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笑わず姫とハーブ水ージビレ②ー

街を横切る小さな川には、石造りの小さな橋がかかっていた。

その橋を渡ると、賑やかだった街並みは急に落ち着いて、小さな民家が連なっている。

そのなかの一つが、ジビレの家だった。

スピーゲルの背からさっさと下りたジビレは、アルトゥールから杖を引ったくり、家の扉を顎でしゃくる。

「まぁ、お入り。水くらい出してやるよ」

「……せめてお茶くらい出したらどうですの?」

「まあまあ」

スピーゲルに宥められ、舌打ちしたい気持ちでアルトゥールはジビレの背に続く。

ジビレの家は小さく、中も質素なものだった。

暖炉の横の壁には鍋が並んで吊るされ、棚には皿が数枚。家具は必要最少限しかない。

部屋を見回し、アルトゥールは首を傾げた。

(……何だか……)

物が少ないような気がする。

ジビレとテレーゼ二人だけと考えても、妙に物寂しい。

「必要ない物は処分したのさ。十日もすればテレーゼが嫁にいくからね。私一人だとこんなものだろう」

アルトゥールの無言の質問に、ジビレは水を満たした木の器をテーブルに置きながら答えてくれた。

「……テレーゼについていかないんですの?」

「テレーゼは一緒に行こうと言ってくれたがね。新婚夫婦の邪魔になるつもりはないさ。ほら、座りな」

「……」

意外である。テレーゼの婚家で我が物面でのさばるジビレを想像していたのに。

思っていたほど厚顔無恥な人間ではないらしい。

アルトゥールは椅子に座った。

出された水を試しに飲んでみると、爽やかな香りが口のなかに広がる。

『水くらいだしてやる』とジビレは云ってはいたが、水は水でもただの水ではないらしい。

隣に座るスピーゲルも、水を飲んで驚いた様子だった。

「……ハーブ?」

檸檬茅(れもんがや)を煮出して冷ましたのさ」

ジビレが言うと、スピーゲルは頷いた。

「なるほど……」

「ところで、あんた家のなかでくらいフードをとったらどうだい?」

アルトゥールとスピーゲルの心臓が、雨上りの蛙のように跳ね上る。

「あ、あの……これは……や、火傷の痕があって……」

「そ、そうですわ。ひ、酷い火傷痕ですの!」

何とか誤魔化そうとするスピーゲルを、アルトゥールも援護する。

その甲斐あって、ジビレは納得したようだった。

「火傷?そりゃ……悪かったね。魔族だなんて言いがかりつけて」

ジビレはスピーゲルに同情したらしく、眉尻を下げた。

「でも火傷なんて気にすることないよ。男は堂々としてな。いいね?」

「は、はい……」

スピーゲルは曖昧に相槌をうち、深く俯いた。

嘘を重ねていることが心苦しいのだろう。

そんな二人のやりとりを見ているうちに、アルトゥールはジビレに対して抱いていた嫌悪感が薄れていくのを感じた。

口は悪いし態度はやたら大きいが、ジビレは善良な人間だ。

むしろ、街で魔族を探していたジビレの姿の方が、今は妙な感じがする。

「ジビレはどうして魔族を探してるんですの?」

アルトゥールが疑問を口にすると、暖炉の前の腰掛けに座るジビレは杖で勢いよく床を突いた。

「そりゃきまってるだろう?魔族を捕まえたら聖騎士団から褒美がもらえるじゃないか」

「褒美?」

アルトゥールは思わずスピーゲルを盗み見る。

いつものように外套のフードで顔を隠しているので彼の表情は窺えない。けれどフードの奥で、彼は眉をひそめているのではないかとアルトゥールは思った。

魔族狩りの直後。

森に逃げ込み隠れていたスピーゲルの一族は、褒賞金に目が眩んだ農民達に捕まり、その多くが聖騎士団に突き出され火炙りになった。

