笑わず姫と嘘つきな男ーアヒム②ー
アヒムとその仲間に家を襲撃された翌朝――――……。
生まれたばかりの太陽が、夜に凍えた空気をゆっくり温めていく。
クスクスとアヒムが笑った。
「『魔族に名前を呼ばれても返事しちゃいけない』て子供の頃に聞いたアレ。でたらめじゃないんだ?名前を呼ばなきゃ魔法をかけられないってことかな?」
スピーゲルの背後で、スピーゲルとアヒムのやりとりを聞いていたアルトゥールは、固唾を飲んだ。
(……名前が本当の名前ではないと……魔法が、かからない)
よく考えれば当たり前ではある。
(もしかして、わたくしに魔法がかからないのは……)
ざわつき始めた心を抱き締めるように、胸を押さえた。
『アルトゥール』という名をアルトゥールにつけたのは、アルトゥールの父だ。
彼は生まれてくる赤ん坊のために頭をひねり、熟慮の末に『アルトゥール』という名を用意したのだという。そしてアルトゥールは生まれ、生後100日目に、その名と共に王女の誕生が国中に公布された。
アルトゥールの名前は、『アルトゥール』以外には有り得ない。
けれど……。
(やっぱり……)
アルトゥールは俯いた。
幼い頃から心の奥底に押し込め見ないようにしていた考えが、不安を糧に膨らみ、アルトゥールの思考を支配する。
(やっぱり、わたくしは……)
スピーゲルがアヒムに尋ねる。
「……本当の名前は?アヒム」
本当の、名前――……。
アルトゥールは半ば確信し、そして愕然とする。
自分に魔法がかからないのは、体質云々の問題ではなかったのだ。
(わたくしは……『アルトゥール』ではないんだわ……)
「奥さーん?」
「……」
「ねぇ、奥さん?」
「……」
「おーくーさー……あちちちちち!!」
アヒムの悲鳴に、アルトゥールは我にかえった。
「え?」
見れば、アルトゥールが持つ茶器から注ぐ紅茶が、カップを持つアヒムの手を直撃している。
「早く井戸水で冷やさなければ!」
ベーゼンに言われ、アルトゥールは慌てて立ち上がった。
「わわ、わかりましたわ!」
「熱ーーーい!!」
「こっちですわアヒム!」
アルトゥールは手をバタつかせて熱がるアヒムを井戸まで連れていくと、井戸で冷たい水を汲み、赤くなったアヒムの手にゆっくりかけてやった。
「あー熱かったー……」
アヒムは涙目で、アルトゥールを恨めしげに見る。
「ひどいよ奥さーん」
「ご、ごめんなさいですわ」
「もー何考えてたのさ」
「……」
アルトゥールは黙りこむ。
アヒムとその仲間に家を襲撃された翌朝から、実はひそかに思い悩んでいることがあった。
(……名前が、本当の名前ではないと……魔法が、かからない)
考えてみれば当たり前のことだが、当たり前すぎて深く考えもしなかった。
だが偽名を名乗ることで魔法にかかることを回避したアヒムを見て、アルトゥールは気づいたのだ。
(もしかして、わたくしに魔法がかからないのは……)
ざわつく心を抱き締めるように、アルトゥールは胸を押さえた。
『アルトゥール』という名をアルトゥールにつけたのは、アルトゥールの父だ。
彼は生まれてくる赤ん坊のために頭をひねり、熟慮の末に『アルトゥール』という名を用意したのだという。そしてアルトゥールは生まれ、生後100日目に、その名と共に王女の誕生が国中に公布された。
アルトゥールの名前は、『アルトゥール』以外には有り得ない。
けれど……。
アルトゥールは俯いた。
幼い頃から心の奥底に押し込め見ないようにしていた考えが、不安を糧に膨らみ、思考を支配する。
(……わたくしが『アルトゥール』じゃないから、魔法がかからないのではないかしら)
それは半ば確信めいていた。
魔法がかからないのは体質云々の問題ではなかったのだ。
それをスピーゲルに言わなければならないと思っているのに、言い出す機会をアルトゥールはなかなか得られないでいた。
