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ユーディト①

「ユーディト様」

侍女に呼ばれ、ユーディトは

我に帰った。

「え?」

「お支度が整いました」 

侍女達が恭しく頭を下げ、一歩下がる。

鏡に映る自らの姿を、ユーディトはまじまじと見つめた。

(……こんな顔だったかしら?)

頬にはそばかす。榛色の髪と目。平凡な顔立ち。

『健康的』といえば聞こえはいいが、丸々と太った体。

そして、ずんぐりとした小さな手は、きっとどんな指輪も似合いはすまい。

(おかしい……ですわ)

頬にそばかすなんてあっただろうか。それに、髪は黒かった気がするし、目の色も違ったような……?

「どうなさいました?ユーディト様」

「あ、いいえ。何でもないですわ。綺麗にしてくれてありがとうですわ」

戸惑い気味の侍女達に、ユーディトは笑顔を見せた。

(きっと気のせいですわね)

改めて鏡の中を覗き込む。

髪は高く結上げられ、丹念にほどこされた化粧のおかげでぼんやりした印象の目鼻立ちはいつもより幾分かはっきりして見える。

身につける白い婚礼衣装は銀糸や真珠を使った贅沢な品で、ユーディトの体には幾分か小さめだった。

けれど手直しする時間はなく、侍女達が数人がかりでユーディトのコルセットの紐を引絞り、必死にふくよかな体を衣装に押し込めたのだ。

(……大丈夫かしら)

婚礼の途中で縫い目が裂けやしないか、ユーディトは内心不安でいっぱいだった。

「用意は出来たか」

白い長衣を身につけ、赤い外套を肩に羽織った花婿が部屋に入ってきた。

「国王陛下」

ユーディトは慌てて膝を折る。

黒い髪に、青い目。凛々しく整った顔立ちの国王。

ユーディトの夫になる人だ。

国王はユーディトを見て笑った。

「さぁ、行こうか。花嫁殿」

「は、はいですわ」

差し出された腕におずおずと手を置き、ユーディトは国王に並んで歩き始めた。

(……『美しい』とは、言ってくださらないのね……)

ユーディトは、密かに落胆する。

普通、花嫁を前にした花婿は『美しい』という類の言葉を口にするものだろうに。

口先だけだったとしても、一言その言葉がきけるのではないかとユーディトは密かに期待していたのだ。

(でも、そうよね。陛下はわたくしを愛してらっしゃるわけではないもの)

数カ月前。王城で行われた晩餐会で国王に求婚された際、ユーディトは仰天して気を失いかけた。

ユーディトの家は貴族とは名ばかりの家で、持参金も満足に用意できないような家だった。

ユーディト自身も、お世辞にも美しいとは言えない娘だ。大した教養もないし、人より優れているのは胃袋の強靭さくらいか。

では何故、国王はユーディトを妻にと望んだのか。

大聖堂には、国王の婚礼に招待された王侯貴族が所狭しと集まっていた。

きらびやかな衣装に身を包んだ彼らは、国王の隣を俯きがちに歩くユーディトを見てクスリと笑う。

「あれが新しいお妃様か」

「何人目だ?」 

「今度は何年()()かな」

――――実は、国王は初婚ではなかった。彼はとある理由で結婚と離婚を繰り返している。

それはユーディトも知っていた。知ってはいたが、文句が言える立場ではない。

忍び笑いは、まだ続く。 

「多産の家系なんだそうよ」

「それだけで、あんな田舎娘を王妃に娶られたの?」

「陛下も必死だな、あんな不器量な娘を妻にしてでも、後継ぎが欲しいらしい」

足が震えた。

冷たい刃のような視線に、心がズタズタに切り裂かれていく。

目を向けた先に、心配そうにこちらを見る母親と、ふんぞり返っている父親がいた。

目尻に涙が滲む。

『この子が王妃だなんて』

そう言って、母親はこの結婚に難色を示した。

『この子が王城で暮らせるわけがないわ。身分が低くても、この子を大切にしてくれる方と……』

『何を言う!結納金はもう頂いたのだぞ!それにユーディトが王子を生めば、私は未来の国王の祖父だ!』

『でも……っ』

『大丈夫ですわ。お母様』

母を宥めて、ユーディトは笑った。

『わたくしなら大丈夫です!』

国王の青い瞳に、ユーディトは以前から恋をしていた。叶うはずがない恋だった。

遠くから見ていられれば、それでよかった。

どんな形であれ、彼の妻になれるのだ。その好機をふいにしたくない。

それに、相手は国王。どのみち、断るなんて不敬なことはできやしない。

年が離れた姉達は、確かに多く子供を生んだ。両親を同じくする自分も、きっとすぐに子供を授かれる。

(子供さえ生まれれば……!)

