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笑わず姫と手羽先の甘辛煮ー人はそれを天丼といふー

馬車や荷車が忙しく行き交う大通り。道の両脇に連なる店先には国内外から集まった多種多様な品が並び、冬支度の為に街を訪れた買い物客達の目を楽しませていた。

久しぶりに訪れた街の賑わいに胸を踊らせ、アルトゥールはキョロキョロと辺りを見回す。

芳ばしい香りを放つ焼き栗の店。その隣の店では焼き豚から肉汁がしたたり落ち、更にその隣では揚げパンを蜂蜜に浸けこんだ菓子が売っている。

「……姫。涎」

「はっ……!」

背後のスピーゲルからの指摘に、アルトゥールは慌てて口元を拭う。

アルトゥールとスピーゲルがアヒムと合流するために訪れたのは、西の国境に接した地方都市の一つだ。古来から軍事的に重要視されてきた地で、街は高い城壁に二重に囲まれ、砦としての機能もあわせもっていた。

大きな干し肉の塊が吊るされた店の前で、スピーゲルが立ち止まる。アルトゥールは振り向いた。

「スピーゲル?」

「……こっちに」

スピーゲルはアルトゥールの腕を引き、人気がない細い横道に入る。身を隠すように壁に身を寄せるスピーゲルを、アルトゥールは仰いだ。

「どうしたんですの?」

「しっ」

口元に人差し指をあてたスピーゲル

の視線を追いかけて通りを見ると、甲冑を纏った騎士が数人こちらに歩いてくるところだった。

スピーゲルが聖騎士に矢を打ち込まれ、運河に落ちていく記憶はまだ生々しい。アルトゥールは反射的に息を詰め、スピーゲルに身を寄せる。幸い、騎士達はアルトゥールとスピーゲルが息をひそめる横道に興味をもつことなく、談笑しながら通り過ぎて行った。

「……騎士が多いですわね」

先程から、頻繁に騎士を見かける。国境における国防の要所であることから、多くの戦力が配備されているからだろう。本来なら国と治安を守る騎士を相手に怯える必要などないのだが、今のアルトゥールは騎士(かれら)には極力関わりたくない心境だ。スピーゲルも、それは同じなのだろう。

スピーゲルはフードを目深にかぶりなおす。

「とりあえずアヒムと合流しましょう」

「そうですわね」

頷きあい、アルトゥールとスピーゲルは人の波にのって歩き始めた。

石畳の道には、馬車の轍の跡が伸びている。

アヒムが働く『マトカ・カウパ商会』は、街の中心部である大通りの一角に店を構えていた。

店先には次々と荷車が到着し、力自慢の男達が荷物を肩に担いで店の奥へと運び込んでいる。

「その荷物は奥へ。ああ、それはここでいい」

忙しく指示を出す中年の差配人に、スピーゲルは近づき話しかけた。

「すいません。アヒムに会いたいんですが」

「アヒム?どのアヒムだい?黒髪の?それとも金髪か?」

「赤髪のアヒムです」

「うちいる「アヒム」に赤髪はいないよ。あ、ダメだダメだ!それはあっち!」

差配人は手元にもつ商品の仕入れ表と見比べながら、大声を上げた。

アルトゥールとスピーゲルは目を見合わせる。

(そういえば……『アヒム』は偽名でしたわ)

