170 九歳 その5
ニャンタジーランド首都の政庁内、自分の執務室で私は息を吐いていた。
夜だ。気温は低く、白い息が漏れる。
薪の節約のために、現在、この執務室には暖房が入っていない(ちなみに私の執務室だけだ。流石にこんなことを他人にまで強要はできない)。
もっとも耐寒装備を身に着けているので気温は気にならない。
同じく、もこもことした可憐な服を着た双児宮様が何か本を読んでいるのが見える。
「双児宮様、何を読んでいるんですか?」
「旧世界の教育概論ですね……読めない字も多いですが」
そうですか、と私が返事をすれば、双児宮様はそのまま本に視線を落とした。
(双児宮様に日本語を教えてもいいが……私の時間が取れないんだよな)
とにかく忙しい。内政指導もそうだが、私はこの都市で一番偉いアマチカ教の神官でもあるので、いろいろと出席しなければならない行事が多いのだ。
有力者の子供に祝福を与えるだとか、神国に従順な有力者が神国よりの名前に改名するので新しい名前を考えるとか、そういったことだ(これは国内の国民の忠誠値や、アマチカ教の布教、税収に関わってくる)。
それと侵攻準備だ。三月には旧茨城領域に入って、そのまま攻城戦になる予定である。
四月になればこの不自然な雪も消え、春の暖かさに覆われ、神国の動きに気づいたくじら王国が邪魔をしにくるだろうから、勝負を三月中に決めなければならない。
(ひとまずニャンタジーランド全軍の再編成は済んだ)
軍といっても内政で使う人材も入っているものだが。
(それと、ニャンタジーランドの十二剣獣、その把握も……)
戦闘向けの権能持ち六人。
熊族のベーアン。
狼族のウルファン。
犬族のドッグワン。
虎族のタイガ。
猪族のボーアン。
牛族のバイソン。
内政向けの権能持ち六人。
兎族のラビィ。
鳥族のバーディ。
猫族のシロ。
ペンギン族のペンキチ。
亀族のタートン。
鼠族のマウソン。
戦争に向いた国家らしく、戦闘に使える十二剣獣の割合は半分と、他の国より多い。
(……とはいえ、旧茨城領域に全員連れて行くわけにはいかないが)
熊人族のベーアン率いる巨熊工兵五百名。
狼人族のウルファン率いる白狼猟兵五百名。
犬人族のドッグワン率いる忠犬騎士五百名。
鳥人族のバーディ率いる偵察鳥人五百名。
残り千名は巨蟹宮様のところから借りる。歴戦の工兵たちだ。
これに、殺人蟹三千匹と雷神スライム十匹。
(少し心配だな……一応隠し玉は持っていくが……ああ、そういえば新しいユニーク個体を確認したらしいな)
忙しくて見れていなかった、茨城領域を偵察に出てもらっている偵察部隊からの報告を確認する。
スケッチしたという画像データももらっている。
スマホから開いて確認すれば戦国武将のような和風甲冑を着た鬼族の姿が映る。
(鬼眼将軍ヒデヤス……ユニーク個体……これは、あれか?)
私は双児宮様の本体が本国より送ってきてくれた歴史書を本棚から取り出し、調べる。『戦国武将辞典』だ。
旧茨城領域の鬼人種については調査を行っている。ユニーク個体もこれ以外に何体か確認できている。
鬼馬将軍ハルトモ、鬼槍将軍マサカツなどだ。
(戦国武将ツリーでもあるのか?)
結城秀康、結城晴朝、結城政勝……ってことは結城家ツリー、だろうか?
