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笑わず姫と嘘つきな男ーアヒム①ー

無惨に叩き折られた箒の柄を見下ろし、スピーゲルが顔をしかめる。

「……ベーゼン……」

呟いて、彼は片膝を地につくと箒の破片を拾い始めた。

「手伝いますわ!」

スピーゲルの隣に屈み込み、アルトゥールも散らばる小さな破片を拾い集める。

掌に転がる小さな木屑を握り締めると、目尻にじわりと涙が滲んだ。

「……治せますの?」

アルトゥールは恐る恐るスピーゲルを伺う。

(もし出来なかったら……)

ベーゼンに二度と会えないなんてことになったら、あまりにも悲しすぎる。

アルトゥールの不安を打ち消すように、スピーゲルは優しく微笑んでくれた。

「大丈夫です。破片が集められないほど粉々になったり、燃やされて灰になったなんてことでなければ、大抵は問題なく治せます。ただ……」

赤い目が、悲しげに揺れる。

拾い集めた箒の破片を両手で握り締め、彼は気遣うように囁いた。

「……痛かっただろうに……『トルデリーゼ』」

美しい響きのそれは、おそらくベーゼンの本当の名前なのだろう。

スピーゲルは薄い唇で呪文を紡いだ。

呪文は風に姿を変え、箒の破片を宙に舞い上げる。

破片の一つ一つが光り輝き、溶けるように一つの光になったかと思えば、そこにいつもの前かけをかけたベーゼンが朝日を背にして立っていた。

ゆったりと、ベーゼンは笑う。

「本当に。あんなに痛いとは思いませんでした」

「ベーゼン!!」

アルトゥールはベーゼンに抱き付いた。

「ベーゼン!よかった……よかったですわ!」

「姫君様。ありがとうございます。……スピーゲル様も」

アルトゥールの背を撫でてなだめながら、ベーゼンはスピーゲルを見上げる。

「ご心配おかけしました」

スピーゲルは怒ったように、少し眉をひそめる。

「折られても僕が治すとふんでたんだろうけど……無茶はやめてください。魔法には『限界』があるんですから」

「ええ、火をつけられかけた時はさすがに焦りました」

ベーゼンは頷いたが、どこか楽しげだ。

「まったく……」

そんなベーゼンに、スピーゲルは呆れたように溜め息をつく。

「ベーゼーーーーン!!」

「よかったわー!!」

「……痛い?」

ツヴァイク達が号泣しながらベーゼンを取り囲む。

彼らを見上げ、ベーゼンは笑った。

「あなた達にも心配かけてしまったわね。私はもう大丈夫よ。あなた達は大丈夫?あらあら……実が随分落ちてしまったのね」

「う゛え゛え゛~」

「びえ゛え゛~」

「……ぶえ゛え゛ーん゛」

さわさわと、朝の爽やかな風が吹く。

その冷たさに秋の気配を感じ、アルトゥールは空を見上げた。

(よかった……)