国王は、きっとユーディトを愛してくれる。

きっと幸せになれる。


そして……。


「おめでとうございます、陛下」

医官が畏まって頭を下げると、国王は椅子から立ち上がった。

「間違いないのか!?」

「はい。王妃様、ご懐妊でございます」

「やったぞ!!」

国王は、まるで子供のように飛び上がった。

寝台に横たわっていたユーディトは、信じられない思いで、自らの腹部を撫でた。

(……赤ちゃん……)

そこに新しい命が宿ったのだと思うと、不思議でたまらない。

婚礼から半年。

子供ができればと、それを心の支えに貴族達の心ない中傷にも耐えてきた。

そんな日々ももう終わる。

幸せになれる。

幸せになれるのだ。

「ユーディト!!」

国王は寝台の横に跪き、ユーディトの手をとった。

「やったぞ!ユーディト!感謝する!ようやくこれで後継ぎをこの腕に抱けるのだな!」

ユーディトの恋した青い瞳がキラキラと輝いて、まるで光を反射する泉のようだった。

ユーディトは頬を赤らめた。

「いやですわ。まだ男の子と決まったわけじゃ……」

「いいや!男の子だ!」

国王は、大きな声を上げた。

何の悪意もない、明るい希望に満ちた声に、ユーディトは何故か怯えて瞳を揺らす。

「陛下……?」

「男の子のはずだ!男に決まっている!!」

その日から、ユーディトの部屋には様々なものが届けられるようになった。

男児用にと縫われたであろう色合いの産着。木馬など男児が好むだろう玩具。

日々増えていくそれらは、ユーディトを精神的に追い詰めた。

(もし……この子が男じゃなかったら)

大きくなっていくお腹を、ユーディトは撫でる。

(もし、この子が女だったら……)

ユーディトは、それを考えると背筋が冷たくなった。

後継ぎが生まれるとばかり考えている国王は、どれほど落胆するだろうか。

(でも、でも女だとしても、血がつながった実の子供だもの)

がっかりはしたとしても、生まれた子を慈しんでくれるはずだ。

けれど、女の子をあやす夫の姿を、ユーディトは想像できなかった。

まだ短い結婚生活ではあったが、既にユーディトは夫の短気で自己中心的な性格を痛いほど思い知らされていた。

彼は思いこみが激しく、思い通りにいかないとすぐに癇癪をおこす。

懐妊前も、ユーディトに月の障りが訪れるたびに、彼は妻を責め立てた。まだ懐妊しないのか。まだなのか、と。

もはやユーディトの心の中に、彼に対する恋情は欠片も残っていない。あるのは恐怖だけだ。

ユーディトの悪阻は安定期を迎えた後もおさまらなかった。

水しか飲めないユーディトの体はどんどん痩せ細り、今ではかつてのふくよかだった頃の面影はない。

「お妃様は気鬱の病でございます。このままではお腹のお子様に障りますので、お産は心安らかに過ごせるご実家でされることをおすすめいたします」

ある日。医官はそう言った。

国王は息子の誕生を王城で盛大に祝いたいようだったが、医官の言葉に渋々頷いた。

揺らしては体に障ると、ユーディトを乗せた馬車は驢馬よりもゆっくり進み、通常の倍かけて実家に辿り着いた。

「まぁまぁ!こんなに痩せて!」

「お母様……」

出迎えてくれた母親は、目に涙を浮かべていた。

「安心なさい。食べたいものを少しずつ食べて、産み月までゆっくり過ごしましょうね」

父親は痩せ細った娘よりも国王の機嫌を気にしたが、母親のおかげでユーディトは久方ぶりにゆっくりと眠り、まとまった量の食事を摂ることができた。

王城からはひっきりなしに手紙や贈り物が届いたが、手紙の返事は国王におもねることに夢中な父親に任せ、贈り物は見ないようにした。男児誕生を見越した贈り物だということは、見なくてもわかっていたからだ。

(このままここにいたい……)

