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笑わず姫と嘘つきな男ーアヒム④ー

村外れの野原では、放し飼いにされた山羊達が柔らかい草を食んでいた。

そのすぐ近くでエルゼとヨナタンは蜻蛉(とんぼ)を捕まえようと走り回り、ザシャは座り込んで本を開き、エラから字を習っている。

「この村は森の奥の切り立った崖の間にあるので、外部の人間は村の存在にすら気がつきませんし、だから誰も訪れることもない。逆に、出ていくこともできません」

長閑(のどか)な風景を眺めていたアルトゥールは、アヒムを相手に話すスピーゲルを振り返った。

切り株を椅子代わりに座っていたアヒムが、立ったままのスピーゲルを睨むように見上げる。

「出ていけないって……何で?」

崖に挟まれた場所にある村とはいえ、崖には一応階段がある。その気になれば行き来することは可能だ。それなのに『出ていくこともできません』と断言するのは何故だろう。

スピーゲルは静かに言った。

「この村にいる人には、行動範囲を制限する魔法をかけてあるからです」

「……つまり、あんたはエラ達を村に閉じ込めて飼い殺してるってわけだ」

アヒムは溜め息をついた。

「なぁ、魔族。あんた何がしたいわけ?火炙りにされた一族の復讐がしたいんじゃないの?」

アヒムがスピーゲルにぶつける言葉の一音一音が、刃になってスピーゲルを傷つけているようにアルトゥールには見えた。

けれど、庇うことはしなかった。きっと、スピーゲルは拒むだろうから。

スピーゲルは一度唇を噛み締め、目を伏せる。そして静かに長く、息を吐き出した。

「この村にいる人達は死んだはずの……僕に殺されたはずの人間です。もし生きていることがばれたら、今度こそ殺されてしまう」

「はあ?何言ってんだよ。エラ達を殺そうとしたのはあんただろ?」

わけがわからない、というように顔をしかめたアヒムの隣で、アルトゥールはおずおずと口を開いた。

「誰かに……命令されているのではなくて?」

アルトゥールが発した言葉に、スピーゲルは驚いたように目を見開く。

そのスピーゲルの目を見て、アルトゥールはもう一度言った。

「あなたが出かけるのは……いつも紫の風切羽の烏が来た後ですわ。あの烏は連絡役なのでしょう?烏の飼い主がエラやわたくしをあなたに殺させようと命令したのでしょう?」

スピーゲルは見開いた瞳で、ゆっくり瞬く。

「……どうして」

「ツヴァイクが……あなたは好きで復讐なんてしているわけじゃないと言っていたから……」

それならば誰かにやらされているのではないかと、アルトゥールは単純にそう考えたのだ。

スピーゲルはしばらく黙っていたが、やがて頷いた。

「……烏は……僕の使い魔です。あなたの言うとおり、連絡役としてイザベラにつけてあります」

「……え?」

ごく自然な流れでスピーゲルが口にしたその名前に、アルトゥールは耳を疑った。

スピーゲルは、俯くようにして片手で前髪をかきあげる。

「姫やエラを含め、この村にいる皆を殺せと僕に命じたのは王妃イザベラです」

アルトゥールとアヒムは、想像もしていなかった話の展開に、ただただ立ち尽くす。

「……何、言ってんの?王妃って……まさか」

アヒムは驚きのあまりスピーゲルを睨むことも忘れてしまったらしい。

無理はない。国王や王妃など、アヒム達にとっては雲の上の人間だ。極端に言ってまえば実在しないと言われたところで大して驚かないような存在である。

それが自らの人生にこんな形で関わってくるなど、大抵の人間は想像すらしないだろう。アヒムもそうだったはずだ。

アルトゥールにしてみても、まさか継母であるイザベラとスピーゲルに接点があるなど考えたこともなかった。

アヒムは拳を唇につけて黙りこむ。混乱する頭の中を整理しているのだろう。

その作業がある程度進むのをスピーゲルはしばらく待って、それからまた話し始めた。

「僕は獣の心臓を殺した人間の心臓だと偽ってイザベラに渡しているのでイザベラは姫やエラ、他の人達も皆死んだと信じています。けれどもし死んだはずの人間が実は生きているとイザベラが知れば、彼女は今度こそ彼らを確実に殺すでしょう。それが出来るだけの権力をイザベラは今や手にしていますから」