間違えて呼ぶたびに本人から訂正が入っていた気がするが、いつからかそれもなくなった。

偽名で(アヒムと)呼ばれることに本人も慣れてしまったのかもしれないし、単に訂正するのが面倒になったのかもしれない。

「あの……テオバルトはいますか?赤髪の」

スピーゲルが言い直すと、差配人はようやく顔を上げてスピーゲルの方を見た。

「ああ、テオのことか」

差配人は、傍らにいた別の男に尋ねる。

「おい、テオはどこにいる?」

「そこらにいるでしょう。おぉい!テオバルトいるかー!?」

「テオー!?」

「テオ!!客だってよ!!」

「テオー!!おおい!!」

「テーオー!!」

まるで山びこのような伝言の末に、しばらくして店の奥からアヒムがひょっこり顔を出した。

「あー!旦那!!」

アヒムはいつもの様子で、ブンブンと手を振る。スピーゲルも遠慮がちながら手を上げ、アヒムに応えた。

「そこで待っててー!すぐ行くからー!」

アヒムはそう言ってまた奥へと姿を消す。

「あいつは人当たりがいいから、仕入れ先に評判がよくてね」

書類に何か書き込みながら、差配人が言った。まるで一人言のような呟きに、アルトゥールもスピーゲルも返事をしたものかどうか迷う。差配人は返事がないことに不機嫌になるでもなく、淡々と続けた。

「腕もたつし、頭もいい。ああ見えて真面目だしな。商隊を一つ預けようかとも考えていたんだ……だが妹のことがあって」

差配人は手を止め、声を低めた。

「あいつは半狂乱で妹を探し回ってな。どこにも妹がいないとわかって……おかしくなった」

アルトゥールとスピーゲルは、やはり何も答えられない。狂気じみた光を目にたたえたアヒムを、アルトゥール達も知っていた。

差配人は書類を手で揃えると、傍らにいた男に渡す。

「妹の仇をうつからここを辞めると言い出した時は皆で止めたよ。仇って、つまりは魔族だろう?魔族を探すなんて雲をつかむような話だ。万が一見つけることが出来たとしても敵うわけがない。死ににいくようなものだ。でもあいつは飛び出すように行っちまった」

「旦那!お姫様!お待たせー!」

走ってきたアヒムは、すぐにその場の空気の重さに気づく。

「あれ?どうかした?」

「どうもしない。お前が元気になってよかったって話だ」

それまで顰めっ面だった差配人が、小さく笑う。そしてスピーゲルとアルトゥールに向き直る。

「こいつが世話になったらしいな。礼を言うよ」

スピーゲルは恐縮するふうに首を振った。

「いえ、僕は何も……」

「恩人が訪ねてくると、こいつから聞いてる」

「だー!そういうこと本人にばらさないでよ!」

アヒムは顔を赤らめてスピーゲルの背を押した。

「旦那行こ!早く行こ!じゃ、俺抜けるんで後ヨロシクでーす!」

「おお。ゆっくりしてこい」

差配人に見送られ、アルトゥール達は荷物と荷運びの男達であふれる商会を後にした。

「……いい人ですわね。さっきの人」

アルトゥールが言うと、アヒムは、口を尖らせながらもしぶしぶ頷いた。

「何でか知らないけど気に入られててさ。色々世話になって感謝してる。でも」

肩越しに店を振り返り、アヒムは肩を竦める。

「いつまでたっても初めて会った時の十のガキ扱いなんだよ。昨日なんて駄賃だって飴玉渡されてさ」

ため息をつくアヒムの姿は情けなくて滑稽で、アルトゥールとスピーゲルは思わず吹き出した。



***



アヒムに案内され、スピーゲルとアルトゥールは大通りを抜けて、裏道に面した小さな食堂に辿り着いた。

客でごった返し熱気が満ちている店内を、スピーゲルは見回す。昔からある、常連客に愛される店と言う雰囲気だ。

「あら!テオじゃない!」

給仕の娘が、アヒムを見て笑顔をみせる。どうやらアヒムの行きつけの店らしい。

アヒムもニカリと明るく笑った。

「久しぶりー。奥の個室(へや)いい?」

「ええ、どうぞ」

娘が手で奥を示すと、アヒムは勝手知ったる何とやらで客の合間を縫ってさっさと奥へと進んだ。

「はいはい。入って入ってー」

アヒムに促されて入ったのは、どう見ても店の従業員の休憩室だ。

躊躇するスピーゲルを置き去りに、アヒムとアルトゥールはそれぞれ向かい合う形で椅子に陣取る。

「ここ安くて旨いんだー。何にする?お薦めは手羽先の甘辛煮」

「美味しそうですわね。それを頂きますわ」

何の抵抗もなく場に馴染んでしまったアルトゥールに、スピーゲルは複雑な気分だ。

(さすが、と言うべきなのかな)

アルトゥールの世間知らずに端を発する怖いもの知らずは今も健在らしい。

(それとも、アヒムがいるから?)

