142 二ヶ国防衛戦 その13
神国領内の廃ビル地帯を突破中の人魔は、姿の見えない殺人機械と相対した瞬間、にやりと嗤って空へと手を指し示した。
自分たちが見えない敵から攻撃を受けているのは理解できた。
空から銃弾が降ってきている。見えないとは小癪で不思議な敵どもだが、知能ステータスの低い人魔にも理解できないものではない。
敵は、敵でしかない。
「空、壊セ」
その頭の中に敵が神国であるとか、罠であるとか、そういう考えはない。ただ攻撃を受けているから反撃をするだけだ。
権能『奴隷支配』を発動する。この場にいる一万二千の奴隷は全て彼がエチゼン魔法王国の女王より賜った、彼の所有物。
人魔が持つ『十二魔元帥』の権能は奴隷に対する支配率を高め、自らの意思を失わせることで戦いに対する恐怖を忘れさせ、一糸乱れぬ運用を可能にする強力な支配スキルだ。
一万二千の奴隷たちが、銃弾の降ってくる空へと向かって魔法のセットされたスマホを掲げ――ない。
「……? 言うコト聞かナイ?」
人魔はウィンドウを開いた。
彼のインターフェースは奴隷の扱いに特化している。奴隷の体調がどうとか、そういうことが表示されている。
もちろん知能ステータスが低い人魔はそれらを全て理解できるわけではないが、奴隷にかかった状態異常ぐらいは把握できる。
事前に注意しろと言われていた、神国が使う、混乱の神聖魔法『惑乱』だろうか? とかそういったことは考えないで、とにかく何が起こっているのだろうかとインターフェースを開いて――人魔は混乱した。
インターフェースには、彼がこの都市に突入する前の部隊情報がきちんと載っている。
そこに変化は何もなく、ただ命令系権能が使用不能になっているだけ。
頑丈奴隷たちは、事前に出していた人魔の命令に従って、空から銃弾を受けようとも黙々と走っている。
強力な物理耐性や複数持っているHP回復スキル、痛みを攻撃力に変換するスキルなどが発動しているように見えるが、人魔が開いている奴隷のインターフェースにそれらは反映されていない。
「止まレ!! トマれ!!」
人魔が状況に混乱したまま、奴隷たちに命令するものの、周囲の奴隷は立ち止まるが、人魔の声が届かない場所にいる奴隷たちは一切立ち止まることなく走り続けている。
このままでは全滅する、なんて考えは人魔の頭にはない。
SSRスキル『ジャガーノート』。そのステータス成長補正に知能項目はない。
HP、攻撃力、耐久力をとにかく上昇させるだけのこのスキルは彼から知能を奪っている。
命令が権能頼りだから伝令もいない。指揮系統も存在しない。スマホを開くも通信系が全て死んでいる。
とにかく整然と前へ進んでしまう奴隷たちを追いかけるべく、周囲の奴隷に走ることを命じた人魔は、自身が空中の何者かに銃で撃たれる段になって、ようやくこの場には、投石するための石すら落ちていないことに気づき「ガアアアアアアアアアアア!!」と吠えた。
――そんな彼らを、背後にいた魔法部隊による援護が救う。
◇◆◇◆◇
空が爆炎に覆われている。空から銃弾を撃ってきていた見えない敵が空間ごと焼殺され、破壊されていく。
高レベルの魔法が一帯を一瞬で焼きつくす様を見れば、魔法王国が名前だけの国家ではないことがよくわかる。
彼女たちがいずれ敵になるとしても、今は得難い強力な味方であることは帝国にとって救いだった。
「奴らも襲われているのか……」
自分たちと同様に。
先行する魔法王国軍もまた、姿の見えない敵に襲われているのだろうと自らの部隊である長槍歩兵部隊を率いる帝国の炎龍槍は考える。
「しかし、権能のいくつかとスマホが使えん」
飛んできた見えない殺人機械を伝令と指揮系統を駆使し、被害を五百名ほど出すも無事に撃退した炎龍槍は、損害を報告させては、紙に記録し、状況把握に努めていた。
何が起こっているのだろうという疑問はある。
