138 二ヶ国防衛戦 その9
昼日中から始まった神国と王国の戦いは、夕方になっていた。
夕陽が平野を赤く染めていく。
――だが戦いはまだ終わっていない。
神国軍一万二千とスライム三千弱、降伏した王国兵千五百。そして神国兵に包囲された王国兵千五百がまだ戦場には残っていた。
丘の麓に散らばる、馬の死骸や破損した王国兵の装備がこの『這いずり平野』で起きたことを端的に示している。
――そして神国の兵によって決闘の場が作られた。
土地が綺麗に整えられている。そこで代表の戦士二人が戦うのだ。
君主であるクロの目として、この戦場に精鋭獣人部隊一千名を率いてきていた、ニャンタジーランド十二剣獣が一人、二代目『ウルファン』はあれこれと準備が進められている決闘場を見ながら、傍らの副官に問いかけた。
彼の脳裏には空を赤く染める炎の玉が鮮烈に記憶されていた。
「……なぁ、俺らもこれからあんな戦いに参加しなくちゃいけねぇのかな……」
こうして幹部として取り立てられた彼だが、口調にも顔にも幼さが宿っている。
もともと二代目ウルファンは人狼族でも若手の猟兵だった。
猟兵とは索敵や狩猟に特化した兵だ。兵の痕跡を探ったり、隠れたり、追い掛けたりと正面からではなく搦手の戦闘を得意とする兵である。
そんな猟兵である二代目ウルファンは、ニャンタジーランドでも数少ないSSRスキルである『神狼の弓』の持ち主だ。
もっとも就任する前はただの一兵卒だったが。
SSRスキルを神より授けられたことで調子に乗った彼が、先代のウルファンから生意気だと疎まれ、ろくでもない雑務ばかりを任されてきたからである。
このまま腐ったまま死ぬのかと絶望していたところで、先代十二剣獣の処刑があった。
SSRスキル持ちということで『ウルファン』という王国の重鎮にされたはいいものの、若造でしかない二代目ウルファンは部隊の運営や政治など右も左もわからなかった。
そんな彼に付けられたのが今彼が問いかけた、先代ウルファンに疎まれていた老兵である。
「わかりませんな……しかし、まさかあのくじら王国が何もできずここまで追い込まれるとは……」
その老兵も落ち着いた風情は見せているものの、神国と王国の戦闘の規模に緊張しているようだった。
とはいえ務めは果たしている。この老兵の勧めに従って二代目ウルファンは先程、退路を警戒していたくじら王国の偵察騎兵を排除したのだ。
とはいえ、それが正しかったのかはウルファンにはわからない。
神国が勝つと決まったときにニャンタジーランドが何もせずに見ていたとなれば、二代目ウルファンの立場がまずいことになると忠告されたから従ったのだ。
だが、そのせいで神国の巨蟹宮が戦いの前に、獣人部隊が安全に見ていられるようにとかけていた『埋伏の計』が解け、彼らの姿は丸見えになっていた。
「……しかし、一騎打ちか……こんな規模の戦いでもちゃんとそういうのはするんだな……」
「そうみたいですな……くじら王国の将に対する慈悲でしょうか?」
「なるほど。神国の奴らも男の戦いってのがわかってんだな」
わかったように頷く二代目ウルファンに、周囲の若い獣人兵もうんうんと頷いている。
ウルファンは忠告役の老兵以外の側近は若い知り合いの兵で固めていた。
何しろある程度の歳以上の兵はウルファンの言うことを聞かずにあれこれと口うるさいことを言うから使いにくいのだ。
上に立ったのだからそこはうまく使わないといけないと思いながらも、やはり言うことを聞かずに舐めたことを言うから度々ウルファンと兵たちは喧嘩になっていた。
だが神国の巨蟹宮によってダンジョンでレベルを40にまで上げられたウルファンだ。