赤ん坊が生まれたら、また王城に戻らなくてはならないことが、ユーディトは憂鬱でたまらない。

そんなことを考えていたせいか、産み月になってもユーディトには陣痛が来なかった。

産婆を呼び、陣痛を呼ぶ薬湯を飲んでみるが、効果はない。

体を温め、揉み解し、ようやく陣痛と思われる痛みの波は訪れるようになったが、産婆曰く「陣痛が弱すぎる」とのことだ。ユーディトにしてみれば、定期的に襲ってくる痛みは蹲るほどに痛いのだが。

「これはあまりよくないね」

産婆は言った。

「これ以上この状態が続けばお腹の子が危ない」

これには、父親が真っ青になった。

「ど、どうにかしてくれ!お腹の子に我が一族の未来がかかっているんだ!」

「私には何も出来ないよ」

「そんな!」

ユーディトは戦慄した。

十月抱え続けた命が、失われようとしている。

(私のせいだわ!)

子供が女ならどうしようとか、生まれたら王城に戻らなくてはならないとか、自分の都合ばかり考えていたから、お腹の子はこの世に生まれ出ることが怖くなってしまったのだ。だから、出てきてくれないのだ。

(ごめんなさい……!)

性別なんてどちらでもいい。ただ無事に生まれてきてくれれば、それでいい。

ユーディトは涙ながらに産婆に縋った。

「お願いです。何でもします。赤ちゃんを……赤ちゃんを助けてください!」

「……」

産婆は、難しい顔をした。

「本当に何でもするかい?」

「勿論です!」

「……霧の森の奥に、魔族の生き残りが住んでいるという噂を聞いたことはあるかい?」

ユーディトの母親が、不安げな顔で頷く。

「魔法を使って不治の病も治すという噂の?でも、魔族なんて……ただの噂でしょう?」

「いいや。本当さ。以前は近辺の村々を回って医者の真似事をしていたがね。魔族狩り以降はとんと見なくなった……だが、訪ねていけば診てくれるようだよ」

「ダ、ダメだ!!」

父親が青い顔のまま叫ぶ。

「魔族を見つけたら即刻騎士団に通報するのが義務!にも関わらず、魔族に頭を下げて助けてもらうなど……!!」

確かに、国王に知られればただではすむまい。

だが、他に道はなかった。

ユーディトは母親に支えられ、騎士達に守られながら森に入った。

霧が立ち込める森は木が鬱蒼と生い茂り、馬や馬車ではすすめない。ユーディトは陣痛の合間をぬい、森の奥へ奥へと少しづつ足を運んだ。だが、歩いても歩いても、『魔族』が住むという家には着かない。

「やっぱり、魔族が住んでるなんて噂に過ぎないんじゃ……」

護衛の騎士が呟いたのが聞こえ、ユーディトは俯いた。

騎士が言う通り、魔族などいないのではないだろうか。

額に脂汗が滲む。

もう、歩くのも限界だ。

その時、赤ん坊がお腹を蹴った。

(……諦めてはダメ!)

ユーディトが諦めれば、それは赤ん坊の死に直結してしまう。

訪れた陣痛の波を、ユーディトは呼吸を深く繰り返すことで必死に逃した。

「ユーディト。頑張るのよ。頑張るの」

「お母様……っ」

腰を撫でてくれる母の優しさに、涙がでる。

「……っさい!」

何か聞こえた。

「……止まりなさい!」

人の声だ。

足音が近づいてくる。

騎士達が警戒して剣の柄を握る。

直後、叢から小さな男の子が飛び出してきた。

雪のような白銀の髪に、赤い目。

(魔族!)

ユーディトが魔族を見るのは、生まれて初めてだった。

「ま、魔族だ……!!」

騎士達は怯え、剣の柄に手をやったまま後退る。

魔族の少年は、背丈からみると5才か6才ほどに思われた。

息をきらせる少年は、目の周りに包帯のようなものがまとわりついていた。

(目を……?)

怪我していたのだろうか。

走ったせいで、包帯がとれてしまったようだ。

少年は、ゆっくりとユーディトに歩み寄る。

騎士達や母親はユーディトを庇うように動いたが、ユーディトはそれを押し止めた。

少年は、手を伸ばす。

その手は、ユーディトの膨らんだ腹部に、優しく触れた。

「……暗いって」

「……え?」

ユーディトは、訊き返す。

すると、少年は赤い目でユーディトを見た。

「暗くて、狭いって。そう言ってるよ」

ユーディトは、目を見張った。

「聞こえるの?」

少年は頷くと、ユーディトのお腹に頬ずりするように耳をつけた。

「聞こえる。苦しいから、早く出してだって」


残り3話です。

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