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笑わず姫と魔法使いーアルトゥール⑤ー

男に抱えられたまま、アルトゥールの体は垂直に落下していく。

「―――っっっ!!」

胃がひっくり返るような感覚に襲われたアルトゥールは、目を閉じて男の首にしがみついた。

(まさか、こんな……)

彼がこんな逃走手段に出るとは夢にも思わなかった。

下は堀だ。けれど高いところから水に飛び込むと、水面はまるで石のように固いのだという。

石のような水面に激突したら、それはどれほど痛いのだろうか。もしかしたら、その痛みで死ぬかもしれない。

殺していいとは言ったものの、酷い痛みを感じたり、のたうつような苦しい死に方は出来れば避けたかった。先に要望を伝えておけばよかったのだが、後悔したところで既に遅い。

「……っ!」

大きな衝撃とともに落下が突然終わった。

「……頭を低くして、立ち上がらないでください」

そう言いながら男がアルトゥールを平らな場所に下ろしたので、アルトゥールは瞼を開ける。そして声なき悲鳴を上げた。

バサリと風が鳴り、アルトゥールと男を背に乗せた竜が、より高い空へと舞い上がる。

思わず立ち上がり、そしてよろめいたアルトゥールの体を男が慌てて支えた。

「だから!立たないでって言ったのに!落ちますよ!」

引っ張られるようにして座らさせたアルトゥールは、それでも大人しくしていられず身を乗り出した。

「……すごいですわ!」

眼下には、搭の露台から見下ろしていたものとは比べ物にはならない景色が広がっていた。

運河を沿うように街が広がり、真夜中であるというのに、灯る光は少なくはない。橙色の灯りの下では、人々の暮らしが息づいているのだろう。酒や食事を売る者、一日働きづめだった自分を酒を飲むことで労う者。あるいは糸を紡ぎながら、子供達に子守歌を唄う者。

そんな命の営みを感じられる街の温かな灯りとは対照的に、石造りの王城は時間が止まったかのように静まり返っていた。見張り台や回廊には一定の間隔で燭台が置かれ、衛兵の姿も見てとれる。その規則的な様がアルトゥールには歪に思えた。だが、その王城も既に遥か下に見下ろすばかりだ。

アルトゥールは、自らを運ぶ竜にあらためて注目した。

骨ばった翼に尖った尻尾。石のように固い鱗。ギョロギョロと蠢く目玉。そして、山のように大きな体。死んだ母が話して聞かせてくれたおとぎ話に登場した姿そのものだ。

「わたくし、初めて竜を見ましたわ」

何て大きい生き物だろう。アルトゥールは感心しきりだ。

「竜じゃありませんよ」

あっさり否定した男を、アルトゥールは振り向いた。

「竜じゃないんですの?でも……」

どう見ても竜だ。

「竜じゃありません。彼は羽蜥蜴(はねとかげ)です」

「……羽蜥蜴ですって?」

羽蜥蜴は、その名前の通り羽がはえている蜥蜴(とかげ)のことだ。大きさは掌程度で、湿気を好み、よく水甕の陰に張り付いている。驚いた拍子などに人の背の高さほどに飛ぶため女子供は大騒ぎをするが、毒があるわけでもなく、噛まれたからと言って大怪我するわけでもない大人しい無害な生き物だ。

男はアルトゥールをチラリと見た。

「竜なんて実在するわけないでしょう?彼はジギスヴァルト。たまに魔法で大きくなってもらって背中にのせてもらうんです」

「……魔法で大きく……」

アルトゥールは口のなかで呟くと、もう一度竜――――いや、巨大化した羽蜥蜴(ジギスヴァルト)を見回した。これが羽蜥蜴だなんて、信じられない。

「……魔法って……すごいですわね」

羽蜥蜴をこんな大きな竜に変えてしまえるなんて、魔法とは何て便利な技術だろう。

ところが、男はボソリと反論した。

「僕はそうは思いません」

「あら、どうしてですの?」

「万能に見えるかもしれませんが、魔法を一つ使うにも制約があって限界があるんです」

男は目を伏せ、首から下げた小さな袋を手繰り寄せる。

アルトゥールには、そうすることで男が何かを耐えているように見えた。

「……魔法が使えるからって、本当に欲しいものが手にはいるわけじゃない」

「……」

物憂げなその様子に、アルトゥールは返す言葉を見つけられない。

ジギスヴァルトが羽ばたいた。

ぐんぐんと城が遠ざかり、やがて城を取り囲む都すらも小さく見えるばかりになる。

「……あんなに……小さな城だったんですのね」

あんな小さな場所が、しかもそのさらに一部が、アルトゥールの世界のすべてだったのだ。

目を閉じて息を吸うと、冷たい風が肺いっぱいに入り込んできた。その風が肺から体の隅々に行き渡り、淀んだ血液が洗われていく。

「……」

瞼をあけれると、紫黒色の絹に金剛石を散りばめたような夜空がひろがっていた。手を伸ばせば、河のような輝く流れから星をすくいとれそうだ。

(……寒い……)

