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最終話 笑わず姫と幸福なキスー再び春ー

編んで肩に垂らした黒髪には白い花を挿し、耳には真珠の耳飾り。

生まれて初めて化粧をほどこしたアルトゥールは、誰もが目を見張る美しさだった。

だが今、その美しい顔は青ざめ、引きつっている。

「ど、どうしよう……ですわ」

花嫁の身支度を手伝っていた女性陣は、何とも言えない顔を互いに見合わせる。

「どうしようと……」

「言われましても……」

「も、もう一度やってみましょう!せぇの!!」

ベーゼンの呼びかけで、その場にいた女性陣――エラ、ザシャ、コルネリア――が、協力してアルトゥールが着る純白のドレスを背中側へ引っ張るようにして押さえ、アルトゥールも息を止めて腹部を引っ込める。

雪が溶け、春が訪れた。

一年で一番華やぐ季節。

庭の林檎の木達の枝にも、雪のような白い花が咲き乱れている。

王城で大々的に行われる予定だったアルトゥールとスピーゲルの結婚式は、諸事情により規模を大幅に縮小させ、スピーゲルの家でとりおこなわれることになった。

参列するのもアヒムやエメリッヒ。それからコルネリアやエラ、ザシャ達だけだ。

予定は変更すれど、花嫁の身支度を担当する女性陣の気合いは変わらない。

アルトゥールを飾りたてようと朝早くから湯浴みだ何だと大騒ぎだった彼女達に最後に待っていたのは、とんでもない大問題だった。

アルトゥールが一針一針丹精込めて縫った白い花嫁衣装――――その背中の釦が留まらないのだ。

(こ、こんなところで……)

母親(ユーディト)と同じ轍を踏もうとは。

エラがため息をつく。

「無理です。これ以上無理に引っ張れば脇の縫い目から裂けてしまいます」

「コルセットをもう少しきつくしてみてはどうかしら?」

コルネリアの提案に、アルトゥールは止めていた息をプハッと吐き出し、勢いよく首を振った。

「ダ、ダメですわ!とんでもないですわ!」

これ以上コルセットを締め上げたら、間違いなく助骨が折れてしまうか窒息死する。

肩で息をしながら、アルトゥールは首を捻った。

「おかしいですわ……寸法を測り間違えましたかしら?」

コルネリアの侍女にきちんと測ってもらった筈だが、縫う段階で何かしら間違えたのだろうか。

「……ねぇ、あんたさ。寸法云々以前の問題として」

一緒にドレスを押さえていたザシャがアルトゥールを冷たい目で見る。

「太ったんじゃないの?」

アルトゥールの後頭部に盛大に雷が落ちる。

「ふ……ふふふふふふ、ふ、太った?」

真っ青な顔を震わせながら、アルトゥールは訊き返した。

ザシャは大きく頷く。

「一回死んで生き返ってから、しばらく寝台から動けなかったんでしょう?それで食べる量が前と一緒なら、そりゃ太るよ」

「そう言えば……少しふっくらされたような……」

「実は私もそう思っていました」

「……私も」

ベーゼン、エラ、コルネリアがうんうんと頷き、その度にアルトゥールの後頭部には次々と落雷が発生した。

(た、確かに……)

