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笑わず姫の涙

冷たい石壁が夕陽色に染まって、まるで燃えているようだったことを覚えている。

『こっちにいらっしゃい』

寝台の上から、母はアルトゥールを手招いた。

母が病み、寝付いて半年。

彼女は日に日に痩せ衰え、この数日は水を飲むことすらやっとのことらしい。

戸惑いながら、アルトゥールは母に近づいた。

『お母様……』

起きていてもいいのだろうか。

気分がいいからと無理をしては、また発熱してしまうかもしれない。

アルトゥールの心配をよそに、母親は朗らかに笑ってアルトゥールの手をとる。

『私の可愛い“     ”』

二人きりの時にだけ使う特別な愛称で、母はアルトゥールを呼んだ。

愛しい、愛しいと囁かれているようて、その名で呼ばれるのがアルトゥールは大好きだった。

『これを』

母が小さな袋を差し出す。

滑らかな絹の小袋は、母の手によって花の刺繍がほどこされ、紐をつけて首から下げられるようになっていた。

『なんですの?』

『お守りよ』

『お守り?何がはいっていますの?』

幼いアルトゥールは、母を見上げた。

『ひみつ』

母は、少し悪戯っぽく目を細める。

『開けちゃダメ。開けたら効力がなくなってしまうもの』

『……わかりましたわ』

中に何が入っているのか気になるけれど、『お守り』の効力がなくなってしまうのは困る。

アルトゥールのあどけない困り顔に、母は微笑み、アルトゥールを抱き寄せる。

アルトゥールは身を固くした。母親の体が、あまりに痩せていたからだ。

頼りなく折れてしまいそうなほど細い母の体を、抱き締め返してよいものなのか……。

『……ごめんね』

母の唇から零れた謝罪に、アルトゥールは顔を上げる。

『……お母様?』

『ごめんなさいね』

母の榛色の瞳から、まるで真珠のような涙がこぼれ落ちた。

『お母様?どうして泣いているの?』

『ごめんね……ごめんね。私の可愛い“    ”』

母はアルトゥールの愛称と謝罪を繰り返した。

繰り返し繰り返し、アルトゥールの愛称を呼んだ。

母が儚くなったのは、その夜のことだ。



そして、母が死んでしばらくたった頃。



『姫!鬼ごっこをやろうよ!』

従兄のエメリッヒが、アルトゥールを鬼ごっこに誘ってくれた。

きっと母親を亡くして塞ぎこむアルトゥールを心配してくれたのだろう。

エメリッヒはアルトゥールより年上なくせに小柄で泣き虫だったが、心の細やかな少年だった。

『……エメリッヒ……』

正直、アルトゥールは鬼ごっこをする気分ではなかったのだが、彼の心遣いが嬉しくて、思いきって中庭に出ることにした。

中庭に姿をあらわしたアルトゥールを迎えてくれたのは、王城の下働きの子供達だった。いつも鬼ごっこをして楽しむ仲間だ。

『姫だ!』

『姫ー!』

