173 出陣準備 その2
ニャンタジーランド教区。そこに作られた巨大な軍用の武具工房にウルファンは部下を連れて来ていた。
旧茨城領域征伐のための装備を受け取るためだ。
火と鉄の臭いが充満する、冬だというのに暑苦しい工房だ。
「よく来たなウルファン」
「うっす。おやっさん! よろしくお願いします」
十二剣獣が一人狼族のウルファンを待っていたのは工房主であるベーアンの使徒グママだ。
彼はもともとベーアンの師匠格の鍛冶師だったが、ベーアンに頼み込まれて使徒になった熊人の親方であるために、若手のウルファンでは頭の上がらない存在である。
彼らは挨拶を交わし、装備の受領書をやりとりすると装備に受け渡しを行った。
「ほら、こいつが『鎮守の森』ダンジョン最下層に出現するボス『天神木』のドロップの『神木の枝』から作られた弓だ」
おお、と驚くウルファン。受け取った弓の凄さが見ただけでわかったからだ。
「この弓を五百本。矢は同じく神木のドロップで作った奴で、十万本だ。こいつをおめぇに渡す」
「五百本に十万て……うぉ……ケタがちげぇな……」
「戦争すんだぞ。前回の大規模襲撃でも質は違ぇが、数はそれ以上に矢は作られたぜ?」
一人当たり二百本。一本で一殺とはいかないから下手に扱えば、すぐに矢がなくなるだろう。
「ま、それはいいから弓を見な」
ベーアンの使徒である使徒グママから渡された弓に触れるウルファンは感触を確かめつつ、性能を聞いていく。
グママが語る弓のレアリティはBランク。前ウルファンの使用していた弓がDランクだと考えればその性能は雲泥の差だった。
「スキルは『射程強化Ⅲ』『遠距離攻撃Ⅲ』『ノックバックⅢ』『亜人特攻』『生物特攻』がついてる。渡した弓全部にだ」
ほう、と弓の弦を軽く引いてみるウルファン。確かに、感触が違う。
「てめぇらの弓だからな、微調整は自分らでやれよ」
「ああ……わかってるよおやっさん」
使徒グママはウルファンがまだまだ下っ端だったころから世話になっている武具工房の親方だ。位階は上だが、こういった口調など全然気にならない。
気になるのは弓だ。調整と言われてウルファンは部隊の訓練予定を考えてしまう。少し多めに調整時間を取った方がいいかもしれない。
ここまで見事だと、少しのズレで大きく命中率が変わるだろうからだ。
そう、渡された弓は性能としては申し分がないが、ウルファンの手に馴染ませるためには多少の微調整が必要だった。
微調整とは弓を削ったり、弦の強さを調整することだ。
体格に合わせて作れれたオーダーメイドならばともかく、大量生産の弓の場合、渡された弓を自分たちの体格に合わせて削って合わせることになる。
ダンジョン産の装備には『自動調整』などの、装備すれば勝手に武器が伸縮するようなスキル付きのものもあるが、生産品の場合はそうはいかない。
「って、そうか……これ大量生産品なのか」
このレベルの武具を大量に作るということがウルファンには未だに信じられなかった。
「そうだよ。女神アマチカを信仰することで得られた『円環法』って技術の恩恵だ。矢も素材を用意して一気に仕上げたんだよ。時間がねぇってな」
武具以外にもなんでも作るこの武具工房は、鍋だ鎌だなんだと生活用品まで作っていて、いつだって火を吹いたように忙しい。
わざわざ出向き、手作業で調整するオーダーメイド品などを作るだけの時間は彼らは得られなかった。
それは使徒グママだけではない。ウルファンもだ。
こうして二人が話す間にも、彼らの周囲では彼らの部下が木箱に入れられた装備品を急いで運び出している。
出陣を来週に控えているウルファンたちには時間がないのだ。これを受け取ったら弓の調整に明け暮れることになるだろう。
「もっと早く渡してくれればよかったんだがな……」
「うるせぇな。素材が集まんなかったんだよ、てめぇの部隊の半分だけ型遅れ、半分だけ最新じゃてめぇだって満足に指揮ができねぇだろうが。この弓ァ、全部ニャンタジーランド産の素材でできてんだぞ」
弓本体に使われている『神木の枝』や『神鹿の腱』『殺人ヤドリギの蔓糸』などは全て鎮守の森ダンジョンの最下層の品だ。全てのダンジョンの難易度が廃都東京並というわけではないが、低難易度ダンジョンとはいえ、最下層ともなればシステム化の難しさは相応のものだろう。