隣にアヒムがいることで、アルトゥールは初めての場所にも警戒することなくいられるのかもしれない。

そう思うと、スピーゲルの胸の奥がミシリと軋んだ。

(情けない……)

アルトゥールがアヒムを選んだことは、既に納得したはずなのに。我ながら未練がましい。

「スピーゲル?」

アルトゥールに不思議そうに見上げられ、スピーゲルは顔を背けるようにアヒムの隣に座った。

「……じゃあ、僕も同じもので」

「いらっしゃいませーご注文はお決まり?」

先程の給仕の娘が三人分の飲み物を手に持ってやってきた。

「ユッテ。手羽先の甘辛煮とパンを七人分ヨロシクー」

アヒムが手の指で『七』をあらわすと、娘――――ユッテは目を丸くした。

「七人?細いのによく食べるのね、お客さん」

彼女の視線はスピーゲルに注がれている。まさかアルトゥールが五人分をぺろりと平らげるなど、想像もできないらしい。

大食漢と思われたままでも特に支障はないし、わざわざ否定することでもあるまいとスピーゲルが黙っていると、アルトゥールが口を開いた。

「三人分でかまいませんわ」

「……え?」

「ええ!?」

驚愕にスピーゲルは身を引き、アヒムは立ち上がる。

「何ですの?その反応は」

「いや、あの……三人分て、計算上あなたは一人分しか食べないことになりますよ?」

スピーゲルが食べきれない分は、外套の下に隠れているジギスヴァルトが食べる。したがってアルトゥールが食べるのは通常の胃袋の人間が食べる量だ。

アルトゥールに確認をとるスピーゲルに、アヒムも同意するように何度も頷く。

「そうだよ!?一人分だよ!?足りないって!絶対足りないよ!!」

「いいんですわ!!」

アルトゥールはユッテが運んできた飲み物を受け取り、それを勢いよくあおる。

「……ひ、姫?」

「おお……」

ゴキュゴキュと喉を鳴らして、アルトゥールは一気にそれを飲み干した。そして空になった木製のジョッキをユッテに突き出す。

「水を頂けるかしら!?それから料理は三人分でお願いしますわ!!」

「は、はあ」

勢いに押されたユッテはジョッキを受け取り、部屋から出ていった。

「……姫。どうしたんです?」

俯くアルトゥールを、スピーゲルは覗きこんだ。

「気分でも悪いとか」

アルトゥールが自ら食事量を減らすなんて、前代未聞だ。椅子に座りなおしたアヒムも、心配そうに眉尻を下げる。

「そうだよ。まさか減量(ダイエット)?やめなって。らしくないじゃん」

「違いますわ……ヒック」

アルトゥールは顔を上げない。

(……『ヒック』?)