スピーゲルにとって、褒賞金目当てで魔族を探しているというジビレの言葉は、気持ちがいいものではないはずだ。

ジビレは顎に手をあて、考え込む仕草をした。

「小遣いくらいなら機織りでもすりゃ稼げるけどね、大金となると魔族を捕まえるくらいしないと稼げないからね」

「大金なんて……何に使いますの?」

アルトゥールは重ねて尋ねた。

ジビレはそれなりに身なりもきちんとしているし、健康そうで衣食住に困っている様子はない。

単純にお金が好きで、どれだけあっても満足できない人種というわけでもなさそうだ。

魔族を捕まえるなんて危険な方法をとってまでお金を必要とする理由はなさそうに見える。

アルトゥールの疑問に答えたのは、ジビレではなく、スピーゲルだった。

「持参金ですか?テレーゼさんの」

「おや。こんな気が利かない娘を嫁にするくせに、なかなか察しがいいね」

部屋に、沈黙が訪れた。

その沈黙をたっぷり味わってから、スピーゲルが勢いよく立ち上がる。

「違います!!」

「何だい?まだ嫁にしてないなんて……結納金が稼げないのかい?」

「だから!違いますから!」

「小娘。あんたちょっと美人だからって結納金つり上げてんじゃないだろうね?あんたみたいな気の利かない娘を貰ってくれるってんだから、さっさと貰ってもらいな」

「つり上げてなんていませんわ」

アルトゥールが首を振って答えると、ジビレはまた眉尻を下げた。

「じゃあ……もしかして、あんたも持参金が用意出来ないのかい?」

アルトゥールは瞬いた。何故そうなる。

けれど、ジビレはアルトゥールの返事を待たずに自論を展開する。

「かわいそうに。そうかい。花嫁が持参金ないなんて格好つかないからね……」

「だから!違いますからっ!」

必死に否定するスピーゲルの声は、ジビレの耳には入らないようだった。

――――――花嫁が実家から婚家へ持参する財産は、持参金と呼ばれる。

家格や身分によって持参金の額は異なるが、額によって花嫁の婚家における扱いが変わることもあるので、娘を持つ親は借金をしてでも持参金を持たせようとするし、持参金を用意できない娘は婚期を逃すことすらある。

最近では花婿の家から花嫁の家に渡す結納金を出さない代わりに持参金も不要とする結婚も増えたが、古い家柄同士の縁談や昔気質の老人など、持参金にこだわる者はまだ多い。

「持参金て……普通どのくらいの金額が必要ですの?」

アルトゥールが尋ねると、喚き疲れて水を飲んでいたスピーゲルは少し考えこんだ。

「金貨なら……一袋が庶民の相場ですかね」

「金貨一袋……」

金銭感覚に疎いアルトゥールにはそれがどれほどの金額なのかはピンと来ないが、金貨一袋は一家族が一冬越せるほどの大金である。 ジビレの言うとおり、機織り程度で手に入れるのは不可能だ。

「それで魔族を捕まえようとしていたんですのね……」

「……アントンは持参金(そんなもの)いらないと言っていたけどね」

ジビレは杖を握り締めた。

勝ち気そうな目を伏せると、皺が寄った目元に影がさす。

「……持参金がない花嫁は肩身がせまいものさ。私でさえそうだったんだから、格上の家へ嫁にいくテレーゼには、余計に持参金を持たせてやらにゃ……」

「……」

テレーゼの結婚を祝いたい。けれど家格が釣り合わない結婚が心配でならない。

そんなジビレの気持ちが、皺の一本一本に透けて見えるようだった。

(けれど……)

だからと言って、魔族探しなんて危険な真似をジビレに続行させるのは如何なものか。

いくらお金が欲しいからといって、外套で顔を隠した人間に片っ端から『魔族だろ』と声をかけるなんて無謀すぎる。

先程の人のように、老人相手でもかまわず怒りだす人もいる。

(もし、怪我でもしたら……)

