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笑わず姫の帰還② 

きらびやかに着飾った人垣が、割れるようにしてアルトゥールの行く先に道をつくる。

静まり返った広い室内は、歩くたびにカツカツと硬質な音が響いた。

「お、お前……!」

壇上の玉座で、国王が立ち上がる。

そして震える指で、アルトゥールを指差した。まるで亡霊を見つけたように。

「お、お前…生きていたのか!?」

「お久しぶりです。お父様」

着衣の裾を持ち、アルトゥールは軽く膝を折った。

その頬に、勿論笑みはない。

人々が知る『笑わず姫』がそこにいた。

国王はひどく混乱しているようだった。

「な、何故だ!?お前は魔族に殺されたはず……!」

娘の生還を喜ぶ素振りはまったくない。

(……別に期待していたわけじゃないけれど)

アルトゥールは嘆息し、玉座の隣に座るその人に視線を移す。

王妃イザベラ。

少女のように無垢な微笑みを唇に浮かべ、彼女はそこに静かに座っていた。

アルトゥールは、じっとイザベラを見つめた。

その視線を受けても、イザベラは何も言わず微笑み続けている。

(この人が……)

スピーゲルに命じて、多くの人から命を奪おうとしたのだ。

スピーゲルを生んだ人。

けれど、それを後悔し続けた人。

イザベラの微笑みが揺れた。

「森の奥の家に……」

ゆっくり立ち上がると、イザベラは国王の腕に手を絡める。

「魔族に囚えられているのを、私の私兵が助け出してお連れしましたの」

国王の耳元で囁く妖艶な素振りに、アルトゥールは悪寒がした。

まるで、毒を吹き込んでいるように見える。

けれど国王は、途端に笑顔を見せた。

「そうか!イザベラ、そなたが()()を助けてくれたのか!」

イザベラの手をとり、国王は上機嫌だ。

「娘などいても何の役にもたたないと思っていたが、これは不幸中の幸いだ!エメリッヒがいない今コレに婿をとって後を継がせて……」

アルトゥールは顔をしかめた。

(何を勝手な……)

よくぞこれほどアルトゥール(ひと)の意思を無視することが出来るものだ。

ニコニコとイザベラの手を擦る国王を、アルトゥールは冷ややかに見やる。

(こんなに愚かな人だったなんて)

かつて、この王城がアルトゥールの世界の全てで、(かれ)がアルトゥールの神だった。

彼に叩かれることが何より恐ろしくて、彼に愛されないことに絶望していた自分は、何て世間知らずだったのだろう。

けれどアルトゥールはもう知っている。

世界がどんなに広く、この王城がどれほど狭いか、そして、この目の前の男がいかに卑小かを。

(愚かな人……いっそ可哀想なくらいですわね)

世界の広さも、己の小ささも知らないなんて。

(もう、怖くない)