アヒムは片手を軽く上げることで、スピーゲルに『待て』と合図する。

「あんたが言ってるのが嘘ではないとして……」

腕を組み、アヒムはまたスピーゲルを睨んだ。

「何でお妃がエラや姫の命を狙うわけ?まさか美しさに嫉妬してなんて昔話の常套句は言わないよね?」

アヒムの鋭い視線が痛いのか、スピーゲルは目を細める。

「イザベラは……大切な人を殺されたんです。国王と聖騎士団に」

青空に雲がゆっくり流れていく。

風にそよぐ草木のざわめきがうるさくて、アルトゥールは眉をひそめた。

国王(お父様)と聖騎士団に……?」

「イザベラが国王と結婚したのも、復讐のためです。彼女は自分がそうされたように、国王や聖騎士達から本人の命は勿論、その家族の命も奪うつもりでいます」

淡々と言うスピーゲルに、アヒムがまた片手を上げる。

「お妃がエラの命を狙った理由はわかったけど、何であんたはお妃の手先になるわけ?金?」

「それは……」

一瞬、スピーゲルの眼が迷うように揺れた。

言うか、言わないか。

そしてそれを決めかねているうちに、心の呟きが彼の唇からポロリと落ちた。

「……償いたくて……」

エルゼの泣き声があたりに響く。

見れば、踞るエルゼにエラが慌てて駆け寄っていた。どうやら躓いて転んだらしい。

エルゼの泣き声が、アルトゥールにはまるでスピーゲルの泣き声に聞こえた。

彼が、何故か小さな子供のように見える。

「……スピーゲル?」

涙に耐えるように俯いたスピーゲルに、アルトゥールは思わず歩み寄る。

けれどスピーゲルはアルトゥールが近づくのを拒むように後ずさり、顔を上げた。

その目に、涙は滲んでいない。泣くことすら、彼は自らに禁じているのかもしれない。

「僕も国王や聖騎士団と一緒です。イザベラから大切なものを奪った」

「……大切なものって?」

「……」

アルトゥールの質問に、スピーゲルは答えてはくれなかった。

スピーゲルはアルトゥールを見て、それからアヒムを見た。

「僕は……イザベラから大切なものを奪った。それを償いたかった。彼女に許して欲しかった。だから、イザベラの命令に従っています」

「いや、従ってないよね?」

アヒムが剣呑な口調で、スピーゲルの言葉を否定する。

「殺せって命令されたんでしょ?殺してないじゃん。何で?血肉ばら撒いて小細工までして、そこまでする必要ある?殺した方がよっぽど簡単じゃん。何考えてんのアンタ。何が目的なワケ?」

「アヒム!」

アルトゥールはスピーゲルを背に庇うように、アヒムの前に立つ。

アヒムはスピーゲルを睨むのと同じように鋭い視線でアルトゥールを睨む。

「何?あんた、この期に及んでまだこの男を庇うわけ?」

「そうじゃありませんわ!ただ少し待って欲しいんですわ!」

スピーゲルには時間が必要なのだ。

自分のことを、誰かに理解してもらおうとも、してもらえるとも思っていない人だから。

罵られても蔑まれても、ただただ黙って耐えて、そうしやって生きざるをえなかった人だから。

そんな彼に『自分』を説明することは、きっと酷く難しいに違いない。

背後で、スピーゲルの深い呼吸音が聞こえた。

「……初めて人を殺せと言われた時は」

小さな声は、微かに震えている。

「償う機会を得られたのだと、むしろ嬉しかったんです。けれど……」

アルトゥールはスピーゲルを振り返った。

自らの両手を、スピーゲルは持ち上げる。革手袋に覆われたその手は、声と同じように小さく震えていた。

「けれど、いざやろうとすると手が震えて……どうしても、できなくて……」

震える手を、スピーゲルは握り締める。

「……イザベラに失望されるのが怖かった。だから魔法で相手の意識を奪って、この村に魔法で閉じ込めました。ただ殺したと言ってもイザベラは信じないだろうから……獣の血肉をばら蒔いて、その心臓をイザベラに渡して」