毎回魅惑の猫に助けてもらえるわけではない。

自分がどんな危険なことをしているか、ジビレは分かっているのだろうか。

「……わかりましたわ。おばあちゃん」

「……何がわかったんだい、小娘。あと、あんたのおばあちゃんになった覚えはないよ」

ジビレに睨みつけられても臆することなく、アルトゥールは拳で胸を叩いた。

「わたくしも手伝いますわ!!おばあちゃん!」

「だから、あんたのおばあちゃんになった覚えは……って、ええ?」

「は?」

スピーゲルとジビレが、面食らって声を上げる。

アルトゥールは勢いよく立ち上がって胸を張った。

「テレーゼとアントンには焼き菓子をごちそうになりましたもの!その二人の門出に持参金が必要というなら、わたくしもおばあちゃんを手伝いますわ!」

ジビレは驚いたのか目を真ん丸にさせた。

「あんた……気が利かないくせに思いきりはいいんだね」

「気が利かないは余計ですわ」

「いやいやいやいや!ちょっと待ってください!」

スピーゲルが慌ててアルトゥールの腕を引っ張り部屋の隅へ連行する。

「まさか僕を騎士団に突き出すなんて言いませんよね!?」

もちろん、ジビレに聞こえないように声はひそめている。

アルトゥールはまさか、と首をすくめた。

「そんなことするはずありませんわ」

「けれど探すって……」

「探すのは魔族(あなた)ではありませんわ」

「……え?」

ニヤリ、とアルトゥールは笑って見せた。

口角を上げただけの歪な笑顔は、妙な迫力をもってスピーゲルを圧倒する。

「捕まえることでお金がもらえるのは、何も魔族だけではありませんのよ?」






それらの紙には、目をぎらつかせた厳つい男達の顔が描かれていた。

その下には男達の名前、罪状、そして懸賞金の金額が黒いインクで太く書かれていた。『生死問わず』の文言と共に。

壁にずらりと並んで貼られた手配書を眺め、スピーゲルはため息をつく。

「……なるほど。賞金首ですか……」

「この男なんていいんじゃないかしら?連続強盗殺人犯の『エゴン』。金貨二袋」

「そんな凶悪そうな男、私らで捕まえられるのかい?」

手配書を前にして、アルトゥールとジビレはどの賞金首を捕まえるか話し合いの最中である。

三人はジビレの家を後にし、街の中心部でも特に人通りが多い場所にやってきていた。

「やっぱり魔族を探した方がいいんじゃないかい?魔族なら名前を知られなきゃ魔法にかけられないんだから安全だろう?」

ジビレはやや気弱な様子で手配書を見やったが、アルトゥールは得意気に言った。

「心配いりませんわ。スピーゲルが捕まえてくれますもの。ねぇ?スピーゲル」

決定事項のように言い放つアルトゥールに、スピーゲルは不満を上げる。

「勝手に決めないで下さいよ……」

「スピーゲルはテレーゼに持参金を持たせてあげたいとは思いませんの?」

「そりゃ思いますけど……」

どうにも乗り気ではないスピーゲルの様子に、ジビレは顔をしかめる。

「無理をお言いでないよ小娘。この細い兄さんに凶悪犯をつかまえられるわけないだろう?」

「あら。こう見えてスピーゲルは強いんですのよ?誰にも負けませんわ」

アルトゥールはスピーゲルを見上げた。

「ね?」

全幅の信頼がこもった目線に、スピーゲルが項垂れることで白旗をあげる。

「……わかりました。わかりましたよ」

「さぁ!!早速探しますわよーっ!」

アルトゥールが両手の拳を天に突き上げ戦の前の戦士のように声を上げると、馬車や荷車の轍が残る大通りを行きかう人々が物珍しそうに眺めてくる。

スピーゲルが慌ててアルトゥールの口を塞いだ。

「姫!大人しくしてください!」

「むむぅ!」

口を押えられて言葉を奪われたアルトゥールは、ぷくっと頬を膨らませる。

「……本当に大丈夫かねえ……」

ジビレは小さくため息をついた。

―――――ジビレが住むこの街は、観光名所になるような遺跡も、有名な祭りもない。

その為、街を目的として訪れる旅人は少ないが、都と地方都市を行き来する商団の中継地点として利用するため常に人が多く集まる。

治安が良いとは残念ながら言いにくいが、活気があり、賞金首が身を隠すにはちょうど良い街であるように思えた。

「あいつ。手配書にあった結婚詐欺師に似てないかい?」

ジビレが、一人の男をひそかに指差した。

相手の男の顔を確認し、アルトゥールも頷く。

「まぁ、本当ですわ。……スピーゲル」

「……はいはい」

アルトゥールとジビレが人ごみのなかで賞金首を探し、スピーゲルがその場で捕まえる。

その作業を繰り返すこと半日。

結果は惨敗である。

『似ている』人物は10人近くいたが、誰一人として手配書の凶悪犯本人ではなかったのだ。

勘違いを笑って許してくれる人もいれば、怒鳴りちらしてくる人もおり――勿論、怒鳴られて当然の間違いである――更にはジビレが怒鳴り返してしまったせいでいざこざが拡大し、それの仲裁やら何やらでアルトゥールとスピーゲルはすっかり疲れ果ててしまった。

