119 ニャンタジーランドでの生活その2
「すこぴん、どうだった?」
「すこ、ぴん? 処女宮、なにそれ?」
「あだ名だよー。すこぴん、可愛くない? あ、私のことはヴァルちゃんって呼んでもいいよ?」
言いながら、千花こと天国千花は机の上に置かれたクッキーを咥えた。
「処女宮、変わったね」
天蝎宮、ローブで全身を隠した神国の諜報担当の十二天座は机の上に音を立てないように書類を置くと「調査結果」と言葉少なに呟く。
「そう? 変わったというか、のびのびやってるだけだけどねー」
言いながら書類の束を嫌そうに摘んだ千花は、自分が変わったのではなく、考えなくてよくなっただけだと内心で呟いた。
ユーリが使徒になる以前の千花は十二天座全体に加え、国民の信仰ゲージの維持に腐心していた。
だからこのように自分を表に出すことは避けてきた、女神の託宣を告げる装置としての役割に腐心してきた。
――目覚まし時計があれこれと口を出してきたら果たして人はそれを好きになるだろうか?
否だ。だから千花はごく少数の人間以外とは深い関わりを持ってこなかった。
託宣の巫女としての役割に専念することで国家の運営を行ってきたのだ。
「処女宮、今すごく仕事してる」
「え? し、してたよ。今までも」
「本当に?」
「してたって、ほんと。ほんとにね? ほら『宝瓶宮よ、女神は農業技術の開発を望んでいます』ってね?」
千花が以前の処女宮のような口調で託宣の振りをしてみれば天蝎宮がくつくつと笑ってみせた。
それに笑い返しながら、この仕事はまぁ楽だな、と千花は内心のみで呟く。
千花が今回、自分から動いてるのは役割が明確だからだ。
ユーリの要求は単純明快で、千花の得意分野でもあったから。
そう、答えの出ない問題を解決しなければならない神国全体の運営などとは全く違っている。
猫耳娘の首を縦に振らせればいいだけなのだから。赤子の手をひねるより簡単なはずなのだ。
「で、天蝎宮はすこぴんって呼んでもいいのかな?」
「好きにして……ヴァルちゃんとは呼ばないけど。じゃあね」
千花がひらひらと手を振れば、天蠍宮は影に溶けるようにして姿を消していく。
SRスキル『暗殺者』のアビリティだ。影に潜って移動ができる。ただし索敵スキルなどの探索スキルの影響は受けるから無敵ではない。
ただし、十二天座の権能によって天蝎宮の能力は拡張されている。
彼女に限って言えば、暗殺者スキルの弱点を時は選ぶが消すことができた。
天蝎宮の権能の一つ、一日一回、一時間限りだが探索スキルを完全遮断して自身の存在を完全に消すことができる権能『ワンタイムジャマー』。
暗殺者に相応しい、強力な能力だ。
ただし、索敵を完全遮断できるとはいえ、一日に一回しか使えないのできちんと機会を狙わなければいけない権能でもあった。
調査をします。権能を使いました。対象は一時間ずっと無言で仕事をしていました、では困るのだ。
だから下準備をし、対象がいつどこで誰と会うのかなどを突き止めてから天蠍宮は使用している。
その結果が今回、千花が渡された書類だ。
――十二剣獣全員の調査書。
誰が神国の敵で、誰が神国の味方で、誰が中立の立場なのかが書かれた重要書類である。
天蝎宮が纏めた書類を千花は眺めて、眉をしかめた。
「めんどくさ……」
半分以上内容はわからないが、流し読みして概略だけ理解を得る。
そうしてから千花は壁に立ってぼうっと千花を見ていた少女を呼びつけた。
「キリルちゃん。これ、読んで」
「……へ? 私、ですか?」
テーブルに投げた書類を指差せば、キリルはわたわたと近づいてきて表紙の機密の判を見て顔を青ざめさせた。
「そ、読んで。覚えて。そのうえで私たちはどうすればいいと思う?」
「え、えええええええええ!? わ、私が考えるんですか?」
「そう、キリルちゃんが考えるの。私、考えるのやだし」
「わがまま言わないでくださいよぅ」
十数日の付き合いだが、キリルは千花の子供っぽい行動に慣れたかのように頭を抱えながら書類を読み込み始める。
千花はこれでも国のトップの一人だ。敬虔なる女神アマチカの信徒であるキリルは、神国の幹部である処女宮に命令されれば従わなければならない。
たとえ八歳の子供であっても。
――ただの戯れだ。そこまで期待はしていない。
顎を撫でながら千花は自分よりも小さな子どもであるキリルを冷たい目で眺めた。
この部屋にいるのは天蝎宮が消えて以降、千花とキリルだけだ。侍女はいない。
身の回りの世話をさせるために信仰ゲージの高い人間を連れてきたが、千花はそこまで人間を信用していなかった。
というより信仰ゲージはそこまで便利なものではない。
同僚の十二天座が処女宮の弱みを握りたいと考えた場合にはうまく働かないことも多い。
対象が、処女宮の弱みを握ることが神国の強化に繋がると考えた場合、信仰ゲージは役に立たないからだ。
そういう意味で双魚宮から借りてきた侍女たちは信頼に足る存在ではない。
ゆえにこの異国での身の回りの世話を千花はキリルに任せている。
(さて、この子はどう判断するのかな?)
