151 戦後処理 その2
「ユーリ様、どこに連絡していたのですか?」
廃ビル地帯の臨時学舎兼執務室で私が仕事をしていたところ、入室してきたベトンさんに問われる。
夕方の連合軍との戦いの勝利を祝った戦勝パーティーに参加していたのか、彼の顔は赤く、酒気を帯びている。
もちろん私も戦勝パーティーには参加していたが、子供の身体で酒の臭いは身体に悪いからと盛り上がってきてから退席させてもらっていた。
「ああ、いえ、予定通り勝てたので天蝎宮様にお礼の電話と、お願いを」
「ユーリ様は少し休んだ方がいいのでは? お疲れでしょう?」
「いえ、明日出す指示をまとめているだけですので……これが終わったら休みます」
「そうですか。それで天蝎宮様へのお願い……とは?」
「大したことではありません。まぁ、どこの国もたぶん、やるんじゃないですかね。このぐらいは」
「はぁ……そうですか。それで、何かありますか? 私にできることなどは」
「いえ、大丈夫です。私もすぐに休みますので。ベトンさんも休んでください。明日は忙しいですよ」
わかりました失礼します、とベトンさんが頭を下げて出ていく。
そして私は書類に目を落とした。
明日からの戦後処理、やることが多かったが、まずは優先順位を私が決めねばならなかった。
ドロップアイテムや装備の回収もそうだが、敵国の捕虜の移送をさっさと済ませるべきだった。
それと死体は病気の原因になる。廃ビル街に大量にある死体を片付けなければならない。
だが兵の死体を錬金失敗で消すのはさすがに問題があるか? 死体は外交で使えそうだが……マジカルステッキに冷凍魔法をセットしたもので冷蔵室を作って保管するか? 兵の苦労が大きすぎるか。
だいたい顔やら身体が銃弾で消し飛んでる死体が多い。こんなもの返したところで怒りを煽るだけだろう。
それでも必要なのかがわからない。ニャンタジーランドから木材を移送させて死体を入れる棺を作って……原型のない死体はともかく、魔法王国の兵は皆、貴族だ。んん、いや、どうだこれ? 死体から死亡方法がバレるか……なら、死体を返す案はやめて遺品を回収して、それを送りつければいいのか?
「……外交専門のアドバイザーが欲しいな。あと軍事も……」
双魚宮様と巨蟹宮様にSNSで聞いとくか。私はスマホから彼らにメッセージを送り、息を吐く。とりあえずこの件は返答待ちにすべきか。
部屋の隅でお茶を淹れていた双児宮様が私の机の上に紅茶のカップを置いた。
「ユーリ、休んだ方が良いのではないですか? 勝ったあとなのでしょう?」
美少女である双児宮様にそう言われると、それも良いかもと思ってしまうが……逆だ。勝ったからこそ、動かねばならない。
(それに……今は少しでも動いておきたい)
人を三万人近く殺す命令をしてしまったことに思い悩みたくない。
――私は、脳を仕事で埋め尽くしたかった。
「いえ、勝ったといっても来たものを倒しただけですし、勝ったからこそ動かなければなりません。今回の戦いで我が国はいろいろと手に入れましたが、この臨時収入をうまく使えなければ我が国はずっと窮地のままでしょう」
正直、考えることが多すぎて疲れるが……明日、円滑に指示ができるように今から方針を考えなければ。
「ああ、ユーリ。今日の勝利を聞き、ユーリを首都アマチカに戻すようにと十二天座で話が出ていますが」
「冗談でしょう? まだまだ油断はできませんよ。双児宮様、私がここにいられるようにごねてください。三国の動きがまだわかりません。誰かが彼らを牽制し続けなければなりません」
私の予測ではせいぜい帝国軍が来るものと思っていたのに、魔法王国まで来たのだ。私には彼らの行動の正確な予測はできない。せいぜいが何にでも対処できるように準備をすることだけだ。
勝ったが、まだまだ油断はできない……そうだな、やはり死体は全部処理して、遺品だけ回収しておこう。