「疲れましたわ……ぜんぜん見つかりませんわね」

「そりゃそうですよ。高額な賞金がかけられている凶悪な犯罪者がゴロゴロしていても困るでしょう?」

それもそうである。

背中合わせに座り込む二人の横で、ジビレはまだまだ元気そのものだ。

「このくらいで疲れるなんて、最近の若いもんはだらしないねえ!」

いや、おかしいのはあんただ。

「……スピーゲル」

アルトゥールはスピーゲルにすり寄った。

アルトゥールの不穏な雰囲気に、スピーゲルは尻込みするように仰け反る。

「な、何です?」

「前にわたくしを探した方法で賞金首を探すっていうのは……」

アルトゥールが人買いに拐われた時、スピーゲルは鼠達に魔法をかけ、アルトゥールの居場所を探させたのだ。

あの方法なら、賞金首をつかまえることもできるのではないか。

けれどスピーゲルは首を振った。

「無理ですよ。あの時はおおよその目星がついていたから出来たんです。この街に確実にいると分かっているならともかく、いるかどうかも不確かな人間を探させるなんて出来ません」

スピーゲルは声を落とした。

「魔法には『限界』があり『制限』がある。前に言ったでしょう?」

「うう……」

やはり駄目か。

肩を落とすアルトゥールの頭が、上から軽く抑え込むように撫でられた。

アルトゥールが目を上げると、すりきれた煤色の外套の奥で、赤い目が柔らかく笑っている。

「何か買って来ましょうか?何が食べたいです?」

スピーゲルの目があまりに優しくて、アルトゥールは慌てて目を伏せた。

この目で見られたら、正直アルトゥールはお手上げだ。

理由は分からないが、頭の中が直射日光に当てられた砂糖菓子のように溶けてしまう。

アルトゥールはスピーゲルの目から逃げるように、目を泳がせた。

「……り、林檎飴が……食べたいですわ」

「わかりました。いい子にしてるんですよ?」

スピーゲルはもう一度アルトゥールの頭をポンポンと叩くように撫でると、ジビレにも声をかけた。

「ジビレさん。あなたも林檎飴でいいですか?」

「奢りなら何の文句も言わないよ、わたしゃ」

「わかりました」

苦笑気味に頷き、スピーゲルは歩き出す。

遠ざかる背中を見送り、アルトゥールはスピーゲルに撫でられた場所(あたま)を、自分でもそっと撫でてみた。

撫でられたのは頭なのに、心臓のあたりが熱いのは何故だろう。

「そういえば、あんた名前は?」

「え?」

ジビレが、アルトゥールの隣に座り込んだ。

「名前だよ。名前」

「名前は……」

アルトゥールは一瞬迷い、そして答えた。

「ベーゼンですわ」

「ベーゼン?さっきの兄さんは(スピーゲル)で、あんたは(ベーゼン)?変な二人組だね!」

ジビレは笑った。

「それで?ベーゼン。あんた何しにこの街にきたんだい?随分軽装だから、旅の途中ってわけでもないだろう?かと言ってここらへんの人間ってわけでもないようだし、何か用事があってこの街に来たんじゃないのかい?」