彼らに囲まれたことで、母を亡くして以来アルトゥールを支配していた悲しみが、風のように軽くなる。

『せーの!』

アルトゥールを含む子供達は、掛け声と共に一斉に靴を蹴り飛ばした。

一番靴が飛ばなかった子供が鬼になる決まりなのだ。

『エメリッヒ公子だ!』

『逃げろー!』

蜘蛛の子を散らすように、子供達は四方八方に走り出す。

アルトゥールは息をはずませた。

地面を蹴る度に、菫色のドレスが揺れる。

エメリッヒの情けない声が背後で響いた。

『姫ー?どこお?』

中庭を駆け抜けたアルトゥールは、回廊の柱に身を潜める。

エメリッヒが追いついたら、柱の影から飛び出して驚かせてやろう。

『フフフ』

驚いて尻餅をつくエメリッヒを想像し、アルトゥールは笑いが止まらない。

靴音が近づいてくる。

アルトゥールは柱の影から飛び出した。

『エメリッヒったら遅いですわ!』

満面の笑顔でアルトゥールはエメリッヒを迎える。―――――けれど、その笑顔がひきつった。

そこにいたのは、エメリッヒではなかったのだ。

『……お父……様……』

国王であるアルトゥールの父親は、アルトゥールと同じ青い瞳で一人娘を見下ろし、太く冷たい声でアルトゥールをなぶる。

『女のくせに口を開けて笑うな!耳障りだ!』

アルトゥールは身を縮ませた。

『ご、ごめんなさい……ですわ』

怖い。

どうしよう。

目頭が熱くなったが、アルトゥールはそれを必死に堪えた。

泣いては()()、父に煩わしく思われてしまう。

『も、申し訳ありませんで、した。こ、今度からき、気を付けますわ』

アルトゥールはそう言ってぎこちなく笑った。

母が『あなたの笑顔を見ていると幸せになるわ』と言ってくれた笑顔。

気難しい父が母のように笑顔を返してくれるとまでは思ってはいなかったが、少なくとも気分を害することはないはず―――――けれど、父親は憎々しげに目を細め、アルトゥールを見下した。

『これだから女は……媚を売ることしか知らん』

父親は、重い外套を引き摺って行ってしまった。

心臓がギリギリと痛む。

(……わたくしが、悪いんだわ)

父親は忙しくて苛立っているのだ。そこへ煩くしたから、彼を更に苛立たせてしまった。

(『媚』……)

媚を売る、という意味はよく分からなかったが、笑ってはいけなかったのだということくらいは、幼いアルトゥールでも察することが出来る。

自らの頬を、アルトゥールはつねった。

実は、アルトゥールがこんなふうに父親に怒鳴られるのは初めてではない。

アルトゥールが声をたてて笑うと、その度に父親は不愉快そうに顔を歪めて喚く。『煩い』と。

母親の葬儀で声をあげて泣くアルトゥールに対しても、やはり彼は同じ様に『煩い』『耳障りだ』と腹ただしい様子で吐き捨てた。

以前であれば、父親の言動に傷つくアルトゥールを『お父様はお忙しくて苛立っておいでなのよ』と母が抱き締め慰めてくれていたが、その母はもういない。

(……『媚』……)