(それというのも……)
アルトゥールは唇を尖らせる。
「……アヒムのせいですわ……」
無理からぬことだが、スピーゲルはアヒムと友好的にするつもりはないらしい。アヒムがこの家に来てからずっと苛立っているし、なるべくアヒムと同じ空間にいないように、食事すらさっさと切り上げて日がな一日外にいる。
アルトゥールも名前の件を話そうと何度かスピーゲルを追いかけようとはしたのだが、その度にアヒムに『奥さーん』と呼び止められ、結果スピーゲルと二人になる機会を失い続けている。気づけば、このところスピーゲルとまともに話をしていない。
(由々しき事態ですわ)
アヒムから『奥さん』と呼ばれることに気を良くして愛想よくしていたが、このままではいけない。折りを見てスピーゲルと話をしなくては。
「え?何?何が俺のせいなの?奥さん」
アヒムのとぼけ顔に、アルトゥールはため息をついた。
「別に何でもありませんわ……」
それにしても、このアヒムという男は妙な男だ。
人懐っこい笑顔に軽快な話術。有無を言わさぬ調子の良さ。
盗賊まがいのことをされたというのに、アルトゥールはどうにもアヒムを憎みきれなかった。
けれど時々、アヒムの緑の目が底冷えするほどに恐ろしく見える時もある。それは大抵彼がスピーゲルと対峙している時だ。『魔族』と呼ばれるスピーゲルに、敵意を向ける人間は少なくない。アヒムもそういう類いの人間なのだろう。
(とりあえず……油断は禁物ですわ。わたくしが『笑わず姫』だとバレないように気を付けなくては)
「ところでさー奥さんて『笑わず姫』だよね?」
井戸の滑車にくくりつけられている桶を片付けようとしていたアルトゥールは、アヒムから投げつけられた隕石級の衝撃を背中に受け、思わず桶から手を放してしまった。
桶は井戸の底に落下し、それによる派手な水音が反響する。
小鳥が囀り、気が早い蜻蛉が一匹アルトゥールとアヒムの間をフワフワと飛んでいく。
「……っそ、そんなわけありませんわ!わたくしが笑わず姫だなんて……お、オホホホホホホ!」
アルトゥールは若奥様風に笑い飛ばそうとしたが、アヒムはそれで誤魔化されてはくれなかった。
「実は王城に行ったことあるんだよね、俺。それで塔の窓から辺りを見下ろしてるお姫様を見たことあるんだー」
ニッコリと笑い、アヒムはアルトゥールを指差す。
「黒髪に青い目の笑わない絶世の美女。噂通り高飛車そうで我が儘そうに見えたけど……実際はそうでもないんだね。お姫様」
「……っ」
アルトゥールはヘナヘナと座り込み、両手を地についた。
(あ、あっさりバレてしまいましたわ――!!)
混乱するアルトゥールの隣に、アヒムは人好きのする笑みを顔に浮かべたまま屈みこむ。
「『笑わず姫』なのに笑ってるからいまいち確信がもてなかったんだけどさ、やっぱそうだよね?俺、美人は一度見たら忘れないからさ」
「……」
もう少し知らぬ存ぜぬを続ければ切り抜けられたのかもしれないと後悔するも、もう今更だ。ガックリと肩を落とすアルトゥールのこの状態こそが、白状しているようなものである。
アルトゥールは頭をもたげた。
「……どうして王城になんて……」
「妹が王城で働いててさぁ。一度だけだけど、顔見に行ったんだよね」
屈託なく答えるアヒムに、アルトゥールは目を瞬かせる。
「妹……さん?」
「それで?何で魔族に殺されたはずの笑わず姫が、こんなところで魔族のお嫁さんのフリなんてしてるわけ?」
アルトゥールとスピーゲルが偽装夫婦だということも、アヒムにはお見通しらしい。
「ど、どうしてフリだとわかりましたの?」
上手く『若奥様』を演じているつもりだったのに。アルトゥールが情けない思いで尋ねると、アヒムは肩を竦めた。
「うーん。いや、最初は本物の夫婦だと思ってたよ?旦那なんて俺がお姫様に近づいただけであれだし?」
