笑わず姫と魔法使いーアルトゥール②ー
弦楽器による優雅な調べが王城の大広間に流れ、揺れる燭台の火が豪華な料理を照らし出す。きらびやかな衣装を身に付けた人々は、酒杯を傾け、お喋りに花を咲かせていた。
「また魔族が出たそうですわよ」
「まぁ、魔族が?」
孔雀の羽をあしらった扇で口元を隠し、貴婦人達は顔をしかめた。
近年、王都では二十二年前の『魔族狩り』に関わった高位貴族や聖騎士団の関係者が無惨に殺される事件が立て続けに起きていた。その殺害現場は陰惨を極め、血と肉片が飛び散り、まともに遺体を確認することも出来ないのだという。その為、被害者の身元を特定するには散乱する持ち物などを手掛かりにするしかない。国王直属の精鋭部隊である聖騎士団総出で犯人の捜索にあたってはいるが、犯人の手がかりは一行に掴めず、やがて人々は囁き始めた。
『これは仲間を火炙りにされた魔族の復讐に違いない』と。
魔法を操り、その力で災厄を招く魔族。
銀の髪に赤い目を持つという彼らは『魔族狩り』で一人残らず火炙りにされたとされているが、生き残りがいるという噂は民衆のうちで絶えることなく語られている。
事件に関しては箝口令が敷かれ、聖騎士団が中心になって密かに捜査が行われているが、犯人は魔族だという噂だけはこうやってまことしやかに囁かれていた。
「やはり復讐かしら?」
「ええ。そうに決まっていますわ。『魔族狩り』で一族を殺された恨みを晴らそうとして……」
「恐ろしいわ」
扇の陰で眉をひそめる貴婦人達に、一人の騎士が近づいた。
「ご心配には及びません」
銀の甲冑の肩には獅子を象った王家の紋章。
端正な顔立ちをキリリと引き締め、その騎士は胸を張った。
「このエメリッヒが聖騎士団団長の名にかけて、必ずやこの手で魔族を捕まえ、火炙りにしてみせましょう」
「まぁ、エメリッヒ公子」
「頼もしいこと……!」
「素敵!」
凛々しい騎士の登場に貴婦人達は頬を赤く染め、うっとりと目尻を下げる。
そこへ、雷のように鋭い怒号が響き渡った。
「エメリッヒ!!」
円を描くように踊っていた人々は震え上がり、優雅な音楽は余韻もなく止む。
不自然に静まった雰囲気のなか、エメリッヒは少しばかり顔をゆがめると背後をゆっくり振り返り、跪く。
「義父上……いえ、国王陛下」
白鼬の優美な毛皮で縁取られた赤銅色の外套を引きずりながら、国王はエメリッヒの前で大理石の床を踏み締めた。
宝石が散りばめられた金の王冠を戴く黒い髪には白いものがちらほらしている。かつて湖の妖精が恋をしたと讃えられた彫りの深い優美な顔立ちは、今や気難しげな皺が寄り、近寄りがたい威圧感を醸し出していた。
国王は濁った青い目を怒りに見開き、甥を見下ろした。
「宴はとうに始まっているというのに今頃顔を出しおって!それに何だその無粋な甲冑は!」
闇を切り裂く雷のような怒鳴り声に、着飾った人々は怯えて後ろずさる。
けれどエメリッヒは、叔父であり義父である国王を、真っ直ぐに見上げた。
「宴に遅参いたしました無礼はお詫び申し上げます。ですが陛下。今はこのような宴にうつつを抜かしているような時ではございません」
「何?」
「先日、聖騎士団の前副団長を務めた者が無惨に殺害されました。十日とあけずにこのような事件が起き都中の民が怯えおります。要所の警備を強化し、いち早く犯人を捕らえ……」
「それはそなたの仕事であろう!エメリッヒ!」
国王は唾を飛ばしながら喚くと、革の靴でおもむろにエメリッヒの肩を蹴りつけた。
「聖騎士団の団長の任にあるはそなただエメリッヒ!そなたの不甲斐なさが治安の悪化に繋がっているのだ!そなたが悪いのだ!」
国王は力任せに何度もエメリッヒを蹴り、抗うすべのないエメリッヒは床に踞る。
「……っ」
歯を食い縛るエメリッヒに、後ろに控えていた側近達が彼を庇うように駆け寄った。
「エメリッヒ様!」
「公子殿下!」
「……っ控えよ!陛下の御前だぞ!」
エメリッヒは側近達を叱責し、姿勢を整えて再び国王に頭を下げる。
「……っ誠に申し訳ありません。陛下の仰るとおり、すべて私の不徳の至りでございます」
「ふん!」
国王は鼻を鳴らす。