うるさい古参兵たちはレベル差によって強引に叩き伏せ、そのあとは文句を言わせていないものの、やはりなんだかんだと使いにくい。
そのうち仕事を任せられる使徒も選ばないといけないし……などとウルファンが考えている間にも、決闘の舞台に神国側から戦士が出てくた。
――神国アマチカ十二天座『獅子宮』。
神国の兵たちの間を抜けてくる年若い偉丈夫、獅子の如き鬣のような髪に、獣の如き鋭い切れ長の目の美形の男だった。
とはいえ、優男というわけではない。膨れ上がった筋肉に、身体にいくつもついた傷は彼が歴戦の戦士であることを示している。
金糸や銀糸で装飾された宗教色のある武道着は彼の枢機卿服だろう。
「おお、かっけぇ……」
この戦いの前までニャンタジーランド国内で山賊や盗賊退治をしていた獅子宮は獣人の間でも人気が高い。
それに獣人は強い男が好きだからだ。
二代目ウルファンは、獅子宮と自分はレベルが同じぐらいだと聞いているが、あの男と正面から戦って勝てる自信は湧いてこない。
積んでいる経験が違うのだと素直に理解できる。
(でも、先代のウルファン様も……同じぐらい怖かったな)
二度の大規模襲撃を凌ぎ切った、獣人でも最高の戦士の一人が先代のウルファンだった。
いや、十二人の幹部全員がニャンタジーランド国内の各分野のトップだったのだ。
(でも、そんなウルファン様も殺されちまった……)
そんな英雄たちをあっという間に処刑したクロ様がウルファンは恐ろしくて仕方がなかった。
二代目ウルファンは先代が処刑されて次代のウルファンになった彼に対し、王国の商人が貢ぎ物を持ってきたことを思い出す。
当然受け取らなかった。そのままクロ様にそいつを突き出したのだ。その商人がどうなったのかは知らない。
ただ、この戦場の結果を見れば、それは間違ってなかったのだとウルファンは理解する。
(だが、くじら王国だって弱くないよな……)
そう、けしてくじら王国は弱くない。
数の少なくなった騎兵たちの間から一人の騎士が出てきて、ウルファンはそうだよ、と内心で頷いた。
――王国の騎兵はけして弱くないのだ。
その男の纏う威風を見て、ウルファンは尻尾の毛がわざつくのを感じた。
それはひと目で他のバトルホースとは違うと感じられる、特別な馬に跨った巨体の騎士だ。
――くじら王国地霊十二球『武烈クロマグロ』。
鋼鉄の全身鎧を身に纏いながら、まるでそれを身体の一部に見せるほどの威風の持ち主。
手にした大槍は全て鋼鉄で、二メートルはあるだろう。だがそれが小枝に見えるかのように馬上で軽々と振るい、決闘場へと入ってくる。
「兵ら、刮目せよ!! これより王国と神国の戦い、その行方が決まる!!」
『拡声』のアビリティを使ったのだろう、集まった兵全員に声が届き、それに応じた歓声が神国側から響く。
王国兵も歓声を負けじと上げるが、一万二千名の歓声は地を揺るがしてそれを掻き消す。
神国側が用意したのだろう。
決戦場には篝火が焚かれ、両軍の兵士がまるで祭りの見世物か何かのように囲っていく。
神国の人間に誘われ、ウルファンもその輪の一部に入っていく。部下が椅子を用意しようとするが、ウルファンは断った。
「警戒は忘れるなよ。決闘も重要だが、終わったあとに王国軍がどう動くのかわからねぇんだ」
見世物のように見えるが見世物ではない。まだ戦争は続いているのだ。
そもそもが不戦条約を破って侵入してきた王国側が、勝ったところで約束を守るのかわからない。
せっかく囲んだのだから、一騎打ちなどせずにあの圧倒的な炎の玉で焼いてしまった方がいいのではないか?
――そもそも王国に慈悲を与える必要があるのか?
(戦士の心意気はいいけどよ、神国の奴ら、ちっと甘すぎねぇか?)
