118 八歳 その12
必要なものはそうない。使徒服、着替え、スマホ、歯ブラシ、タオル、こんなものだ。
使徒になって所有権の問題は解決されたが、それはそれとして私は前世からあまり物をもたない主義だ。
「これだけでよろしいのですか?」
「はい。よろしくおねがいします」
天座修学院の寮の前で待っていた護衛の兵士の方に頭を下げ、私は荷物片手にワニ車の前に立った。
念の為にワニ車をチェックする。乗り心地最悪な奴を寄越されたら私が発狂しかねないからな。
励起させた『錬金術』で調べるのだ。
サスペンションやベアリングなどはきちんと技術ツリーから開発しているものが使われている。問題ないな。
人力の車に長期間乗ることを考えれば、ワニ車を開発したのは正解だったかもしれない。
私は繋がれたワニに餌用の謎肉を与えてから、頭を撫でてスキンシップを図りつつ、ぐっと身体の伸びをした。
さて、これから長期出張だ。帰ってくるときを考えると頭が痛いが、自分で決めたのだからやれることをやらなければならない。
「大丈夫です。防衛拠点に向かいましょうか」
「はい、ユーリ様。足元にお気をつけて」
「ありがとうございます」
私は寮の窓から私を見下ろしている天座修学院の生徒たちに地上から手を振りながらワニ車に乗るのだった。
◇◆◇◆◇
「見てくださいユーリ様。街々の様子を。国民は皆、ユーリ様の政策によって豊かになっています」
「いえ、彼ら自身の努力の結果でしょう。私などの影響はそう多くありませんよ」
同乗している文官が「そ、そんなことはありません」と言ってくるが、私としてはまだまだという気持ちだ。
もっと……もっと豊かにする必要がある。国民一人あたりの財力をもっと……。
「ユーリ様の研究によって麻や毛皮の生産量があがり、衣服や靴の値段が安価になりましたし!!」
地下のワニ皮や隷属スライムから取れるスライム素材のことだろう。
水の質が向上して農業が、また牧畜も生産量が上がったとも聞いている。
「研究の応用は実際に作業を行った方々の手腕です。私は基礎のデータを揃えて口を出しただけにすぎません」
それだけだ。そもそもがもう少し経済が良ければもっと国民の生活をよくできたのだ。
私は街中を歩く国民を見る。衣服や靴、食事はちゃんとしたが、それ以外はそこまで良くはない。
神国はそもそも信仰ゲージを背景とした苛烈な税制度のせいで民が貧しいのだ。
現状の十割徴税からの職能に対する生活必需品やアマチカ配給制度をなんとかして、正常な税制度にしたいという私の提案は退けられている。
特区制定でなんとか商業の発展を促しているが……あまり商業が成長しすぎても今度は商人の命が危うくなる。
ほとんど戦時体制みたいな形で進んできているせいで歪すぎるのだ、この国の構造は。どこかで破綻するまえに根本に手を入れたかった。
「ほ、他にも『青年団』を組織したおかげで、軍の見回りを減らせて、それで街の雰囲気もよくなりましたし」
「もうちょっと人口が多ければもう少しマシな制度を作れたんですがね」
愚痴るような私の様子に同乗している文官が気まずそうな顔をする。
まいったな。悲しませるつもりはなかったのだ。
そう、元の日本と比較してはいけない。完璧を求めすぎるのは日本人の悪い癖だ。
せっかく褒めてくれているのだ、私も良い話をしなければ。
「……あー、えっと、ほら……新しいダンジョンから産出している物品をご存知ですか?」
神国の戦力でも攻略できる規模のダンジョンで資源回収システムを作る過程で、今は軍の主力兵器となっている『マジックターミナル』、チップを使って魔法を登録するあの道具のさらに簡易版のレシピを発見したのだ。
一つしか魔法を登録できないし、威力も低位だが、低位であるがゆえに使えるアイテム『マジカルステッキ』だ。
素材も安い。『レアメタル』ではなく『ネジ』だの『魔導素子』だので作ることができるのである。
それを他の素材で箱を作ることで、私は『コンロ』だの『給水器』だのを作ったのだ。
「ああ! あれですか! 軍で絶賛されているようですよ、水の補給が楽になったそうで! ワニ車にそういった道具を設置して作った補給用のワニ車のアイデアもユーリ様が出したとか!! パン窯付きの車ができて軍のコックが喜んでおりました!!」
攻撃魔法ではない劣位の水魔法で作る水は都市の生活用水を賄う分にはSPコストが問題となるが、携帯性が重視される軍では重宝されるのだ。
「それはよかった。少しでもこの国の役に立てれば私の仕事も無駄ではなかったと……」
「ゆ、ユーリ様」
ぐっと手を掴まれる。な、なんだ?