いつもの朝の風景とは随分違うが、皆揃って朝を迎えられたのだ。

「……ブランコ。直さなきゃいけませんね」

スピーゲルの呟きにアルトゥールが振り返ると、昨日スピーゲルがつくってくれたブランコは、片方の吊り紐が切られていた。

「本当ですわ。家の中の片付けもしないと」

「そうですね」

荒らされた家や庭を見渡し、スピーゲルがげんなりと顔をしかめる。

「……あ。スピーゲル。言い忘れていましたわ」

「え?」

こちらを向いたスピーゲルに、アルトゥールは微笑んだ。

「おかえりなさいですわ」

スピーゲルは驚いたように目を見開き、そしてぎこちなく、けれどアルトゥールの目を見て、笑顔を返してくれた。

「ただいま帰りました」

目をあわせ、二人で笑いあう。

その背後で、呻き声が聞こえた。

「……い、いたた……」

殴られた頬を手で庇いながら、アヒムが身を起こす。

「姫。下がって」

すぐさまスピーゲルは反応し、アルトゥールを背に庇いつつアヒムに向き直った。

アヒムは地面に腰をおろしたまま、呑気にあたりを見渡す。

「朝かあ……あー痛い……これ、顎の骨いっちゃってんじゃない?」

すっ、と彼の顔に影が射す。

ツヴァイク達が()()に踏み鋤や堀棒を持ち、アヒムを取り囲んだ。

「さーて、どうしてやろうか」

「埋めましょ。穴はいっぱいあるんだから」

「……埋葬」

「わー!ごめんなさいごめんなさい!!」

顔をひきつらせるアヒムに、ツヴァイク達はかまわず詰め寄る。

「ごめんですむなら騎士団はいらねえんだよ!」

「家宅侵入!強盗未遂!器物破損!傷害!殺人未遂!婦女暴行!放火未遂!」

「……生き埋め!生き埋め!生き埋め!」

ツヴァイク達は今にもそこら辺の穴にアヒムを放り込みそうな勢いだ。

アヒムは半泣きでその場に正座する。

「ま、待ってよー!確かに奥さんに打ち身は食らわせたけど、そっちのほ、箒の人?を折ったのも火をつけようとしたのも俺じゃないよー!」

「……『奥さん』……」

ボソリと、アルトゥールは呟く。

アヒムはどうやらアルトゥールをスピーゲルの伴侶だと勘違いしているらしい。

(……『奥さん』……)

何だろう。この煌々しい響きは。

スピーゲルと並んでいると、夫婦や恋人に間違えられることは多いが、『奥さん』と呼ばれるのは初めてだ。

そういった嫌疑に対していつもなら速攻で『違う!』と否定するスピーゲルだが、今日は何か考えがあるのか何も言わなかった。

ただ腕を組み、ツヴァイク達と同様に険しい顔てアヒムを見下ろす。

「……彼女は触られたと言っていましたが?」

「だから!髪に触っただけだって言ったじゃん!だって奥さん美人じゃん?口説くのは女性に対する礼儀でしょ? 」

「何が礼儀……」

いきりたつスピーゲルの肩に、アルトゥールは手を置いた。

「スピーゲル。許してあげましょう?」

慈愛に満ち満ちた微笑みを浮かべるアルトゥールに、スピーゲルが顔をひきつらせる。

「……何です?その顔。何でそんなに機嫌がいいんです?」

「あら。いつもと同じ顔ですわ。オホホ」

『奥さん』と呼ばれて、アルトゥールは分かりやすく調子にのっていた。

スピーゲルは溜め息をつき、アヒムの肩に手を置く。

「……騎士団に駆け込まれては困ります。ここの記憶を消して、森の外に放り出しましょう。……ついでに怪我も治してあげますから感謝してください『アヒム』」

「え?え?何?」

アヒムが目をしばたかせる間に、スピーゲルは素早く呪文を唇で紡ぐ。

小さな光がアヒムを取り囲み、そして彼の体へと入っていき……。


パン!


……光が、霧散した。

「――――え?」

アルトゥールは目を見開いた。

(わたくしと一緒ですわ)

魔法がかからなかった。

アヒムも魔法無効化体質なのだろうか。けれど、滅多にいない体質だというようなことをスピーゲルが言っていたような気がする。その滅多にいないはずの体質の人間に、またしても遭遇することなどあるのだろうか。