動けない間は、何をするにもスピーゲルを頼っていた。

彼が甘やかしてくれるのをいいことに、移動する時は彼に横抱きにしてもらい、食事の時は口までスプーンを運んでもらった。

まさにスプーンすら持たない生活が長いこと続いていたのだ。

そりゃ太る。当たり前だ。

「幸せ太りというやつですね」

「とにかく、どうにかしないと」

「やっぱりコルセットを締め上げるしかないんじゃないかしら?」

「はい!お姫さま息止めて!」

「えええ~っ!?」

ザシャに促され、アルトゥールは情けない悲鳴を上げた。





十日程前のこと。

スピーゲルが突然『結婚式はベーゼンが待つ家で』と言い出した。

春になったら王城で、と予定していた結婚式の準備に、エメリッヒとアヒムが張り切って取りかかろうとした矢先のことだ。

“あなたは僕のものだと周知徹底する良い機会”と言っていたのに、それはもういいのだろうかと首を傾げたアルトゥールに、彼は少し躊躇いがちに話してくれた。

「アヒムが、ベーゼンから手紙を預かってきてくれたんです」

そこに、書いてあったそうだ。――――ツヴァイク達が、動くことも話すこともしなくなったと。

その意味が、アルトゥールは理解ができなかった。

「……動くことも、話すこともしない?」

それは、つまりごく一般的な『木』になってしまったということだろうか。

うるさいほどに喋り、時に歌い、日向ぼっこの場所取りで走り回っていた彼らが、黙ってじっとしているさまは想像しがたい。

「ど…どうしてですの?」

何故そんなことになってしまったのか。

尋ねた声は、微かに掠れていた。

動揺が、徐々に全身に広がっていく。

そんなアルトゥールを気遣うように、スピーゲルはゆっくりと説明してくれた。

「元々ツヴァイク達が動いていたのは、僕の魔力に影響されてのことだったので」

スピーゲルが魔力を失ったことに伴って、彼らが動かなくなるのは当然と言えば当然の結果である。

「ベーゼンは……ベーゼンは大丈夫なんですの?」

彼女も箒に戻ってしまうのだろうか。

スピーゲルは首を振る。すると、鳶色の髪がサラリと揺れた。

「ベーゼンは精霊として独立した生命ですから、僕の魔力の有無とは関係ありません」

「そう……ですの」

安堵はしたが、動揺はおさまらない。

あの家に帰れば、いつだってツヴァイク達が出迎えてくれた。その『当然』が当然ではなくなったことが、すぐには受け入れられなかった。

膝に置いた手を、アルトゥールは握り締める。

「わ、わたくしのせいで……っ」

唇を噛み締めた。

泣いてはいけない。そんな資格、自分にはないのだから。

震えるアルトゥールの肩を、スピーゲルが宥めるように撫でてくれた

「違います。あなたのせいじゃありません」

「でも……でも……っ」

あの時――――国王が投げた林檎が足元に転がったあの時。

アルトゥールは、自分がそれを食べることでスピーゲルが正しいことを証明できるのだと、それしか考えていなかった。

こんな絶好の機会、二度とない。

汚らわしいと蔑まれるスピーゲルが、そうではないのだと証明できる。

だから躊躇いもせずに、アルトゥールは林檎の実に齧りついた。

その結果がこれだ。

アルトゥールが望んだ通り、スピーゲルに対する評価は劇的に変化した。

けれど結局、代償を払ったのはアルトゥールではなくスピーゲルだ。

彼は魔力を失い、一族の象徴とも言える白銀の髪と赤い目を失い、そして家族であり友人でもあったツヴァイク達を失った。

取り返しがつかない。

自分の行動がどれだけ軽挙だったか、後悔しても今更だ。

「ごめ……ごめんなさい、ですわ」

「アルトゥール」

椅子に座るアルトゥールの前に、スピーゲルは跪く。

そしてアルトゥールを覗き見た。

かつては赤かった目は今は琥珀色に輝いている。

綺麗だった。でも、紅玉によく似た輝きが無性に懐かしい。

「そうやってあなたは自分を責めるんじゃないかと思ってました。あなたは大雑把で適当な割に、案外繊細なので」

「……大雑把で適当……」

その自覚はあるにはあるが、改めて言われると複雑だ。

そんな複雑な気持ちが出たアルトゥールの表情(かお)を見て、スピーゲルが小さく笑う。

「ベーゼンもあなたが気に病むのではないかと心配していました。『誰のせいでもありません』と伝えてくれと、手紙に書いてありましたよ」

「……つ」

ベーゼンの優しい笑顔が、目の前をちらついた。

今もあの小さな家で、彼女はアルトゥールとスピーゲルの帰りをひたすらに待っていてくれているのだ。

『誰のせいでもありませんよ』

その優しい声が聞こえた気がしたが、アルトゥールは自分を許せなかった。

「でもスピーゲル……わたくしのせいで、あなたは髪と目……魔力まで」

「それこそ、あなたが気に病む必要ありません。髪と目の色が変ろうと魔法が使えなくなろうと、僕にとっては大したことじゃない。それとも、あなたは嫌ですか?この色は」

「そ、そんなことありませんわ!!」

髪を振り乱し、アルトゥールは首を振る。

目や髪が何色だろうが、スピーゲルはスピーゲルだ。

あの美しい銀髪と赤い目が見られなくなったのは残念だが、だからといってスピーゲルへの気持ちがどうこうなるわけがない。

スピーゲルは安堵したように笑った。

「よかった」

彼の大きな手が、アルトゥールの小さな手を包みこむ。

温もりと一緒に伝わってきた優しさが、(しお)れたアルトゥールの心にそっと寄り添ってくれた。

「……ただ、ザシャ達には悪いことをしたな……」

「ザシャ?」

アルトゥールが目で窺うと、スピーゲルは困ったように眉尻を下げた。

「魔法で髪の色を変えようかと、話していたんです」

「髪を?」

「その方が生きやすいんじゃないかと思って」

「……」

そういえば、以前人の寿命が見える少女にも、スピーゲルは『見えなくできるが、どうするか』と問うていた。

確かに、銀髪というだけで親から捨てられ蔑まれ、火炙りにまでされかけたザシャ達にとって、あの髪色は生きていく上で邪魔でしかないだろう。

(でも……)

