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笑わず姫と盗まれた林檎飴ーザシャ⑤ー




***





普段の倍以上に巨大化したジギスヴァルトは、広場の中央で恐ろしい咆哮を繰り返した。

彼は二股の尻尾で広場の水場を粉砕し、石畳を踏み砕く。

その度に地が揺れ、人々は恐怖に悲鳴をあげた。

「ひるむな!」

「討ち取れ!」

聖騎士達が剣を掲げてジギスヴァルトに立ち向かうが、ジギスヴァルトの硬い鱗には歯がたたない。

ジギスヴァルトの羽ばたきで生まれる嵐のような風が、聖騎士達を吹き飛ばした。

「うわああ!」

「くそっ!」

身を低くし、自らの両腕を風避けにしながら聖騎士達は強風に耐える。

その脇を、アルトゥールも騎士達と同じ様に両腕を風避けにしながら、よろめきつつ先に進んだ。

アルトゥールの身に危険が及ばないように、とスピーゲルが考えてあの場所にアルトゥールを置いていったことを、アルトゥールは勿論理解していた。けれど、彼の考えどおりに大人しく待ってなどいられない。これだけの騒ぎになったのだ。街には必ず厳戒体制が敷かれるだろう。そんな中にスピーゲルがアルトゥールを迎えに来るのは、あまりに危険で難しい。敵陣を単身突破するようなものだ。そんな危険を彼におかさせたくはない。

アルトゥールではスピーゲルの手助けは出来ない。彼の足手まといになる。そんなことはわかっていた。

(でも……!)

追いかけるだけなら、自分にも出来る。

―――――結局は、ただスピーゲルの傍にいたいだけだったのかもしれない。

生れたての小鴨の雛が親鳥の後ろをついて回るように、アルトゥールはスピーゲルを追いかけた。

「スピーゲル!」

呼ぶ声は騎士の怒号と逃げる人々の悲鳴にかき消され、スピーゲルに届くとは思えなかった。それでも、アルトゥールは叫んだ。

そして走る。足にまとわりつく長い裾をたくしあげ、髪を振り乱して。

土埃が舞う中にようやくスピーゲルの姿を見つけ、アルトゥールは膝に手をついて立ち止まった。

息がきれ、胸が苦しい。

深呼吸を数回繰り返した後、アルトゥールは胸いっぱいに息を吸い込んだ。

「スピーゲル―――ッッ!!」

張り上げた声は、やはりスピーゲルには届かないらしい。

彼は振り向くことなく、ザシャをジギスヴァルトの背に押し上げている。

ジギスヴァルトに乗せて、ザシャ達を街から脱出させるつもりなのだろう。

(ザシャ!)

どうやら、彼女はスピーゲルに魔法で怪我を治癒してもらったようだ。紫色に腫れ上がっていた頬は、元の色に戻っている。けれど散々殴られた体は完全に回復したわけではないらしく、ザシャはジギスヴァルトによじ登るのに手こずっている様子だった。

そこへ一人の騎士がスピーゲルに斬りかかった。

「スピーゲル!危ないですわ!」

思わずアルトゥールは叫んだ。

一閃のもとに、スピーゲルの腕から血が吹き出て、石畳に鮮やかな血が飛び散る。

「スピーゲル!!」

アルトゥールは無我夢中で走りった。

歯を食いしばりながらも騎士を肘で打ち倒したスピーゲルは、アルトゥールの姿に気づいて瞠目する。

「姫!?どうして……」

「エルゼ!もう大丈夫ですわ!」

目を吊り上げるスピーゲルを無視して、アルトゥールはエルゼを抱き上げた。

「竜。私のこと食べない?」

少し不安げなエルゼに、アルトゥールは頷いた。

「大丈夫ですわ。竜の大好物は焼菓子ですもの」

「姫!」

スピーゲルは憤懣やる方ないといった様子で喚く。

「どうして来たんです!?」

「今はそんなこと言っている場合ではないのではなくて!?」

エルゼをスピーゲルに押し付け、アルトゥールは急いでヨナタンを抱き上げる。

スピーゲルはエルゼをザシャが待つジギスヴァルトの背に押し上げながら、また喚いた。

「待っていろと言ったはずですよ!?」

「話はあとですわ!早く逃げますわよ!」

アルトゥールはヨナタンをジギスヴァルトの背に押し上げようとしたが、腕力と身長が足りない。

すると、スピーゲルが横からアルトゥールごとヨナタンを抱き上げ、ジギスヴァルトの背に押し上げた。

いつも思うが、アルトゥールと大して変わらない太さの腕でスピーゲルはどうやってアルトゥールを抱え上げているのだろう。何だかずるい。

「スピーゲル!」

アルトゥールはスピーゲルに手を伸ばした。次いでジギスヴァルトに乗り込むはずの彼に、手をかそうと思ったのだ。

スピーゲルもそのつもりであったようで、すぐに手を伸ばした。

――――――――……が。

大気をつんざくような咆哮とともに、ジギスヴァルトが大きく仰け反った。

ザシャとエルゼ、ヨナタンはしがみついて何とか落ちずにすんだが、アルトゥールはそれが出来ずに宙に放り出される。

「姫!」

スピーゲルが腕を広げてアルトゥールを抱き止めてくれたものの、さすがの彼でも怪我をした腕ではアルトゥールを支えきることができなかったらしい。体の均衡を崩し、アルトゥールとスピーゲルは二人して地面に転がった。

