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笑わず姫と嘘つきな男ーアヒム③ー

***




「俺はなぁ……魔族狩りで一番最初に火矢を放ったんだぞ……おい?聞いてんのかぁ?」

「何度も聞いたよ、それ」

酒臭さにうんざりしながら、アヒムは酔ってまともに歩けない父親を引きずるようにおぶって家路を急いだ。

夜道には雪がちらつき、手は凍えてかじかんでいた。

一人でアヒムと父親の帰りを待っている3才年下の妹のエラのために早く帰ってやらなければとアヒムの気は焦ったが、体格がいい父親の体は鉛のように重くて、なかなか前に進めない。やっと背丈が父親の胸に届いたアヒムには、かつて屈強な聖騎士だった父親の巨体は、あまりに大きすぎた。

「……あ゛ー!おっも!!このクソ親父!!」

「何だとお?ヒック……俺は魔族狩りで一番に火矢を放った男だぞお」

「だから聞いたよ!それ!」

酒場で飲み潰れた父親を連れ帰るのは、母親が家を出ていく前からアヒムの役目だった。

重いし臭いし面倒だし、本当はそこら辺で眠り込んで凍死してくれていっこうにかまわないのだが、そうなると国から父親に支払われる恩給が貰えなくなる。その殆どが父親の酒代とツケの支払いに消えるとはいえ、聖騎士だった父親が受け取る恩給は、アヒムの家にとって唯一の纏まった定期収入だ。その収入を無くすわけにはどうしてもいかない。アヒムは歯を食い縛り、父親を背負い直した。

かつて聖騎士だったアヒムの父親は、魔族狩りの際に一番に火矢を放ったことを自慢にしていた。だが膝を壊して騎士をやめてからは、酒に溺れて博打に手を出し、方々に借金をつくるようになった。

母親はそんな父親に愛想をつかして他所(よそ)に男をつくってさっさと出ていき、まったく頼りにならない父親に代わり11才のアヒムが妹を養わなければならなかった。

けれど子供が稼げる場所は少ない。

大通りで靴磨きをしたり、商店を回り子供でも出来る仕事を恵んで貰ってようやく稼いだ小銭は、酒に狂った父親に取り上げられてしまう。

やむにやまれず、アヒムは人混みの中で財布を盗むようになった。

上手くいけば三日は食い繋げる。罪悪感は、生存本能の前には無意味だった。

だが、いつもいつも事が上手くいくわけではない。標的に気づかれて捕まり、自警団に引き渡されたり、仕置きだという名目で暴力を受けることもある。

その日の昼間も下手を踏んだアヒムは、腹を殴られ背中を蹴られ、更には空腹も重なって、その足元は酔った父親に負けないほどにフラフラだった。

「お兄ちゃん!」

その声に、アヒムは顔を上げた。

妹のエラが、積もり始めた雪の中を走り寄って来る。

「エラ!?」

「私も手伝う!」

アヒムの背中からはみ出た父親の右半身を、エラはアヒムと同じ様にその小さな肩に背負う。

「いいよ、エラ。お前には無理だよ」

小柄な妹に父親を支えるのは一苦労だし、エラだって空腹で動くのはつらいだろう。

けれどエラは「大丈夫よ」と笑い、結局アヒムと一緒に家まで父親を背負い通した。

家の冷たい床に突っ伏して呑気に鼾をかく父親の隣に、アヒムとエラは呼吸を荒くして座り込む。

エラの鼻の頭は、寒くて赤くなっていた。

「あぁ、疲れた。でも」

エラが笑った。

「くっついてたから、温かかったね。お兄ちゃん」






エラは、本当にいい子だった。器量は特別良いわけではなかったが、愛嬌があり近所の人にも可愛がられて、その縁で隣町の商家に住み込みで働く口が見つかった。

父親の世話をアヒム一人にはさせられないとエラは家を出ることを渋ったが、アヒムは半ば追い出すようにしてエラを送り出した。父親に振り回され、ままならない人生を送るのは自分一人で十分だと思ったのだ。