今は夏だ。肉はすぐ腐る。肉を錬金失敗させ、消滅させて骨を回収すればいい。
もちろんだが死体の肉をスライムの餌である謎肉には錬金しない。さすがにそこまで人間性を捨てるつもりはない。
(殺人機械が次も来てくれるかはわからないしな……人手は別のことに使いたいな)
次、偵察鼠を使って殺人機械を呼び寄せる方法が使えるかはわからない。
私が殺人機械を捕獲したことを警戒して、殺人機械の君主が連合軍を無視するかもしれない。
なら次はこの廃ビル地帯を要塞化して、隷属させた戦車とマジックターミナルによる迎撃陣地にするべきだ。
対魔法の防御処理なども考えなければな……。
そこまで考えていれば、双児宮様が不安そうな顔をする。
「ユーリ、帝国もそうですが、王国までも再び攻めてくる可能性があるのですか?」
「それもありますが、天蝎宮様から、先ほど私たちが王国に勝利したのと同じころに、北方諸国連合の対くじら王国要塞が陥落したとの報告がありました……要塞が一日で陥落というのは穏やかではありません。どうにも北方諸国連合が弱すぎます。だから、もしかしたら王国とは和平が結べないかもしれません。私たちが圧力を掛け続けることで、北方諸国連合に王国の全力が向かないようにしなければならないかも……ただこれは危険なので、賛同してくれる方は少ないかもしれませんが。そうした方がいいかもしれません」
鯨波王としてはニャンタジーランドを取れなかった以上、弱い北方諸国連合を叩いてその領土を取った方が楽だ。
だがそれは阻止しなければならない。なんとか防衛戦では勝利できたが、くじら王国に領土を与えてはならない。技術ツリーを進めさせてはならない。いや、進行を遅らせなければならない。
せめてあと数年あれば、ニャンタジーランドの兵を取り込んだ神国も侵攻戦ができるようになるのだが……。
我々は勝ったが、最初の一戦勝てただけだ。勝ち続けなければ、負けてしまう。
「……ユーリ……」
「双児宮様、そんな顔をしなくても大丈夫です。大丈夫です。今、楔を打っています」
私は紅茶に口をつける。そうだ。敵は強大だ。だから敵の利点を殺すのだ。
奴らは馬鹿だった。なぜ婚姻や人質による同盟を組まなかったのか。
なぜ古の時代から、婚姻関係による同盟が成立したのか。それを今から私が教えてやる。
(そうだ。同盟は正々堂々と明らかにして組むべきだったし、婚姻が無理なら奴らはせめてお互いの十二幹部を交換すればよかったんだ……)
正当性の強さを教えてやる。
奇襲一つのために捨てるべきではない利の強さを味わえばいい。
◇◆◇◆◇
送り出した兵が戻ってこず、連絡もないことから(スマホによる家族との連絡が途絶えた兵が多かった)帝国全土に神国への侵攻軍が敗戦したと広まってから数日のことである。
旧山梨県にある七龍帝国帝都『ナーガ』にて、女王を前にした諸侯の会議は紛糾していた。
「民の間で敗戦の噂が広がっている! 由々しき問題だ!!」
未だ国内のモンスター領域を駆逐しきっていない七龍帝国ではあるが、それはそれとしてそれなりに広い領土は分割され、実力主義で勝ち上がってきた多くの貴族たちに土地が与えられている。
実力で任命した貴族たちだ。彼らはそれなりに優秀で、帝国の力の源泉となっていた。
だが、今回の敗戦を受け、その中でもエチゼン魔法王国やくじら王国に対して良い感情を持っていない派閥の大貴族が大きく声を上げていた。
「わかるか! これはくじら王国が我が帝国の侵攻の話を神国に漏らしていたからだ!! 事前にわかっていたから奴らは準備をして待ち構えていた!!」
「待て待て、王国も神国に負けているぞ。それはどう説明するのだ」
親王国派の大貴族が穏やかに説得しようとするも、反王国派、反魔法王国側の反論は辛辣なものだ。
「くじら王国が弱かったからに決まっているだろう!!」