「こっちの矢も相応のレアリティなんだぜ? あと矢には『再回収』のスキルがついてるから撃てば自動で手元に戻ってくる。が、破壊されればそれまでだからな。間違っても付与スキルを使わずに精霊種だとかやべーのに当てんなよ。矢が壊されるからな」
矢にもスキルを付与することはできるが、この矢に付与されているスキルは別のものだ(矢一本一本にスキルを付与するとなると素材が全く足りない)。
矢をスキルで生成すると自動で固定のスキルが付与される。『再回収』はこの矢の矢羽に使用されているモンスター固有の能力だった。
「わかってんよおやっさん。俺がどんだけ殺人雪うさぎの討伐で雪の精霊ぶっ殺してると思ってんだ?」
精霊種とは身体が自然現象で出来たモンスターだ。
この時期の野外は雪の精霊モンスターがうろついている。
雪の精霊は旅人や行商人を凍らせたりすることで獣人たちから恐れられていた。
「一丁前に言うようになったな。でぇ、あとは防具とアクセサリだな。こっちもすごいぞ」
「これも全部新しく作ったのか」
「当たり前だ。このランクで獣人用の中古装備なんかあるもんかよ」
ウルファンに渡される防具一式は革鎧一式だった。中には鎧用の肌着まで入っている。
「こいつは……」
滑らかな肌触りの肌着から、ウルファンはこれが神国で栽培されているバロメッツでも一等高価な品種の羊毛で作られたものだと推測する。
前ウルファンが私服にバロメッツの毛皮を利用して、自慢していたことを思い出したからだ。
「……おいおいおいおい、なに考えてるんだユーリ様は、これ一着で市民の一年分の食費にも相当すんだぞ……」
「レアリティが高くないとスキルの数を増やせねぇんだよ。あとバロメッツの羊毛の肌触りとか、そういうのだ」
肌触り――毛深い獣人兵士は肌着などを嫌がる者も多い。
そういう獣人のために、わざわざ着心地を優先して高級素材を揃えてくるあたり、どうにもウルファンとしては感謝はするが、やりにくい。
(もっとこう、兵士ってのは……)
雑でいい気もするんだが、なんて考えてしまうのはまだ神国流に染まっていないためか……。
そんなウルファンにグママは心配そうな視線を向ける。
「おい、ウルファン。装備はいいから生命を大事にしとけよ」
「大事ってなんだよ?」
「ユーリ様は、お前たちが一人でも多く生きて帰ってこられるようにこれだけの装備を用意してくださってるんだ。もちろん生命惜しさに逃げ出せってことじゃねぇぞ。てめぇら戦士は勇ましく戦えば死にそうなときもあるだろう。そんなときに装備を惜しんで生命を差し出すなってことだ。わかるな?」
慈しむような使徒グママの視線にウルファンは、おう、と頷く。
「これだけのもんを用意すんだ。どこに行くのかはわかんねぇが、全員無事に生きて帰ってこいよ」
◇◆◇◆◇
旧茨城領域上空を二人の鳥人兵士が飛んでいた。
「目標、発見しました」
看破スキルによって看破されるのは雪の中に隠れているモンスターの巣穴だ。看破スキルを持っているらしい若い鳥人の兵士が、中年の鷹族の兵士に報告する。
「あそこか……よし、部隊を集結させろ。巣を潰す!!」
バーディ部隊の中でもそれなりの地位にいる鷹族の中年兵士がスマホのSNSで集結するように連絡すれば、周辺に散っていた鳥人兵がやってくる。
「また見つけたんスか」
「ああ、巣に水を流すぞ。準備しろ」
水を流す。水魔法の水は錬金素材などには適さないが、最低限の飲用ができる品質なので地中に作られるモンスターの巣穴に流せばそのままモンスターなどは溺死する。
うっす、と鳥人の兵が指示に頷いた。彼らは上空からモンスターの巣穴の入り口付近に向けて土魔法で簡易ダムを作り、巣穴を囲ってしまう。
雪の中に隠れていた見張りらしき小鬼が驚いたように飛び上がっているのが見え、鳥人たちの口角がつり上がった。
「ゴブリンかー。俺、さっきも巣を一個潰してきたところっスよ」
この辺りにはゴブリン以外にもコボルドや殺人熊や疾風鼬などのモンスターも生息している。
ほい、と若手の鳥人兵士が生成したダムに向けて水の生成魔法を使えば、水がダムに溜まっていく。
「おー、流れる流れる」
ゴブリンとはいえ知恵はあるのか、雨水が入らないような作りにはなっていたが、巣穴の入り口にダムを作られ、そこから水が流れ込むようにされてしまえばどうにもならない。
「結構流れる、ということは……大規模な巣だな。隠し通路もありそうだ……二人ついてこい。逃げ出す個体を焼くぞ。ただし数匹は残せよ、この規模なら別の地点に氏族がいるだろう。逃げた先から次の巣を割り出す」