スピーゲルが語った真相に、アルトゥールが今まで感じていた幾つもの違和感が、みるみる収まるべき場所に収まっていく。

連続する魔族による残虐な殺人事件。 どの被害者の遺体も、どれもまともに残っていなかった。

けれど被害者の一人とされてきたエラは、血を流すどころか苦しむすらなく息絶えた。まるで眠りにつくように。

わざわざ遺体を傷つけたのだろうかとずっと不思議だったが、そうではなかった。

()()()()()()()()』など、そもそも一人も存在しなかったのだ。

スピーゲルは人々の死を偽装し、密かにこの村に隠していた。

思えばスピーゲルが施したアルトゥールの死の偽装も、エラ達と同じやり方だったのだろう。

獣の血肉をばらまき、夜着を切り裂いて、あたかもアルトゥールが八つ裂きにされて殺されように見せかけた。

『理解して貰おうとも理解して貰えるとも思っていません』

いつかのスピーゲルの声が、アルトゥールの耳に響く。

「……あんた、中途半端だね」

アヒムが言った言葉に、アルトゥールは弾けるように振り返る。

「アヒム」

「つまりはビビって殺せなかっただけじゃなぇかよ!それでエラ達をこの村に閉じ込めて……ふざけんなよ!」

アヒムは手を伸ばし、スピーゲルの胸ぐらを掴み、乱暴に揺すった。

「アヒム!」

アルトゥールは慌ててアヒムを宥めようとしたが、アヒムはアルトゥールの姿など目の端にもはいっていないようだ。

「残された側にしてみれば、失ったことに変わりはないんだよ!味わう喪失感も絶望も、本物なんだよ!わかってんのか!?」

力一杯、アヒムはスピーゲルを突き飛ばした。勢いよく砂利の上へと倒れこんだスピーゲルは、小さく顔を歪める。

「スピーゲル!」

アルトゥールは悲鳴をあげ、スピーゲルに駆け寄った。

二人を見下ろし、アヒムは叫ぶ。

「『償い』だ!?偉そうに!自分の償いに他人まきこんでんじゃねえよ!エラや俺の人生を振り回して弄んで、それで『償い』かよ!そもそも殺してない時点で『償い』ですらない!結局、全部あんたの自己満足だ!!」

「アヒム!!やめてですわ!!」

スピーゲルを庇い、アルトゥールは叫んだ。

もういい。

やめてほしい。

自分勝手だろうが、自己満足だろうが、これ以上スピーゲルを責めないで欲しい。

「……そうですね。その通りだ」

アルトゥールの背後で、スピーゲルは呟いた。

「全部、僕の自己満足です」

そして、微かに笑う。

苦味を噛み締めるように、自嘲するように。

アルトゥールの目から、一粒涙がこぼれる。

(お願い……)

もう、スピーゲルを誰も責めないでほしい。誰よりもスピーゲル自身が、自分を責めているから。

スピーゲルの滲むような自嘲に、肩で息をしていたアヒムは瞳を揺らした。

「何なんだよ……笑ってんなよ。一言くらい自己弁護しろよ!」

「……アヒムの言う通り、僕は自分の都合と自己満足のために、皆を巻き込みました。だから僕にはこの村を守る責任があります」

スピーゲルは一度腰を上げたが、立ち上がることはせずに両膝をつき、頭を垂れた。

「……許してくれとは、言いません。許されるとも思わない。ただ、アヒム。この村のことを口外しないで下さい」

天に懺悔するかのように真摯なその声と姿に、アルトゥールもアヒムも何も言えなくなった。

頭を下げたまま、スピーゲルは続ける。

「エラが生きていることも、誰にも話さないで下さい。殺したはずの人間が一人でも生きているとわかれば、そこからイザベラにこの村の存在がばれてしまいかねない。そうなれば、ここにいる全員の命が危うくなる」