両腕を胸の前で交差させるようにして、アルトゥールは自分を抱き締める。

急いでいたので、アルトゥールが身に付けているのは薄い夜着だけだ。夜風はアルトゥールの肌から、容赦なく熱を奪っていく。

不意に、冷たくなったアルトゥールの肩が、ふわりと柔らかな木綿の感触に包まれた。

「え……」

戸惑うアルトゥールをよそに、男は自らが着ていた外套を、後ろからぐるぐるとアルトゥールに巻き付けていく。

「……着ててください」

「でも……」

男の上衣も薄い木綿一枚だけだ。寒くはないのだろうか。

「いいですから、着ててください」

そう言うと、男は腰をずらすようにして自らの体を動かし、アルトゥールの前に座り直した。風避けになってくれたようである。

「……ありがとうですわ」

アルトゥールが謝意を伝えると、男は前を向いたまま、小さく呟いた。

「……どういたしまして」

アルトゥールは、男が巻き付けてくれた外套に頬を寄せた。上等な品ではない。所々擦り切れているし、繕った跡もある。けれど、とても暖かい。そして、優しい香りがした。

(……太陽の匂い……)

夜なのに、暖かくて優しい木漏れ日に包まれている錯覚にとらわれる。

「…………」

広い肩幅と背中を、アルトゥールは見つめた。顕になった銀の髪が、靡いて月明かりに照らされている。

「……少しよろしくて?」

「何か?」

返事はしてくれたが、男は前を向いたまま、アルトゥールを振り返ってくれない。

それが妙に腹ただしくて、アルトゥールは男の髪をむんずと掴んで思いっきり引っ張った。

「痛っ……!な、何するんですか!?」

男は頭を押さえて、怯えたようにアルトゥールを振り返る。男の精悍な顔立ちは一転し、まるで少年のように見えた。

アルトゥールは、頬を膨らませて男を睨む。

「だって、呼んでいるのにこちらを向いてくれないんですもの」

男は、眉を寄せる。

「は?」

「目を見て話したいんですの。人と話をするときはそうするものでしょう?」

そうアルトゥールは母から教えられていた。

「目を見てって……」

男は少し戸惑った様子で言葉を濁す。

「……怖くないんですか?僕と……その……向かい合って」

「怖い?何故?」

アルトゥールが首を傾げると、スピーゲルは顔をしかめた。

「何故って、僕は『魔族』ですよ?それに僕はあなたを……」

「あら?『魔族(そう)』呼ぶなと言ったのはあなたですわよ?」

「そ、そうですけど……いや、今言ってるのはそのことじゃなくて……」

男は顔を逸らしてボソリと何か呟いた。

「……調子狂うな………」

「何ですの?聞こえませんわ」

「い、いえ。べつに……」

男はやがて渋々というように体を反転させてアルトゥールに向き直ってくれた。

「それで……話って何です?」

「わたくしの体質の話ですわ。よく分からないけれど、わたくしは魔法がかからない体質なのでしょう?魔法で殺せないなら、どうやってわたくしを殺すんですの?刺すのかしら?切るとか潰すとか毒とか?……ここから突き落とすとか?」