ニャンタジーランドでの貧民に対する炊き出しだの、自分たち幹部へのレベル上げの手伝いなど、神国はどれだけお人好しなのかとウルファンは思いながら、せめて俺がしっかりして甘ったれの神国の奴らを守ってやらねぇと、と気合を入れるのだった。
◇◆◇◆◇
「一騎打ちの申し出、感謝する」
「そっちもこのままじゃ腹のうちが鎮まらねぇと思ってよ」
バトルホースに跨ったクロマグロと獅子宮が挨拶のように言葉を交わしあった。
クロマグロが気合を入れるように鋼鉄長槍を振るえば、弱兵の一人や二人、簡単に飛んでいきそうなほどの風が巻き起こる。
なにかしらの効果が付与されているのだろう。
だが獅子宮の拳に装着された鉄甲もまた付与がされているのか、獅子宮が拳を打ち付ければ炎を周囲に撒き散らした。
「てめぇのその馬、殺しちまったらすまねぇな」
「構わん。それをさせぬのが良き騎兵というもの。それに俺も謝っておこう」
「あ?」
獅子宮が怪訝そうな声を上げた瞬間、開始の合図が響く。
「何もさせずに、負かしてしまうことをなぁッ!!」
瞬間、クロマグロが乗る馬が音もなく駆け出した。
それは決闘場の外でこの戦いを見る、多くの兵たちの目でもレベルの高いものがようやく捉えきれる加速だった。
SSRスキル『騎王』を持つクロマグロとその愛馬たるバトルホース『タイセイヨウ号』による、『騎兵加速Ⅲ』『馬上突撃』『俊敏強化』『高速移動』『ダッシュ』『人馬一体』のあわせ技だ。
「必殺! 『カジキ旋風』!!」
そしてクロマグロによって、各国の幹部級が持つ固有の必殺技が放たれた。
必殺技――強力すぎるがゆえに一日に一回しか使えないスキルだ。
高速移動するバトルホースに乗ったクロマグロの周囲に刃の幻影が出現し、周囲全てを切り刻んでいく。
カジキ旋風――それは移動している限り、所持する武器の攻撃力に応じた幻影の刃を周囲に発生させ続ける技である。
武烈クロマグロをモンスター相手の戦闘で無敵にした必殺スキルであった。
「ちぃッ……!!」
剛槍を振り回しながら駆け回るクロマグロに対し、獅子宮は防戦一方になる。SRスキル『武僧』が持つ様々な防御系パッシブスキルや、『枢機卿』の職が持つ高い耐久力、武道着についている『自動HP回復』が体力を回復させるもじりじりとHPを削られていく。
しかし高速で駆け回る無敵の敵将に対し、獅子宮には打つ手がない――否、獅子宮の視線が懐に向かう。そこにはマジックターミナルがある。わざわざ置いてくる意味がないと持ってきたものだが……これでとにかく反撃すれば……しかし、獅子宮は使わない。
これは一騎打ちだ。ここでユーリが作ったものに頼るのはまた別だと獅子宮の心が頼ることを否定したのだ。
「たまには、大人のいいところを見せてやらねぇとな」
「何をごちゃごちゃ言っておるかッ! 神国の勇士よ! 我が王国騎兵の強さを味わって死ねぃ!!」
幻影の刃に切り刻まれる獅子宮に向かって真正面から突撃してくるクロマグロ。
バトルホースの馬蹄に轢かれるか、クロマグロの剛槍に貫かれるか……んなわけねぇだろ、と幻影に切り刻まれながら、獅子宮は目を大きく見開く。
「おらぁッ!!」
「ぬぉッ!?」
クロマグロの振り下ろした槍の刃が獅子宮の拳によって跳ね上げられた。
武僧クラスが持つ初期スキルの一つ『パリィ』。敵の攻撃を手にもった武器で弾き落とすスキルである。
集中法などの技法では成功率を上げられない近接スキルであるこれは、使用者の感覚と経験が成功率を決定するスキルである。
無論、高速突撃してくる歴戦の武人の刃を弾くには、同じく歴戦の武人でなければできない絶技であった。
「へッ、殺人機械どもの銃弾よりはおせぇなッ! おらぁッ!!」