首から下げた砂時計を、アルトゥールは麻袋ごしに握り締める。

「わたくしの夫はどこです?」

国王ではなく、イザベラの目を見て言った。

「わたくしの夫を……スピーゲルを返してですわ」

「……夫?」

イザベラの目に微かに感情が揺れるのが見えたが、それも一瞬のこと。

「夫だと!?どういうことだ!?」

前に進み出た国王の体の影にイザベラは隠れて、アルトゥールの視界から消えてしまった。

アルトゥールは忌々しげに国王を見上げた。この男、愚かなだけではなく邪魔だ。単純に。

「ご報告が遅れましたけれど、わたくし嫁ぎましたの。お父様が『魔族』と蔑み滅ぼした一族の最後の一人と」

「な、何だと!?」

国王は顔色を青くした。

だが、すぐにその顔はわなわなと怒りに震え、赤くなる。

「魔族に……魔族に嫁いだだと!?」

「その通りですわ。それでスピーゲルはどこに……」

「余の許しもなく何と言う勝手を!今や余の血をひくのはお前一人ぞ!王女としての責任というものがお前にはないのか!?」

ズラズラと手前勝手な御託を並べる国王に、アルトゥールの頭の中で何かがブチ切れた。

「ありませんわ!!」

自分と同じ色の目を、アルトゥールは睨みつける。

「十七年、生かして頂いたことに感謝は致しておりますわ!でもわたくしの人生はわたくしのものですわ!!」

「この……っ馬鹿娘が!!」

国王は飛びかかるようにしてアルトゥールに近づくと、その勢いのままアルトゥールの頬を平手打ちにした。

周囲にいた貴族達が、「ひっ」と悲鳴をあげて後ろずさる。

衝撃のあまりの強さに思わずよろめいたアルトゥールだったが、懸命に足を踏ん張り、その場に留まった。

こんな男に膝を屈するなど、絶対に嫌だ。

痛む頬を庇うこともなく、アルトゥールは顔を上げる。

その決然とした表情に、国王は気圧されたようだった。

「こ、この……っこの愚か者を塔に閉じ込めておけ!お前が何と言おうがお前には余の孫を……後継ぎを生んでもらう!魔族ではなく正統な婿との間にな!」

そう怒鳴ると、国王は身につけていた外套を翻して玉座の間から出て行った。

イザベラも椅子から立ち上がる。国王と同じく立ち去ろうとする背中を、アルトゥールは呼び止めた。

「イザベラ!スピーゲルを返してですわ!!」

イザベラは立ち止まり、大きく膨らんだドレスの裾を揺らして振り返った。

「何のことかしら?」

「とぼけないでですわ!」

「とぼけてなんていないわ」

イザベラは笑みを深くする。

可憐で、美しく、残忍な微笑み。

「言うことをきかない人形なんて、もういらないもの」

イザベラはそう言うとアルトゥールに背を向け、悠然とした足取りで行ってしまった。その後ろを、青いドレスを着た少女が追いかけていく。

「……?」

あの子は何なんだろう。侍女にしては、あまりに幼い。

叩かれた頬を、アルトゥールはようやく手で押さえた。





懐かしくもない大塔の部屋で、アルトゥールは凍えた体を震わせた。

「この部屋の寒さを忘れてましたわ……」

石壁が剥き出しの部屋には、暖炉がない。暖を取る方法と言えば、薄い上掛けに包まるのみ。

キュルル、と鳴るお腹を押さえて、アルトゥールはため息をつく。

「ひもじいのも久しぶりですわ……」

以前と同じように食事は侍女が運んでくれたが、小さなパンと具が殆ど浮かんでいないスープでは、勿論アルトゥールの無限の食欲は満たされない。

いかにスピーゲルの家で恵まれた生活を送っていたかを、改めてアルトゥールは感じ入った。

(それにしても、よくこの環境で生き延びたものですわね。わたくし)

自らの生命力の強さに脱帽である。

「……」

吐いた息が白く染まる。

寒さに震える唇を、アルトゥールは噛み締めた。

『言うことをきかない人形なんて、もういらないもの』

イザベラのその言葉は怪物に姿を変え、今にもアルトゥールを頭からバリバリと食い殺そうとしている。

(まさか、スピーゲルはもう死んで……)

嫌な考えを、頭を振って必死に頭から追い出す。

(そんなはずありませんわ!!)

春になったら結婚式をするのだ。そう約束したではないか。衣装も殆ど縫い上がった。

「まったく……心配いらないと言っていたくせに!」

奥の手はいったいどうしたのだ。

夫への文句をブツブツ口にしながらアルトゥールは蹲っていた寝台から立ち上がると、部屋を横切り露台に続く硝子扉を開けた。

外はすっかり暗くなり、振り続けていた雪はやんでいる。

積もった雪のせいで、まるで世界中の音という音が死んだように静かだ。

けれど微かに、弦楽器の優美な調べが聞こえた。晩餐会が始まったのだ。

アルトゥールがいた頃から、王城では毎夜のように晩餐会が開かれていた。それは今も変わらないらしい。今年は秋から冷え込みが早く、冬支度を十分に出来ずに不安がる民も多い。それにも関わらず遊興にふける国王や貴族達には呆れてしまう。