スピーゲルは顔を顰めた。酒臭い。

「姫?」

慌てて置かれていた飲み物を確認すると、中に見えるのは白い泡。

「これ……麦酒!?」

スピーゲルが目を剥くのと同時に、アルトゥールの体が傾ぐ。

「姫!?」

スピーゲルは慌ててアルトゥールの体を支えた。

「姫!?大丈夫ですか!?」

「目ーがーまーわーりーまーすーわーうふふふふー」

頬を上気させたアルトゥールは、奇妙な笑いに頬を歪ませている。

「ユッテ!!」

アヒムが部屋から飛び出し、廊下に向かって叫ぶ。

「ユッテ!何で麦酒なんて出すわけ!?」

「ええ!?だってあなたいつも『麦酒と甘辛煮』じゃない」

水を手にやってきたユッテは、泥酔したアルトゥールを見て慌て始める。

「やだ!大丈夫!?」

結局、大騒ぎの末にアルトゥールは店の二階にあるユッテが寝起きする部屋に運び込まれた。

「うふふふふ……」

寝台に横になり笑い続けるアルトゥールを、アヒムが不気味なものを見る目で見下ろす。

「お姫様。酒弱いんだね。そして笑い上戸なんだね」

「……そうみたいです」

思い返せば、前に酒を果実水と間違えて飲んだ時も妙に機嫌が良かった。

スピーゲルはアルトゥールが横になる寝台の縁に座ると、腕を伸ばし、アルトゥールの白い額に手をあてる。

「寝てください。そしたら酔いも醒める」

「……わかり、ましたわ」

アルトゥールの目がトロンとして、瞼が睫毛の重みに耐えかねたように閉じていく。

スピーゲルが手を離そうとすると、アルトゥールは唇を微かに動かした。

「……スピーゲル」

「はい?」

「……かないで」

「え?」

聞き取れずに、スピーゲルは首を傾げた。

「……行かないで。どこにも……」

それだけ言うと、アルトゥールは力尽きたように規則的な寝息をたてはじめる。

「『どこにも行かないで』だってさ」

アヒムはからかうようにアルトゥールの言葉を繰り返し、壁際にあった椅子に腰をおろす。

スピーゲルはアヒムを軽く睨み、アルトゥールから手を離した。

「僕じゃなくて、君に言ったんだ」

酒のせいで、アヒムに言いたかった本音が出たのだろう。求婚されてすぐにアヒムが出稼ぎに行ってしまい、やはりアルトゥールは寂しかったに違いない。

アヒムはポカンとした顔で自らを指差した。

「は?俺?……ってか旦那、何で睨むの?」

「……別に」

決まりが悪くて、スピーゲルは言葉を濁す。

(……そういえば……)

自分の許嫁であるアルトゥールの傍に他の男(スピーゲル)がいても、アヒムは平気な様子だ。スピーゲルがアルトゥールを想っていることは知っているはずなのに、スピーゲルがアルトゥールに触れても、気にする様子もない。

(許嫁としての余裕?)

……というより、アルトゥールに対してやや無頓着に過ぎないだろうか。

今だって、もう少しアルトゥールを心配してもよさそうなものなのに、枕元にも寄らないではないか。

許嫁として、アヒムの態度は如何なものだろう。

(……本当に、大丈夫かな)

アヒムならアルトゥールを大切にしてくれると思っていたのに。

今更ながらアヒムにアルトゥールを託すことを不安に思い始めたスピーゲルの外套の裾から、ジギスヴァルトが顔を出す。

彼は眠っているアルトゥールを見ると、小さな羽をパタパタと羽ばたかせて宙を飛びアルトゥールの枕元に着地する。ジギスヴァルトもアルトゥールが心配らしい。

「まあ、でもちょっと都合がいいかな」

アヒムはそう言ってユッテが運んでくれた手羽先の甘辛煮にかぶりつく。

「イザベラを失脚させるのに備えて村の人達を移動させるって話。お姫様には話してないんでしょ?」

アヒムは皿をスピーゲルに差し出す。スピーゲルはそこから一つ手羽先を手にとったが、口に運ぶことなく眺めるにとどめた。

「……話してません」

「何で?言えばいいのに」

「……」

アルトゥールを自由にしてあげたい。イザベラに怯えることなく、名前も顔も隠さずに、堂々と昼間の太陽の下を走れるようにしてあげたい。

(でも何か……)

それを言うのは、気がひける。

アルトゥールを巻き込んだのはスピーゲルなのに、『アルトゥールのために』なんておこがましい気がするのだ。

「……旦那。自己主張できないその性格……癖?直した方がいいよ」

アヒムが、組んだ自らの足に頬杖をつき、スピーゲルを見やる。

責めるような眼差しに、スピーゲルは居心地の悪さを誤魔化すように手羽先を口に含む。

「……何でです?」

「いつか後悔することになるよ、ていうか、周りを傷つけるよ。その性格」

スピーゲルは鶏肉を咀嚼しながら、アヒムを見た。

(周りを傷つける?)

