111 転生者会議 その14
――『アリスのお茶会』に接続します。
――『ユーリ@神国所属』が入室しました。
肌がざわつくような気配がする。
周囲を見ればティーポットが割れたのか破片がテーブルの上に散乱し、こぼれたお茶が地面に沈んでいくのが見えた。
(泥のようだな)
この世界での破壊はまるでアルコールをぶちまけた油絵のようだった。
どろどろになってポットやお茶は溶けるようにして消えていく。
だがまたティーポットが飛んできて、今度は私の頭に直撃した。
避けるような暇はなかった。
――痛みはない。
そういうシステムではない。直接殴ればまた別だろうが、この世界のもので攻撃をするにはもう少し工夫が必要になる。
砕けたティーポットが「おやユーリ、ごめんよ」と私に謝ってからドロドロと消えていった。
――このチャットルームは狂っている。
もしくは私が疲れているのかもしれない。ここではティーポットやケーキが喋る幻覚を時折見ることがある。
「ミカドぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
お茶会の場、全体会議の場よりも狭いフロアに入ってみればケーキやポット、皿が散らばっている中、棍棒を片手に『鬼ヶ島』のアザミが暴れていた。
「仕方ないじゃないか。僕だって余裕があるわけじゃない」
「てめええええええええええええ! 俺がよぉおおおおおおおおおおお!!」
座ったままのミカドの頭をアザミの棍棒が透過する。設定をいじって、無干渉状態にしているのか。
(まぁそれが一番楽だろうが……)
怒らせた相手には、ある程度のうさを発散させてから交渉に入る私のスタイルでは使えない手だ。
私は砕けて泣きわめく皿を踏みしめながら、彼らに問いかけた。
「何をやっているんですか?」
「ああ、ユーリ。座るかい? おっと」
ミカドが立ち上がって、私のために椅子を引こうとしたところでアザミの棍棒がミカドに直撃する。
やられた、という顔をするミカド。やった、という顔をするアザミ。
これは椅子を引いた瞬間のみ干渉状態にしたミカドと、そこを狙って攻撃したアザミの無言の攻防だ。
――ただの遊びだ。
「またな! ミカド、俺ァ帰るわ!!」
へッ、と満足そうに笑ったアザミが棍棒を消してから私を一瞥し去っていく。
相変わらずアザミとは仲良くなれてはいない。
どうも敵視されているようだが、殺人鬼だと思われているのだろうか?
(そういう意味ではお互い様ではあるんだが……)
あの女も私もこの場にいるなら等しく殺人者だ。
それがなんであろうとも……。
「いやぁ、まいったね。やられちゃったよ」
ミカドはどうぞ、と私に向けて椅子を指し示した。
私はそこに座りながら彼が淹れる紅茶と差し出してくるケーキをじぃっと見た。
――このケーキは喋るのだろうか?
そっと手でケーキをのけてから紅茶にだけ口をつける。
「ユーリ、転生者会議は楽しかったかな?」
あの場にはミカドもアザミもいた。私たちはお互いに顔をあわせながらも、あの場では挨拶一つ交わさなかった。
「ミカド様、あれには何の意味があったんですか?」
全てが無駄だったとは言わない。ああいう場はどういった場合であっても必要だ。
うまく使えればなんとか私のように得を導き出すことができるから。
ただ、それはそれとして私はこの男の見解を聞いておく必要があった。
「よーいどんで戦争をするにも誰かが言わないと意味がないだろう?」
紅茶に口をつけて、楽しそうに笑っているミカド。外見は好青年のようにも見えるが、その実この男の腹のうちは暗黒のようにも見えた。
ミカドの笑い声に反応してティーカップたちがゲラゲラと笑った。
ゲタゲタとお茶会を囲む森の奥から奇妙な鳥の声が聞こえてくる。
「これでぼうっと自分は何もしなくていいと思っていた阿呆どもや良い子ちゃんも狩られる恐怖に怯えるようになる。軍備を整えるようになる。きっと楽しいよユーリ。みんなで殴って殴られてさ。本当に、このまま僕のワンサイドゲームになったらどうしようかと困ってたんだ」
――それは神門幕府には近畿連合を潰すの下準備が整っているということだろうか?
今、三国分の土地を持っているミカドが近畿連合を滅ぼし、七国の大国となれば、その軍事力は二国や三国の土地を持っただけの者では抑えきれない。
大規模襲撃も土地を選べばそこまで怖くない……どころかそのままそれは経験値と素材アイテムが手に入るボーナスタイムへと変わる。
急成長するミカドを誰かが止めなければならなかった。
(貿易を急がなければならないな……)
私は「うまいかい?」と問いかけてくるティーカップを無視しながら紅茶に口をつけて、ミカドの言葉を噛みしめた。
これが転生者会議に出て、不戦条約の否決に一票を入れた男の言葉だ。
この世界を左右するものの言葉だ。
だが……この男の協力が得られるならば……この男がこの世界を統一するなら、それはそれで……。
「……私は、平和な世界を望みますよ。この世界の秘密を知りたい。我々の世界がどうしてこうなったのかを……」
「何度も言ってるけどねユーリ。ここはゲームの世界だよ。クリアすることでこの世界から出られる、って僕は予想してる」
アザミが暴れたことで壊れても再構成されるティーカップなどを指差し、ミカドは馬鹿なことを言う子供のように私を見る。
(駄目か……この男が平和に統一を目指す人格者ならば、降伏してもよかったが……)
だが、生産スキルを持っていないミカドにはわからないんだろう。
――ここは現実だ。
転生者会議の開催場所である『終焉地』について私は調べた。結局望みの会合が見つからず時間が余ったということもあって、隅々まで。
(あれは富士山だ……)
なぜか日本のものではない兵器の残骸などが転がっていたし、時間帯的には夜のはずなのに昼間のように明るかったが、遠目に見えた廃墟の並ぶ地形や湾はかつてテレビで見たことのある富士山からの風景に酷似していた。
(ほかの参加者は気づいているのだろうか?)