笑ってはいけない。

泣いてはいけない。

では、どうしたら―――――……。

小さな亀裂が無数に走っていたアルトゥールの幼い心は、もはや限界だった。

「―――姫?」

エメリッヒが、ようやく追い付いてきた。

「……エメリッヒ」

「頬をどうかしたの?何でつねってるの?」

頬をひねりあげるアルトゥールの姿は、エメリッヒには怪訝なものに映ったらしい。

エメリッヒの後ろに、他の子供達も集まってきた。

「姫?」

「どうしたの?」

「虫歯?」

心配する彼らを、アルトゥールは安心させてやりたかった。

「……大丈夫ですわ。何でもありませんわ」

そう言って笑ってみせるつもりだった。

けれど、鼓膜に父親の声が響く。

『これだから女は……媚を売ることしか知らん』

心臓がまたギシリと軋み、亀裂がアルトゥールの心を覆いつくした。

もはや手のほどこしようもない。

アルトゥールの心は、矢に貫かれた硝子のように粉々に碎け散る。

『……っ』

目元が、ひきつれたように動かない。

頬が、痙攣したように震えた。

『……あ……』

うまく、笑えない。

例えるなら、夜中に燭台の灯りに照らされた人形が、光の加減で笑っているように見える―――そんな歪な笑顔だった。

「……姫?」

エメリッヒが、顔を強張らせた。

他の子供達も、怯えてうしろずさる。

「……変な顔」

「何か怖い」

「あっち行こう!」

「行こ行こ!」

子供達が走り去る。

エメリッヒすらも、躊躇いつつも行ってしまった。

「……待っ……」

置いていかれた寂しさに、アルトゥールは泣きたくなる。

痛いほどに悲しくて、寂しい。

それなのに一粒の涙すら、アルトゥールの目からはこぼれなかった。

花が咲き乱れる美しい庭園に、アルトゥールは一人取り残され、首からさげた『お守り』を握り締める。


『これだから女は―――』


父親が、跡継ぎとなる男の子の誕生を切望していたことを、アルトゥールは人の噂を聞いて知っていた。

勿論、母が跡継ぎを生むことを期待され、ただそれだけの為に親子ほど年の離れた父に娶られたことも、そしてその期待に応えられずに父につらくあたられていたこともだ。

もしも、とアルトゥールは考えた。

(もしも、わたくしが男の子だったら……)

父は、死にゆく母に優しい言葉をかけてくれただろうか。

(わたくしが、男の子でさえあったなら……)

父親(かれ)は、母親の死に涙する我が子(アルトゥール)を、抱き締めてくれただろうか――――。











頭よりやや高い位置にあるその小さな窓から、アルトゥールは爪先だって外を覗いた。

既に日は暮れ、あたりは薄暗い。

昼間の暑さが嘘のように気温は下がり、アルトゥールが放りこまれた半地下にある牢も、石造りであることもあって寒いほどにひんやりとしていた。

この牢は、街の自警団が所有するもので普段は窃盗などの軽犯罪をおかした者が留置されているらしい。

アルトゥールはスピーゲルと行動をともにしていたことから、大した吟味もなく『魔族』だと決めつけられ、この牢に入れられてしまった。

アルトゥールは窓から離れると、牢のすみに膝を抱えて座り込んだ。

(ザシャ達は……大丈夫かしら?)

それにジギスヴァルトも。目を切られるなんて、さぞ痛かっただろうに。

自らの膝に、アルトゥールは顔を埋めた。

「……スピーゲル……」

後ろ向きに運河へ落ちていくスピーゲルの姿が、瞼の裏に甦る。

すると、アルトゥールの目から涙が溢れた。

「……っ」

呼吸と一緒に、鼻水もしゃくりあげる。

もう、あれからずっと泣きっぱなしだ。いい加減泣き止みたいのに、どうすれば泣き止めるのかがわからない。

「な、泣くなんておかしいですわ……」

アルトゥールは自らに言い聞かせた。

泣くなんて、まるでスピーゲルが死んでしまったみたいだ。

けれど、彼が死ぬはずない。

だから泣く必要なんてないのだ。

(でも……)

アルトゥールは唇をかんだ。

『いい子だからー……』

彼が撫でた頭を、アルトゥールは自らの手で触る。

そうすると、また新しい嗚咽が込み上げてしまう。

「……わたくしが……大人しく待っていれば……」

後悔が頭をもたげる。

足手まといになることはわかっていたのに、何故大人しく待っていられなかったのだろう。

スピーゲルの言うことを、ちゃんときけばよかった。そうすれば、スピーゲルはあんなことにはならなかったかもしれない。

『そんなふうに小さくなって俯いているのは、あなたらしくありませんよ?』

優しい幻聴に、アルトゥールは唇を噛み締める。

だって、じゃあどうすればいいのだ。

魔法も使えない。

剣も振れない。

頭もよくない上に、絶望的に不器用だ。

そんな自分に何が出来る。

何もしないほうがよっぽど周囲の為だ。

落ち込むアルトゥールの耳が、人の声を捉えた。

「こちらです。コンラーディン様」

「うむ」

足音が、近づいてくる。

(……誰か来ますわ)

