139 二ヶ国防衛戦 その10
旧千葉地域を領有するニャンタジーランド。
その領内から旧埼玉を領有するくじら王国へと繋がる道中に存在する平野、通称『這いずり平野』にてくじら王国兵三千の投降が行われていた。
王国兵の顔は涙に濡れ、悔しさはあるものの、神国兵への敵意は少ない。
十二天座である獅子宮が正面から地霊十二球たる武烈クロマグロを破ったためだ。
ここで負けた言い訳をすれば、それは正々堂々と一騎打ちで戦ったクロマグロの顔に泥を塗るようなものだからであった。
「獅子宮、我らは歩兵どものように、縄で縛らないのか」
そのクロマグロは愛馬を侍従に任せ、王国兵の降伏を受け入れる獅子宮の隣に立ち、話しかけていた。
武器は持っていないが、拘束もされていない。
王国側の代表として降伏作業で神国が王国に無体を働かないか監視する立場であった。
そのクロマグロの目に映るのは、武器を没収され、指輪を嵌められただけで何もされない部下である王国騎兵の姿だ。
愛馬からも引き離されない。騎乗することは許されなかったが、引き離されることもないようだった。
先に降伏した王国兵は縄で繋がれていたが、どうやら王国騎兵には相応の待遇が与えられるらしい。
「てめぇらは別に俺らに対する恐怖で降伏したわけじゃねぇんだろ。一騎打ちに納得して降伏したんだろうが。降伏が嫌ならまぁ、改めて殺すしかねぇが……別に好きで死にたいってわけでもねぇんだろ?」
ゆっくりと頷くクロマグロに獅子宮はおう、と笑いかける。
「安心しな。不便はさせるが、てめぇ以外の王国兵は王国側との身代金交渉で返す手筈になってる。てめぇも……まぁ、くじら王国の君主次第で返さねぇでもないだろうさ」
獅子宮は知っている。『教化』にも限界はある。知能値の高さ、つまりは宗教に対する深い理解を独自に得ているものなどには、どうしても教化が通らない場合がある。
それに王国も馬鹿ではない。
宗教系国家が持つ教化対策に神学ツリー内の『邪教の刻印』や『偶像崇拝の禁止』などの技術ツリーを開発し、女神アマチカを異端や邪神とすることで教化への抵抗力を上げている。
もちろん長い時間を掛けて教化を行えば、改宗させることも不可能ではないが……とはいえ三千名もの捕虜を拘束し続けるコストは馬鹿にはならない。
おそらくクロマグロ以外の騎兵は身代金を代価に返還されることになるだろう。
そのクロマグロも、魔術契約付きの(王国にとって屈辱的な)不戦条約などで返還されるはずだ。
――もちろん神国はくじら王国がそれを呑まない場合も想定しているが……。
次の大規模襲撃までニャンタジーランド内の開発を行いたい神国としては、くじら王国と停戦することに大いなるメリットがあった。
「……おそらく、陛下は……」
そんな神国の事情を知らないクロマグロが何かを言いかけ、口ごもった。
何かを言いたいが、言えない、という苦しい顔をするクロマグロの目に、自らの指にはめられた指輪が見える。
「い、いや、そういえばこの指輪はなんだ?」
沈黙の後に、クロマグロの口から放たれたのは獅子宮への問いだ。
獅子宮は敗戦のショックで未来への不安があるのだろうと、その話に乗ってやる。
「さっきも説明したが『呪い』つきの『スキル封じ』と『脱力』の指輪だ。つけたら俺たちが解呪するまでは外れねぇよ」
「なんだそれは? いや、わざわざ三千人分用意したのか? 戦う前から捕虜にすることを想定していたのか?」
