104 転生者会議 その7 ※地図画像あり
「まぁまぁまぁ、冗談だって。ほんと冗談、ちょっとイラっとしただけで私がクロちゃん見捨てるわけないじゃん」
「ほ、本当? だ、だって私本当に不安で。うぅ、千花ちゃん。うぅぅぅ」
昨日来た弱小国家の会合を覗けばそのような場面が見えた。
枢機卿服を来た処女宮様が泣いているクロ様を抱きしめてよしよしと頭を撫でている。
(処女宮様、きちんと謝れてるな……よかったよかった。仲がこじれてたら面倒だったぞ)
これで王国に降伏するより神国に降伏した方がいい、と判断してくれるかはわからないが、神国は酷い国だと思われずに済んだだろう……たぶん。
風見鶏というか、全包囲にいい顔をしようとしていた処女宮様の政策がここで生きてくる。
少なくとも神国はニャンタジーランドに対して酷いことはしてない。対外的には。
クロ様はくじら王国よりも神国の方がいい国だと思ってくれるかもしれない。
(情に頼るなど不確定が大きすぎる)
だが軍事と経済で叩くには神国は小さすぎる。
そして、重要なことはニャンタジーランドは窮地だということだ。
窮地ゆえに、我々は可能な限り手を差し伸べる必要がある。自活できない程度に、だ。
人間、やってもらったことは忘れがちだが、窮地であるなら逆だ。
窮地であるからこそ助けてもらったときの記憶は色濃く残る。
――逆に、窮地のときにやられたことは一生忘れないが。
あんなにぽやぽやとした可愛らしい猫耳少女に見えるクロ様だが、その内心は不安と猜疑心でいっぱいのはずだ。
ああして処女宮様に抱きついているのも不安の現れだろう。
周囲に見える場で処女宮様の援助の言質をとらせて後に引けないようにしている。
処女宮様はあれでビビリだから無理をしてでもニャンタジーランドを助けようという気持ちになるだろうな。
――私が処女宮様のブレーンをしていなければ、だが。
(……クロ様は、思ったよりも強かなのかもしれない……)
惨めったらしく泣く、というのは有効な手段だ。惨めさは相手が追い詰められていなければ有効に働くこともある。
だから私も使えるときは使う。私の八歳児という容姿はそれだけの力がある。
クロ様の愛らしい容姿や、国自体の弱さもそれに力を与えるだろう。
無様は振る舞いは君主のあり方ではない、と断言してしまうような頭のおかしい奴でさえ見逃してくれるかもしれない。
戦争をやりたがるくじら王国の鯨波様や土下座した頭に足の乗せるようなブラック企業の幹部には通用しないが……。
――とはいえ、少なくとも彼ら君主はもともと一般人だったのだ。
この十数年で国のトップの自覚が芽生えた人間もいるだろうが、生まれた頃から帝王学を学び、なんて教育は受けていない。
日本人としての優しさが根底に残っていれば、涙を流して土下座すれば延命策に繋がるだろうか?
(そこまでは、期待できないか)
この転生者会議の全員が思惑を持って臨んでいる。尻に火がついている者もいれば、虎視眈々と弱者を狩ろうと狙っているものも。
まともであれば、そこに余裕の表情で眺められる者は誰ひとりとして存在しているわけがない。
全員が当事者なのだ。
だから私は、薄ら寒い気分で少女二人を眺める。
――クロ様の策は失敗している。
くじら王国は言わずもがなだし、クロ様を宥めている処女宮様も私の傀儡のようなものだ。
私が指示をすれば、処女宮様はクロ様の国家であるニャンタジーランドに対してでも容赦なく攻撃を加える決断をするだろう。
(それは私が処女宮様の生殺与奪を握っているからだ)
私に国の舵取りを任せることで、処女宮様が自身の安全を確保しているからだ。
だから従う。旧知の仲であろうと、それが自身の延命に繋がるなら容赦なく決断する。
(だから私が、クロ様が酷いことにならないように注意しなくては……)
アキラのときも思ったが、処女宮様には残酷な面がある。幼稚だからこそか。とにかく鬱憤を晴らしたくて感情で振る舞うのだ。
もともと女子高生と聞いたが、年月による精神の成熟などは……いや、年月で精神など成熟しないか。
日本を思い出す。老人であるのに子供のように癇癪を起こす取引先の社長がいた。謎の信念でもあるのか頑なに電卓で再計算を促す中年男性もいた。
なぜ、なぜ表計算ソフトで出した計算結果を電卓でいちいち再計算しなければならなかったのか今でもわからない。別に時間が余ってるならいいさ。だが納期は直前で、他にもやるべき業務はたくさんあって、そんな中で残業までさせてやらせることだったのか? 表計算ソフトに親族皆殺しにでもされたのか。