連日のゴブリン討伐によって調子を掴んだのか、鷹族の中年兵士が適当に選んだ二人を連れて飛び立っていった。
「……あの人も本当、楽しそうだな……」
「この前、毎日が楽しいって言ってたよ」
鷹族の兵は、前バーディが荒事を好まなかったせいか、左遷に近いポストにいた兵だ。
鳥人族は他の獣人と比べればそこまで好戦的ではないが、鷹族などの一部の鳥人だけは例外なく狩猟を好む傾向にあった。
「おっと、おい、狙われてるぞ」
「わかってる。ゴブリンとはいえ、ここのはレベルが高いからな」
彼らがいるのは旧茨城領域、征伐の目標たる『シモウサ城塞』付近の丘の上空だ。
この地のゴブリンは敵城塞のオーガたちの食料として繁殖されている個体である。
ゆえに警備のためのゴブリン飼いのオーガがいたが、それはすでに始末されていた。
『ゴルルル!』
狩りにでも出ていたのか、水攻めから逃れたらしいゴブリンの勇士が丘の中腹から上空の鳥人兵たちへ向けて弓を放った。
下のゴブリンのレベルがいくつなのかは彼らにはわからないが、レベル40帯になれば当たり前のように必中スキルを使ってくるので鳥人たちは油断しない。
防御のためにマジックターミナルより、デコイ代わりの低ランク土魔法『石礫』を放って矢にぶつけていけば、勢いを失って矢は地面に力なく落ちていく。
そこにすかさず複数の鳥人兵によるマジックターミナルによる雷撃魔法が連続で命中し、ゴブリンの勇士は力なく倒れた。
「よし、排除完了!」
鳥人たちは水を流す作業に戻る。もちろん警戒は怠らない。
オーガ種のユニーク個体ならば見えない距離から矢を放って、当ててくることもあるからだ。防具に付与されたスキルのおかげで重傷者はいないが、見えない距離から当たるというのは純粋に恐ろしい。
「っていうか、知ってるか? この任務って本当はドッグワン様の担当任務だったんだってさ」
「ああ、知ってる。俺らって本当は本国での休養と訓練に当てられてたけどバーディ様が自分たちにやらせてくれって頼んだらしいな」
とはいえ鳥人兵士たちに不満はない。
旧茨城領域の征伐――その困難すぎる作戦に参加するのだ。
どうせ本国にいたところで休めるわけがない。不安になるだけなら、こうして敵の雑兵兼食料であるゴブリンの巣を潰していた方が安心する。
「……っていうか、マジででかい巣だな……さっきから水流しまくってんだが」
「地下に水脈でもあんのか? その場合、応援を呼んで水の量を増やすことになるが……」
彼らとは別に水を流し続ける鳥人兵士の一人が地面を見て、眉を顰めた。やばい、と彼はつぶやく。
「おい、地面盛り上がってきてんぞ!!」
「女王個体か!! おい、バーディ様に連絡! 大物だ! 応援呼べ呼べ!!」
ゴブリンは他種族のメスをさらって増えるなどという噂話がニャンタジーランドにはあるが、当たり前だがそんなことはない。
――多種族のメスの調達などそうそうできないからだ。
これが単体の生物として強いならともかく、種族としての強さが最弱レベルのゴブリンでは現実的に、他種族のメスに母体を依存して、増えるのは無理があった(人間国家を滅ぼしたために周囲に繁殖に使って良い他種族が存在しない旧茨木領域ならなおさらだ)。
だからこの世界のゴブリンは、ゴブリンを大量に出産できる女王個体を中心とした氏族制度に依っている。
もちろんダンジョンなどで発生する親の存在しない個体もいるが、鬼人種が運営するゴブリン牧場ではそのような生産体制が取られていた。
「おお! 女王個体か!!」
鷹族の中年兵士も騒ぎに気づいて飛んでくる。
女王個体は一つの氏族に一体のみ。これを潰せば鬼人種の餌たるゴブリンの生産量は大きく落ちるだろう。
『ガァアアアアアォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
上空の鳥人たちに気づいたゴブリン女王が大きく叫んだ。女王の周囲の土の中から親衛隊らしき高レベルゴブリンが現れる。中には杖を持ったゴブリンも見え、鳥人たちは即座にマジックターミナルによる雷撃魔法でゴブリンの魔術師を撃ち抜いた。
「魔法個体を優先して排除しろ! それと周囲に警戒しとけ、今の騒ぎで巡回オーガが気づく! 敵の精鋭がやってくるぞ!!」
応、と頷いた鳥人兵士たちが戦闘態勢に移行していく。
この日、バーディ率いる鳥人部隊はゴブリン女王の討伐に成功し、それを聞いたユーリは大いに喜んだ。