攻撃をスカされたクロマグロの身体が揺れ、その隙に『ローキック』を獅子宮はバトルホースに叩き込む。微弱な停止効果を持つ武僧スキルだ。大したダメージは入らないが馬の足が止まる。
――『カジキ旋風』の効果が、幻影の刃が消える。
「おらおらおらおらおらぁッ!!」
足が止まったクロマグロに対し、獅子宮が連打を浴びせていく。『ショートパンチ』『雷速ジャブ』『蹴り上げ』『連続パンチ』『飛び膝蹴り』などの格闘スキル。
それらの攻撃を鉄甲と武道着に付与された『格闘強化』や『拳武器強化』に加え『炎属性付与』が補助していく。
さらに獅子宮のスマホには大量のパッシブスキルがインストールされている。
獅子宮とクロマグロはレベル差は大きくない。だがバトルホースという強力な魔獣に騎乗し、『大将軍』の職を持つクロマグロと『枢機卿』の獅子宮では基本的な戦闘用のステータスに差が存在する。
だがそれを多くのパッシブスキルが埋める。戦力差は勝敗がわからなくなるぐらいに縮まる。
「ぐ……貴様、やるではないかッ!!」
だがクロマグロも負けていない。馬上から次々と剛槍を振り落とす。『鋼鉄徹し』『三段突き』『雷槍』。王国を脅かす多くのモンスターをこの剛槍で倒してきたのだ。絶対に勝ってみせるという鋼の意思がそこにはあった。
――戦いは激化し、陽が落ちていく。
焚かれた篝火によって、決闘場は赤々とした炎によって照らされていた。
クロマグロの乗るバトルホースは獅子宮が途中で放った無属性範囲必殺技『獅子咆哮』によって倒れている。
運良く死にはしていないが、この決闘の間に起き上がることはないだろう。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
地上に降りたクロマグロと獅子宮は対峙しながら荒い息を吐いていた。
意地と意地の張り合い、兵たちは将軍たちの一騎打ちを固唾を呑んで見守っている。
「……クロマグロ、てめぇ、やるじゃねぇか……」
「獅子宮、貴様もな……」
ふ、ふふふ、とクロマグロは笑っていた。
お互いSPは尽き、槍は壊れ、鉄甲は砕け散っている。
すでに勝負は拳と拳をぶつけ合うところまで至り――そしてクロマグロの巨体が地面に倒れた。
王国兵たちから嘆きの声が上がる。
神国兵たちが歓声を上げた。
獅子宮の勝利だった。
「……卑怯とは言うまいな……」
獅子宮の言葉に、クロマグロは地面に倒れつつも返答する。
「いや、一騎打ちだ。槍が壊れる前に攻めきれなかった俺が弱かっただけのこと」
すっきりしたような、そんな口調だった。
「……だが……悔しいなぁ……ああ、負けてしまった……」
――勝因は回復手段の有無にあった。
確かにクロマグロは強かった。だが、回復魔法を持つ獅子宮はHPが大きく目減りすれば回復をすることができた。
クロマグロの『騎王』と『大将軍』は強力な攻撃ステータスを与えるが、HP回復の手段を持たない。
クロマグロが駆るバトルホースを排除した獅子宮はクロマグロの強力な攻撃を『武僧』のパリィや防御スキルで回避しつつ、SP上限の高い枢機卿の持久力で、クロマグロのSPが尽きるまで粘ったのだ。
だがその後も尋常ではない粘りを見せたクロマグロによって、獅子宮のSPも枯渇寸前にまで追い詰められた。
そして獅子宮がスマホに目を落とせば、多くのパッシブスキルを発動していたスマホの電力はギリギリまで消費されている。
「……もう少し粘られたら、負けてたのは俺だったかもな……」
獅子宮が空を見上げれば、星が瞬いているのが見えた。
歴史書において『這いずり平野の戦い』と呼ばれることになる戦いは、このようにして終わりを迎えたのだった。