けれどエラは暇を見つけては帰ってきて、酒浸りの父親の身の回りの世話をしてくれた。

それだけではない。

「はい。兄さん」

15歳に成長したエラが差し出した新品の長剣に、アヒムは戸惑い、眉を寄せる。

「……何これ?」

「お金を貯めて買ったの」

アヒムは眼を剥いた。ただでさえエラの給金は殆どが父親の借金の返済に回っているのに、僅に残った金を貯めて長剣を買うなんて。

「馬鹿。お前……っ自分が嫁にいくときの持参金を貯めろよ!」

「だって兄さん、騎士になりたいんでしょう?剣くらいもってなきゃ」

屈託なく、エラは笑う。

まだ父親がまともに騎士をしていた頃、二人で見に行った馬上試合の帰りに『俺、大きくなったら騎士になる!』とアヒムが言ったのをエラは覚えていたのだ。

アヒムは頭を抱えた。この妹は、どこまで自分のことを後回しにすれば気がすむのだろう。

「騎士になんて……なれるはずないだろ?」

騎士になるには剣技などの実力は勿論、ある程度の教養や有力者の推薦が必要だ。

それでも幼い頃に見た父親の雄々しい姿への憧れを捨てきれずにいるアヒムの心を、エラはお見通しだったらしい。

「なれるわよ。兄さんが騎士になったら十倍にして返して貰うわ」 

だからこれは先行投資なのだと、エラは言った。

その言葉に後押しされるように、アヒムは剣の扱いを学ぶことにした。昔傭兵をしていた男が近所に住んでいて、その男に僅かながらの銀貨を払って剣の教示を頼んだのだ。

荷運びの仕事と父親の世話に追われて毎日クタクタだったが、それでもアヒムは暇を見つけては剣を振るった。それを見かけて、父親が『傭兵と騎士の剣は違う』と酒を飲みながら御託を並べることもあった。

偉そうに、と眉をひそめながらアヒムは言い返す。

「何が違うんだよ」

「ちょっと貸してみろ」

父親はふらつきながら剣をかまえる。瞬間、彼の背筋は伸び、目付きが変わった。

酒浸りの生活で萎えた腕では、重い長剣を長く支えてはいられなかったが、けれどそれを手にしていた間、父親は昔の父親に戻ったようだった。

「騎士になんて、なるもんじゃねえ」

剣を放り出し、また酒瓶を手にした父親が俯きながら呟いた。

「は?」

「騎士になったって……ろくなことにならん」

いつになく暗い父親の目に、アヒムは『何故だ?』とは畳み掛けられなかった。

出ていった母親がかつて医者相手に相談していた言葉を、アヒムは不意に思い出した。

『魔族狩りから帰ってきてから夜よく眠れないようなんです。それで酒の量がだんだん増えて……』

魔族狩りで一番に火矢を放ったことをいつも自慢にしていた父親。

自慢することで、彼は自分を正当化しようとしていたのではないだろうか。自分がしたことは恥じることではないのだと、彼は自分に懸命に言い聞かせていたのかもしれない。




父親が死んだのは、アヒムが19才になった年だ。

行き付けの酒場で酒を飲みながら『魔族狩りで俺は一番に火矢を……』といつものように吹聴していたところで、突然胸を抑えて倒れ、そのまままだった。

父親の死により国からの恩給の支給はなくなったが、アヒムもエラも既にそれに頼らざるを得なかった子供ではない。父親の借金は残ったが、これ以上増えることはないと分かった分、気が楽になった。後は働いて、少しずつでも借金を返せばいい。父親がいなくなって身軽になったアヒムは、とある商隊の護衛を引き受けることにした。もともと剣を扱えることで何度か声はかけられていたのだが、父親の世話があったせいで断っていたのだ。

「騎士になるんじゃないの?」

エラは口を尖らせたが、商隊について各地を旅する仕事は意外にもアヒムの性にあっていた。荷運びの仕事より実入りもいい。このままなら、あと数年もすれば借金を返せる。そうしたらエラの結婚に備えて持参金を貯めてやろう。