「わたくしは……」

背後を行き交う人々に目をやり、アルトゥールは答えた。

「わたくしは人探しに来たんですわ」

とは言え、またしてもその目的を見失ってはいたが。

「人探し?」

ジビレはアルトゥールと同じように、背後を通りすぎる人々に目をやる。

「誰を?この街にいる人間かい?」

「とも限りませんわ」

「何だいそれ?どういうことだい?」

「わたくしが探しているのはキスの相手ですの」

ジビレは数回瞬いてから手を耳にあて、アルトゥールに向けて傾ける。

「……何だって?」

どうやらうまく聞こえなかったらしい。

老人は耳が遠くなるものだからと、アルトゥールはジビレの耳元で大声で言い直すことにした。

「だから!キスをする相手を探しているんですわ!!」

「うるさいね!耳がいかれちまうよ!!」

ジビレが顔をしかめて怒鳴る。

アルトゥールは頬を膨らました。

わざわざ聞こえるように言ったのに、何故叱られねばならないのだ。

「はぁ……まったく……」

ジビレは不快そうに手で耳を軽く揉んでいる。

「それにしてもキスの相手って……あの兄さんにしてもらえばいいじゃないか。恋人なんだろう?」

「スピーゲルは恋人でも許嫁でも夫でもありませんわ。ずっとそう言っていますでしょう?」

「……恋人じゃない?……」

ジビレは納得しかねる顔だったが、アルトゥールをまじまじと見て、やがて訳知り顔でゆっくり頷いた。

「ある日気づいたら始まってたというのもあるからね……」

「……始まってるって、何がですの?」

「まぁ、ちょっと妙だと思ったんだ。あっちの兄さんはどこか一歩下がってる感じだったし。……ああ、顔に火傷があるんだったね。それでかねぇ……難儀な二人だ」

遠くを見るように、ジビレはため息をつく。

アルトゥールは首を傾げた。

(……何だか)

いつか誰かにも同じような反応をされたような覚えがある。

「とにかく、キスの相手探しね。いいじゃないか。男を見る目を養ってこそ一人前の女ってもんだ」

「……え?」

アルトゥールはジビレを見返した。

てっきり『最近の若いもんは』とか『慎みがない』とか言われるかと思っていたのに。

ジビレは眉をひそめて、アルトゥールを睨む。

「何だい?わたしが『最近の若いもんは』やら『慎みがない』やら言うと思ったのかい?」

その通りである。

アルトゥールが黙ると、ジビレはフン、と鼻を鳴らす。不満だったようである。

「わたしだって若い頃は恋の一つや二つしたもんさ。……思い出すねえ、死んだ爺さんとの初めてのキス」

頬を染め、ジビレは目を閉じた。

「村の祭りの夜だったよ。爺さんたら強引で……。ああ、だめだめ。これ以上は話せないよ」

「……聞いていませんわ」

「それで、あんたはどんな相手がいいんだい?」

「え?」

「キスの相手さ。探しているんだろう?どんな相手がいいと思って探してるんだい?」

「どんなって……」

言われてみれば、相手について具体的に考えたことはなかった。

アルトゥールは指先で米神をぐりぐり押し、目を閉じた。

「どんな相手がいいか……」

瞼の裏にぼんやりと思い浮かんだ面影をアルトゥールは口にする。

「……背が高くて……肩幅が広くて……」

それから……。

アルトゥールは目を開けた。

「手が大きくて……髪が長くて……」

柔らかく、微笑む人がいい。

「…………」

呆然と、アルトゥールは立ち尽くす。

背が高くて肩幅が広くて、それから、手が大きくて髪は長くて……。

今自分は、一体誰の微笑みを瞼の裏に思い浮かべていたのだろう。

突然、強い風が吹き荒れた。

木々が揺れて木の葉が舞い、角の店先で売っていた篭がコロコロと転がっていく。

(……雨が……)

降るかもしれない。生暖かい湿気を含んだ強風は、雨雲が近付いてきている証拠なのだと、前にスピーゲルが教えてくれた。

「……あの男」

ジビレが、アルトゥールの袖を引いた。

「え?」

「ほら、あの男さ。似てると思わないかい? 」

川縁の道を歩いていた男を、ジビレが指差す。

「似てるって……」

誰に、と尋ねようとして、けれどアルトゥールは口を噤んだ。

ジビレが指差したのは、中肉中背の男だった。こけた頬には、古い切り傷。

男は風に飛ばされた外套のフードをかぶりなおし、顔を隠すように俯いた。

「賞金首の……」

「『エゴン』だよ!」

ジビレが目を輝かせて飛び上がる。

「立ちな!早く追いかけるよ!」

急くジビレの腕を、アルトゥールは慌てて引っ張った。

「ダメですわ!スピーゲルが戻るのを待って……」

「そんなこと言ってたら逃がしちまうよ!」

アルトゥールは迷った。

追いかけても、また『似ているだけ』の別人かもしれない。

(それなら……)