だが、今のアルトゥールには好都合だった。晩餐会に人手をとられて、王城中が手薄になるからだ。

スピーゲルを探すなら、この時しかない。

アルトゥールは両手を胸の前で強く握り締めて、自らに気合を入れる。

「さぁ、行きますわよ」

行動開始だ。

まず寝台の敷布を手に取り、歯を当てる。

(確かこうすれば……)

こうやってスピーゲルが布を切っていたのを見たことがある。

四苦八苦したが、何とか敷布を細長く数枚に切ることが出来た。

それらの端同士を固く結び、簡易的ではあるが縄の出来上がりだ。

その縄を露台の手摺に回して固定すると、アルトゥールは露台から下を覗き見た。

下は冷たい水が満ちた堀。今の季節は氷が張っているかもしれない。いずれにせよ、落ちれば命はないだろう。

怖じ気づきそうな自分を、アルトゥールは叱咤した。

「しっかりしなさいですわ。夫を助けるのは妻の役目ですわよ」

部屋も食事も、王女とは思えない待遇面は以前のままであるのに、警備だけは並の王族と同じになってしまった。部屋の扉の前には国王直属の聖騎士団の横柄な騎士が交代で常駐し、アルトゥールは一歩も外に出られない。エメリッヒが聖騎士団の団長だった頃とは、団の顔ぶれも雰囲気も、随分と変わっているようだ。

(新しい団長がろくでもない奴なんですわ。きっと)

アルトゥールは固定した縄を握り締め、露台から身を乗り出す。

「これで下の階に……っ!わっ」

早速、手元がズルリと滑った。どうにか持ち堪えたが、アルトゥールの握力では長い時間は()たないだろう。

「……っう」

歯を食いしばり、少しずつ、少しずつ、縄をずり降りる。

けれど、最後に耐えきれなくなったのはアルトゥールではなく、敷布の結び目の方だった。

かかる体重に、結び目は切れるように解け、アルトゥールの体は急激に落下する。

「キャ!?」

幸運なことに、アルトゥールは尻もちをつく形で、下の階の露台に無事に着地した。

「は…はぁ……はぁ」

先程まで寒さで震えていたのが嘘のように汗だくだ。手は痺れて真っ赤になっていた。

「……はぁ、早く……しなきゃですわ、はぁ」

呼吸が整わないまま、アルトゥールは立ち上がると室内へと続く硝子扉に手をかけた。鍵がかかっていたが、これは想定内だ。

「ごめんなさいですわ」

少し遠慮がちに、硝子を拳で叩く。だが、硝子は割れない。

「……えい!!」

意を決して、アルトゥールは思いっきり拳を硝子を叩きつけた。

ガシャンと、扉の硝子が割れる。

想像していたより大きな音に、アルトゥールは肝を冷やした。上の階にいる騎士が、音に気づいたらお終いだ。

今にも爆ぜそうな心臓を抱きしめ露台の隅で身を屈ませ様子を窺ったが、誰も部屋にくる様子はない。騎士達は音に気づかなかったようだ。

それでも警戒しながら、アルトゥールは硝子が割れた穴にそっと手を差し入れる。割れた硝子の先端で腕が切れたものの、扉の鍵を開けることは出来た。

硝子扉を引き開けて、中に入る。

主人が留守の侍女達の部屋は、暗く寒かった。

雪明りを頼りに櫃の中を探ると、すぐに探していたものは見つかった。侍女のお仕着せだ。

アルトゥールは急いで着ていた物を脱いで、紺色のお仕着せと白い前掛けを身につける。丈が短いが、仕方がない。

髪は頭の後ろで一つに纏めて、鏡台にあった紐で括った。髪を結う習慣がないアルトゥールにはひどく難しい作業で、あちこちの髪が跳ね出ていたが、侍女達が身につける白い帽子(ボネット)をかぶれば、なんとか誤魔化せた。