「相次ぐ事件による皆の不安を和らげてやろうと宴を催したというに、まるで余が遊びほうけているように言うなど……!」
苛々と足を踏み鳴らした国王は、今度は頭を抱えて俯いた。
「何故天は余にこうも無慈悲なのか!国を思い民を思い善政を心がけてきたというに、跡継ぎの息子には恵まれず、養子に迎えた甥にはこのような仕打ちをうけ……!」
「……申し訳ございません」
エメリッヒは苦々しく謝罪し、深く頭を下げる。
けれど国王の目にはその姿はもう入っていないかのようだった。
「ああ、何と余は不幸なのだ。……イザベラ!イザベラ!」
「お呼びですか?陛下」
国王の腕に、後ろから白い手が絡まる。
大木に寄生する蔦のように国王に身を寄せたのは、あどけない顔の女だった。
赤味がかったさらさらとした金髪をなびかせ、その頭には大きな宝石がついた冠をかぶっている。
琥珀色の瞳を柔らかに緩ませ、桃色の唇で可愛らしく言葉を紡ぐ様は、年端がいかない少女のようだったが、広く開いた胸元からは柔らかな膨らみが今にもこぼれ落ちそうだ。
「おお……イザベラ」
それまでの厳しい顔が嘘だったかのように、国王が破顔する。
数年前に国王が迎えた新しい王妃は、不思議な美しさを誇る美女だった。歌うように話し踊るように歩くイザベラの魅力に、国王だけではなく多くの男達が虜になっているようだ。
「お妃様だ……」
「今日も美しい……」
若者達が頬を染めてイザベラの美しさを讃えるなか、エメリッヒは俯きながら小さく舌打ちした。
「……毒婦め……」
このイザベラが現れて以来、国王はおかしくなった。
もともと良くも悪くも他人の意見に左右される人ではなかったのだが、今ではイザベラの言いなりだ。
イザベラに言われたからと無能な者を重用し、イザベラが欲しがっているからと高価な宝石を買い求める。
先程『皆の不安を和らげてやろうと宴を催した』とは言っていたが、その実、宴はイザベラのご機嫌取りのために夜毎催されていた。
宴にドレスに宝飾品。高価な酒に食事。イザベラのために湯水のように税が注ぎ込まれ、国庫はもう実は底が見えている。民は重い税に喘ぎ、相次ぐ惨殺事件に怯えているというのに、酒を飲み明かしている場合ではない。エメリッヒは拳を握りしめた。
国王は若い妃の身体に手を回すと、その細い腰を引き寄せた。
「美しいイザベラ。あわれな余をどうかお前の慈悲で癒してくれ」
「私で陛下のお役にたてるなら喜んで」
国王の腕の中で、イザベラは春の妖精のように微笑んだ。その微笑みに、国王はうっとりと見とれている。
「可憐なだけでなく、慈悲深い。そなたは国一番……いや、この世で一番の美女だ」
「まぁ、嬉しい」
喜びを口にしながらも、イザベラの瞳は氷のように冷たい。けれど国王はそれに気付いていないようだった。
人目も憚らず見つめ合う国王夫妻の瞳の温度差に、周囲の誰もが気づいていたが、それを口にする者はいない。我が身が可愛いからだ。
ある高位貴族の妻として国王の前にあらわれたイザベラが、いつしか国王の寵愛を受けるようになった際、二人の関係を糾弾した勇気ある者はいたにはいたのだが、彼らは次々と国王により投獄された。イザベラの夫だった高位貴族も、言いがかりに近い罪を問われて投獄され、獄中で死んだ。国王がイザベラを王妃にと言い出した頃には、それに異を唱える者はもはや誰一人としていなかった。―――――エメリッヒを除いて。
『王妃は神聖な位です。おそれながらイザベラ殿に相応しいとは思えません』
高らかに反イザベラを唱えたエメリッヒに、国王は眉を吊り上げた。
『エメリッヒ!目をかけてやった恩を忘れたか!』
それまでエメリッヒを我が子のように、いや我が子よりも可愛がっていた国王はエメリッヒに激怒し、予定されていたエメリッヒの立太子は取り止めになった。以来エメリッヒと国王の仲は今も険悪だ。
「……あら」
イザベラが耳に手をやる。
「耳飾りを落としてしまったみたいですわ」
「何だそんなもの。すぐに新しい物を買ってやろう。また真珠か?それとも翠玉か?」
相好を崩す国王とは対照的に、エメリッヒは顔をひきつらせた。
