告のようだった。
「さすがはユーリ様ですな。全ては順調です。氷壁形成もできてます。夜を徹して作業すれば日中でも溶けない氷壁ができあがるでしょうな」
「ええ、それでどうしました?」
おい、とシザース様は傍らの兵の背を押した。以前に見たことのある顔だ。地質学スキル持ちの兵士。
彼は私の前に立つと緊張した様子で報告をしてくる。
「ユーリ様、ご報告します! 円環法による遠方探査の結果、シモウサ城塞地下に空洞を発見しました。ゴブリンの養殖場のようです」
「やはり、ありましたか……」
私の呟きにシザース様が反応する。
「敵の食料庫でしょうから円環法で潰しましょうか? 円環法ならばギリギリ届く位置だと思いますが」
城塞の土台を遠隔で錬金失敗させればそのまま巣ごと崩落するだろう。
ここから届かなくても地中を掘り進めて届く位置からやってもいい。
だが、私は唸る。地中探査の報告結果をインターフェースに重ねて確認する。まずいな、シモウサ城塞の地下いっぱいにゴブリンの巣が広がっている。食事にはオーガの糞でも食わせているのだろうか? やたらと多い。
とはいえ、ここまで規模が大きいと面倒だな。ここまでの遠距離に円環法を使えば兵が疲れるだろう。
潰せば攻略は早まるだろうが……。
「食料庫は潰したいですが、地下を潰すと城塞が壊れるんですよね」
「それが? 何か問題が?」
シザース様は首を横に傾げて見せる。この策には戦術ではなく戦略の問題がある。
「春にこの氷壁は溶けますし……征伐後を見据えると、シモウサ城塞自体は可能なら無傷で奪いたいんですよ」
それに、城塞を下手に早く壊しすぎるとオーガどもが我々の排除を諦め、軍を温存したまま援軍を待って春まで籠城戦を始めかねない(城塞跡地でゲリラ化したオーガの軍勢など悪夢以外の何物でもない)。
戦術で優位に立とうとも、我々は六千しかいないのだ。四万のオーガをそういった状況で潰すには純粋に手が足りなすぎる。
「春先にくじら王国や北方諸国連合を威圧するためにも、あの城塞は無傷で手に入れたいんですよね」
「なるほど。しかしユーリ様、それは望みすぎでは?」
「単純に教区が資金難なんですよ。この出兵のために教区では有力者たちにも出資させていますが、どれだけ出させても新しく城塞を作るほどの金は教区にはありません」
教区もそうだが神国自体も船を作ったり、ニャンタジーランドに対王国要塞を作ったりで出費が激しい。
私が前十二剣獣派閥を戻したのはそういった交渉の結果だったりもする。
何もなくても戻す必要はあったが、こういう機会は利用するに限った。
立て直しに奔走したとはいえ、だからこそニャンタジーランド教区は常に資金難だった。
ダンジョンからの莫大なドロップがあるとはいえ、それらは現金収入という形では入ってこない。全て物品だ。
この侵攻に使う木材にしても、林業をやってる国民から買い取る形で得ている以上、ある程度動かせる通貨は必要だった(徴収してもいいがそうすると林業従事者が破産する)。
服属させたことで、ニャンタジーランドでも基軸通貨となったアマチカという通貨システム自体に疑問はなくもないが、日々疑問が増えていくこれらのことを真面目に考えるのは脳のリソースを圧迫しすぎる。
私の考えをよそに、なるほど、といった顔のシザース様に言ってみせる。
「なんにせよ、節約できるところでしなければ……なのであの城塞は無傷で手に入れます」
シモウサ城塞はオーガサイズの都市とも言うべき城塞だが、補修をすれば人間に使えなくもない。
むしろ下手に崩した場合、下手をすると我々が領域の防衛を維持できずにくじら王国に旧茨城領域を奪われる危険性がある。
円環法でもさすがにこの規模の城塞をすぐに作れるわけではない。
城塞の残骸を利用して小さな砦ならできなくもないが、それでは舐められる。
この見た目の巨大さは武器だった。
――城塞が小さければ、他国は平気で攻めてくるだろう。
ここを落としたあとに時間を掛けて国境側に防波堤としての要塞は作るが、鯨波の侵攻を諦めさせる意味でもこのシモウサ城塞は必要だった。
何より箱が残っていれば、何かあったときにニャンタジーランドから兵を輸送し、詰め込むことができる。
あれこれと理由を並べたが、どうしようもなくなれば潰す。だが、今はこちらもそこまで追い詰められていない。むしろ追い詰める側なのだから、あまり乱暴すぎる手はあとあと面倒になる。
「シザース様、報告ありがとうございます。機会を見て、何か策を練ってみましょう」
◇◆◇◆◇
十二剣獣が一人、白狼猟兵部隊を率いるウルファンは氷壁の上から部下に指示を飛ばしていた。
この氷の城壁は素足であれば滑るが、『転倒防止』のスキルがついたブーツを持ってきている。凍った地面を走るためかと思っていたが、誰もこんなことに使うなどとは思っていなかった。
「上からの水に気をつけろよ、被ると凍るからな。氷壁から身を乗り出しすぎるなよ!!」
夜空を見上げれば、ウルファンの身体よりも巨大な炎の玉が敵の集団に向けて飛んでいくのが見えるところだった。
エチゼン魔法王国の降将である炎魔の大炎球だ。速度も威力も十分なその炎の塊は敵の隊長らしきオーガにぶつかると、炎の礫を周囲に撒き散らして他のオーガを燃やしていく。
「あはははははははッ! 燃えてるわッ!! あはははははッッ!! やっぱ戦争はこうでなくちゃね!!」
上空より高笑いが聞こえてくる。杖の一振りで部隊を崩していく恐ろしい魔女の高笑いだ。
あれをユーリは倒して降伏させたのだという。
「上は気にするな! あれは味方だ!!」
ウルファンは指揮をしながら、巨大な盾を構え、じりじりと、ゆっくりだが確実に進んでくるような部隊は避け(それは上の魔女や鳥人部隊が殺す)、盾も付けずに突進してくる体力自慢のオーガ部隊を攻撃するように指示する。
ユーリが言うにはウルファンたちが立つ氷壁はまだ脆いらしい。力自慢のオーガが死力を持って崩しにくれば耐えられないほどに。
だからそういった体力自慢をウルファンは優先して狙うよう部下に指示を出していく。
(くそ、一晩中これが続くのか?)