アヒムはククッと口の中で意地悪そうに笑いを噛み殺す。
「男の嫉妬ってマジ醜いわー。あー楽しー」
「え?何ですって?」
「いやいや、こっちの話。ほら。夫婦なのに寝室別みたいだったから。だからおかしいな、て」
なるほど。そこからバレてしまったのか。
アヒムはやや後ろについた両腕に体重をかけ、首を傾げる。
「で?お姫様はどうして旦那と一緒にいるわけ?どうして生きてんの?」
勘が強いアヒムには隠し事は出来そうにない。アルトゥールは渋々ながらも正直に話すことにした。そもそも嘘はあまり得意ではない。
「わたくしとある事情で……魔法がかからないんですわ。それでスピーゲルの魔法では死ななくて、だからスピーゲルについてきたんですの」
「…………何で『だから』なの?『だから』から結論までかなり飛躍したよね?」
アヒムが理解できないという風に顔をしかめる。
「殺されなかったから一緒に住むことになったとか意味わかんないんだけど。いつ殺されてもおかしくないんじゃないの?何で逃げ出さないわけ?」
「だから、殺されるためにここにいるんですわ」
風に、林檎の木々がそよいだ。
この家に来たときは木々の枝には白い花が咲いていたのに、今は緑の果実がぶら下がっている。
こんなに生き長らえるなんて、正直思っていなかった。
秋に様変わりし始めた風を胸いっぱいに吸い込み、アルトゥールは笑う。
「色んなことを見て色んな物を食べて、楽しかったですわ。あとはキスさえできれば、本当に思い残すことはありませんの」
「……キス?どゆこと?」
アヒムは訝しげに眉尻を下げた。
風にほつれる髪を押さえ、アルトゥールは答える。
「わたくし、ずっと憧れてるんですわ。死ぬ前に一度でいいからキスをしてみたくて」
「あー死ぬ前に童貞捨てたいってやつね」
腕組みして、アヒムはウンウンと一人頷く。
彼が納得している様子がアルトゥールは意外だった。これまで『キスがしたい』と言うとスピーゲルを含む大抵の人間は『何?』と訊き返してきたのに。
けれど、彼が呟く単語は聞き慣れなくて、いまいち理解できない。
「……どうて……?」
何だ、それは。
アヒムはヘラリと笑う。
「あーごめんごめん。キスしたいなら旦那に頼めばいいじゃん。喜んでしてくれるでしょ」
「……スピーゲルには断られましたわ」
少し気まずい思いでアルトゥールが言うと、アヒムは驚いたように目を真ん丸にした。
「……あれ?旦那ってお姫様の恋人なんじゃないの?」
「よく間違われるけれど、違いますわ」
アルトゥールが首を振ると、アヒムは今度は緑の眸子をひよこ豆より小さくした。目が点とはこのことだ。
「あー……何だ……まだその段階なんだ……」
「段階?」
「……へぇ。そうなんだ……」
膝に頬杖をつき、アヒムは考え込む。
その緑の目は、いつの間にか冷たく凍てついていた。
「アヒム?」
「……そりゃそうだろうね」
「え?」
何の話かとアルトゥールが戸惑っていると、アヒムは自らの腕に頭を預けたまま目だけこちらに向ける。
冷たい目だ。
彼がスピーゲルを見るときの、冷たくて――――相手を蔑む目。
「旦那がお姫様にキスするわけないよ。旦那はお姫様のこと殺したいほど憎いんだから」
まるで太い棒か何かで力一杯叩かれたように、アルトゥールの心臓が大きく脈打った。
「……え」
ドクドクと、体内の血液が循環する音が、やけに耳につく。
指先が一気に冷たくなっていくのは何故だろう。それこそ、冷たい井戸水に濡れたように。
アヒムは楽しそうに、笑みを深めた。
「どうして不思議な顔してるの?お姫様は旦那の一族を滅ぼした国王の娘なんだよ?憎いにきまってるじゃん」
「それ、は……」
返す言葉を、アルトゥールは失った。
スピーゲルにとって、アルトゥールは家族の仇の娘。だから、スピーゲルはアルトゥールを殺そうとしている。