イザベラの片耳に残る大きな涙型の真珠の耳飾りは、庭付きの屋敷が一つ買えるほど高価な品だ。それを落としたなど、こともなげにいうイザベラもイザベラだが、更に高価な品を買い与えようとする国王も国王だ。
イザベラは口を尖らせる。
「気に入っていたのに……ああ、そうだわ。エラ」
イザベラは控えていた若い侍女を振り返る。
「庭を探してきて」
「……え?」
エラは目を丸くした。
王宮の庭は広く、夜は闇に包まれている。そこで爪の大きさほどの耳飾りを探すなど、あまりにも無茶な話だ。
けれど『せめて朝になったら』という一言を、誰も口に出来ない。そんなことを言えば、この場で国王に投獄される。
エメリッヒも、些細なことでこれ以上国王と事を構えるのは避けたかった。
―――――この時は些細なことだと、誰もが思っていたのだ。
「探してきて?」
イザベラの可憐だが有無を言わさぬ微笑みに、エラはおずおずと頷いた。
「か……かしこまりました」
軽く膝を折って退出することを示すと、エラはそのまま大広間から出ていった。
そしてエラと入れ替わるように、一人の娘が大広間に足を踏み入れる。
彼女は靴を履いていなかった。
身に付けている翠色のドレスはところどころ擦り切れて、踝が見えるほど丈も短く、黒い巻き髪は結われずにそのまま背中に波打っている。
着飾ることが当然とされる宴の場で、彼女の出で立ちはまるで迷い混んだ物乞いのようだった。
けれど、その頬は雪のように白い。赤い唇は林檎のようで、壇の木のように黒々とした長い睫毛に縁取られた瞳は、晴れた日の泉のように青く美しい。
絶世の美女、と称えられるに相応しい容貌。
物乞いのように粗末な身なりですら、彼女の美貌を損なうことは出来なかった。
国王の一人娘、アルトゥール。
王女でありながら塔に追いやられた彼女も、既に十七才になっている。
ヒソヒソとある貴公子が友人の耳元で囁いた。
「笑わず姫だ」
「あれが噂の?」
その囁きが耳に入ったのか、彼女はチラリとそちらへ目をやった。
美しいが冷ややかなその視線に、囁いた貴公子は怯えて顔を青くする。
「……」
アルトゥールは何も言わずに、貴公子の横を通り過ぎた。
貴公子は大きく息を吐き、冷や汗を流しながらも安堵する。
「……っはああ~。こ、怖かったぁ……」
その両脇で、貴公子の友人達はアルトゥールの背を目で追った。
「噂どおりの無表情だな」
「ああまで表情が動かないと何だか不気味だ」
「どんなに美しくても、あれじゃあな……」
確かに、アルトゥールの表情は今夜の饗宴も貴族達の噂話も、人生すらくだらないとでも言うようだった。すべらかな頬も三日月のような眉も薔薇の花弁のような唇も、まるで人形のように冷たく配置されているだけだ。愛想笑いの押し売り合戦である宴の席で、その様子は周囲を見下しているかのように見えてしまう。
大理石の上をペタペタと裸足で歩き、アルトゥールは父親である国王の前に辿り着いた。
国王は、再び顔を怒りに歪める。
その目は、たった一人の血を分けた娘を見るにしてはあまりにも剣呑で、はっきり言ってしまえば憎しみを湛えていた。
「貴様……っどういうつもりだ?」
表情をピクリともさせず、アルトゥールは答える。
「お父様がお呼びと伺い参りました」
淡々とした答えに、国王はみるみる怒りに顔を赤くした。
「王女ともあろうものがそんな身なりで出歩くでない!この恥さらしめ!」
「……着飾ろうにも他にドレスを持っておりませ」
「口答えするでない!素直に謝ることも出来ぬのか!相変わらず傲慢で高飛車な娘よ!!」
頭ごなしに怒鳴られ、アルトゥールは目を伏せた。
「……申し訳ございません」
謝ってはいるものの、表情に変化はない。そのため、誰が見ても不貞腐れているようにしか見えなかった。
「何と嘆かわしい!我が血を継ぐのがこんな出来損ない一人とは!天よ!私が何をしたというのです!」
国王は金切り声を上げて天井を仰ぐ。
そんな父親の姿を見るアルトゥールの視線は、やはり冷ややかだ。
「ご用がないのなら下がらせて頂きます」
一歩下がったアルトゥールに、国王が吐き捨てるように言った。
「嫁ぎ先が決まった」
たっぷり数拍の後に、アルトゥールは表情を変えることなく訊き返す