スピーゲルは戸惑いながら、アヒムの目を見る。

「……『アヒム』というのは……偽名ですね?」

「でも」と、アルトゥールは口を挟んだ。

「その人の仲間達は確かに『アヒム』と呼んでいましたわ」

同意を求めてツヴァイク達を見れば、彼らも頷く。

「おう。確かに呼んたな」

「私も聞いたわ」

「……うん」

正座したままだったアヒムが、口角を引き上げる。

「仲間っていっても、ちょっと縁あって一緒にいただけの連中に本当の名前言う義理はないよね」

クスクスと笑いながら顔を上げた彼は、仄暗い瞳をしていた。

先程までの喜劇的な様子は完全になりを潜めている。

「『魔族に名前を呼ばれても返事しちゃいけない』て、子供の頃によく聞いたアレ。でたらめじゃないんだ?名前を呼ばなきゃ魔法をかけられないってことかな?」

肩に置かれていたスピーゲルの手を軽く払いのけ、アヒムは胡座を組むと、自らの膝に頬杖をついた。

スピーゲルは一歩下がり、鋭い警戒心を顕にアヒムを睨む。

「……本当の名前は?アヒム」

尋ねるスピーゲルに、アヒムは人懐っこい笑顔を見せた。

「それこそ、教える義理はないよね?」





***






「いやあ!美味しいね!このパン粥!絶品!」

顎から頭に包帯を巻いたアヒムが、朗らかに笑った。

それを憎々しげに、スピーゲルは眺める。今にも頭の血管が切れそうだ。

アヒム達がスピーゲルの家を襲ってから数日たった。

脅せど宥めど、アヒムは一向に本当の名前を明かそうとしない。本来なら一癖も二癖もありそうなこの軽薄な男をさっさと家から放り出したいところなのだが、そう簡単にはいかない事情がスピーゲルにはあった。

『客』としてこの家を訪れてきた人々は各々後ろ暗いことがあるため、騎士団に関わりあいになろうとはしない――――つまり彼らがスピーゲルのことを騎士団に密告する心配はいらないのだが、アヒムは『客』ではない。騎士団に通報しないとは限らないのだ。

他の襲撃者達は吹き飛ばした時にこの場所に何があるか忘れる魔法をかけてあるが、本当の名前を明かさないアヒムにはその魔法をかけることは叶わない。

そうなれば下手に放り出すわけにもいかず、スピーゲルは結局アヒムをそのまま家に留め置くことに甘んじていた。

そしてアヒムはこれ幸いと『顎が痛いなあ』『お腹すいたよぉ』『怪我人に床で寝ろってのぉ?』と、スピーゲルに怪我の手当てをさせ、ベーゼンに食事を出させ、アーベルが昔使っていた寝台で高いびきをかいている。

しかも……。

「奥さーん。あーん」

アヒムは隣に座るアルトゥールにむかって、餌をねだる雛鳥のように口をあけた。

彼はアルトゥールをスピーゲルの伴侶だと勘違いしているらしい。

下手に否定してアルトゥールが『笑わず姫』であることがばれてはまずい。だからあえてスピーゲルは訂正はしていないのだが、それならそれで適度な距離感というものがあるのではないのか。人妻相手に『あーん』を要求するアヒムの神経を、スピーゲルは疑った。

「はい、どうぞですわー」

匙にパン粥を山盛りにし、アルトゥールはアヒムの口にせっせと運ぶ。

その姿に、スピーゲルはまたも苛ついた。

アヒムもアヒムだが、アルトゥールもアルトゥールだ。

何故アヒムに乞われるがままにするのだろう。彼女が妙に上機嫌なのにも、スピーゲルは苛立たずにはいられない。

「……食事くらい自分でしたらどうです?」

アヒムの背後に立ち、スピーゲルは彼を冷たく見下ろす。

けれどアヒムはそんな冷たい視線など痛くも痒くもないらしい。

「えー?だって奥さんに利き手噛まれて上手く匙が持てないんだもーん」

アヒムは右手を掲げて見せる。確かにアルトゥールの歯形がそのままくっきりと青黒くなった痣は痛々しいが、持とうと思えば匙くらい難なく持てるだろうに。

ベーゼンがにこやかにアヒムに笑いかける。

「おかわりはいかがですか?アヒム様」

「あ、じゃ遠慮なくー」

アヒムは右手で空になった皿をベーゼンに差し出した。ホラ見ろ。問題なく動くじゃないか。

「……ちょっと」

アヒムの皿にパン粥を盛り付けたベーゼンの腕を掴み、スピーゲルは彼女を部屋の隅まで連れていった。

「何で馴れ合ってんです?」

数日前にベーゼンの体をバラバラにしたのはアヒムの仲間だ。それなのに、何故かベーゼンの態度はアヒムに好意的に見えた。

ベーゼンはニッコリと笑う。

「馴れ合ってなどおりません。ただ、ちょうどいいと思ったんです」

「は?」

「あの男が来てから、ずっと苛々していますね。スピーゲル様」

「……」

黙りこむスピーゲルに、ベーゼンはニヤリと笑う。

「スピーゲル様。ベーゼンはちゃーんと、分かっておりますよ」

「……な、何を?」

目には見えない圧力に、スピーゲルは怯えて後ずさる。

「あなたはお小さい頃から素直で我慢強くて聞き分けがよくて、おおよそ子供らしくない大人びた子供でしたが……」

ベーゼンは人差し指をスピーゲルの鼻先に突き付け、笑みを深くした。

「あなたは存外、独占欲がお強くていらっしゃる」

石のように固まったスピーゲルに、ベーゼンは指をしまってため息をつく。

「少しは焦って、その重い腰をあげたらいかがです?」

「……な」

何のことだと反論しようとしたが、ベーゼンはスピーゲルに背を向け、さっさと鍋を洗いに外に行ってしまった。

(別に焦ってなんて……)