ユーリが目をかけるのだからキリルには何かしらの才能があるのだろうと千花は思っていた。
――それに千花は自分の判断を信用していない。
ニャンタジーランドの君主であるクロは落とせる。その周囲の幹部にも自信はある。
結局のところ、対人関係は力関係が重要で、千花はクロの首根っこを食料供給によってがっしりと掴んでいるからだ。
不戦条約の期限が切れるまで時間もそれなりにあるし、あれこれと手を尽くせば弱気なクロなら押し通せるだろうと千花は楽観視している。
だけれど、それは相手がニャンタジーランドだけだった場合だ。
(くじら王国の動きっていうのがわからないなぁ)
千花にはそこまで深い洞察はできない。説明をされたからくじら王国がこちらに工作を仕掛けてくる理屈はわかる。
クロが狙い目なのもだ。
ただ具体的にくじら王国がニャンタジーランドでどんな動きをするのかはわからない。
(とりあえず十二剣獣に賄賂でもなんでも送って取り込む。で、えー、周辺住民は炊き出しで味方についたから……もうちょっと範囲広げてもな。クロにはほどほどに苦しんでもらう必要があるから、あんまりやりすぎても駄目)
クロの統治の手伝いはしない、と結論づけてから、まぁ、十二剣獣の方から神国のお茶会は楽しかったと報告を入れさせるか、と千花は楽しげに口角を釣り上げた。
自分がこういう立場にいるからわかるが、高位の立場に立っているとなかなか贅沢ができない。
むしろ率先して倹約に務めることで国庫の負担を減らしたいと考えてしまう。
何しろインターフェースとやらは正確な数字で明確に自分の国の窮地を教えてくれるからだ。
――金貨一枚が血の一滴なのである。
自分の目の前の皿から高級肉の一枚でも減らせばそれが兵一人の食料となるのだ。だったらそうそう贅沢はできない。
そんなクロを贅沢三昧の神国に呼び込んで、肉だの魚だのでぶん殴れば……とそこまで考えて千花は自分が思い違いをしているのではないかと……――あれ? これならユーリくんでも別にできたんじゃ?
「処女宮様」
「はい、なんでしょーか!」
切り替える。まずはキリルの考えを聞こうと千花は姿勢を正してみた。
別に本気ではない、お遊びだ。子供の言うことである。相手は八歳児。真面目に聞くふりだ。
「ええと、まず十二剣獣の方の不正を追求すべきではないでしょうか」
「うん? 帝国から賄賂を貰ってる人ね。じゃあ、どうやって?」
「クロ様に言えばいいと思います」
「それは……うーん」
真っ直ぐな意見だ。いじめをしている生徒を見つけたから先生に告げ口をするべき、というまっとうな意見。
ただしクロが配下に強く言えない、という前提をキリルは知らない。
とはいえ、千花はその意見を退けることができなかった。
この意見は、ユーリからは絶対に出ない意見に思えたからだ。
そうだ、ユーリは十二剣獣の説得などしないだろう。利用はするかもしれない。ただ、こういう正しいやり方をあの少年はしない。
彼は不正を認め、諦める。そのうえで不正をできない構造を作ろうとする。
――あの少年は根本的に人間を信じていない。
だからこそ頼りがいがあるのだが……さて、と処女宮は顎を撫でてみた。
自分の先程までの計画はどうだろう? 周囲を陥落させてからクロを無理やり頷かせるやり方。
(私のやり方は、ユーリくんにもできるんだよね……たぶん)
そしてそのやり方ではクロは頷かないとユーリは断言していた。
うーん、と千花はキリルの目を見てみる。まっすぐで、なんだか委員長みたいな子供だと思いながら、あー、と呟いた。
「処女宮様?」
「うーん、ま、いいか。やってみよう」
「へ? え? いいんですか?」
「いーのいーの。頭で考えてもよくわかんないしさ」
千花は賢くない。やってみないとわからない。
それに、この意見はちょうどいい。
千花はキリルが返してきた書類をテーブルに放り投げた。
ほとんどの十二剣獣がくじら王国と同調しているという天蝎宮の報告だ。
――こいつら全員殺そう。
今の十二剣獣はくじら王国にずぶずぶで使い物にならない。
たとえクロを降伏させても、神国の歯車として役に立たない。
だから千花は思った。
クロに新しい十二剣獣を任命させて、私流の君主の生存戦略を教えてやろうじゃないか、と。
「さ、行こうかキリルちゃん! クロちゃんで遊ぼう!!」
「え、ええええええええええ!!!???」