(うぅ、嫌な記憶が……)
い、今は別のことを、というところで肩に手を置かれた。
「うちのクロ様になんか用事かい? 坊主」
「ニャンタジーランドの『赤熊のベーアン』様ですか」
おや、という顔をする熊耳の獣人に私は頭を下げてみせる。
「俺、名前、名乗ったか?」
「昨晩はどうもありがとうございました。処女宮様の使徒のユーリと申します」
ニャンタジーランド、十二剣獣が一人『赤熊のベーアン』。神国での獅子宮様の位置にあるニャンタジーランドの幹部だ。
「そちらの方は『俊足のラビィ』様ですね。先日はお世話になりました」
ベーアン様の後ろで私を見下ろしていた兎耳の女性にも私は頭を下げた。
俊足のラビィ、獅子宮様と人馬宮様の役目を合体させたような立場の方だ。
交渉している国の幹部だ。事前に名前と容姿を調べている。
「……ガキ、やってくれたね……」
ただ、どうも嫌われてしまったのか。わからないな。
「やってくれた、とはどういうことでしょうか? 港のことは本当にありがたく――」
「まぁ、話はクロ様から見えない場でやろうや。今日も話しかけられちゃたまらねぇからよ」
「港の件はたしかにうちの得になったがよぉ、アタシらがついていて直接交渉させるとは何事だって怒る奴がいるんだわ」
二人に肩を掴まれたまま私は運ばれていく。心配そうに私たちを見ていた人がいるので手をひらひらと振って大丈夫だとアピールしておく。
この場であれこれされても肉体的なダメージにはならない。せいぜいが痛いという感情を与えられるだけだ。
さて、涙と土下座の出番だろうか、私はいつでも記憶を想起できるようにセットしておく。
◇◆◇◆◇
ユーリがニャンタジーランドの護衛二人を連れて離れていくのを確認した処女宮こと天国千花はぺろりと唇を湿らせた。
(さすがユーリくん。仕事が早い)
これから千花はクロに対してとある交渉を行う予定だ。
それは先の全体会議でクロに対する千花の精神的な優位を見たユーリが千花にした指示だった。
――それは、国盗りに必要な指示だ。
それを千花は果たさなければならない。
うぇんうぇんと泣いているクロの肩を取りながら、まぁまぁと千花は引き剥がして、他の参加者の目から見えない場所に誘導していく。
それは壊れたテントの隅にある暗がりだ。多少不審がられているが、千花がにこにこと笑っていれば他の参加者も引き止めにくい。
なにより、下手に刺激すればクロに縋られる。
ニャンタジーランドも後がないが、この場に集っている彼らもまた強国に狙われる立場だった。
――他人を助けている余裕などない。
それぞれがどうやって不戦条約の延長を隣国と交わすか悩んでいる彼らを尻目に、千花はぐすぐすと鼻を啜っているように見えるクロに顔を寄せた。
泣いているようにも見えるが、この少女の本質を千花は掴んでいる。
惨めそうに見えて、虎視眈々と生存策を取ろうとしているのがこのクロという少女だ。
(こいつ、私と鯨波の両方に媚びを売っている)
余裕のないニャンタジーランドが相場よりも高値でくじら王国から武器を買っているのはそれが理由だ。
会議では千花も武器を売ってやるとは言ったが、クロは絶対に買わないだろう。
神国がどれだけ優しくしようと、クロのスタンスは変わらない。
とにかく両国にいい顔をする。優しくされたらそこからもらえるものは全部貰う。
別にそれは悪いことじゃない。
一時期の神国も同じことをやった。
とにかく全包囲にいい顔をしようとした。
(だけれど、助けには来てくれなかった。ピンチに来たのは略奪者だった)
大規模襲撃のことは思い出せる。国境に現れた他国の軍のことも。
(この娘のところにも……いや、違う……ああ、そうか……)
神国に向かう魔法王国の軍を素通りさせたのだ。ニャンタジーランドは。
くじら王国を避けて、やってくる軍を、神国アマチカの跡地を占拠しようとする軍を……。
足止めもせずに、通らせたのだ。
(私が、あんなにも苦しんでたときに……)
「ち、千花ちゃん? あの……」
そして今、千花にクロは縋っている。軍を素通りさせたことなどおくびにも出さずに。
だから千花は罪悪感なくその言葉をクロに言えた。
「ん? なんでもないよ。それよりクロちゃんにいい話があるんだけどさ」
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