結城秀康は徳川家康の息子で、結城家には養子に入っただけらしいから茨城とは関係が薄いと思うのだが。
(まぁ、日本人っぽい名前でも転生者じゃないことは確かだが……)
転生者であるならば、もう少し、らしい動きをする。
怪人アキラが言っていたことだ。私自身や処女宮様、鬼ヶ島のアザミ、神門幕府のミカドを観察して思ったが、やはり、どこか動きに効率のようなものを感じることがある。
前世よりうまくやろう、という力みのようなものだ(クロ様はほとんど感じないが……)。
今にして思えば、あの私を殺そうとした自衛隊員ゾンビにもそういう奇妙な感じはあった。
人間ぽさというか、そういったものだ。
(伝え聞く、戦国武将モンスターからはそういうものは感じないな……)
しかし、注意しなければいけない個体なのは確かだ。
だがモンスター側の十二幹部ではない。
今までモンスター側に十二幹部に相当する存在は確認されていないということもあるが、モンスター側の君主に十二幹部のようなものがあれば、もうちょっと敵側は組織的になるからだ。
(権能の影響を受けている様子もないしな……)
モンスター側に指揮個体がいるのは確かだが、モンスター側では戦場全体に自動的に効果を発揮する強化型の権能が見られないから(獅子宮様やクロマグロは持っている)、まぁ十二幹部はいないんだろう。
(だからこれらのモンスターは、うちで言う機動鎧みたいなものだろうな)
技術ツリーによって生産できる特別なモンスター。
同名モンスターが見当たらないことから、一体のみ生産できる、という感じだろうか?
(あんまり推測ばっかりしてもアレなんだが……)
外れたときが問題なので、このユニークモンスターに関してはこのぐらいにしておく(ちなみに全体強化は戦場魔法のような形ではモンスター側も行うかもしれない、ということは考えている)。
「……城攻めは……始めてだな……」
今までは戦場に準備ができたが、今回はそうではない。相手が準備をするのだ。
「ユーリ、旧茨城領域への侵攻に関しては先日、十二天座会議で決まりましたが、勝てるんですか?」
聞いた話では、侵攻案について、天秤宮様、金牛宮様、双魚宮様、人馬宮様に加え、獅子宮様までもが危険だと反対票に回ったが、双児宮様が説得していた天蝎宮様の票でなんとか押し通したらしい。
「わかりません。相手側が全力なら、負けるのはこちらでしょう」
とはいえその場合は、見れば敵が全力がどうかはわかるので、全速力で撤退することになる。
「……全力、ですか?」
「相手に、君主個体がいれば負けるのはこちら、という意味ですね」
君主個体、と首を横に傾げる双児宮様。
神国とニャンタジーランドがそうだが、各国には我々が侵入することもできない強力なモンスター領域が存在する。
かつて獅子宮様がまともに偵察すらできずに死んで帰ってきたあの領域だ。レベル60以上のモンスターが雑魚として存在する空間。
私は、そこに君主個体がいるのだと考えている。
(君主個体なんているかはわからないが……)
推測だ。全部推測。
――だがモンスター側に縛りがあるのは確かだ。
縛りが何かはわからないが、そのおかげで相手は全力を出せない。
今回攻める旧茨城領域の首都跡に建築された城塞、そこを守護するのはレベル80のグレーターサイクロプスだった。
これは敵の君主個体ではないし(ただの強力なモンスターだ)、恐らく、モンスター側の君主個体はまだ出てこれない。
――状況証拠だが、確信に近い推測はできている。
ニャンタジーランドがどれだけ弱っても、旧茨城領域より南下してくるモンスターがいなかったこととか。
神国がどれだけ弱っても旧神奈川領域より東進してくるモンスターがいなかったこととか。
旧茨城領域で、偵察部隊への警戒を強めても、遠く逃げれば排除に動かなかったこととか。
人間を滅ぼして回ればいいだけのモンスターが、城塞の増築を行っている点とか。
「双児宮様。私は、モンスターはまだ、自由に攻められない、と思っています」
「……どういう意味ですか?」
「そうですね。良い機会なので双児宮様だけに言っておきますが……私は、大規模襲撃が来年あると思っています」
ずっとついてくるこの人に関しては、あれこれ隠すより、明らかにしてしまった方がいいと、私はずっと考えていた推測を語った。
もちろんそれだけではない。私だけでこの推測を抱えているのは少し辛い……協力者がいなければ乗り切れない。
私の告白に、双児宮様は目に見えて狼狽えてみせた。
「大規模襲撃? え、と……例年通りなら、二年後では?」
私が茨城領域の占領を急ぐのはこれも理由だった。
かつて私は大規模襲撃がタワーディフェンスに似ていると推測した。
実際にそれはだいたいだが合っていて、敵の兵種は侵攻回数ごとに増えていて、規模も増大している。
加えてモンスター側に君主がいるという推測。
人類はとても危険な状況にあると言っていい――そんなわけがない。
これが、人類君主対モンスター君主の構図ならば、どう考えてもモンスター側が不利なのだ。
技術ツリーを魔法特化にした魔法王国の魔法は驚異的だったし、うちがそうだが、複数の国を手に入れた国家の技術ツリーの技術開発速度は尋常でなく加速している。
だから……五年に一度しか攻められない、モンスター側はまともにやったら滅ぼされるだけ。
――それは少し、公平ではない。
処女宮様に国を与えた謎の存在。それがそんな簡単な世界を用意するのだろうか?