確かに、もしスピーゲルがイザベラの命令に反したとしても、イザベラは違う形でエラ達を殺すだろう。王妃になって日が浅かった頃ならともかく、今の彼女には絶大な権力がある。ありもしない罪を着せて処刑することなど造作もない。

「……何で、あんたが頭下げるんだよ」

怒鳴り疲れたのか、アヒムが小さく言い捨てた。

スピーゲルは、頭をさげたまま答える。

「……君に魔法はつうじない。お願いするより他にやりようがない」

「……あんた、本当に何したいんだよ」

渇いた笑いを、アヒムは漏らす。何一つ笑えることはないのに、けれど笑わずにはいられないと言うように。

「これだけの人数の生活。維持するのがどんだけ大変か……」

アヒムの言葉に、アルトゥールは改めて周囲を見回した。

井戸も家も家畜も、もとからあったわけではないはずだ。畑もあるが、それで村全体の食べる分を賄えるほど広いわけではない。(だれ)かが定期的に食糧を供給する必要がある。

人が着る衣服も、それを縫う糸も針も、何もかもすべて、すべて。

先刻、村人達はスピーゲルを憎悪の目で見ていた。閉じ込められている彼らにしてみれば、スピーゲルを憎むのも仕方がない。

けれど、彼らは知らないのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

間違いなく、この村の人々の命はスピーゲルが繋いでいる。

「……全部一人で抱え込んでさ……重いだろ?苦しいだろ?捨てちまえよ。『償い』からも『責任』からも逃げちまえばいいじゃねえか」

アヒムの言葉に、彼の過去が透けて見える気がした。

彼も、何かを背負っていたのだろう。重くて苦しくて、捨ててしまいたいと思ったことがあるのだろう。

逃げ出したいと思う日が、きっと誰にだってあるはずだ。

「…………出来ない」

スピーゲルは小さく首を振る。

「そんな、無責任なことは出来ない」

トン、とアヒムが膝を折った。スピーゲルに向かい合う形で。

「……魔族は魔族らしく、もっと自分勝手に生きればいいだろ。優しいふりすんな、この偽善者」

アヒムが纏っていた黒々しいまでの殺気が、憎悪が、熔けてなくなっていくように見えた。

身じろぎすらしないアヒムに、スピーゲルが窺うように顔を上げる。

「……アヒム……?」

「……俺の親父は旦那の一族に火矢を放ったことを自慢にしてたよ」

アヒムが何故それを言ったのか、意図がわからずスピーゲルは戸惑うように眉尻を下げた。

アヒムが、顔を上げる。

「でも、俺は謝らない。だから旦那も謝らなくていい」

顔は怒っていたが、けれどその緑の目はもうスピーゲルを睨んでいなかった。

「……『テオ』だよ。『テオバルト』」

スピーゲルとアルトゥールは、各々瞠目する。

(それって、アヒムの本当の……)

アヒムは、さっきまでのスピーゲルのように頭を垂れる。

けれどそれは、謝罪のためでも懇願のためでもなかった。

「……妹を助けてくれて、ありがとう。旦那」

エルゼの楽しそうな笑い声が、あたりに響いた。




***




太陽が西に傾き、空が茜色に染まり始める。

遊び疲れたのか、エルゼはスピーゲルの背中で揺られているうちに、すやすやと寝息をたて始めた。ずり落ちていく小さな体を背負い直した直後、エルゼの靴が脱げて、道端に転がった。

(あ……)

スピーゲルが足を止めるよりも早く、数歩後ろを歩いていたアヒムが、屈んで靴を拾い上げる。

「ねぇ。旦那ってさあ、お姫様には(ここ)のこと黙ってたんだよね?何で?」

まるで昔馴染みと話すようなアヒムの口調に、スピーゲルは困惑する。

太陽が真上にあった頃には、アヒムはスピーゲルを殺す気満々で殺気を隠そうともしていなかったのに。

そしてスピーゲルも、アルトゥールにキスしようとしたアヒムを、半ば本気で殺そうとした。

(どのくらいの距離感で接するべきなのか分からない……)