アヒムがようやく自分のために人生を歩き出した――――エラが世話になっている商家の取引先のつてで、王城で働けることになったのは、そんな頃だ。

アヒムは喜んだ。王城の仕事は給金が高い上に、箔がついていい嫁入り先が見つかると言われていたからだ。

けれど、王城での仕事は思っていたより大変だったらしい。エラは学がないことで苦労したらしく、一度だけ泣き言を手紙に書いて寄越した。

アヒムは妹が心配で心配で、商隊の隊長に頼み込んで仕事を休み、馬を駆って王城を訪ねた。

「兄さん!」

「エラ!元気だったか!?」

久しぶりに会う妹を、アヒムは潰れるほど抱き締める。

エラは垢抜けていて、そして元気そうだった。

「だって手紙を書いたのは二月(ふたつき)も前よ?」

国中を転々とする商隊に手紙が届くのは、どうしても時間がかかる。その間に、エラは何とか王城に馴染めたようだ。

出来がよくて滅多に甘えてくれない妹を、これでもかと甘やかしてやれる絶好の機会だと思ったのに。

残念がるアヒムを、エラはケラケラと笑い飛ばした。

「私は大丈夫。今度お妃様のお付きになるの!給金もあがるし……そうだ!兄さん、お嫁さんもらいなさいよ!結納金は私に任せて!」


――――それが、最後だった。




***




首筋に尖った木片をつきつけられ、アルトゥールは緊張に息を飲んだ。

(エラって……)

アルトゥールの継母、王妃イザベラの侍女だった若い娘が、たしかそういう名前だった。

彼女の父親はかつて聖騎士団に籍を置いていた聖騎士で、そのせいで……。

(スピーゲルに……)

アルトゥールは、手を握り締める。

半年前。エラはスピーゲルに殺された。

その一部始終を、アルトゥールは山茶花の垣根越しに見ていたのだ。

「……エラは……死にましたわ」

アルトゥールは震える声で、背後のアヒムに告げる。

エラは死んだ。

アヒムに妹を返してやることはできない。

アヒムは不敵に笑う。

「知ってるよ。あんたに殺されたんだ」

憎悪に染まる眼差しは、スピーゲルに注がれ一瞬も逸れることがない。

スピーゲルも、アヒムから目を逸らさなかった。自分の犯した罪から、逃げるつもりはないと言うように。

「エラが死んだとき俺は仕事でたまたま王都の近くにいてさ、報せをもらって慌てて駆けつけたけど……エラだって見せられたのは血だらけの髪と、肉片と、俺が昔買ってやった首飾りだけ」

アヒムの緑の目が、一気に潤む。

「……信じられなくてさ。そこら中、半狂乱でエラを探し回ったよ。これは悪い冗談で、どこかからエラは笑って俺の様子を眺めてるんじゃないかって。……でも。どこにもエラはいなかった」

つ、とアヒムの頬を涙が流れ落ちた。

笑いながら流すその涙はあまりに痛々しくて、アルトゥールはスピーゲルが犯した罪がいかに重いものなのか、初めて思い知る。

今まで、アルトゥールは心のどこかで、スピーゲルこそが被害者なのだと思っていた。

悪いのはスピーゲルを受け入れない世界の方で、スピーゲルは悪くないのだと。

けれど、それはアルトゥールの願望に過ぎないのだ。

どんな理由があれ、復讐という行為に手を染めてしまったスピーゲルは、もはや罪人(つみびと)以外では有り得ない。

それをわかっていなかった自分に、アルトゥールは気が付いた。自分の視野は何と狭かったことか。

(アヒムだけではないのだわ……)

大切な人をスピーゲルに奪われた人は、アヒム以外にも沢山いる。

その全員に、スピーゲルはこんなふうに恨まれているのだ。

「火炙りにされた一族の復讐をしたいなら好きにすればいい。でも、エラが何したんだよ」

アヒムは声を震わせる。涙に濡れる頬からは笑いが削げ落ち、そこには喪失の悲しみに打ちのめされた一人の兄がいた。

「ただあの親父の娘だってだけで、どうして……っ!散々苦労して……親父と俺のために何もかも我慢して……それなのに、あんなクソ親父のつけをどうしてエラが払わなきゃならなかったんだよ!?あんなに良い子が、どうして!?その上まともに埋葬さえ出来ないなんて!!」