口から出かけた言葉を、アルトゥールは飲み込んだ。

美しい銀髪が失われるのが惜しいなど、口に出すのは無責任だ。

「ヨナタンとエルゼは変えないと言いました」

まだ幼い彼らは、自分達が蒙った数々の苦労が、銀髪であることに端を発していることがよく理解出来ないのかもしれない。

「ザシャは?」

「ザシャも決めかねている様子でした。その上、隣で聞いていたアヒムが『勿体ない』と騒いで、結局、必要になったらということで話は終わってしまったんですが」

最近アヒムとザシャが仲が良いらしいことは聞いていたが、そんなことにまで口をだすのかと、アルトゥールは驚いた。まるで恋人みたいだ。

「……皮肉ですね」

スピーゲルが、唇を歪ませた。

「『魔族』である僕が銀髪ではなくなったのに、『魔族』ではない彼らは銀髪のままだなんて」

その自嘲は少し悲しげで、苦しそうだった。

ザシャ達に対して、彼はある種の後ろめたさを感じているのかもしれない。

「スピーゲルのせいではありませんわ!」

アルトゥールがそう言うと、それを待ってましたと言わんばかりにスピーゲルが言葉を返してきた。

「それなら、あなたのせいでもない」

アルトゥールはたじろいだ。

「そ、それは……でも……」

「あなたが僕に謝らなければならないことは、一つだけです」

スピーゲルが立ち上がる。

その目を追って、アルトゥールは顔を上げた。

「え……?」

「あんなまね、二度としないでください」

スピーゲルの頬からは、優しい微笑みも自嘲も消えていた。

アルトゥールを見下ろす切れ長の目は、怒っているようにも見える。

「あんなまね……?」

少し怯えたように訊き返したアルトゥールに、スピーゲルは軽く眉をひそめた。

「自分の命を投げ出すような行為(まね)です」

アルトゥールが毒林檎を口にしたことを、彼は責めているらしい。

確かに、あれは軽挙だった。

結果としてツヴァイク達を失ったことを思えば、あんなことするべきではなかった。

「でも、あれは……わたくしスピーゲルに太陽の下を、顔を上げて歩いて欲しくて」

その気持ちだけは、分かって欲しかった。

けれど、スピーゲルは険しい顔のままだ。

「誰がそんなこと望みましたか?」

「誰がって……」

「太陽の下を顔を上げて歩く?あなたが隣にいないのなら、そんなこと何の意味もない」

はっきりと、彼は言い切った。

その声音に、スピーゲルが実は今まで怒っていたらしいことにアルトゥールは気が付いた。

きっとアルトゥールが生き返ってからずっと、彼は怒っていたのだ。

けれど身動きが取れないアルトゥールに怒りをぶつけることも出来ずに、仕方なくそれを押し殺してきたのだろう。

「頼むから、いいかげんにわかってください。僕は、あなたが大切なんです。大事なんです。あなたがいないと、生きていけない。それなのに、あなたは自分を軽んじすぎる!」

アルトゥールは瞠目した。

冬の始まり。街で林檎飴を食べながらスピーゲルと交わした会話を思い出す。

彼は『歩くこと』が『怖かった』と言った。

それは、ただ足を交互に踏み出す動作のことではない。

彼は“生きること”が、怖かったのだ。

人生という道を、歩くことに怯えていた。

だから、外套に自らの存在を隠して、誰とも目を合わせず、息を潜めて生きていた。

けれど――……。


『あなたがいてくれるから、僕は、もう怖くないんです』


唐突に、アルトゥールの目から一粒涙が零れた。

「……ごめんなさいですわ」

思い出した。

薄情なことに、すっかり忘れていた。あの日、そう言って笑ったスピーゲルの朗らかな顔も。

「ごめんなさい、スピーゲル……!」

彼は怖いと言っていたのに、置き去りにしようとした。

広い世界。

沢山の人。

けれど“たった一人”がいない孤独を、絶望を、誰よりアルトゥールは知っていたはずなのに。