そんなスピーゲルの躊躇いは、顔に出ていたらしい。アヒムが首を傾げた。

「ん?何?」

「……いや……」

アヒムから目をそらし、スピーゲルは足元を見ながら歩く。アヒムはと言えば、当然のようにスピーゲルと肩を並べて歩いていた。アヒムは人と距離を置かない人種なのかもしれない。

「で?何でお姫様に村のこと黙ってたの?ってか、お姫様をどうするつもりだったのさ?」

スピーゲルはちらりとアルトゥールを見た。アルトゥールはヨナタンと手をつなぎ、かなり先を歩いている。因みに、エラとザシャは夕食の支度をするために、日が傾く前に先に帰っていた。

「……最初は、姫のことも魔法をつかって村に閉じ込める気でした」

「でもお姫様には魔法がかからなかった、と」

アヒムがいれた(あい)の手に、スピーゲルは頷いた。

「姫にこの村の存在を知られるのは危険だと思ったんです。魔法が効かない以上、逃げられて他言される危険性がどうしても排除できない。……実を言えば、姫を僕の裏切りを疑ったイザベラに送り込まれた間諜(スパイ)なんじゃないかと疑ってもいたので」

「ふぅん?まあ、確かに秘密を知る人間は少ない方がいいもんねえ」

アヒムは腕をくみ、ウンウンと頷いた。

「でもさ!もう間諜()の心配はないってわかったわけでしょ?そもそもお姫様が旦那から逃げるわけないし」

「……えっと……」

スピーゲルは同意しかねた。

アヒムが言う通り、アルトゥールが間諜だという可能性は大分前に消滅したが、『お姫様が旦那から逃げるわけない』というのは微妙なところだ。アルトゥールがスピーゲルの傍にいるのは、彼女が他に行くところがないからに過ぎないのだから。