アルトゥールの腕を掴むアヒムの手に力がこもる。骨が折れそうな強い痛みに、アルトゥールは顔をしかめた。けれど、アヒムの心の痛みはこんなものではないのだろう。

そして、スピーゲルも。

スピーゲルは食い入るようにアヒムの言葉に耳を傾けている。彼は、何を感じているのだろう。後悔だろうか。それとも、やはり一族を奪われた恨みは薄れはしないのだろうか。

アヒムは自らを落ち着けようとしているのか、何回か深呼吸を繰り返した。

「……妹の遺体(からだ)を返せ」

怒りを抑え、アヒムは静かに要求する。

「魔族は人の生き血をすすって肉を食らうんだって聞いたけど、まさか死肉までしゃぶってるなんて言わないよな?」

スピーゲルは、何も言わない。

目線も、表情も、ぴくりとも動かない。

その様子に、アヒムが激昂する。

「どうにか言えよ!!この穢らわしい魔族!!」

罵られ、ようやくスピーゲルは微かに唇を動かした。

「……姫を離せ」

その言葉にアヒムは驚いたように目を見開き、そして乾いた笑いをもらす。

「ははは……。これだけ言ってるのに、嫁さんの心配かよ。いや、嫁さんじゃなかったんだったな。まあ、どっちでもいいや」

アヒムは、手にしていた木片を握り直した。

「……お姫様を殺したら、あんたも少しは自分のやったことを後悔するかな?」

それは、答えを求めない疑問だった。

アヒムは手を振り上げ―――素早く振り下ろす。アルトゥールは固く目を閉じた。

「……っエラは生きてる!!」

アルトゥールの皮膚を木片が突き破る寸前。

スピーゲルが叫び、アヒムが手を止める。

「……何だって?」

顔をしかめて訊き返えすアヒムに、スピーゲルは真剣な顔で、もう一度同じことを言った。

「エラは生きてる。嘘じゃない。姫を離してくれたら……案内する」

                            