言い訳を聞いてくれる相手もおらず、スピーゲルは苛立ちを持てあます。

「いやー奥さんに食べさせて貰うと一層美味しいねー」

「じゃあもう一口どうぞですわ」

和やかに『あーん』をするアルトゥールとアヒムこそ、端から見れば夫婦のようだ。

「……」

食事をする気分になど、とてもではないがなれない。

スピーゲルは扉を開けて外に出た。




腹立ち紛れに草取りを始めたスピーゲルだが、やがて作業に没頭し、気づいた時には日は高く昇っていた。

汗を拭い、空を見上げる。

蜻蛉が一匹、残暑も落ち着いた乾いた空気の中を横切っていく。

「もう秋だねー」

親しげな声に振り返ると、木陰にアヒムが座り込んでいた。

(……いつから?)

背筋がヒヤリとする。

アヒムはいつからそこにいたのだろう。まったく気配がしなかった。

アヒムはヘラヘラとしか形容できない笑みを頬に浮かべていたが、瞳は鋭利に光っている。

「ねぇねぇ、包帯巻き直してくんない?緩くてとれそうでさー」

「……」

スピーゲルは手袋をとると、アヒムの顎から頭にかけて巻いた包帯に手を伸ばした。一度結び目をほどき、少し強めに巻き直していく。

その間にもアヒムはペラペラとお喋りを続ける。

「この数日でいっきに空気が秋っぽくなったよねーそろそろ紅葉(こうよう)じゃん?」

「……」

「無視かーい。っていうか旦那ぁ。この薬草の湿布?臭いんだけどどうにかなんない?」

「……」

「それにしても『霧の森』の奥に本当に魔族が住んでるとは思わなかったよ」

「……」

「あ、ねえ。王城で騎士団の関係者殺しまくってるのって旦那なんでしょ?」

アヒムは身を捩り、スピーゲルを見上げる。

ニヤリと笑うアヒムの緑の目は、殺気じみた憎悪をたたえていた。

「昼間は林檎農家で、夜は人殺し。旦那って働き者だねぇ」

その憎悪は『魔族』という大まかな括りに対するものではなく、スピーゲル個人に向けられているように思われた。

スピーゲルは緊張に体を固くする。

それを面白がるように、アヒムは瞳に滲む憎悪を色濃くした。

「あれ?怒った?俺本当のこと言っただけだよ?」

「……名前を言ってください」

向けられる敵意に、スピーゲルは静かに言葉を返す。挑発にのれば、こちらの敗けだ。

「そうしたら魔法で傷を治して、ここでの記憶を消して近くの街まで飛ばしてさしあげます。必要なら金目のものも持っていけばいい。僕のことが気に入らないなら、ここに留まる必要はないでしょう?」

「僕と奥さんが仲がいいのがそんなに気にいらない?」

突如、スピーゲルの胸の奥でアヒムの頬をもう一度を殴りたいという衝動が生まれた。けれどスピーゲルは、その狂暴な衝動を掌で握り潰す。

アヒムはわざとらしく腕を組み、何度も頷いた。

「そりゃそうかあ。奥さん美人だもんねえ。魔族にお嫁にきてくれるなんて心広いしー……っていうか」

スッ、とアヒムの頬から笑みが消える。

「単に何にもわかってない馬鹿なのかな?」

「……」

返事をする代わりに、スピーゲルはアヒムの顎に回した包帯を力任せに引き絞る。

「い!?痛……っいたたたたた!旦那痛いよ!痛い!!ちょっと!!痛ーーーい!!」

アヒムの絶叫に、それを聞き付けたらしいアルトゥールが駆け付けてきた。

「スピーゲル?何してますの?」

「別に何も」

平然と言って、スピーゲルは包帯を結び直した。





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