憎んでいるから殺すのではない。
アルトゥールが国王の娘だから、殺そうとしているのだ。
アルトゥールは、そう理解していた。
(だって……)
スピーゲルは、いつだってアルトゥールに優しくしてくれた。微笑んでくれた。
だから思いもしなかった。
彼が本心では――――アルトゥールを、憎んでいるだなんて。
「……」
拾い集めたはずの心が、また砕けて飛び散りそうな不安に襲われる。
散り散りになりそうな心を抱き締めるかわりに、アルトゥールは自らの体を抱き締めた。そして、アヒムの主張を否定しようと口を開いた。
「ス、スピーゲルは……親切にしてくれますわ、わたくしに!」
「その親切を馬鹿正直に親切と受け取るなんて、お人好しだね、お姫様」
嘲笑うアヒムを、アルトゥールは必死に睨む。
「スピーゲルは本当に優しんですわ!ふ、復讐だって好きでやっている訳じゃないってツヴァイクが言……」
「誰だって復讐なんてやりたくて始める訳じゃないさ」
アヒムの顔から、笑みがボロリと剥がれ落ちた。
先程まで調子よくお喋りしていた人物とは別人のように、その目は怒りに染まり、その表情は憎しみに満ちている。
「何をしようが失ったものは戻らない。仇をとったくらいで気がすむなんて思えない。それでも、憎くて憎くて仕方がないんだよ。自分のなかに渦巻く怒りで自分自身も黒焦げになりそうで、いっそこの怒りで世界中焼き付くしてやりたいって思うんだよ」
アヒムのあまりの迫力に、アルトゥールは唇を震わせることしかできない。
(アヒムはー……)
この凄まじい怒りを、人懐っこい笑顔の下にずっと隠していたのだ。人は、これほどまでの激情を皮膚の下に隠すことが出来るのだ。
それが、アルトゥールは恐ろしかった。
アヒムにできるのだから、スピーゲルにできないはずがない。
優しい穏やかな微笑みで、スピーゲルも自らをも焼くほどの憎しみを押さえつけているのかもしれない。
(……優しい、から……)
スピーゲルは優しいから、だからアルトゥールに優しくしてくれた。親切にしてくれた。世話をやいて、心配してくれて――――……。
でも、本当は……。
アヒムが、アルトゥールの耳もとで悪魔のように優しく囁いた。
「旦那は、吐き気がするほど君のことが大嫌いなんだよ。お姫様」
喉まで這い上がってきた悲鳴を、アルトゥールは両手で口を押さえることで懸命にこらえた。
スピーゲルに憎まれている。嫌われている。
彼は優しいから、だからアルトゥールを無下に扱えないだけで、今もアルトゥールが隣にいることを迷惑だと思っているに違いない。
奈落の底に落ちていくような感覚に陥るアルトゥールの腕を、アヒムが掴んだ。
「ねえ、俺がしてあげようか?」
甘ったるい声にアルトゥールが目をあげると同時に、腰がアヒムに抱き寄せられる。
「キス。してみたいんでしょう?」
アヒムの微笑が発する冷気に凍え、アルトゥールは動けない。
唇に、唇が重なる――――その寸前。
旋風に持っていかれるようにアヒムの体が浮き上がり、アヒムに腰を抱かれていたアルトゥールは支えを失う。
急激に前方に傾いだ体を、地に手をつくことでアルトゥールが支えたのとほぼ同時に、薪が高く積み上げられたそこへとアヒムの体が突っ込んだ。
けたたましい音とともに、薪が崩れ落ちる。
それを、スピーゲルが肩で息をしながら見下ろしていた。
「……ス、スピーゲル……?」
スピーゲルは、こちらを見ない。
その背中から静かながら強烈な怒気を感じ、アルトゥールは息を飲む。
崩れた薪の中から、ヘラヘラと笑いながらアヒムが上体を起こした。
「ちょっと旦那ー怪我人放り投げるのやめてよー」
「出ていけ!!」
落雷のようなスピーゲルの声に、アルトゥールはビクリと怯えた。
「どうかなさったんですか?」
家からベーゼンが顔を出す。ツヴァイク達も不安げにこちらを窺っている。