驚くクロマグロに、獅子宮は「たまたまだ」と言った。
「たまたまうちのところの神童によ、山賊を捕獲するときに往生際の悪い山賊がスキルを使って逃げようとするのをどうにかできねぇかって相談したら、奴も兵の暑さ対策に、スキルを付与した装飾品が作れねぇかって話をして」
「そうではない。そうではないぞ獅子宮」
「……なんだよ?」
「付与装備ぐらい、うちでもやっている。装飾品ぐらい当たり前に用意する。そうではないのだ獅子宮。三千名分も、この場にお前はなぜ持ってきた」
「あ? いや、そりゃ、便利だからだろ。うちの兵がこっちで活動する際の基本装備だ。だから、まぁ、たまたま持ってきたんだが……」
言いながら押し黙る獅子宮。なにか心当たりがあるようだった。
特に意図したものではない、という獅子宮の様子にクロマグロは背筋にひやりとしたものを感じる。
きっとこの指輪がなかったら縄で縛っただけのはずだ。騎兵の多くも安全のためにそうしたかもしれない。
そしてそれを屈辱に感じ、スキルで逃げ出す騎兵が何人か現れ、神国はその兵を殺す手間をかけたはずだ。
――だが、それは行われなかった。
呪い付きとはいえ、装飾品という形が、ある種の満足感を王国兵に与えた。
さらにいえば、この指輪を解呪する手段を有しているのが、神官を多く抱える神国にあるということも大きい。
ここから無事逃亡しても、くじら王国に戻って指輪を外すには王国所属の聖職者に多くの献金をしなければならないだろうから、王国兵はスキルを封じられたまま逃げ出そうという気にはならない。
これはそれだけの話で、そう大きなものではない。
降伏が穏やかに行われただけのことで、これ一つで情勢は変わらない。
だかこの道具一つに、先を見通した者が行った細やかさをクロマグロは見つけ、神国の異物を見つけた気分になる。
(……何を、どこまで考えている。神国は……?)
クロマグロは、自分が負けたのはその異物が原因か? と考えた。
クロマグロが想定していたのは、昔の神国だ。
大規模襲撃に怯え、外交で頭を下げ、王国に媚びへつらっていた神国だ。
だから処女宮や巨蟹宮がニャンタジーランドに乗り込んだという話を聞いた時点で、疑うべきだったのだ。
それらは、以前の神国では天地が逆さになろうともできなかった行動だ。
(しかし……神国は思ったより豊かなのか……)
スライムもそうだったが、クロマグロは自分の指にはめられた指輪を撫でた。
馬具の製作に関わったことでクロマグロもアイテムの生産事情には少々だが詳しい。
金属をこうした指輪の形に形成することはそう難しくないが、『スキル付与』が可能な『指輪』を作るのには、錬金や彫金などの生産スキルを使う必要がある。
アイテムの生産には、一定の成功率を乗り越える必要があるのだ。
もちろん失敗すればアイテムの素材は消失する。
(捕虜に壊されないためだろう……この指輪は鋼鉄でできている)
素材が鋼鉄の上に、力のステータスを下げる『脱力』がかかっているこの指輪を破壊することはクロマグロであっても難しいだろう。
見れば神国兵の装備も鋼鉄で統一されていた。
三年前まで王国や帝国に土下座外交をして鋼鉄装備を手に入れていた国とは思えないほどの充実具合である。
(俺は、目が曇ってたな……神国を侮らず、きちんと装備を確認すべきだった)
それで勝てたとは思わないが、少なくともこれらから油断ならない敵だということは理解できたはず――待て?