だから公平に考えればどうだろう?
人間君主は少ししか最初に与えられていないが、制限がない。
モンスター君主は最初から強力な戦力が与えられているが、制限がある。
制限。制限だ。
モンスター側には移動制限や、攻撃制限がある。
大規模襲撃もそれは同じで、投入可能な戦力やレベルが絞られている。
だがその制限が時間経過で緩むとしたらどうだろう?
大規模襲撃を重ねれば重ねるほど敵の投入可能戦力は増え、レベル上限も上がる。
それは実際にそうなっている。
なら次は襲撃間隔も、狭まっていくだろう、と私は考えていた。
「だから、来年なんですよ。たぶんですが……考えすぎかもしれませんが……」
この世界がゲームに似通っている、という核心部分以外を隠し、そういうことを説明すれば双児宮様は目をぱちくりさせた。
「そこまで、考えていたんですか?」
「あれも敵対勢力ですから、考える必要があります」
くじら王国への牽制のために旧茨城領域を奪う必要があるが、それとは別に私が考えていることがある。
三度目の大規模襲撃が予定通りにくるわけがない、ということ。
ある程度成長してしまうと人類国家は際限なく強くなれる。
――だからこそ今年攻めないと、来年は奪えない。
否定する材料がないので、大規模襲撃は来年来るという前提で私は考えている(今年も警戒していたが十二月は過ぎたのでとりあえず安心している。というか連合軍をはめる罠で殺人機械が動いたので、恐らく今年はないと踏んではいた)。
それで、くじら王国を警戒せずに兵を進められるのは冬季の間だけだから、来年の冬に攻撃しようとすればその間に大規模襲撃を挟むことになる。
大規模襲撃は、神国とニャンタジーランドに関しては問題ない。そのために防衛計画も練っている。
だが、旧茨城領域はダメだ。
大規模襲撃の際は、モンスター側の移動制限が解除される。恐らく次の大規模襲撃前に城塞地域を奪わないとあの地域に増員がある。
旧茨城領域を領有していた人間国家は最初の大規模襲撃で滅んでいるが、人間側国家が戦力を強めていることはモンスター側もわかっているだろうし、くじら王国や北方諸国連合による攻撃もあったと聞いている。
だからモンスター君主は警戒のために配置モンスターを増やすだろう。
城塞の増築も、防衛に加え、モンスターの受け入れのためだと考えれば、強いモンスター側が城塞を増築する理由としては妥当だろう。
「だから今なんですか。道理で勝てるかわからないのにユーリが兵を進めたがるはずです」
「茨城が取れないと、北方諸国連合はくじら王国の圧力で詰みますからね」
くじら王国が北方諸国連合を攻めたとして、恐らく三ヶ国ぐらいを奪われれば、連合全体がくじら王国に降伏するはずだ。
そうなればくじら王国は八ヶ国を有する巨大国家となる。なってしまう。
双児宮様は散々神国で議論された、その結論を聞き、頑張らないとですね、と呟いた。
「ええ、でなければ――」
我々は負けることになる。神門幕府よりも先に、くじら王国に滅ぼされることになる。