しかし、三万の軍を率いながら殺人機械に襲われて逃げ帰りました、というのは帝国軍の将軍としてどうだろうという誇りがあった。
無能だと判断され、十二龍師の地位を奪われては目も当てられない。
(とはいえ、敵の規模によっては撤退も考えるべきだが……)
自分たちがこの場に来たのは殺人機械と戦うためではない、神国を滅ぼすためだ。
それに、女王からは『近代』で武装していない今は殺人機械たちと戦うべきではないとの忠告を受けている。
万が一、殺人兵器と相対したら魔法王国を盾にしてでも逃げ出せとも。
(最後尾の俺が撤退せんと他の奴らも撤退できんからな。その判断は迅速に――)
む、と自軍の背後がざわつく、また殺人機械か? と炎龍槍は嫌な汗が背中を伝うのを理解した。
だがどうにもこれは、タイミングが良すぎる。情報にあった偵察鼠とやらにも注意していたし、殺人機械が襲ってくる理由などないはずだ。
「そうか……神国め……伝令!!」
炎龍槍が叫べば、すぐさま伝令が駆けてくる。同時に自軍の背後から殺人機械が襲ってきたことを情報も入り、炎龍槍はそれみたことか、と大きく叫ぶ。
「おい! 白龍鎚のところに伝えてこい! 撤退するぞ!! 全軍撤退!!」
は? と疑問を浮かべた側近を含めた周囲の兵たちに、炎龍槍は大きく叫んだ。
「この廃ビル地帯は罠だ! 神国が、殺人機械をここに呼び込んで――」
――そこまでだった。
彼の立つ地面が、消失する。
帝国軍精鋭の長槍歩兵部隊を率いる炎龍槍は、数名の側近とともに、こうして戦場から消え去った。
「あ……え?」
周囲にいた兵が、将軍がいた場所を見れば、彼らが落ちた巨大な穴はもうそこにはなく、綺麗なコンクリートの道路がその場に残るだけであった。
スマホが機能停止したことでその情報は全体に伝わるのが遅れ、彼らは唯一にして最後の、撤退の機会を逃すことになる。
◇◆◇◆◇
神国アマチカの新兵であり『錬金術』スキルを持つツクシは、ドキドキとした気分でその場にいた。
年嵩の同僚たちと一緒に地下の一室にいる。横一列に並んだツクシたち九名の兵の前に、兵長であるタラノメが直立不動していた。
目の前には神童ユーリがいる。
彼は十二天座の使徒が使えるというウィンドウと呼ばれる権能で地上の様子を把握しているようだった。
「では、スマホが使えないので私から説明を……そういえばジャミングがかかってない状態のスマホは地下でも問題なく使えるんですよね。アンテナはどこに?」
「ゆ、ユーリ様。ほ、本題に」
隣に立っている顔を青くしたツクシたちの本来の上司に言われ、ユーリは、すみませんと言いながら、宝瓶宮部隊第二十五班の兵長であるタラノメに向き合った。
「タラノメ兵長。私は、今日のために『円環法』をどの部隊でも使えるように練習させてきました」
「は、はい。その、うまくできるかわかりやせんが」
巨体の兵士が、子供におどおどする姿を見ても、ツクシはもうあまり笑えない。
思い出すのは、最初の円環法で感じた、ユーリが持つ巨大なエネルギー。
他者のSPを容易く操作するその異能。
自分とユーリの差が、多少の頭の出来ではないと理解できたそのときから、ツクシにとってのユーリは、ほんの少しだけだが恐れるものに変化していた。
「大丈夫です。うまくやる必要はありません。いつものようにやってください。やったことのないことを命じているわけではないので。この地下の拠点を作ったそのときと同じことをするだけです」
いつもの、と言われても、姿は見ていないがこの地下の上に広がる地上には、帝国と魔法王国の兵がいるらしい。
神国が、祖国が攻められているのだ。ツクシは緊張しながらも、やる気になっている自分を感じる。
(それに地下……地下にいるんだよな俺たち)
各所に通気孔や風魔法使いが配置され、空気が淀むことがないようにされているが、言われて初めて、緊張から忘れていた息苦しさをツクシは思い出す。