けれどスピーゲルは彼らを振り向こうともしない。
周囲を小馬鹿にするように笑ったまま、アヒムがスピーゲルを見上げる。
「出てっていいのー?騎士団に通報しちゃうかもよ?」
ツヴァイク達が慌ててスピーゲルとアヒムの間にはいった。
「ちょ、ちょっと落ち着けってスピーゲル!」
「そうよ通報されたら……」
「……困る」
「なら殺す!!」
宥めようとするツヴァイク達の枝を振り払い、スピーゲルが叫んだ。
これほどスピーゲルが激昂するのを、アルトゥールは初めて見た。このままでは本当にアヒムを殺してしまうのではと心配になり、アルトゥールは咄嗟にスピーゲルとアヒムの間に割り込んだ。
「だ、ダメですわ!殺してはダメ!」
アルトゥールのその行為は、スピーゲルの怒りに油を注いでしまったようだった。
スピーゲルは怒りに顔を歪め、アルトゥールを怒鳴りつける。
「どけ!!」
その怒号に、アルトゥールは怯えて身を堅くした。同じ様に怒鳴るある人を思い出したからだ。
アルトゥールのその様子に、スピーゲルの目に一瞬で冷静さが戻った。
彼の頬に、後悔が広がっていく。
「……すいませ……」
「あははははははは!!」
スピーゲルの謝罪を打ち消すように、アヒムが高く笑った。
楽しくて楽しくてたまらないというような笑い声は、何故かアルトゥールには悲しくて悲しくてたまらない悲嘆に聞こえる。
「あはは!とうとう汚らわしい本性が出ちゃったね!!旦那!!」
アヒムは立ち上がりながら手を伸ばし、アルトゥールを乱暴に引き寄せた。
スピーゲルが眼を剥き、走り寄ろうとする。
「姫!」
「近づくんじゃねえ!!」
獣のように吼え、アヒムはアルトゥールの喉もとに長細い薪を突き付けた。
尖端はそう鋭くないが、アヒムがその気になればアルトゥールの喉仏にそれを突き立てるのは容易だろう。
スピーゲルが、動きを止める。ツヴァイク達もベーゼンも、そして当のアルトゥールも、緊張に指先一つ動かせない。
アヒムはクスクスと、本当に嬉しそうに笑っている。
「一生懸命優しいふりしてる旦那はすごくいじらしかったけどさ。やっぱりそういう目をしてる方がお似合いだよ。……穢らわしい魔族め」
あたりに冷気が漂うのが見えるようだった。今にも井戸水が氷り始めそうなほどだ。
真冬の吹雪のように鋭い緊張感のなか、スピーゲルがアヒムを見据える。
「……アヒム……」
「この数日。腹がたって仕方がなかったよ。穢れた魔族のくせして美味い物食って、まともな寝床で寝て、草取り三昧の悠々自適な生活」
笑いながら、アヒムは吐き捨てるように言う。
「だからさっさと旦那をブッ殺してやりたかったのに……見つからないんだよね」
「……見つからないって……」
アルトゥールは考えを巡らせた。
アヒムが仲間を連れて襲ってきた夜。彼らは金貨を探して、いたるところを掘り起こしていた。あれは、本当に金貨を探していたのだろうか。
他の男達はともかく、アヒムは違うものを探していたのではないだろうか。
アルトゥールは、横目にアヒムをみる。
「……何を、探しているんですの?」
アヒムは、優しげに目を細めた。
「妹」
「……妹?」
先程話していた、王城で働いていたという妹だろうか。
アヒムは頷いた。
「そう。旦那に殺された僕の可愛いエラ」
その名を聞いて、アルトゥールは――――そしてスピーゲルも、驚きに瞠目した。
(『エラ』って……)
春の月夜。
助けをもとめる悲鳴が、耳に甦る。
力を失い、地に落ちたしなやかな手。
「その顔だと、誰のことかわかってるみたいだね。意外だなあ、殺した相手の名前なんて忘れちゃってるものだとばかり思ってたのに」
アヒムは、やはり笑っている。
けれどその目は、妹を奪われた怒りを悲しみを悔しさを、そしてスピーゲルに対する憎悪と殺意を、一切隠そうとはしていなかった。
「ねえ、俺の妹はどこ?」