『別人』だと確認するだけなら、スピーゲルがいなくても出来るはずだ。

「ほら!早く!行くよ小娘!」

「……わかりましたわ」

アルトゥールは頷いた。




*****


ジビレの夫が死んだのは、結婚して10年目だった。

頭が痛いと寝込んで、そのまま彼は目を覚まさなかった。

なかなか恵まれなかった子供にもようやく生まれて、これからという時だ。

悔しかった。悲しかった。不安だった。

けれどただ泣いているわけにはいかなかった。

娘を育てなければ。

頼れる親類はいない。蓄えもない。

乳を欲しがって泣く娘をおぶって、ジビレは街の食堂で皿を洗い、給仕をし、夜は空が明るくなるまで機織りをした。

再婚を、考えたこともある。

頼る人が欲しかった。楽になりたかった。

けれど相手の男が躾だと娘を叩いたのを見た瞬間、ジビレはその男を家から蹴り出した。

心の拠り所は、結局は娘だった。

貧乏暮らしで玩具もお菓子もまともに与えてやれなかったが、娘は素直で優しい娘に育ってくれた。

娘が幼馴染みと無事に結婚した時は、寂しくもあったが、役目を果たせたような気がして、心から安堵したものだ。

けれど、娘夫婦はあっけなく死んだ。流行病だった。

薬で治る病だったのに、流通が大混乱していて、薬が手に入らなかったのだ。

22年前―――水害があり、飢饉があり、魔族狩りがあり、世間が大騒ぎをしている最中だった。

真新しい墓前で呆然とするジビレに、幼い孫娘テレーゼが笑いかける。

無垢なその笑顔に、ジビレは泣いた。

一人残されたという焦燥感と、一人ではないという安堵の入り交じる涙をひとしきり流した後、ジビレはまた昼も夜も働いた。

テレーゼを立派に育てなければならない。

テレーゼは玩具が欲しいと我儘を言うこともなく、ジビレの痛む腰をさすって労わってくれる優しい子だった。

『はい、おばあちゃん』

『何だい?これ』

『杖よ。これがあったら、歩くときに楽でしょう?』

十四で働き始めた彼女は、初めての給金でジビレに杖を買ってくれた。

嬉しくて嬉しくて、ジビレは涙が出た。

色々なことが報われた気がした。

そんなテレーゼが結婚したいと言って半年前に連れてきたのがアントンだ。

『ア、アントンといいます。初めまして』

初めて会った時。ジビレは仰天した。

『……テ、テレーゼ!?いくら金持ちでも、こんなデブでハゲの中年親父と結婚するのは反対だよ!』

『おばあちゃん!』

『あ、あの……一応僕はまだ二十二才で……』

消え入りそうな声でアントンが自己申告した年齢に、ジビレはまたしても仰天した。

『何だって!?二十二!?』

ジビレはアントンを改めて凝視する。

アントンを右から見ても左から見ても、裏返して服を剥いたとしても、脂がのった中年男性にしか見えない。

『よく間違われるんです。ははは』

普通なら腹をたてるだろうジビレの非礼な言動にも、アントンは怒ることなく笑った。

お人好しで、優しいアントン。

何度となく騙されているはずなのに、性懲りもなく人を信じて、また騙される。

彼を馬鹿だと言う人もいる。ジビレもそう思う。けれど、嫌いになるはずもない。

馬鹿にされるくらいのお人よし。テレーゼとそっくりだ。

―――ああ、よかった。

テレーゼは、きっと幸せになれる。

アントンと一緒なら、絶対幸せになれる。

もう大丈夫だ。アントンがいてくれるなら大丈夫。

ジビレは心の底から安心した。

それなのに、アントンの叔母を名乗る太った中年の女が、ある日家に怒鳴りこんできたのだ。

『この泥棒猫!』

アントンの叔母は、テレーゼを指差してそう罵った。

『どうせアントンの財産目当てで結婚するんだろう!?』

『そんな、私は……』

テレーゼは違うと訴えようとしたが、アントンの叔母は聞く耳を持たない。

『そうはいかないよ!アントンは私の娘と結婚するんだ!ずっとそう決めていたのに、あんたみたいな雌猫が横から出てきたせいで……!』

アントンの叔母は、テレーゼを睨み付ける。

まるでテレーゼが汚い野良猫であるかのように。

『この薄汚い盗人め!!持参金も用意できないくせに!』