何故、自己主張しないことが周囲に害を及ぼすのだろう。

アヒムはため息をつく。

「ワケわからん、て顔だね。まぁ、いいや。本題」

手羽先の骨を皿に放り、アヒムは組んでいた足を元に戻す。

「村の人達を隠す場所。あの大人数をまとめて国境付近に隠すのはやっぱり難しいかな。分散して隠すなら何とかなるけど、そうするとその分色んなリスクが上がるし」

「そうですか……」

奥歯で鶏肉を噛み潰しながら、スピーゲルは相槌をうつ。

村の人達を分散してバラバラに隠すという手段は、スピーゲルも考えた。けれどその方法はアヒムが言うようにリスクが高い。村人の中にはスピーゲルをまだ信用していない者もいる。彼らは村の外にでることで、外部の人間と連絡をとろうと画策するだろう。もし一人でも『生きている』とイザベラに知られれば、そこから連鎖的にスピーゲルの裏切りが発覚する。イザベラを確実に失脚させる算段がつくまでは、それは避けねばならない。

「他の国境沿いを改めて探してみましょう。廃村か何かあれば一番いいんですが……」

「それでもいいけどさ……旦那。ちょっと考えたんだけど」

アヒムは人差し指をたてた。

「この街を含む、ここら辺一帯の領主。誰だか知ってる?」

「領主?」

スピーゲルは首を振る。

「いや、知りません」

「エメリッヒ公子って人。ちょうど一月前に着任したんだって」

エメリッヒ、とスピーゲルはその名を口の中で反芻した。

アルトゥールの口からその名を聞いたことがある。確かアルトゥールの一つ年上の従兄が、そんな名前だった。国王の養子になったから義兄でもあるとも、言っていた気がする。

「その人、人望もあって有能で、聖騎士団の団長だったらしいよ」

聖騎士団、と聞いてスピーゲルは傷が痛む錯覚に肩を押さえた。

(聖騎士団の団長……?)

それは多くが高位貴族や王族が歴任する名誉ある職位だ。その職位につくほどの高い身分の公子が、何故こんな辺境と言っても過言ではない国境の領主になどなるのだろう。

「だった、て言ったでしょ?聖騎士団の団長の職位は王様にとりあげられたんだって」

「とりあげられた?」

「そう。失態による失職ってことになってるけど、実際にはお妃が王様に讒言して公子を王宮から追い出したらしいって噂。公子は反お妃派の急先鋒だったからね。それで思ったんだけど、その公子様を味方に引き入れるのはどう?」

「……はい!?」

アヒムのあまりに大胆かつ無謀な提案に、スピーゲルは思わず声をあげる。けれどアヒムは真剣だ。

「実現不可能な案じゃないと思うよ?公子様は王太子になるために国王の養子になったのに、お妃のせいで立太子は延ばされ、挙げ句に王宮から追放された。間違いなくお妃を恨んでるし、お妃を失脚させる機会を狙ってるに決まってる」

「でも……僕は『魔族』です」

スピーゲルは忸怩たる思いを吐露する。

「『公子』なんて身分の高い人が、僕と手を組んでくれるとは思えません」

「身分が高い奴ほど利用できるものは何でも利用するものだよ。旦那が話を持ちかければ、絶対にのってくる。あっちにしてみれば旦那を利用しない()はないもん」

アヒムは、ニヤリと笑う。

「勿論、こっちだって向こうを利用してやろうよ。公子様が味方になってくれれば、崖の下に隠れてる人達をこの街で匿ってもらえるから冬支度の心配もしなくていい。いざ国外に脱出ってことになったとしても、国外にツテがない俺達より上手くやってくれる」