「でも安心したいなら俺にしたみたいにお願いすればいいじゃん『離れないで』て」

「は?」

スピーゲルは思わず訊き返す。この男、今何と言った。

アヒムはニコニコ顔だ。

「だから、言いなよ。『一生傍にいて』て」

「……な」

アヒムの発言に、スピーゲルは目を剥いて立ち止まる。

自分の顔が一瞬で熱を帯びたことには勿論気づいていたが、両手が塞がっているので顔を隠せない。

「な、何か、おかしくないですか?」

「何で?何にもおかしくないじゃん」

アヒムは何だか楽しそうだが、スピーゲルはまったく楽しくない。

「何か言い方っていうかニュアンスっていうか……おかしいですよ。絶対」

アルトゥールに下手に出歩いて口外しないでくれと頼むだけなのに、『一生傍にいて』なんて言ったらそれはまるで――――……。

アヒムはスピーゲルの耳元で囁いた。

「だ、ん、な!この際お姫様とホントの夫婦になっちゃいなよ!」

「はああ!?」

思わず大声をあげてしまったスピーゲルに、アヒムが人差し指を唇にあてる。

「しー!起きちゃうじゃん!」

「……っ!」

そっと背中を窺うと、エルゼは身じろぎして小さく唸ったが、その瞼は閉じたままだ。

安堵するスピーゲルの首にアヒムが腕を回し、ヒソヒソと耳打ちする。

「旦那、お姫様のこと大好きだよね?」

心臓を直につかまれ、スピーゲルは白旗を上げる余裕さえない。

「な!?ち、違……っ」

「隠してもムーダ。もろバレだから。だだ漏れだから」

「え、えええ!?」

どう反論すればいいのか分からず、スピーゲルはパクパクと口を明け閉めすることしかできなかった。

「スピーゲルー!」

ヨナタンの声が、黄昏に響く。

見ると、前方をアルトゥールと歩いていたヨナタンが、こちらに大きく手を振っていた。

「何してんのー?」

手を振るヨナタンの隣で、アルトゥールも不思議そうにこちらを見ている。

その姿に固まるスピーゲルの代わりに、アヒムが高く手をあげた。

「お姫様ー!旦那が話があるってさー!」

「ええ!?」

そんなことは言っていない。

青ざめるスピーゲルの背中から、アヒムはエルゼを強引に引き取り、意外にも慣れた手つきで抱き抱えた。

「じゃあ、俺今夜エラのとこ泊まるから!ごゆっくりー!」

「アヒム!?」

「あ。『テオ』ね。『テオバルト』だから」

「いや、今言ってるのはそんなことじゃなくて……っ」

何を考えているのだ。

焦って冷や汗を流すスピーゲルに、アヒムが笑いかける。いつもの茶化した嗤いではない。まっすぐスピーゲルの目を見て、アヒムは穏やかに笑った。

「俺ね。自分のこと後回しにする人みると、背中蹴り出してやりたくなるんだよね」

「……っ」

「じゃ!頑張ってねー!」

いつもの調子に戻って、アヒムはエルゼを抱えて小走りに行ってしまった。

入れ替わりに、アルトゥールが畦道を戻ってくる。

「話しって何ですの?」

「あっ、いや、それは……」

『少しは焦って、その重い腰をあげたらいかがです?』

『だから、言いなよ。一生傍にいてって』

耳の奥でベーゼンやアヒムの言葉がグルグルと渦を巻き、眩暈がする。

()()と言っているのに、どうして誰も彼もがスピーゲルとアルトゥールをくっつけようとするのだろう。それほどに周囲には()()()()なのだろうか。スピーゲルは頭を抱えたくなった。

(……イザベラに償わなきゃいけないのに……)

スピーゲルは、イザベラから大切なものを奪った。

その償いをすると誓ったのにもかかわらず、その誓いも反故にし、それを隠すためにあの村に人々を閉じ込めている。

卑怯で自分勝手で残酷で、まさに人々から忌み嫌われる『魔族』そのものだ。

あの村に閉じ込められた人達は、二度と家族や恋人、友人と会えないまま、あの狭い村のなかで一生をすごさなくてはならない。

アヒムが言っていたとおり、それは『殺された』も同然だ。彼らはスピーゲルに人生を奪われた。

それなのに、スピーゲルが自分の人生を優先していいはずがない。

(……そもそも、姫は僕のことなんて……)

「……」

「スピーゲル?」

窺ってくるアルトゥールに、スピーゲルは滲むように笑って見せる。

「……何でもありません。ベーゼンが待っているので帰りましょうか?」

「……」

けれど、アルトゥールは頷かなかった。唇を引き結び、しばらく何かしらを考え込み、やがて思いきったように口を開いた。

「わたくし、スピーゲルに言わなければいけないことがありますの」

少し怯えたような、けれど真剣なアルトゥールの眼差しに、スピーゲルは情けないことに身を強張らせる。

イザベラやあの村のことを知り、アルトゥールは涙を流していた。その涙が何の涙なのか、スピーゲルにはわからない。

やはり、軽蔑されただろうか。卑怯だと、嫌悪されただろうか。

アルトゥールから罵られる覚悟を決めるため、スピーゲルは奥歯を噛み締める。

けれどアルトゥールが話し出したのは、スピーゲルが予想もしていないことだった。

「わたくしの体質のことですわ」

「……え?」

アルトゥールが何のことを言っているのか分からず、スピーゲルは一瞬呆ける。

そんなスピーゲルを咎めるように、アルトゥールは少し眉根を寄せた。

「魔法無効化体質のことですわ」

「あ」

そう言えば、その体質を変える方法を探すという嘘もアルトゥールについていたのだ。

「あー…その、体質を変える方法ですけど……」

そんな方法は多分ないし、探してすらいなかった。イザベラの手先だと疑っていたこともあわせて、アルトクールには謝罪しなければならない。

「すいません。実は……」

「わたくし、魔法無効化体質ではありませんの」

アルトゥールの告白に、スピーゲルの謝罪は山の向こうに吹き飛ばされる。

(…………魔法無効化体質ではない?)

どういうことだ、それは。突然何なのだ。

「……えっ……と?」

「本当は無効化体質なんかじゃないわ。わたくし、わたくし本当は……」

アルトゥールは白い前掛けを握り締め、深く俯いた。

「『アルトゥール』は、わたくしの名前ではありませんの」



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