アルトゥールは目元に滲む涙を手の甲で拭うと、息をひそめた。

ほどなくして従騎士に案内されてあらわれたのは、狸のように目もとが暗い中年の男だった。

コンラーディン様(様を点で強調)、と呼ばれていたところをみると聖騎士団の幹部だろうか。

それにしては、腹回りが随分とだらしない。本当に騎士なのだろうか。

コンラーディンは鉄格子ごしにアルトゥールを見下ろし、鼻を鳴らす。

「魔族め!顔をよく見せろ!」

「……ふん!」

コンラーディンの横柄な態度に苛立ったアルトゥールは、わざとらしく彼から顔を逸らした。

そもそも、顔を見られてはまずいのだ。

国王直属の組織である聖騎士団には、『笑わず姫』と呼ばれていたアルトゥールの顔を、見知っている者がいるかもしれない。

ここで身元がばれて王城に連れ戻されれば、スピーゲルと交わした例の殺される約束を反故にしてしまう。

何より、スピーゲルの行方が知れないこんな状況で王城に戻るわけにはいかない。

(……それに、確かエメリッヒが……)

従兄であり義兄でもあるエメリッヒが、聖騎士団の団長だったはずだ。周囲の側近も、さすがにアルトゥールの顔を知っているだろう。

彼らにだけは見つからないようにしなくてはならない。

ーーーアルトゥールは知らなかった。

アルトゥールの顔を知るエメリッヒとその側近達は既に街を発っていることを。

けれど、おそらくエメリッヒが今のアルトゥールを正面から見たとしても、アルトゥールとは気づかなかっただろう。何故なら、『絶世の美女』と讃えられるに相応しいアルトゥールの美しい顔は、泣きすぎたせいで別人のようにむくんでいたのだから。

「……この穢らわしい魔族め!」

アルトゥールの不敵な態度が気に入らなかったのか、コンラーディンは鉄格子を力任せに蹴りつける。

耳障りな金属音に、アルトゥールは眉をひそめた。

『魔族』『魔族』と、そんなに言うならお望みの『魔族』らしくしてやろう。

アルトゥールは、殺気じみた苛立ちでコンラーディンを威嚇する。

「ーーー呪い殺されたくなければ、早々に立ち去ることですわ。『コンラーディン』」

暗く不気味な牢の雰囲気と、泣きすぎで枯れたアルトゥールの嗄れ声の威力は抜群だった。

コンラーディンは、顔を青くて後ずさる。

「ひっ……な、何故私の名前を……!?」

だが、すぐにコンラーディンはふんぞり返る。

「や、やれるものならやるがいい!返事をせず、手をとらなければ魔法にはかからないのだからな!!」

顔をひきつらせているあたりが、分かりやすい痩せ我慢だ。

遠くから、また足音が近づいてきた。

「コンラーディン様!」

暗い通路を走ってきた若い騎士が、コンラーディンの前にひざまずき頭を下げる。

「ご報告申し上げます。魔族の死体は川底には見つかりませんでした」

アルトゥールは、思わず振り向いた。

(……見つからなかった!?)

つまり、スピーゲルは生きているということではないか。

コンラーディンは苦々しげに騎士に激を飛ばす。

「見つからなかっただと!?きちんと探したのか!?」

「はい。水門をしめ、運河の水量を減らして川底をさらいましたが、魔族どころか、その靴一つ見つかりませんでした」

「……っくそ!逃げられたか!」

コンラーディンは牢のなかのアルトゥールを再び見下ろした。

顔を見られてはまずいことを思いだし、アルトゥールは慌てて顔を伏せる。

「二人揃って火炙りにしてやりたかったが……まぁ、いい。一晩この世との別れを惜しむんだな。穢らわしい魔族め」

コンラーディンは踵を返し、暗い通路を行ってしまった。騎士や従騎士が、その後を追う。

「コンラーディン様。差し出がましいようですが、やはりエメリッヒ様を呼び戻されては……」

「何を言うか!私の名において火刑を執行するのだ!この名誉をおめおめエメリッヒに譲る義理などない!」

「ですが、また勝手に火刑執行許可など出されては……」

遠ざかる会話からは、コンラーディンのエメリッヒに対する敵意をヒシヒシと感じる。

(……わたくし、火炙りにされますのね)

足音が聞こえなくなってから、アルトゥールは立ち上がった。

エメリッヒは、どうやらこの町にはいないらい。ザシャ達を火炙りにしようとしたのもコンラーディンの独断のようだ。

(ちょっと安心しましたわ……)

もはやエメリッヒとは親しく交流する間柄ではないが、幼馴染みである従兄が子供を火炙りにしようとしていたなど考えたくなかった。そんなことはしないと、出来ることなら信じたい。

(信じても……いいですわよね?)