鏡台に映る自らの姿に、アルトゥールはとりあえず満足する。

「……上出来とは言えないけれど、何もしないよりはマシですわね」

下を向いて大人しく歩いていれば、侍女に見えないこともない。

アルトゥールはスピーゲルからもらった砂時計がはいった小袋を服の内側に入れ込み、廊下に続く扉をそっと引き開けた。

「……」

暗い廊下と階段。上から話し声が微かに聞こえる。見張りの騎士達の声だろう。

足音がたたないように靴を脱ぐと、アルトゥールは扉から廊下へと滑り出る。

冷たい石の階段に足の裏は悲鳴をあげたが、そんなものは無視だ。

息と足音を殺して階段を降りる。

ようやく下まで降りたところで、すぐ近くから話し声が聞こえた。

「今夜も晩餐会だってよ」

アルトゥールは慌てて周囲を見回した。まともに隠れられる場所はなく、仕方なく今降りてきた階段の影に蹲る。

(見つかりませんように!!)

両手の指を固く絡ませ、アルトゥールは祈った。

「毎晩毎晩、よく飽きないよな」

「綺麗な服を着て酒飲んで踊って……いい気なもんだよ」

銀の甲冑をつけた騎士が二人、話しながらやってきた。

「ああ、俺もエメリッヒ様についていきゃよかった。コンラーディンなんか、偉そうにするだけで剣も握れないじゃないか」 

「確かに、あんな奴に顎で使われるのはもうゴメンだな」

騎士達はアルトゥールが隠れる階段の前を通り過ぎて行く。

「だけどエメリッヒ様は亡くなられたんだろう?」

「ガッカリだよな……いつかあの方が王になるからと、色々堪えてここに残ったのに……」

声はやがて聞こえなくなった。

アルトゥールは急いで手に持っていた靴を足にあてがうと、騎士達が歩いて行った方向とは逆に走り出した。

息が切れる。

冷たい空気を吸った肺が、凍りつきそうだ。

暗い廊下から飛び出し、雪が積もった庭園に出る。

月も星も出ていなかったが、雪明りのおかげであたりは仄かに明るい。

「ひゃ……!?」

足が雪にもつれ、膝からガクリと折れた。

雪のなかに、アルトゥールは倒れ込む。

「は……ぁ、はぁ……」

白く、冷たい雪。

雪は、嫌いではない。

冷たいけれど、でも白銀に光るスピーゲルの髪を思い出せる。

手をついて起き上がったアルトゥールは、花が咲いていることに気がついた。

(こんなに寒いのに……)

雪をかぶって尚、その花の花弁は赤く美しく、厚めの葉は濃い緑も鮮やかだ。

その葉に、見覚えがある。

「ここ……」

周りを、アルトゥールは見回した。

庭園の一角。

山茶花(さざんか)の並木。

そこがどこか、アルトゥールは覚えていた。

「……初めて……スピーゲルと会った場所……」

春霞の月夜だった。

あの時、スピーゲルは意識を失くしたエラをその腕に抱いていて、そしてアルトゥールは、てっきりエラが死んでいるのだとばかり思っていた。

恐ろしかった。

けれど、この世のものとは思えない美しい紅い瞳に、心が震えた。

今思えば、あの時にはすでに始まっていたのかもしれない。

恋が、運命が、この場所で動き始めた。

ポタリと、アルトゥールの手の甲に雫が落ちる。

ずっと張り詰めていたものが緩んで、目から涙となって零れたのだ。

「……う……っ」

涙は止まらない。

後から後から溢れて落ちて、アルトゥールの手を濡らす。

(スピーゲル……!)

怖くて、心細かった。

不安で不安で、仕方がない。

スピーゲルが、死んでしまっていたらどうしよう。

もう会えなかったらどうしよう。

怖い。怖い。怖い。

けれどその恐怖を必死に飲み込み、アルトゥールは雪ごと手を握り締めた。

「……大丈夫」

自分に言い聞かせるために呟き、濡れた頬を拭う。

こんなところで泣いてはいけない。濡れた肌は、すぐに凍傷になってしまう。

「涙がでるなら、大丈夫ですわ……」

涙が出るなら、心は死んでいない。

だから、スピーゲルも生きている。

「さぁ……行きますわよ!」

アルトゥールは膝に手をつき立ち上がった。



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