アントンの叔母は、棚に片付けてあった皿をテレーゼに向かって投げつけてきた。陶器の器は、一枚が床に落ちて砕け、もう一枚はジビレを庇うテレーゼの背中にあたった。

『出ていけ雌豚!!』

ジビレは腹のそこから怒鳴った。

『私の大事な孫に手を出すんじゃないよ!』

―――皿の破片を片付けながら、テレーゼは静かに涙を流した。

『財産目当てと思われても仕方がないわ。持参金が用意できないのは本当だもの……』

『そんなこと言うんじゃないよテレーゼ』

声を殺して泣くテレーゼを、ジビレは皺だらけの手で必死に抱き締めた。

そして、心に決めたのだ。

どんな手をつかっても、テレーゼに持参金を持たせてやるのだと。

家を売ろうとしたが、小さく古い家は買手がつかなかった。

皿洗いも、機織りも、大した金にはならない。

どうしたものかと困った時に、ふと思い出したのだ。

二十二年前の魔族狩りの時。隠れている魔族を捕まえれば多額の褒賞金がもらえると、皿洗いをしていた店の店主が言っていたのを。

テレーゼの持参金を稼ぐため、ジビレは来る日も来る日も街で魔族を探した。

聖騎士団に滅ぼされたといわれる魔族。

けれど『人里離れた森に隠れている』とか『子供を連れ攫われた』など、真偽不明ではあるが今でも魔族の噂は絶えない。

煙がない所に火は立たないのだから、きっと魔族は今も隠れて生き延びているはずだ。

魔族は赤い目と白い髪を隠すためにけっして人前で外套を脱がないのだ、と死んだ夫から聞いたことを思いだし、ジビレは外套を着ている人間を片っ端から疑った。

最初はらちがあかなかったが、やがて『あやしい』人物を見分けられるようになった。

冬は防寒として、夏には熱い日差しを避けるため、外套を着こむ旅人は少なくない。

だが、大抵の人間は店に入る時には外套を脱いだり、人と話すときは顔を上げたりする。けれど、なかにはそれをしない不自然な人間もいるのだ。決して外套を脱がず、顔を上げず……。

そして、ジビレは彼を見つけた。

背が高くて、擦りきれた煤色の外套を纏った男。

堅くななまでにずっと俯いて外套のフードを頻繁におさえていたから、周囲に顔を見られたくないのだとジビレは直感した。

絶対に『魔族(あたり)』だと思って声をかけたのだ。『お前魔族だろう?』と。

男が、ジビレに向き直る。

一緒にいた女と一緒に。 ―――その女はびっくりするほど美しく、そして人形のように無愛想だった。




*****




黒い雨雲が、空を覆う。

雨を警戒した人々は足早になり、商売人達は店先から品物を片付け始めていた。

賞金首の『エゴン』に似た男の後を尾行(つけ)て、ジビレはそっと建物の影に身を隠す。

「どこに行くのかしら?」

「静かにおし!」

ジビレは背後を振り仰ぎ、口に指をあてて注意した。

目線の先にいるのは、まさに絶世の美女だ。

黒い巻き髪に赤い唇。無愛想な白い頬。彼女が瞬きをするごとに、蒼い瞳が煌めいている。

ジビレより随分と高い上背を、アルトゥール(ベーゼン)は膝に手をついて屈ませていた。

「早く追いかけないと見失いますわ」

「わかってるよ!」

促され、ジビレは大股で歩き出す。アルトゥール(ベーゼン)は、その後ろをぴったりとくっついてくる。

(……妙な娘だね……)

どうして彼女はジビレを手伝ってくれるのだろう。

テレーゼですら、魔族を探すジビレを『危ないから』と諌めるだけだったのに。

アントンも『持参金なんて必要ない』と言うだけだった。

(あの男は……優しいけれどちょっとばかり頼もしさに欠けるね)

問題の根本は持参金の有無ではなく、アントンの叔母にあるのだ。

もう少しアントンがしっかりしてくれたら、ジビレも安心できるのに。

(いいや、他人をあてにするなんて馬鹿げてる)

そもそも、誰かに頼る気はジビレにはない。

ずっと一人でやってきた。誰にも頼らず、助けをかりず。今更誰かに助けて貰うなんて、どうすればいいのかわからない。

それなのに、アルトゥール(ベーゼン)とスピーゲルがあらわれた。

ついついきつい口調になってしまうジビレに、アルトゥール(ベーゼン)は負けずに言い返してはくるものの、ジビレを『おばあちゃん』なんて呼んで、この半日の行動を共にしている。