幼い頃のエメリッヒの泣き顔に、アルトゥールは問いかける。

「……とにかく……」

川から死体が見つからなかったのなら、スピーゲルは生きている。

生きているのにアルトゥールを助けに来ないということは……。

剣で斬られたスピーゲルの腕の傷は、まだ血が止まっていなかったし、一本目の矢は心臓近くの胸にあたり、二本目も肩にあたった。

運良く死は免れても、すぐには動けない大怪我だ。

(……スピーゲル……)

不安に疼く胸を、アルトゥールは強く押さえる。

すると、また誰かが近づいてくる足音が聞こえた。

(……スピーゲルではありませんわね)

足元がおぼつかない老人のような足音。通路は薄暗いので、転ばないように用心しているのだろうか。

あらわれた人影は、やはり老人だった。老人は腰から酒瓶を下げている。

「……食いな」

老人は鉄格子の間から粥がはいった器と匙を差し入れると、またふらつきながらと来た道を戻っていった。

酒の匂いが鼻をかすめる。

どうやら彼は酔ってふらついているらしい。

「……」

粥を、アルトゥールは見下ろした。

そういえば、朝、パンを食べてから水すら口にしていない。

急に空腹を覚えたアルトゥールは、急いで屈みこむと匙で粥をかきこんだ。

「……何の味もしませんわ」

しかも粥は殆どが水分で、数えるほどしか麦は浮いていない。

けれど、粥からは湯気がたっていた。

(……暖かいですわ……)

熱は手から体全体をじわりと温める。

『空腹だと気持ちが塞いでしまいますから』

スピーゲルがそう言っていたのは、いつだっただろう。

「……そうですわね。空腹で良いことなんて、何もありませんわね」

アルトゥールは記憶のなかのスピーゲルに向けて頷くと、器に残った粥を一気に口の中に流し込んだ。

満腹、とはとても言えなかった。いつも食べている量からすると、まったく足りない。

それでも、その薄い粥はアルトゥールに気力をくれた。

手足も温かいし、涙も止まった。

耳の奥で、また優しい声が聞こえた気がした。

『小さくなって俯いているのは、あなたらしくありませんよ?』

力強く、アルトゥール頷いてみせる。

(足手纏いになることはわかっていましたもの)

そんなことは今更だということも、わかっていたはずだ。

それなら、落ち込むのはやめよう。

それで落ち込むなんて、それこそ今更だ。

後悔しようがしまいが、アルトゥールが足手まといなのは変わらない。

魔法も使えないし、剣も振れない。

頭も悪くて、その上絶望的に不器用。

けれど、出来ることもある。

少なくとも、無力ではない。

裸足の足を、アルトゥールは見つめた。

小枝が刺さってできた怪我はまだ痛むけど、血は止まっている。

(ーーー大丈夫。走れますわ)

スピーゲルが迎えに来れないなら、自分で彼のもとへ帰ればいい。

アルトゥールは周囲を見回した。

牢の隅から隅まで、大股で三歩。

上下三方は石の壁で、もう一方は鉄格子がはめられている。出入り口には頑丈な鉄の錠。

アルトゥールは背後にある高い位置の小窓を振り仰いだ。

細い鉄格子が二本。

あの格子さえどうにかすれば、外に出られるかもしれない。

「……でも、どうやって……」

考え込むアルトゥールの目に、粥を食べた時に使った匙が映る。

それを拾い上げて、アルトゥールはまじまじと眺めてみた。

木でできた匙。

頑丈、とは言い難い。

「でも、ないよりマシですわ」

鋭い眼光で、アルトゥールは鉄格子がはまった窓を見つめる。

「……いざ脱獄!」

力をこめて、窓枠に匙を突き立てた。








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