毒林檎を食べたあの行為は、軽挙だなんて程度のものではなかったのだ。

何て残酷なことを、スピーゲルにしたのだろう。

太陽の下で生きて欲しいだなんて、そんな勝手な願いをスピーゲルに押し付けて、彼を“独り”にしようとした。

「ごめんなさい……!」

我慢していた涙が、どうしようもなく溢れ出す。

手放しで泣いて謝るアルトゥールに、スピーゲルが呆れたように笑う。――笑ってくれた。

そしてアルトゥールは、彼の両腕の中に招かれる。

「わかってくれたなら、いいんです」

強く強く、抱きしめられた。

スピーゲルに抱きしめられるのは初めてではない。

それなのに、今更アルトゥールは実感した。

スピーゲルにとって、自分が誰にも替えがたい“たった一人”なのだという事実。

生まれてすぐに父親から存在を否定された自分が、空虚で、軽すぎて、蝶が羽ばたいただけで空の彼方に飛ばされてしまいそうだった自分が、そんな特別な存在になれるだなんて思ってもみなかった。

生まれてから十七年。

ようやく、足が地についた気がした。


ようやく、自分を見つけた。






林檎の木の枝に積もった雪のような花を見上げ、アルトゥールは目を細めた。

暖かな微風に、身にまとう純白の花嫁衣装の裾がフワリとなびく。

(く……苦しいですわ……)

コルセットをギチギチに締め上げて、何とかドレスに体を捻じ込むことが出来た。

「……ツヴァイク、ライス、アスト」

呼びかけるが、林檎の木々は風に枝を揺らすだけで、何の返事も寄越さない。

その場で、アルトゥールはクルリと回って見せた。手縫いの白い花嫁衣装を、ツヴァイク達に披露するように。

「どう?上手く縫えましたわよ?」

無茶だの無理だの無謀だの、散々言われたが縫いきってみせた。

『人間、やりゃ出来るもんだなぁ』

『すごいじゃない!』

『……綺麗』

―――そう言って枝を揺らす彼らの幻聴が聞こえた気がした。

けれど実際には、彼等は何も語ってはくれない。

ただの林檎の木のように、ただ静かに庭先に並んでいる。

「……」

「ここにいたんですか。アルトゥール」

優しい声を、アルトゥールは振り返る。

「スピーゲル」

「探しま……」

スピーゲルが、たじろぐように立ち止まった。

彼の視線が、アルトゥールの頭の先から爪先まで何往復もする。

「スピーゲル?」

「……えっと」

スピーゲルの頬が、軽く紅潮した。

「き、綺麗です。すごく」

その様子が何だか可愛らしくて、アルトゥールは吹き出した。

「ありがとうですわ!スピーゲルも素敵ですわ!」

普段は動きやすい簡素な衣服を着ているスピーゲルだが、今日は素色の上等の布地で作られた丈の長い上着と揃いの脚衣を身に着けていた。

『花婿がいい加減な服装では格好がつくまい』とエメリッヒが用意したものだ。

スピーゲルは『いや、こんなの着たことありませんし……』と固辞していたが、『いいからいいから!!』とアヒムに別室に連行され、強引に着替えさせられていた。

スピーゲル自身は何とも言えない複雑な顔をしているが、襟の縁に細かな刺繍が刺されている上着は上品で、長身のスピーゲルによく似合っている。

「でも……これ、息苦しいんです。エメリッヒはよくこんなもの締めて平気でいられますね」

そう愚痴を言って、スピーゲルは指先で襟締めを緩めようとする。

アルトゥールは慌ててそれを止めた。

「とっちゃダメですわ!せっかく恰好いいのに!」

「ええ!?」

「ねぇ?ツヴァイク達もそう思いますわよね?」

林檎の木々に、アルトゥールは向き直り同意を求めた。

春の微風に、枝が揺れる。

ヒラヒラと舞う白い花弁は、まるで雪のようだった。

少し寂しげにツヴァイク達を仰ぎ、スピーゲルは優しく微笑む。

「見えますか?ツヴァイク、ライス、アスト」

スピーゲルの問いかけに、ツヴァイク達はやはり答えない。

(でも、きっと見えていますわ)