「情報を流しておいて神国の注意を逸らしたかったのだろうがな、その結果、神国主力に迎え撃たれたのだ!!」
「愚かなくじら王国よ! 聞けば武烈クロマグロが一騎打ちでも負けたとか!!」
詳細すぎる情報は、神国の間諜が流したものだろう。
女帝イージスは、まずいな、と思いながらも彼らに語らせるままにする。
上から押し付けてもいいが、敗戦によって忠誠値が減っている人間が何十人といる。ここに圧力をさらに掛けても意味がない。
それに、と女帝の中にも猜疑心があることは否定できない。
――だがそれはない、とわかっている。
王国や魔法王国が帝国を裏切っても誰の得にもならないからだ。
三国同盟全体の得にならない。全員が損をして、神国のみが得をしている。
誰も望んでいない。だが……だがという一抹の不安がある。
もちろん敗戦のあとに、それぞれできちんと不戦条約を更新した。
だが、信じきれないことも確かだった。
「いいか! 我が軍が負けたのは、魔法王国による裏切りによるものよ! 神国主力がニャンタジーランドに向かったことを知った魔法王国のものたちが、卑劣にも欲に駆られ、我が軍に攻撃を仕掛けた! そこを炎龍槍殿や白龍鎚殿の必死の奮戦によって敵を殲滅するも、弱ったところに神国に襲撃があった! ゆえに! 魔法王国こそが我らの本当の敵なのだ!!」
その女帝の不安を、神国の諜報が流しただろう、この理屈が刺激する。
――嗚呼、なんと、耳障りの良い理論か。
つまり我が帝国の精鋭は、卑劣な裏切りによって負けただけで、本当ならば勝っていたというこのデタラメな理屈。
もともと権力者として生きてきたわけでなく、苛烈な気性によってこの国を作り上げた女帝の、前世の部分が頷きたくなる。
魔法王国が裏切ったから……自分は負けていないから、神国に負けるわけがないから。
連合軍が敗北した場所で何が起こったかわからないからこそ、このでたらめが脳に浸透する。
(魔法王国を信じる要素がないというのが痛いな……)
だから貴族たちに好き勝手言わせてしまう。信じる根拠が女王の主観にしかないから、物的証拠で説得できない。
転生者会議のときに行った密談を女帝は思い出す。
三人が三人、人質を送られてもお互いを信用しないという共通した観念がそこにはあった。
だが利害で結ばれているからこそ、三人は、お互いを深く理解した。
例え自分が人質を送ったとしても、相手は送ってこないだろうという信頼があった。
――そんな関係は利害が崩れれば脆い。
別に全軍が負けたわけではない。失ったのは帝国の軍勢の六分の一だ。
全体が見えている女帝に焦りはない。人口はまだまだある。まだいくらでも持ち直せる
だが、たかが敗戦一つで帝国は揺らいでいる。
紛糾する会議。宰相ヘルペリオンが怒鳴りつけ、静まっていく。
「発言をよろしいか」
だがそこで神国侵略後の利益を約束されていた大貴族の一人が手を上げた。
もともと親神国側の貴族だったが、戦後のワイン生産の利権を約束したことで反神国側に寝返らせた貴族だった。
そして、彼は今回の神国侵攻において、兵糧の多くを提供してくれていた人間だ。
「それで、神国への賠償はどうするのか。兵の遺品の返還は? 神国に捕まっただろう大将軍たちの交渉は? 兵の遺族への補償は? 我らが出した兵糧や装備は戻ってくるのか? 女帝よ、お答え願いたい」
「我が精強無比なる帝国皇帝が神国に頭など下げられん。諦めよ」
散々バカにしていた処女宮に頭を下げるなど、女帝にはできなかった。
女帝は頭が痛かった。侵略戦争を甘く見ていた。兵を出して終わりではないのだ。
勝てば楽だっただろうが、負ければこんなにも面倒になる。
神国との講和を述べたその貴族を集まった皆が弱腰だと批判するも、その貴族は女帝をじぃっと見て「わかりました」と下がった。
忠誠値が下がっていく。返答を失敗したか。
――大丈夫だ。取り戻せる。