「……はい?」
「嫁ぎ先が決まったのだ!メッサリアの王弟に嫁げ!!」
ざわめきが、波のように広がる。
「陛下!」
顔色を変えたエメリッヒが、跪いたまま国王の前に進み出る。
「メッサリアの王弟殿下は陛下よりも年上ではありませんか!!」
「だからどうした」
事も無げな義父の言葉に、エメリッヒは一瞬口ごもる。
「……っひ、姫はまだ十七です。それを後妻など……それに、メッサリアの王弟殿下は側女も多く抱え、私や姫より年上のご子息もおられるはずで……」
「だから、それがどうした。結納金をはずむと言うのだ。これ以上ない良い話だ」
嫁ぐ娘の幸せなど、これっぽっちも考えてはいない発言だ。
エメリッヒが絶望したように顔を歪める。
「陛下、そんな……」
「国のために嫁ぐのが王女の務め。人質同然で敵対国にやられる姫も世の中にいることを思えばマシであろう」
「ですが……」
「くどいぞエメリッヒ」
チラリと、国王はアルトゥールを横目に見る。
「何だその態度は」
父親とエメリッヒのやりとりを黙って見ていたアルトゥールは、やはり数拍遅れて反応した。
「……え?」
国王は苛立ちをこめて娘を睨み付ける。
「わしが決めた嫁ぎ先に何か不満でもあるのか?」
アルトゥールは、ゆるゆると首を横に振った。
「いいえ……そんなことは」
「白々しい!不満だと顔に書いてあるぞ!」
傍にあった円卓を、国王は拳で激しく叩く。
硝子の杯が揺れて倒れ、鮮やかな葡萄酒が円卓を覆っていた白い布に広がった。
「せっかく嫁がせてやろうというのに、何と恩知らずな娘だ!お前のような娘が嫁にいけるだけでもありがたいと思え!自分を何様だと思っているのだ!少し顔がいいくらいでいい気になるな!」
矢継ぎ早に国王は娘を罵る。けれど罵られている本人はまるで平気な様子だ。少しも頬を動かさず、まるで見下すように父親を見据える。
その様子に国王の苛立ちは頂点に達した。
彼は手を振り上げ、勢いよくアルトゥールの頬をひっぱたく。
あまりの勢いに、アルトゥールは引き倒されたように床に倒れこんだ。
誰もが息を飲んだ。あたりは水をうったかのように静まり返る。
「嫁ぐまでにその傲慢な態度を改めよ。愛想笑いの一つでも覚えて、せいぜい夫の機嫌をとるがいい」
国王は鼻を鳴らし、アルトゥールに背を向けて行ってしまう。
その背中を追おうとしたイザベラが、足を止めてアルトゥールを振り返った。
「ご結婚おめでとう。姫君」
心の底からそう思っているかのように微笑むと、イザベラは今度こそ国王を追いかけて行った。
残されたアルトゥールは、父親とイザベラの後ろ姿が見えなくなってから、ゆっくり立ち上がる。叩かれたことなどなかったかのように平然とした顔をしていたが、その頬は赤く腫れていた。
「ひ、姫!」
エメリッヒがアルトゥールに駆け寄る。
「だ、大丈夫か!?誰か冷やすものを……いや、それより薬を」
オロオロとする従兄でもあり義兄でもあるエメリッヒを、アルトゥールは目だけ動かして見上げた。
「……大したことありませんわ」
そしてアルトゥールは、本当に何でもないというふうに踵を返し、大広間の出口へと向かう。
「ま、待ってくれ!姫!」
エメリッヒは慌ててアルトゥールの腕を掴む。
「姫!メッサリアになど嫁ぐことはない!義父上には私から何とか言おう!」
「……」
アルトゥールはゆっくり振り返り、自分の腕を掴むエメリッヒの手を見下ろした。
それから、もう一度エメリッヒを見上げる。
「折角だけれど、気遣いは無用ですわ。お父様が決めたことですもの」
エメリッヒの手をゆるく払い、アルトゥールは歩き出す。
「姫……」
エメリッヒは、もうアルトゥールを引き留めようとはしなかった。
その様子を見ていた人々は、眉をひそめて囁き合う。
「国王陛下もひどいが……確かにあの姫ももう少し可愛いげがあってもいいだろうに」
「せっかくエメリッヒ様が取りなしてくれるというものを……」
「何を言っても笑いもしなければ、泣きもしない。こちらを馬鹿にしているとしか思えないよ」
背中に投げられる悪意を黙って受け取りながら、『笑わず姫』は一人、大広間から出ていった。