そんなツクシを見て、ユーリが苦笑しているのが見えた。
反射でむっとして睨み返すように見てしまえば、ユーリがほんの少しだけ申し訳なさそうにしてみせた。
げッ、とした気分になるのと走ってきた兵長に頭を殴られたのは同時だ。
「ば、馬鹿お前!! すみませんユーリ様!」
「ああ、タラノメ兵長。いいんですよ。彼を侮辱してしまった私が悪い。すみません、兵士ツクシ」
――名前を覚えられているなんて、謝られるなんて……。
まさかユーリが自分のことを知っているなんて……。
いつも周囲から軽んじられているツクシからすれば、それは、思っても見なかったことだ。
「い、いえ、き、気にしてませんので」
慌てて兵長に殴られてぐらぐらする頭で言えば、そうですか、とユーリは気にした風もなく、では、と言った。
「円環法の準備をお願いします」
ユーリが兵に指示を出し、それでこの話は終わる。
『あとで覚えてろよ』
とはいえツクシにとっては終わりではなかったが。
兵長に囁かれて、ツクシは憂鬱な気分になりながら、そしてどこか喜びを感じながら、緊張した兵士が作る輪の中に入っていく。
この地下空間には、第二十五班の兵士十名とスライム輸送と同時期にきた『魔物使い』が三名と、諜報部隊が二十名いる。
とはいえ、もうその意識はツクシの中にはない。集中法を使い、スキルを励起させ、周囲の兵士と精神世界で繋がっていく。
「さて……ちょっと待っていてくださいね。目標が来るのを待つので」
待機状態になったツクシたち十名の兵にユーリが言ってくる。その間にもぐるぐるとSPが彼らの中を回っていく。
こんなに巨大なエネルギーを、どうして言われるまで自分たちは無意識に使っていたんだろう? とツクシは考えてしまう。
そしてこのSPの海の先にいる、女神アマチカは祖国の危機に、なぜ何も言わないのだろうかと?
でもきっとこの海を漂うツクシたち十人が、あの巨大な女神アマチカに声を掛けられたら、きっとそのまま流されて、意識はきっと戻ってこれないに――「目標が来ました。いきますよ」
瞬間、混ざってきたユーリが『錬金術』を発動した。
暴力的なほどの巨大なエネルギーの塊が、ツクシたちのSPを使って、この地下から地上へ向かって『還元』を行い、巨大な穴を開けたのがわかった。
何かが隣室のスライム部屋に落下する音。暴れる音。「落ちてきた! 帝国の炎龍槍とその側近!!」「魔物使い、スライムにSPドレインを使わせろ! 絶対に殺すなよ!」「やってます!!」「マジックターミナル自動起動確認、弱体魔法と気絶魔法で攻撃開始しています!!」「指輪、拘束具、人数分用意完了!!」との声が聞こえてくる。
だがツクシはそれどころではない。
「閉じます」
暴力的な錬金術が、自分たちのSPを根こそぎ使い、開けた穴を穴の周囲の土やコンクリートを『形成変化』させて塞いでいく。少し薄くなったが、物質固定が行われ、外見上は問題がなくなる。
「終わりました。円環法を終わって大丈夫ですよ。すみません、今回はいつもと違ってゆっくりでなくて」
「い、いえ……」
意識がぐらぐらとする自分たちの中で、唯一兵長だけが頭をふらつかせつつも、受け答えに成功していた。年の功か、熟練度の差か。
だが錬金術を使ったユーリはピンピンしている。
もちろん彼が一切SPを出さなかったわけではないことは理解できる。
おそらく、自分よりユーリはSPを消費していた。それでいてなおあの神童は一切揺らぐことなく立っているのだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
しかし、一体自分たちは何をやったんだろうか。穴を開けて、閉じただけ?
自分は何に貢献したんだろうか?
ユーリとベトンが去り、第二十五班の兵士十名だけが残る地下の一室には、疲労した兵士の息遣いだけが残っていた。