笑わず姫と盗まれた林檎飴ーザシャ④ー
*****
「―――――――どういうことだ!!」
聖騎士団が宿舎として借り上げた宿屋の一室に怒号が響き、部屋の隅に控えていた騎士達は肩を竦める。
聖騎士団の団長と先頃着任したばかりの副団長の不仲は既に団の誰もが知るところではあったが、これほど激しい言い争いは初めてだった。
銀の甲冑を着込んだままの聖騎士団団長エメリッヒが、テーブルを拳で叩く。
「何故団長の私に無断で火刑執行許可など出した!?ただの子供を火炙りにする気か!?」
「ただの子供ではありません。あれは魔族です」
団長より十以上年嵩の副団長コンラーディンは、甲冑を纏ってはいなかった。ぶくぶくと太った体に、優雅な絹の長衣。帯剣すらしていない。
実は彼は聖騎士として叙任は受けているものの、騎士の訓練を受けていなかった。そんな彼が何故聖騎士団の服団長として着任したか――――。
その理由を知っているエメリッヒは、苦々しく自らの副官を睨み付けた。
「魔族なものか!あれは……」
「何を言われますかエメリッヒ公子」
コンラーディンが窓から見下ろした広場には、聖騎士達に囲まれた少年と幼児が二人。
虫けらでも見つけたかのように、コンラーディンは顔をしかめた。
「あの穢らわしい色の髪は魔族に間違いありません。おお、恐ろしい。呪いを撒き散らす前に早く始末せねば」
「髪が銀でも目の色が違うと報告があったぞ!」
「魔法で変えているのです。あの魔族どもを連れてきた者もそう申していました」
「その者達の偽りだったとしたら!?」
「偽りではなかったとしたら?」
ニヤニヤと、コンラーディンがいやらしく笑う。
「エメリッヒ公子。我ら聖騎士団は魔族討伐が使命。私は魔族を捕まえた勇敢なる市民に褒美を与え、穢らわしい魔族を火炙りにするよう命を下した。それの何がいけないのですか?私は忠実に仕事をしたまでです」
理路整然と言い連ねるコンラーディンに、エメリッヒの怒りが増幅した。
(この狸め!仕事をしたまでだと……っ!?)
エメリッヒが街の外周の視察に行って留守の間に、宿に『魔族を捕まえた』と今広場に転がっている少年と子供を引きずってきた者達が来たのだと言う。この腸詰めのような腹をした能無しの副団長は、その者達からろくに話も聞かず褒美を与えて帰してしまった。
部下から報せを受けてエメリッヒが急いでここに帰ってきた時にはすでに広場で火炙りの用意が始まっており、誰がそんな許可をしたのだと怒鳴ると、薪を集めていた従騎士が『副団長様が……』と怯えた様子で答えた。
見回りどころか書類整理すらまともにしたことがない怠惰な副団長が、どうして突然仕事をしようと腰を上げたのかは知らないが、この専横を見逃すわけにはいかない。
エメリッヒは副団長の署名がはいった火刑執行許可証を握り潰した。
「とにかく!火炙りは中止だ!魔族だと確証がとれない者を刑に処することは私が許さん!」
「そんなことを言っていいのですか?」
「……何?」
眉を寄せるエメリッヒに背を向け、コンラーディンは長椅子に腰を下ろし、傍らにあった葡萄酒の瓶に手を伸ばした。あきらかに、上官に対してとる態度ではない。
「私がどなたの口利きでここにいるか、ご存じでしょう?私の言葉はあの方のお言葉も同然です。その私の出した許可を蔑ろにしていいのですか?お立場がますます危うくなられるのでは?」
コンラーディンは葡萄酒の瓶を傾け、硝子の杯にそれを満たした。
その杯を、エメリッヒは手で凪ぎ払う。
床に落ちた硝子の杯は無惨に割れ、鮮やかな葡萄酒が辺りに広がる。
エメリッヒは鋭い目でコンラーディンを見下ろした。
「いい気になるなよ。私がその気になれば、貴様などこの場で無礼打ちにできるのだぞ?」
「で、できるわけがない!」
エメリッヒの発する威圧感にさらされ、それまで挑発的なまでの余裕に満ちていたコンラーディンの頬に、冷や汗が流れる。