(……何だか、孫が増えた気分だね)

愛想はないが、いい娘だ。

スピーゲルも、魔族に間違えられて気分が悪かっただろうに、それでもジビレに対して丁寧な態度を崩さない、いい若者だ。

「…………」

ジビレは横目でアルトゥール(ベーゼン)を盗み見た。

アルトゥール(ベーゼン)は外套のフードをかぶってはいたが、その美貌は隠しきれず、すれ違う人が時々振り返っている。

(恋人じゃないと言っていたけど……)

並んで歩くアルトゥール(ベーゼン)とスピーゲルは、歩調が同じというか、纏う空気が似ているというか、とにかく、一緒にいるのが当たり前という様子だった。まるでテレーゼとアントンのように。

見ていると歯痒いが、その歯痒さが面白い。

アルトゥール(ベーゼン)はどうやら色恋には疎いようだし、スピーゲルは顔の火傷を気にしてか一歩を踏み出せないようだが、まとまるのも時間の問題だろう。

(……若いってのはいいねえ)

かつての自分と夫とのやりとりを思い、ジビレは心を和ませる。

その時。

「ジビレ!」

突然、アルトゥール(ベーゼン)が後ろからジビレの肩を引いた。

「な、何だい!?突然……っ」

「気づかれましたわ!」

「え」

ジビレが視線を巡らせると、少し先を歩いていた『エゴン』が立ち止まって、こちらを向いていた。

外套で表情はわからないが、ジビレとアルトゥール(ベーゼン)を見ている様子だ。

けれど、何か言ってくるわけでもなく、逃げるわけでもない。

「……っ」

時間が止まったかのように不気味な空気に、ジビレは息を飲む。

やがて、『エゴン』はジビレとアルトゥール(ベーゼン)から視線をはずし、店と店に挟まれた細い路地に入って行った。

「逃げられる!」

「おばあちゃん!」

ジビレは止めようとしてきたアルトゥール(ベーゼン)の手を振り払い、走り出した。

腰も膝も痛いし、体は重くて言うことをきかない。それでも、杖を頼りに必死に走った。

急いで『エゴン』が曲がった路地に飛び込む。

路地の突き当たりを、『エゴン』が纏っていた外套と同じ風合いの布がはためき、右に消えた。

ジビレはそれを追いかける。

(絶対捕まえてやる!)

どうしても、テレーゼに持参金を持たせてやりたかった。

この好機を逃したら、それが叶わなくなる気がする。 

人気のない路地裏を、ジビレは『エゴン』の気配を探って走った。

「ジビレ!」

アルトゥール(ベーゼン)の声が、背後に遠ざかる。けれど、それでもかまわなかった。

ジビレの頭のなかは『エゴン』を追いかけることでいっぱいで、本能が発する警報にも気付けない。

そして角を曲がった直後。

「!?」

ジビレは何かにぶつかり、弾かれるようにして地に転がる。

「いったたたた……」

ぶつけた腰に手をやり、起き上がろうとしたジビレの耳に、砂利を踏みしめる音が届いた。

「……っ」

目線の先には、ところどころ擦り切れた革靴。

ジビレは息を飲む。

革靴に固定された視線を、膝、大腿、胴、首と、ゆっくり上げていく。

外套に隠れていた男の顔が、見えた。

古い切り傷がある頬はこけて青白く、顎には無精髭。まるで死人のように生気がない闇のような黒い瞳が、ジビレを見下ろしている。

「ひっ……」

「……どうして俺の後をつける?」

抑揚のない声で『エゴン』は言った。

ジビレは、答えることが出来ない。体が震えて、舌がもつれて、悲鳴すらあげられない。

『エゴン』がベルトに差していた短剣を抜く。

短い刀身が、冷たく光った。

「……助けて……エーミール……」

ようやくジビレの喉から絞り出た声は、夫に届くとは思えないほどか細いものだった。

仮にその小さな声が夫に届いたとしても、既に故人の彼にはどうしようもないだろう。

『エゴン』が、静かに短剣を振り上げる。

ジビレは、目を閉じることが出来ない。

白刃が、宙に光の弧を描いて振り下ろされた。



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