「でも」

「旦那」

アヒムは身を乗りだし、スピーゲルを見据える。

「俺達が(きざはし)天辺(てっぺん)から引きずり下ろそうとしてるのは、一国の王妃だ。生半可なことじゃドレスの裾すら掴めない」

真剣なアヒムの目差しに、スピーゲルは手を握り締めた。

「……」

アヒムの言い分はわかる。

金も権力も人脈もないスピーゲル達だけでは、手詰まりになるのは目に見えている。そうなった時に、スピーゲル達にないものを補ってくれる味方が絶対に必要だ。

だからと言って、魔族討伐を使命とする聖騎士団の団長だった人物が、スピーゲルの話をきいてくれるだろうか。試してみるにしても、それはあまりに危険な賭けに思われた。

「……やっぱり無茶です。聞いてくれるわけがない。第一、どうやって公子に会うって言うんです?」

それなりの身分にある人間は、身分も面識もない相手とそう簡単に面会したりしない。それは彼らの自衛のための手段でもあるが、訪ねてくる人物にいちいち対応する暇が彼らにはないのだろう。

懐疑的なスピーゲルとは対称的に、アヒムは余裕の表情だ。

「その点については大丈夫。俺達が持つ唯一にして最強のカードがどうにかしてくれるよ」

足と腕を組み、アヒムは口角の片方を上げた。その悪戯っぽい視線を辿った先には、寝台に眠るアルトゥールがいる。

「姫!?」

スピーゲルは思わず立ち上がった。

アヒムは大きく頷く。

「国王の唯一の実子にして、公子様の従妹。最強のカードじゃん。名前出して『会いたい』って言えば一発でしょ。まぁ、最初は怪しまれるかもしれないけど」

「だけど姫は……!」

死んだことになっている。

スピーゲルは眉間に皺をよせ、首を振った。

「ダメです。もし公子の周囲にイザベラの手の者がいたら?生きていることがばれれば、姫はまたイザベラに命を狙われる!」

「確かに危ない橋だけど、公子様に繋がるには他に手がないもん。多少は……」

「ダメです!絶対にダメだ!」

「でもさ……」

食い下がるアヒムを、スピーゲルは断固として拒絶する。

「彼女を危険に晒すわけにはいかない!アヒムは姫が大事じゃないんですか!?」

何故アヒムは許嫁であるアルトゥールを危険な立場に置こうとするのか、スピーゲルには理解できない。同時にアヒムに対する怒りが燃え上がる。

その怒りを感じたのか、アヒムはそれでも言い積ろうとしていただろう口を、結局何も言わないまま閉ざしてしまった。

「……わかったよ。そんなに怒らないでよ。でも公子様を味方に、て話は譲らないから。やるからには絶対に成功させるだけの準備が必要だと俺は思う」

一歩退いたアヒムに、スピーゲルは怒りの矛先を向け続けることが出来ずに、視線を床に落とした。

「……わかってます」

同意するスピーゲルに、アヒムは小さく嘆息した。

「まぁ、公子様に接触する方法は他に考えようよ……で。とりあえず」

アヒムは椅子から立ち上がると、扉に向かって歩き始めた。

「どっか宿探してくる。このままじゃユッテ達に迷惑だしさ」

「それなら僕が……」

アヒムの代わりに行こうとしたスピーゲルを、アヒムは片手を上げることで押し止める。

「いいから、いいから。旦那はお姫様についててあげてよ」

そうアヒムは屈託ない様子で言うと、扉を開けて行ってしまった。

扉が閉まり、アヒムの足音が遠ざかる。

「……アヒム(きみ)がついていてあげればいいのに……」

アルトゥールの許嫁はアヒムなのだから。

スピーゲルは背後で眠るアルトゥールを振り向いた。

アルトゥールはすやすやと気持ち良さそうに眠っている。

その寝台のすみに再び腰掛け、スピーゲルは膝に肘をつき、絡めた両手に額を預けた。

(……姫は……)

アルトゥールは、アヒムの求婚に嬉しそうに顔を赤らめていた。彼女はアヒムに惹かれ、彼の妻になることを望んでいる。

けれどスピーゲルから見れば、アヒムはアルトゥールが彼を想うほどに彼女を想っているわけではないようだ。

(どうする?)