彼らにアルトゥールの花嫁姿を見せたいから、この小さな家で結婚式がしたいとスピーゲルは言った。

そして、それはアルトゥールも同じだった。

ツヴァイク達にこそ見て欲しい、祝って欲しい。

そして今日、アヒム、エメリッヒの他エラやコルネリア、ザシャ達等の親しい人物だけがこの家に集まった。

アルトゥールとスピーゲルを祝福するために。

「あ!旦那ー!」

家の影から、アヒムが顔を出す。

「イチャついてるところ悪いんだけどさ」

「……イチャついてなんていません」

スピーゲルは鋭く睨みをきかせたが、アヒムは怯む様子もない。

「腹も減ったし、そろそろ始めようよー」

それが合図だったかのように、アヒムの影からヨナタンとエルゼが飛び出した。

「結婚式ー!」

「ごちそうー!」

走り回る二人を、ザシャが腰に手をあてて叱り飛ばす。

「コラー!静かにしろー!」

「ほら、二人ともいらっしゃい」

エラが広げた腕の中に、ヨナタンとエルゼが逃げ込んだ。

「いい日和だ。天が祝福してくれているようだな」

「ええ、本当に」

エメリッヒと、ユリウスを抱いたコルネリアが微笑み合う。

その脇をすり抜け、ベーゼンがアルトゥールに歩み寄る

「髪を直しましょうね」

風に乱れたアルトゥールの髪を撫でつけ、ベーゼンが嬉しそうに囁いた。

「やっと、『奥様』とお呼びできますね」

「ベーゼン」

目をあわせ、アルトゥールとベーゼンはフフッと笑い合う。

そのすぐ上の林檎の枝では、ジギスヴァルトとエルメンヒルデが並んで何かを頬張っていた。どうやら、待ちきれずに用意されていた料理をつまんだらしい。

「はいはーい!じゃあ、お二人さん。ここに並んでー」

司祭役のアヒムの指示に、アルトゥールとスピーゲルは素直に従った。

どちらともなく自然と手を手繰り寄せ、指を絡める。

二人の周りに円を描くように、ベーゼンやエメリッヒ達も並んだ。

「えぇっと……」

コホン、とアヒムがわざとらしく咳払いする。

それが何だか可笑しくて、アルトゥールは吹き出した。

つられてスピーゲルも笑い、少ない参列者達もクスクス笑う。

これには、アヒムが渋い顔をした。

「何で笑うんだよー」

「だって、兄さんが真面目な顔してるんだもの」

「ひど!」

(アヒム)(エラ)のやりとりに、周囲からまた笑いが漏れる。

「あー!もう!はじめまーす!」

不貞腐れながら、アヒムがスピーゲルに向き直った。

「はい。旦那ー。病める時も健やかなる時も、妻を愛し、敬い、慈しむことを誓いますかー?」

吹き出すのを堪えながら、スピーゲルが頷く。

「誓います」

「お姫様ー。病める時も健やかなる時も、夫を愛し、敬い、慈しむことを誓いますかー?」

かつて、冷たい石の塔で、一人膝を抱えていた少女がいた。

父親からは愛されず、母親には死なれ、泣くことも笑うことも忘れた孤独な少女。

少女はキスに憧れた。

雪が降りしきる中、キスを交わす恋人達。

呼吸を忘れるほどに、美しいその光景。

あんなキスがしてみたい。

寂しさも、悲しみも、すべて溶かしてしまうような熱いキスがしてみたい。

あんなふうに、誰かと恋をしたい。

誰かに――――………愛されたい。

願いは、叶った。

アルトゥールは、微笑んだ。

そして、スピーゲルを見上げる。

「誓いますわ!」

アルトゥールの大きな声に、スピーゲルが嬉しそうに笑った。

笑い返してくれる人がいる。

祝福してくれる人がいる。

それなら、世界がどんなに残酷でも無慈悲でも、そこで歩み続けよう。

アヒムが、満面の笑みで促した。

「それでは、誓いのキスを!」



それは息絶えるほど幸福な瞬間。




end


ご愛読ありがとうございました。

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