「こ、この国のためにここまで尽力するユーリ様が、ただ一つの失敗で、て、帝国との最前線に赴かれるなど……! 国は、女神は一体何を……!!」
げ、と私は内心で驚きの声をあげた。
目の前の文官の信仰ゲージが目に見える形で減っていっているからだ。
ゾぉっと私の血の気が引く。冷や汗が流れる。え、えとなま、名前を。ぶ、文官のサリスさん。サリスさんだ。
「サリスさん。馬鹿なことを言わないでください。私が私の責任で防衛拠点の建築に携わるのですから。それに女神アマチカはきちんと見ていらっしゃいます。私があちらで相応しい働きを行えばすぐに戻ってこられるでしょう」
強く手を掴んでにこりと笑ってみせる。変な説得だが、信仰ゲージの減少は私にとっての損だ。
(……帝国との交渉失敗に私が関わっていることをきちんと公表するように念を押しておこう……)
サリスさんのような方が多く出てきたら恐ろしい。
あとは何かな……私自身、変な揚げ足を取られないようにルールを守るようにしているからな。
うーん、なんだろ。学舎時代のルール違反を持ち出して公表させておくか、物品の違法所持に、スキルの違法使用だ。
双児宮様あたりから情報をリークさせて、私が女神アマチカの定めたルールを破った方向で国民感情を納得させなければならない。
――私は一体、この国の人間からどう見られているんだ?
首都アマチカの正門から出ていく私は、ワニ車の中から廃ビルが乱立する廃墟地帯へと入っていく外の景色を疲れた気分で見るのだった。
◇◆◇◆◇
「あの、ユーリ様。どうして帝国側だけなんですか?」
同乗していた巨蟹宮様の部下である護衛の武官が問いかけてくる。
先程の会話に加わらずともこの方も信仰ゲージが減っていたお方だ。怖い。
ワニ車から外の景色は崩壊した市街地のような景色に変わっていた。
倒れた電柱、崩れた塀、側溝の水は枯れ、時折見える田んぼの跡地には兵器の残骸が転がっている。
もちろん危険な道ではない。
偵察スキル持ちの護衛の兵が率先して偵察を行い、安全な道を選んでいるからだ。
ただこういった場所でも油断すると清掃機械なんかが突然現れてくるので注意だが。
ちなみに山梨方向に私たちは向かっているが神奈川側には近寄れない、旧八王子市付近は強力な殺人機械どもの支配エリアだった。
「どうして、と、いいますと?」
「この地図だと神国との接触面はくじら王国側との方が多いですよね? だったらくじら王国側にも防衛拠点を作る必要があるのでは?」
「ああ、それは問題ないです」
ちなみに防壁は作っていない。人手と資材が足りなかったからだ。
私がかつて処女宮様に主張させた計画だが、私が関わってから確認したらどうにも資金や資源が足りなさすぎた。
そういうわけでこの先で作るのは防衛拠点である。まぁ将来的には国を囲む防壁を作りたいが……無理かな……無理か。
「その、問題ないというのは?」
「くじら王国との接触面の多くには我々も把握しきっていない小規模な殺人機械の領域がありますから、無理に突っ込んでくるなら我々が相手をするまでもなく全滅しますよ」
危険すぎて調査していないので地図の流出も心配しなくていい。
そして相手が私たちが把握してない道を知っているなら逆にありがたいぐらいだし、多方面を警戒する必要のあるくじら王国の軍では、殺人機械による襲撃を警戒している首都の防壁を抜けるだけの軍を用意できるわけがない。
そもそもくじら王国側はこんな殺人機械が跋扈する最悪な土地より、ニャンタジーランドを襲ったほうが楽なのだ。
ちなみにそんなくじら王国との貿易の道は、殺人機械の支配領域ではない多摩方面のものを使っている。
神国を多摩方面へ進んだ先に、埼玉にあるくじら王国側になんとか開通させたモンスターが近寄らない『聖道』が設置してあるのだ。
「なので警戒するのは首都アマチカへ道が整備されている帝国側ですね。このように、それなりに通れてしまっているので」
私は窓の外の崩壊した市街を指差しながら言ってみれば、こくこくと武官の方が頷いてくれる。
こちらが安全なのは神国の発展とともに拡張しているのがこちらの方面だからだ。
輸送のために道を整備してしまっているから、やはりどうしても攻めやすい。
「ついでに言えば今から向かう場所はそのままくじら王国側への防衛拠点にもなります」
「帝国だけではなく、ですか?」
「ええ、まぁこちら側で王国は警戒する必要がないのでくじら王国から来ても対処できる、という意味ですが」
ほら、と私は地図の一点を指差した。
ええと、どこだここ? とりあえず八王子市の近くだというのはわかるが市の名前が思い出せない。ただ多摩方面っていうのはわかる。
二十三区だって割と頭に入ってなかったんだが……ええと、まぁいいや。
私が指を差したそこは、くじら王国や七龍帝国と我が国の貿易の接続点として使うために開拓した廃ビル地帯だ。
聖道と倉庫と農業ビルがそこにはいくつかある。
そして、そこからくじら王国や七龍帝国へと小さな聖道が伸びていっている。
この廃ビル地帯を、殺戮地帯に変えるのが今後の私の仕事だった。