勝てばいい。勝てばいいのだ。女帝は突然、この山と敵しかいない土地に放り出されたときを思い出す。
何もない場所からこの巨大な帝国を作り上げたのが女帝イージスなのだ。
女帝の仮面、威厳に満ちた強い自分をイメージする。
だから、負けも糧として進める強い女として君臨するのだ。
「神国は無視する。魔法王国を信じる。王国もだ。いいか? 当初の予定どおり、隣国のアップルスターキングダムを攻める」
アップルスターキングダムは旧長野にある国家だ。弱国とされ、群馬にある魔法王国とも隣接しているが、帝国が先に攻める闇協定を結んでいた。
兵の準備も貴族たちへの兵糧などの供出も終わっている。あとは号令一つで攻め込めるように準備していた。
神国に勝利し、帝国の強さを国民に印象づけてから攻める予定だったのだ。
「敗北したらどうするのですかな?」
女帝の命令に、だが反論が出された。先ほどの貴族だった。引き下がっていなかったのだ。
「イージス陛下は魔法王国と王国を信じると仰るが、彼らは利益のためには不戦条約を守らない者だということはご承知でしょう。他国への侵攻は諦め、王国側の国境を整備し、彼らが手を組んで帝国へと矛先を向けぬよう防衛準備をすべきではないですかな?」
「なッ――」
そうだそうだアップルスターキングダムの利権が関係しない貴族たちから声が上がる。
当然ながら帝国は王国側に砦ぐらい作っている。だが、この貴族はそれを増強しろと言っているのだ。
しかし、そんなことをする予算はない。
対王国だけならともかく、魔法王国との連合に対する砦など考えただけでバカでかい要塞を作らなければなくなる。
そんなものは無駄だ。
侵略に使う資金がなくなるし、そんなことをすれば神国によってくじら王国内に流布されているであろう、同じ噂によって王国が帝国を疑うようになる。
本当に、警戒しなければいけなくなる。
「馬鹿なことを言うな! 国家の先を見よ、神門幕府が勢力を伸ばし、王国もまた北方諸国連合との戦いで勝利し、領土を広げようとしておる! ゆえに我らも強くならねばならない!!」
「女帝よ! 貴女こそ馬鹿なことを仰らないでいただきたい!! 神国戦での敗戦をまずどうにかしなければなりませぬ!! アップルスターキングダムと戦ってどうするのですか! 敵を増やしてどうするのです! 神国から帝国へ攻め上ってきたら? そのときに魔法王国と王国は本当に信用できるのですか? 条約破りの常習のようなくじら王国がどうして我らを攻めないと言えるのですか!!」
女王は反論できない。
転生者会議で話し合ったから、などとは言えない。そんなものは何の保証にもならない。
婚姻関係もなく、人質も取っていないゆえに、三国の絆は脆い。
いや、脆くはない。三国はお互いで争うことを損と思っている。だから侵略し合わない。
いずれ戦うにしてもそれは周囲の弱国を滅ぼしてからだ。これが一時的な同盟であることは当然三国の君主は理解している。
だから戦わない。
もっとも、それがわかるのは遠大な視点を持つ君主だからこそだ。
そして十二龍師のような、技術ツリーを認識し、技術の先があることを知った者たちならともかく、配下の土地持ち貴族たちは目の前しか見えていなかった。
(くそ、『絶対命令』を使うべきか……? いや、ここまで忠誠値が減っていると効かないか。だが連鎖して他の貴族が反抗する前に――)
「魔法王国が王国と手を結び、神国とともに帝国を攻めるという情報もあるぞ!!」
「なんだと! ならば我らから王国を攻めるべきではないか!!」
「まずは遺族への補償、遺体や遺品の返還。それと不戦条約を結ばねば!!」
ぐぅぅ、とイージスは内心で唸る。
強い君主でいられたのは、イージスが勝利し続けていたからだ。
だが負けた今、帝国は弱国への侵略よりもまず、国内を安定させるために神国と交渉を行わなければならなかった。