敵との距離はまだまだあるが、こうしてオーガが増えていけばウルファンたちの体力もなくなってしまうだろう。
昼に多少寝るようにも言われていたからまだ睡眠の影響はない。
『暗視』系のスキルない兵士には『暗視』スキルのついたゴーグルなどを与えられているし、ウルファンのSSRスキル『神狼の弓』は目に関するアビリティを与えてくれるから、夜闇の影響もない。
――それに、炎の魔法が敵軍を明るく照らしている。
降り注ぐ水のカーテンの裏側から部下たちがオーガを射殺していく。
一射一殺とはいかないが、うまく殺せている。射った矢も『再回収』のスキルで戻ってくる。矢玉に不安はない。
(しかし、散発的だな……)
敵のオーガの数は多い。だが、まだ敵の本隊が出てくる様子がないのが不思議だった。
確かに敵は多いが、千、二千程度の兵数が散発的に出てきては殺されていくだけだ。
この氷壁が作られていくことに焦っている様子は見えるが、かといって本気で攻撃してくる気配もない。
(なんだ……?)
悩むウルファンに対し、副官の老兵が弓を片手にやってくる。
「敵軍は朝を待っているのでしょう。それより次の木の柵を設置するようですぞ。ウルファン様、部隊に移動の命令を」
「朝? いや、わかった! おい、お前らいったん移動だ! 攻撃は止めても大丈夫だ。オーガどもの距離はまだ遠い! 焦るなよ!!」
氷壁前の平野の一部は炎の魔法によって溶けているとはいえ、まだまだ十分に残っている。
だから雪による移動低下の影響もあって、オーガの部隊は遠かった。
教区軍による迎撃の効果もある。突出した部隊から殺されているせいか足の遅い部隊しか残っていないからだ。
ウルファンは副官の老兵と共に部下を引き連れて、移動する。
背後からはドッグワンの部隊が木の柵を手にやってくる。
彼らは氷に穴を開け、木の柵を設置するとマジックターミナルから水を出して木の柵を軽く固定すると上に向かって合図を送る。
すぐに鳥人部隊による水魔法が落ちてきて、氷結蟹の気温低下魔法による影響で木の柵を氷が覆っていく。
固まるまでは傍には寄らない。下手をすると壁に取り込まれて出られなくなるからだ。
その間にウルファンたちは移動して今立てた木の柵の上に足場ができるまで待つことになる。これが出来上がったらその上から矢を放つのだ。
少しだけ時間ができる。ウルファンはすかさず寄ってきた熊族の補給兵が配る暖かいお湯を飲みながら老兵へ問う。
食事は取らない。食べれば眠くなる。
「で、朝ってのはどうしてだ?」
「オーガども、腹が減って眠いようです。攻めてきている連中の動きに精細がありませぬ。それに見てください。奴ら、繰り出して死んだオーガの死体を城塞内に引きずり込んでおります。小癪な用兵です。あれを調理して食って、一眠りして、元気になった全軍を早朝に繰り出すつもりでしょう」
氷壁の完成に関しては侮っているのか、それとも自らの力に自信があるのかのどちらかか。
この散発的な攻撃で、教区軍の迎撃能力の限界を確かめているのかもしれなかった。
「あー、じゃあ、俺らは、眠れるのか?」
「奴らは我らを休ませないために、散発的に兵を繰り出してくるでしょう。ですが氷壁が出来たあとならば我らは鉄壁の防御に包まれます。で、あるならば兵を交代で休息させるようにユーリ様から命令がくるはずです。それまでは踏ん張りましょうぞ。ウルファン様」
老兵の言葉になるほど、と納得したウルファンは背後を見た。
神国側の陣地ではベーアンと神国人部隊の半数が陣地を設定しているところだった。炊飯の煙も見える。
――これが戦争か。
狩りとは全然違う、炎と、血と、氷の臭いに、ウルファンは獣人の血が滾っていくのを感じるのだった。