このチャットルームですら、おそらくは、どこかにある現実だ。
ゲタゲタと笑うティーカップやティーポットなどの邪魔者は無視して、地形だけを私は考える。
もっともここが樹海である可能性も考えて足元の地面を調べたこともあるが、私の知識ではわからなかった。
だが食べた高級ハムの概念が消費され、現実で崩壊したことで確信も持てる。
あのチャットルームでは、この世界と同じ法則が適用されている。
あの空間で錬金術スキルは使えなかったが、いや、この場でさえそうだが、錬金術スキルが使えない理由には心当たりがある。
私がスキルを使用してこの空間に干渉しようとすれば阻まれる感触がある。
スキルを集中しようとして触れる、神のような巨大な存在の気配だ。
(これをミカドに言ったところで信用して貰えるとは思わないが……)
それは獅子宮様に女神アマチカは処女宮様であると説明するぐらいの困難さだろう。
私はあれこれと言ってくるミカドに対して「そういえば」と問いかけた。
「ミカド、うちは王国と戦争をするつもりですが、彼らはどう動くと思いますか?」
「王国? ああ、くじら王国か。そうだな……うーん」
暫く悩んだ様子のミカドはああ、となにかを思いついたように邪悪に笑ってみせた。
「僕が王国ならって話だけどね。千葉のニャンタジーランドと東京の神国と戦わせて」
「ニャンタジーランドと? うちを?」
「で、がら空きになったニャンタジーランドの首都をそのまま王国の軍で奪ってクロを殺すよ」
「…………それは」
「あの弱腰のクロ相手ならできると思うんだよね。クロの生存を条件にしてさ。ニャンタジーランドの降伏を認めるのに神国を攻めさせる。で、そのあとニャンタジーランドの首都を落とす軍は神国との戦争の援軍って名目でクロ自身に首都内に引き入れさせればいい」
ミカドの語るそれは机上の空論なんかじゃない。
くじら王国は実際にニャンタジーランドへの工作で反クロ様派を多数作り出している。
私はニャンタジーランドへ侵攻してくるくじら王国を撃退して、その流れでニャンタジーランドへ神国の強さを認めさせて、そのまま降伏させるつもりだったが……。
「ユーリもそっちの方が楽なんじゃない?」
「そっちとは……?」
にやりと笑ったミカドは、私を見透かすように言ってみせた。
「クロが明確に敵になってくれた方が助かるでしょ?」
「えっと……それは」
「どうも動き出しが鈍いというか、くだらない良心のせいであれこれと心の中で言い訳をしてるみたいだけど、神国は四方が敵だらけなんだからわざわざ不戦条約が切れるまで律儀に待って無くてもいいんじゃない?」
「ミカド、私のことを、誤解してませんか? だいたいなんのことだか……」
お茶会で私は何度か彼に説明しているが、私は彼のような殺人マシーンではない。
――心を持った人間だ。
「君の最適解はくじら王国が動き出す前にニャンタジーランドを攻め落とすことだろう? それならあそこの将軍を適当に一人取り込んで裏切らせるだけでいい。全軍で都市を囲んだあとは門を開けさせて軍で乗り込んで首都を制圧して、クロを殺す。簡単だろ?」
「……いや、ですから……」
「クロの良心に期待するなんて馬鹿な真似はやめた方がいいよ。クロは最終的に強い側のくじら王国につく。神国アマチカはニャンタジーランドから攻められて、ニャンタジーランドはくじら王国に奪われる。で、そのまま王国と帝国から同時攻撃を受けて君は死ぬ」
私は唇を噛んでしまう。
そういう選択肢も、なくはない。
だが、あの泣きそうなクロ様の顔を思い出せば、そう簡単に選択できるようなことではない。
いや、そうではないのだ。
「でもユーリ、先にニャンタジーランドを落とせればどうだろう? ニャンタジーランドの兵力を吸収した神国をくじら王国は警戒するだろうから、そう簡単に攻めてこないはずだよ? で、その膠着時間で北方諸国連合と手を結んで、くじら王国を同時攻撃どーん! 勝った! やったー! ってのはどうかな?」
他人事だと思ってミカドはけらけらと笑っている。ティーポットもティーカップも、口をつけなかったケーキもまた笑っている。
だが私は、その理想的な作戦に、唇を噛み締めるだけだ。
その発想はなかったし、その作戦は、正直なところありだ。
ニャンタジーランドの十二剣獣を私は欲したが、だからといって自国の滅亡と天秤にかけてまでのものではない。
クロ様にだって同情するが、神国の国民の命と天秤にかけるほどのものではない。
だが……だが……どうにも不義理だ。
――攻めるにも名分は必要だ。
ニャンタジーランドがいまだどちらにもついていない。
予測だけで侵攻をすれば、滅ぼせば、それは神国の傷になる。
滅ぼせば、今後はどの国も穏便に降伏させることができなくなる。
だから言ってやるのさ。私はミカドに。
「最低な作戦ですね」
「だろ? 最高な作戦なのさ」
そういって、神門幕府の君主は、私を煽るように、にやりと笑ってみせた。