アルトゥールは、慌てて半身を起こす。

「……スピーゲルっ!」

腕の怪我を押さえ、スピーゲルは踞っている。髪を束ねていた紐が切れ、彼の銀色の髪がその広い背中に広がった。

「スピーゲル!?痛みますの!?」

「……大、丈夫です……」

痛みをこらえながら、スピーゲルがジギスヴァルトを見上げる。

「……っジギス!」

見れば、ジギスヴァルトの片目から血が流れている。騎士にやられたらしい。

「今だ!」

「残った片目を狙え!」

勢いづいた騎士達が、一斉に襲ってくる。

スピーゲルが叫んだ。

「行け!!」

ジギスヴァルトにしがみついていたザシャが、瞳を揺らす。

「で、でも……あんた達は……」

「いいから行け!!ジギスヴァルト!!」

ジギスヴァルトは啼泣するように甲高く鳴くと、翼を大きく広げ空に舞い上がる。

「姫!」

スピーゲルが差し出した手に、アルトゥールは手を伸ばす。

けれど、その手はまたしてもスピーゲルの指に届かなかった。

「魔女め!!」

背後から伸びてきた手に長い髪を掴まれ、アルトゥールは半宙吊りにされてしまった。

「……やっ!」

「姫!!」

スピーゲルが顔色を変えて身を乗り出したが、アルトゥールの髪を掴む騎士とは別の騎士がスピーゲルにめがけて剣を振る。

スピーゲルは寸でのところでそれをかわし、跳躍して後ろへ下がった。

(いた)……っ!」

髪の生え際がひきつるように痛む。アルトゥールは呻いたが、騎士は当然同情などしてくれない。

「魔法で姿を変えているな!?観念しろ!!魔女め!!」

「違う!!」

スピーゲルが叫んだ。

「彼女は関係ない!手をはな……」

タン、とスピーゲルの肩に矢が突き刺さる。

アルトゥールは目を見開いた。

「……スピー……ゲル?」

矢が刺さった自らの肩を、スピーゲルが不思議そうに見下ろした。痛みを痛みと認識できないような顔だ。

むしろ、慌てたのはアルトゥールの方だった。

「スピーゲル……!!」

大変だ。早く手当てをしなくてはならない。

アルトゥールは自らを拘束する騎士から逃れようと必死にもがいた。

その耳元で、風が鳴る。

矢が風を切り裂く音だとわかったのは、スピーゲルの胸に二本目の矢が吸い込まれた時だった。

世界が、色を失った。

黒と灰色の世界で、スピーゲルの目と腕から流れる血だけが、鮮やかに浮き上がる。

状況も忘れて、アルトゥールは感嘆した。

何て、何て美しい赤だろう――――――。

「あたったぞ!」

アルトゥールの遥か背後で、歓声が上がる。

「俺の矢が魔族を仕留めた!!」

嬉しそうなその声に、アルトゥールの感情が突如凶暴化した。


「……っい、やあああああああ――――――――ッッッ!!」


喉が張り裂けんばかりに、アルトゥールは叫んだ。

「スピーゲル!スピーゲル!スピーゲル!スピーゲル!」

「おい!!暴れるな!!」

屈強な騎士の腕が首元に回り、アルトゥールの動きを封じている。

「スピーゲル!!」

手を、アルトゥールは伸ばした。

少しでもスピーゲルに近づきたくて。

「……っ」

スピーゲルは小さく震える手で胸に刺さった矢を掴み、引き抜いた。

血が吹き出し、スピーゲルの顔が痛みに歪む。

「……はっ……」

赤い血が、石畳に滴る。

広がる血溜まりに、アルトゥールは背筋が寒くなる思いだった。

「捕まえろ!」

「囲め!!」

聖騎士達が、スピーゲルを取り囲む。

海豚(イルカ)の群れに浅瀬へと追い込まれる小魚の大群のように、スピーゲルは逃れる術もなく一歩、一歩、よろめくように後ろへ下がっていく。

その後ろに横たわるのは、黒く冷たい水をたたえた歴史ある大運河だ。

「スピーゲル!!」

アルトゥールの声に、俯きがちだったスピーゲルが顔を上げる。

長い髪が顔にかかり邪魔そうだった。

彼の薄い唇が、小さく動く。


 『ひ』  『め』


掠れた声が、アルトゥールには聞こえた気がした。

直後、限界にまで追い詰められたスピーゲルの踵が、ついに踏みしめるべき大地を失う。

スピーゲルの体は大きく傾ぎ、運河へと転落した。

大きな水飛沫と水音。

聖騎士達が叫んだ。

「矢だ!!」

「射かけろ!!」

水面めがけて従騎士が弓をかまえ、矢を放つ。

「やめて―――!!」

アルトゥールは悲鳴をあげた。

「やめて!スピーゲルが……スピーゲルが死んでしまいますわ!!」

けれど、その悲痛な訴えに耳を傾ける者はいない。

聖騎士達は、まるで祭りに集まったかのように嬉々として運河を覗きこむ。

その姿は醜悪で、残酷で、彼らが穢らわしいと蔑む『魔族』の姿そのものだ。

アルトゥールの頬に、ポツリと雨が滴った。

雨は次から次へと流れて、アルトゥールの頬を、顎を濡らす。

けれど、雨と思われたそれは、実は雨ではなかった。

「……え……?」

掌に落ちた雫を、アルトゥールは呆然と見下ろす。

かつて『笑わず姫』と呼ばれ、笑うことも泣くことすらもなかったアルトゥール。

その目からは、大粒の涙が零れ落ちていた。

それを涙と認識した瞬間。

アルトゥールの心は散り散りになるほどの激痛に襲われる。

「……っスピーゲル―――――――ッッッ!!」

にび色の空を、絶叫が切り裂いた



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