アルトゥールにとっては重要な話だった。

折角、塔からの転落死と堀での溺死を免れたのだ。贅沢だと承知の上で、出来れば痛みや苦しみを伴う殺され方は避けたい。

男は顔をしかめた。

「……確かに、魔法以外にも人を殺す方法はあります。けれど……」

言葉を探すように、彼は視線をさまよわせる。

けれど適当な言葉が見当たらなかったらしい。

「……とりあえず、ここから突き落とすとか、そういうことはしないので安心してください」

曖昧に言うに止めた彼に、アルトゥールは追撃する。

「それじゃあ、どうやってわたくしを殺しますの?」

「……方法を探します」

「方法?」

「あなたの魔法を無効化してしまう体質を変える方法が……多分何かしらあると思うので……そういう方法を探します」

「……」

奇特な男だ、とアルトゥールは思った。

刺すなり切るなり潰すなり毒なり、アルトゥールを殺す方法はいくらでもあるというのに、『魔法』で殺すことにこだわって体質を変える方法を探すなんて。

『多分何かしらあると思うので』と言うあたり、それは容易な事ではないだろう。

けれど彼がそれを承知で面倒くさい方法を選ぶと言うなら、アルトゥールが口を出すことではない。

彼にも魔法使いとしての矜持があるのかもしれないし、アルトゥールにしても余命が延長して困るということはない。

アルトゥールは頷いた。

「わかりましたわ。……えっと……」

男の名前を呼ぼうとして、まだ彼の名前を聞いていないことにアルトゥールは気が付いた。

男の方もそれに気が付いたらしい。

「スピーゲルです」

「……偽名、ですわね?」

アルトゥールは腕組みをして、男の顔をじっと見据える。

(スピーゲル)』なんて、名前としては、やや違和感がある。その点、実はアルトゥールも人のことをとやかく言える立場ではないのだが、それは今は棚に上げておこう。

スピーゲルは、困ったように顔をしかめて、首のあたりを指先で掻いた。

「偽名というか……通り名です。僕の一族にとって真名は神聖なものなので、公に名乗ることはありません。真名(それ)を人に知られるということは、呪ってくれと言うようなものなので」

そう言えば、さきほど魔法をかけられる際にも名前を呼ばれた。

(なるほど、ですわ)

アルトゥールは得心した。

『魔族に名前を呼ばれても返事をしてはいけませんよ』という世間一般に流布する言い伝えは、やはりまったくのでたらめというわけではないらしい。

「そうですわね……歌いだしたり踊り続けるなんて魔法なら楽しそうだけれど、お腹が痛くなったり、しゃっくりが止まらないなんて魔法は出来ることならかけられたくないですものね」

アルトゥールとしては大真面目に考えてそう言ったのだが、スピーゲルは少し呆れたような顔を見せた。

何故だろう。しゃっくりが止まらなくても、彼は困らないのだろうか。千回しゃっくりをしたら死んでしまうのに。

コホン、とスピーゲルはいかにもわざとらしく咳払いした。

「とにかく……真名を名乗るのは、生涯をともにすると誓った相手だけです」

「……生涯を……ともに……」

アルトゥールはスピーゲルの言葉を口のなかで反芻した。

スピーゲルの一族は伴侶以外には自ら名乗ることはないということか。

「……まあ、僕以外に魔法が使える人間はいないので誰かに呪われる心配はありませんが……一族の慣例なので」

目を伏せ、スピーゲルが呟く。

アルトゥールは目を見開いた。

(『僕以外に魔法が使える人間はいない』?)

それはつまり……。

「……あなたの一族は……あなた一人ですの?」

「……一人です」

一瞬返す言葉につまる様子を見せたが、スピーゲルは断言した。

「僕を育ててくれたのは師匠……母方の大叔父ですが、彼も随分前に亡くなりました。確認したわけではないですが、ほぼ間違いなく僕が最後の一人です」

そう言うと、スピーゲルは夜空を仰いだ。輝く銀の星々のなかに、亡き師を探すかのように。

アルトゥールも、同じ様に空を見上げる。

(……復讐したいと……)

失って、復讐したいと思うほどに大切な人がいるということは、幸せなことなのかもしれない。

そう考えると、アルトゥールは急にスピーゲルが羨ましく思えてきた。

(スピーゲルは……)

大叔父から愛され、大切にされて育ったのだろう。

奪われて復讐したいと思うほどに愛する人が―――愛してくれた人がいたことが、羨ましい。

(……羨むなんて、わたくしがしていいことではありませんわね)

心の内で、アルトゥールは自嘲した。

スピーゲルから一族を奪ったのも、彼を復讐に走らせたのも、他でもないアルトゥールの父親だ。

『羨ましい』なんて、何て勝手な言い分だろう。

アルトゥールは、手を握り締めた。

「……スピーゲル様」

「……『様』はいりません」

「では……スピーゲル?」

尋ねるように呼ぶと、スピーゲルも訊き返すように返事をしてくれた。

「はい?」

ただそれだけのことなのに、何故かアルトゥールの心は踊った。

誰かの名前を呼ぶことも、それに答えが返ってくることも、随分と久しぶりのことだ。

嬉しくて仕方がない―――……浮足立つ感情は、やはり表情にはでないのだが。

右手を、アルトゥールはスピーゲルに差し出した

「わたくしが死ぬ日まで、どうぞよろしくお願いいたしますわね」

ギギギ、と骨が軋む音と共に、アルトゥールは口角を引き上げる。

歪な、けれどアルトゥールの精一杯の笑顔に、スピーゲルは眉尻を下げた。

「……高飛車で傲慢な『笑わず姫』……」

風の音にかき消されて、スピーゲルの声はアルトゥールの耳に届かない。

「何か言いまして?」

「……いいえ、別に」

革手袋をはめた右手が、アルトゥールに向かって差し出される。

「……とりあえず、よろしくお願いします」

満天の星空の下。

羽蜥蜴の背中で、二人は握手を交わした。







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