アヒムは、アルトゥールを本当に守ってくれるだろうか。アルトゥールを、本当に幸せにしてくれるだろうか。

「……」

どうするもこうするも、アルトゥールのためにスピーゲルが出来るのは、彼女が自由に生きていくための障害を取り除くことだけだ。後はただただ、その幸せを祈るしかない。

アルトゥールの枕元で寛いでいたジギスヴァルトが、ピクリと起き上がる。

「ジギス?」

見ると、アルトゥールがうっすら目を開けていた。

「姫?起きたんですか?」

「……」

アルトゥールはムクリと起き上がる。

酔っている、というよりは寝惚けている様子だ。

「姫?大丈夫ですか?水をもらってきましょうか?」

「……林檎飴」

「え?」

妙に据わった目で、アルトゥールは繰り返す。

「林檎飴」

アルトゥールは掛布を押しやると、床に足を下ろし、裸足のままスタスタと歩き出す。

「姫!?どこに……」

止めるスピーゲルの声など、アルトゥールは聞こえないかの様だ。

「ちょっ……っ待ってください!姫!」

スピーゲルは追いかけようとしたが、脱いだままのアルトゥールの靴と外套の存在を思いだす。冷たい秋風の吹く中、外套もなしに裸足でアルトゥールを歩かせるわけにはいかない。スピーゲルは寝台の横の壁に掛かっていたアルトゥールの外套と、その下に置かれた靴をひっつかみ、アルトゥールの後を追いかける。

「姫!」

部屋を出て、廊下の突き当たりの階段をおりたところで、スピーゲルはアルトゥールに追い付いた。

「姫!外に行くなら靴!外套も!」

腕を掴んでアルトゥールをひき止めると、アルトゥールは妙な笑顔でスピーゲルを振り向く。

「りーんーごーあーめーうふふふふふふ」

……まだ酔いは醒めていないらしい。

スピーゲルはため息をついた。

「林檎飴を食べたいなら買いに行きますから、靴を履いてください。外套も着て」

「うふふふふふふー」

酔ったアルトゥールは、スピーゲルにされるがままに外套を纏い、靴を履こうとしてよろめいた。

「危ない!」

危うく転倒しかけたアルトゥールを、スピーゲルは腰を引き寄せ支える。

「大丈夫ですか?」

「スピーゲルー」

「はい?」

スピーゲルの首に白い両腕を回し、アルトゥールは微笑んだ。

「ありがとうですわぁ」

蕩けるようなその無邪気な微笑みに、スピーゲルは息を飲む。

凄まじい攻撃力を持つアルトゥールの笑顔にも大分馴れたと自負していたが、その認識はあまりに甘過ぎたらしい。

林檎飴のように紅く艶やかな唇を、指先でなぞる。

「スピーゲル?」

くすぐったそうに肩を竦めるアルトゥールのその仕草に、スピーゲルの中で何かが焼き切れた。

アルトゥールの顎に手を添え、上を向かせる。

見つめた青い目に吸い込まれるように、スピーゲルは上体を傾け――――……。

廊下の角からユッテが顔を出す。

「あら?起きて大丈夫なの?」


ゴンッッッッッッッッッッッッ!!


「……っい、痛……」

「………っ」

狭い廊下に各々の額を両手で押さえて屈みこむスピーゲルとアルトゥールの姿に、ユッテは瞬きを繰り返す。

「だ、大丈夫?凄い音、したけど……」

「だ、大丈夫、です……」

痛みと既視感によろめきながら、スピーゲルはユッテに返事をする。

(あ、ぶね―……)

危うく、色々と踏み外すところだった。泥酔している相手に何をやらかすつもりだったのだ、自分。

「……こ、ここはどこですの?何がありましたの?何で額が痛いんですの?」

衝撃で酔いがふっ飛んだらしいアルトゥールは、涙目で辺りを見回している。

廊下の片隅では、ジギスヴァルトが腕を組んで小さく舌打ちしていた。





いや、サブタイトルがね…ええ。分かっています。仰りたいことは分かっています。(逃)

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