スピーゲルの家から暫く森の中を歩くと、切り立った崖があった。

「こんなところに……」

こんな崖があったなんて知らなかった。

アルトゥールは崖下をおそるおそる覗き込む。霧が深くたちこめていて、底が見えない。

その腕を、スピーゲルが引いた。

「崩れやすいので気をつけてください」

「崩れた方がいいんじゃないか?」

後ろにいたアヒムが、意地悪く笑う。

「そしたらお姫様を殺す手間がはぶけるじゃん。よく知らないけど、殺す前提で一緒にいるんでしょ?」

スピーゲルはチラリとアヒムを見たがすぐに目を逸らし、肩にしがみついているジギスに声をかけた。

「『ジギスヴァルト』」

名前に続いていつもの呪文を答え、土埃の中からジギスヴァルトがその巨体を姿をあらわした。

アヒムが目を丸くして後ずさる。

「竜!?」

「乗ってください。下と行き来するための階段は細くて危ないので、ジギスヴァルトに運んでもらいます」

けれどアヒムはスピーゲルを睨み付けた。

「……案内するとか上手いこと言って、俺を突き落として殺そうって腹じゃないだろうな?」

「スピーゲルはそんな卑怯なことしませんわ!」

アルトゥールは抗議したが、けれどすぐに黙った。スピーゲルがアヒムに腕を差し出さしたからだ。

「落ちる時は僕を道連れにすればいい」

「……へえ?」

アヒムは口角を上げ、スピーゲルではなくアルトゥールの腕を掴む。

「じゃあ、遠慮なく」

「……っ」

スピーゲルはアルトゥールの腕からアヒムの手を払い除けようと身を乗り出したが、アルトゥールはそれを制した。

「かまいませんわ。だってスピーゲルはアヒムを突き落としたりしませんもの。さぁ、行きましょう?」

不満そうなスピーゲルと満足げなアヒムを急き立て、アルトゥールはジギスヴァルトの背に這い上がった。

三人を背に乗せたジギスヴァルトは軽々と宙に舞い上がり、滑空して崖の下を目指す。

白い霧のなか、徐々に眼下の景色があきらかになってくる。

アルトゥールは目を疑った。

「……村?」

崖下の細長い土地に沿って、いくつもの家が軒を連ねている。

その家の上を通りすぎ、広場のように開けた場所にジギスヴァルトは降り立った。

「スピーゲルー!ジギスー!」

駆け寄ってくる人影に、アルトゥールは息を飲んだ。

「エルゼ……ヨナタン!?」

混乱の中で別れた、あの銀髪の子供達だ。

「あ!お姉さんだ!」

「靴くれたお姉さん!!」

明るい笑顔で抱きついてきた彼らを、アルトゥールは腕の中に迎え入れ、跪く。

「二人とも……無事でしたのね!」

()もいるよ」

見上げれば、そこにはザシャがいた。

踝丈の薄い水色の長衣に、白い前掛けをつけている。髪はまだ短いが、どこからどう見ても女の子だ。

「ザシャ!似合ってますわ!」

「へへ」

照れ臭そうに、ザシャは笑う。

アルトゥールは立ち上がると、改めてあたりを見回した。

家の煙突からは煙があがり、物干しには洗濯した服が揺れている。

薪を割る音や、煮炊きする匂い。人が息づく気配がする。

数人ではない。もっと多人数の人間が、この村で生活を営んでいるように見えた。

「……ここは……」

アヒムも、戸惑ったようにあたりを見回している。

スピーゲルがザシャに声をかけた。

「ザシャ。エラはどこ?」

「エラならさっき井戸にいたよ」

「こっちだよ!」

「こっち!!」

ザシャとエルゼ、ヨナタンが先にたって歩き始め、それにスピーゲル、そしてアルトゥールとアヒムがつづく。

スピーゲルは、外套のフードをとっていた。銀の髪も赤い目もあらわになっているのに、村の人々はその姿に驚く様子はない。代わりに怯えたように顔をしかめ、家の中に姿を消していく。

スピーゲルはそれに気を悪くするふうでもなく、いたって平然と歩を進める。この村を歩くのも、村人に遠巻きにされるのもスピーゲルは慣れているようだ。

「スピーゲル、ここは一体……」

アルトゥールが疑問を口にするのと同時に、隣にいたアヒムが弾けたように駆け出した。

「エラ!!」

井戸端にいた若い娘がビクリと肩を揺らし、ゆっくり振り返る。

その顔に、アルトゥールは見覚えがあった。緑の目が、アヒムによく似ている。

「兄さん!!」

「エラ!!」

アヒムはエラを攫うように抱き締め、二人はその場に膝から崩れ落ちた。

エラは涙を流し、アヒムの首に腕を回す。

「兄さん?本当に兄さん?」

「エラ!」

アヒムはエラの顔を両手で包み、その頬を確かめるように撫でた。

「エラだ……エラだ。俺のエラだ」

「兄さん」

「生きてる……!生きてる生きてる生きてる生きてる……!!」

アヒムはまたエラを抱き締め、妹の肩に顔を埋める。

泣いているのか、彼の肩は細かく震えていた。

「……どうしてだ?」

エラを抱き締めたまま、アヒムは顔を上げる。

「どうしてエラが生きてるんだ?エラだけじゃない……さっきこっちを見てた奴らのなかに、親父の葬式に来てくれた人がいた。人づてに魔族に殺されたって聞いたのに……」

アルトゥールは、一人離れて立っていたスピーゲルを振り向いた。

彼の表情からは、何の感情も読み取れない。

「……スピーゲル。どういうことですの?」

「……」

スピーゲルは何も答えなかった。答えるのを拒むように、彼は俯く。

そこへ、突然大声が響いた。

「やめとけ!!無駄だ!!」

「はなしてくれ!はなせ!」

その騒ぎを、アルトゥール達は振り返った。

数人の村人が一人の男をおさえつけようとしている。けれど男は村人達を振り払い、走り出した。スピーゲルに向けて。

「た、頼む!」

男はスピーゲルの胸元にしがみついた。

「ここから出してくれ!家に帰してくれ!頼む!」

「……それは出来ません」

スピーゲルが低く告げると、男は必死の形相で跪く。

「帰らなきゃならないんだ!家族がいるんだ!俺の帰りを待ってるんだよ!頼む!」

けれどスピーゲルはもう何も言わなかった。無言で、涙を流す男を見下ろす。

痛ましげに――――……まるで、自らの痛みを堪えるような顔だ。

「ここから出してくれ……家に帰してくれ……っ」

咽び泣く男を、恐る恐る近寄ってきた村人達が助け起こす。

「ほら、立ちな。言っただろう?無駄だって」

「俺達はもう外へは出られねえ。穢らわしい魔族につかまったんだからな」

村人達はスピーゲルに憎悪の目を向けると、男を抱えるように連れて行く。

アルトゥールは、事のなりゆきに呆然とした。

「……今のは」

「……彼は数日前に僕に()()()、そしてここに来ました」

スピーゲルが呟くと、乾いた風が吹いた。

木々がざわめき、木の葉が散る。

髪が乱れるのを、アルトゥールは気にはしなかった。それどころではない。

「……あなたに……殺された?」

スピーゲルが、アルトゥールを見る。

「そうです。彼は……いや。彼だけじゃない」

禍々しいと言われるその赤い目は、けれど血濡れた傷口のようにも見えた。

「この村にいるのは、僕に()()()()()()()人達です」




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