「……獅子宮……」
「なんだ?」
降伏した兵の収容を眺めつつ黙り込んでいた獅子宮だったが、クロマグロの言葉にすぐさま気分を切り替えて応えてくれる。
「……これは『呪い』と『スキル封じ』と『脱力』の付与がされているのか?」
「ああ? そりゃそうだろ。なんだよ今更」
「俺だけでなく、全員分か?」
「そうだよ。そうじゃねぇと意味がねぇだろうが」
呪いが掛かっていなければいつでも外せるし、スキルが封印されていなければ意味がないし、脱力がなければ高レベルの兵には素手で破壊されかねない。
だからこの指輪には三つのスキルが与えられている。
そして、そのスキルを付与できるだけの容量がある指輪をベースにして作られている。
――少なくとも小国の財源では作れない代物だ。
クロマグロは獅子宮の全く自慢げでない様子に困惑した。
三千名もの高レアリティの指輪に、三つもスキルを付与して、それを自慢しないのだ。
付与にも法則がある。王国の精鋭騎馬部隊が『浮遊』と『騎兵加速Ⅲ』のスキルを馬具に両立させなかったのは、しなかったからではない。できなかったからだ。部隊全員にその二つを両立させた馬具を与えることができなかったからだ。
――スキル付与にも、成功率は存在する。
低レアリティのスキルを付与することは難しくないが、高レアリティのスキルの付与は困難だ。
そしてスキル付与の失敗にも危険がある。
武具が破損する危険だ。低確率だが、スキル付与に失敗した装備は破壊される危険がある。
一騎打ちに使用されたクロマグロの装備は特別製だったが、その危険があるために、多くのスキルは付与できなかったのだ。
――獅子宮の装備には、スキルがどれだけ付与されていたのか。
だが、この指輪が三千個用意されていたならば……それはつまり、そういうことなのだろう。
「……く、くくく……」
「なんだ、クロマグロてめぇ……あ、いや、負けたのはショックだっただろうが……」
「そうではない。そうではないぞ獅子宮」
あ? とクロマグロに精神治療を施すか悩む獅子宮に対し、クロマグロは天を仰いだ。
――鯨波王よ、もはや貴方への忠誠はない我が身ですが……。
どうか、神国に挑むならばこの武烈クロマグロの失敗を生かし、神国の異物を見つけ、排除してからにすることを祈っておりますぞ。
◇◆◇◆◇
「クロマグロが負けた。捕まった。馬も兵糧も攻城兵器も爆薬も取られた」
くじら王国首都、その王城にて君主たる鯨波は玉座にて、王国宰相たる『宰相ゴマサバ』に語っていた。
「どうされますか?」
老人であるゴマサバの問いに鯨波は唸るように言う。
「クロマグロの家族を王城前の広場に吊るせ。降伏したクズどもの妻子を奴隷商に売り払え、財産は没収。北方諸国連合に勝利した奴らへの報奨に回す」
「了解いたしました」
宰相ゴマサバは止めない。妥当だとは考えていない。やりすぎだな、ぐらいには考えている。
だがこの癇癪持ちの君主の頭を冷やさせるにはある程度鬱憤を晴らさせる必要があった。
敗北したクロマグロはそれに適任だろう。
「北方諸国連合に送った大将を呼び戻せ、兵の補充をして、今度は三倍の三万で攻める。ニャンタジーランドは必ず落とす。いいな?」
ニャンタジーランドと同時に、くじら王国は北方諸国連合と先端を開いていた。
「……北方諸国連合が心配ですが……」
「奪った砦に兵詰めとけ! 戦ってわかったが奴らは雑魚だ! 奴らの兵五万に対してこっちは三万で圧勝したんだぞ! それより早くしねぇと神国を潰した帝国と魔法王国にニャンタジーランドを取られちまう!!」
「それもそうですな……」
王国宰相が兵糧や指示をどうするか考える中、鯨波のスマホが震える。
うるせぇ、と思った鯨波だが、その通知に眉をひそめた。
「なんだって?」
君主の怪訝そうな様子に、宰相ゴマサバは「どうされましたか?」と問いかけた。
鯨波の顔は、ゴマサバが初めて見るものだ。
――鯨波は、困惑していた。
しばらくして、鯨波はスマホから顔を上げ、ゴマサバに向かって告げる。
「七龍帝国、エチゼン魔法王国の連合軍三万が神国アマチカ相手に敗北したそうだ」
鯨波の算段には、王国軍を潰した神国一万二千が帰国して神国首都アマチカを包囲する連合軍と対峙するところまで考えられていた。
ニャンタジーランドを潰し、王国兵三万でその背後を叩き、捕獲されたクロマグロを奪還してクロマグロからスキルと権能を奪うところまで考えていた。
言葉を失っている宰相ゴマサバは、少し考え、恐る恐る鯨波に問いかける。
「クロマグロが敗北した、スライム戦術とやらですかな?」
物理無効と魔法無効スライムを用意すれば不可能ではないだろう。
ただし帝国にはスマホ魔法があるし、魔法王国も近接戦闘ができないわけではない。
鯨波は首を横に振った。
「詳細はわからねぇが、インターフェース表示だと、連合軍が消滅したそうだ」
何が起こっている、と鯨波は呟き、そうしてから思い出したように宰相に告げた。
「神国と不戦条約を結べ。北方諸国連合を潰してから奴らを潰す。奴らは数で殺す」
もはやその発言に、怒りの気配はない。
神国の不気味さに、暴君たる青年王は警戒を強めていた。