「わ、私はお妃様のお気に入りなのですよ!?私を殺せばお妃様の、ひいては国王陛下のお怒りを買うのは必定――――」
「それがどうした!!」
エメリッヒは力任せに長椅子を蹴りつける。
長椅子はひっくり返り、コンラーディンも後ろ向けに床に転がった。
「な、何と乱暴な!このことはお妃様にご報告いたしますぞ!立太子が取り止めになってから私に謝罪しようと後の祭りですからな!!」
負け犬の遠吠えとばかりに喚くコンラーディンを歯牙にもかけず、エメリッヒは部屋から出た。廊下を進み、階段を降りる。そのすぐ後ろを腹心の部下が二人追いかけた。
「公子、どういたしますか!?」
「どうもこうもあるか!火炙りは中止だ!」
「ですがエメリッヒ公子。まずいのでは?あの腸詰め……いえ、副団長の言うようにお妃様の機嫌を損ねるようなことになれば……」
エメリッヒの叔父であるこの国の王には息子がいない。その為、エメリッヒは後継者として数年前に国王の養子になった。けれど同じ次期に国王と結婚した年若い王妃が、エメリッヒが正式に王太子になることに難色を示したのだ。王妃を寵愛する国王はエメリッヒの立太子を見合わせ、エメリッヒは自他共に認める次期国王でありながら、王太子ではないという中途半端な立ち位置にいる。
ここで王妃との関係が決裂すれば、立太子どころか聖騎士としての称号も剥奪されてしまうかもしれない。
エメリッヒは立ち止まり、部下を振り返った。
「だからと言って黙っていられるか!私が聖騎士になったのは魔族を討伐するためだ!罪なき民を火炙りにするためではない!」
「……公子!!」
「ご立派です!公子!」
二人の部下は感銘をうけ、胸を押さえて目を潤ませた。
エメリッヒは拳を怒りに震わせる。
(……あの女……)
『イザベラ』というあの得たいの知れない女があらわれてから、叔父である国王はおかしくなった。
元々良くも悪くも周囲の意見には耳を傾けない頑迷な人であったのに、あの王妃に限っては国王は言いなりだ。
欲しいとねだられた宝石はすべて買い与え、寂しいと訴えられれば重要な御前会議も謁見も取り止める。
そして王妃が推薦した者を、身分経歴を一切問わずに国王は重用した。あの腸詰め狸……いや、コンラーディンもそうやって副団長になった一人だ。
登用した者が有能であれば良い。けれど王妃が推薦するのは、大抵が私利私欲しか頭にない能無しばかりだった。
(ただでさえ魔族のせいで国政が混乱しているというのに……!)
王城では、かつて魔族狩りに従軍した聖騎士団の関係者が十日とあけずに惨殺されている。
惨殺された者のなかには内政を支える者も多くいたため必然的に政務は滞り、滞った政務をこなすために新しい行政官が着任するのだが、この新しい行政官が王妃のお気に入りの能無しなために、政務は更に混乱していく。
エメリッヒが諫言しようにも、国王は王妃に夢中で最近は謁見にすら応じてくれない。
(このままではこの国は腐ってしまう……!)
国のために、民のために、―――――――そして魔族に惨殺された義妹のアルトゥールのためにも、エメリッヒは国王になりたかった。
その為には、あの王妃をどうにかしなければ。
「……もう我慢ならん。私はこれから王都に戻り国王陛下にあの女の廃妃を嘆願する」
あまりに危ない賭けだ。
だがやらなければならないと、エメリッヒは使命感に燃えていた。
「公子……!」
「公子、お供いたします!」
エメリッヒと部下達は、互いに頷きあう。
その背後で蠢く人間の醜さに気づくことなく、彼らは馬に跨がった。
*****
馬で走り去るエメリッヒの後ろ姿を、副団長コンラーディンは窓から憎々しげに見つめた。
「エメリッヒ公子め……っ!」
元々、コンラーディンはエメリッヒ公子のことを苦々しく思っていた。
世間はエメリッヒ公子のことを『国王の甥でありながら自ら志願して聖騎士になった精勤な人格者』などと評している。
けれど根回しや人脈がものを言う宮廷で、一切の賄賂を受け取らず便宜を図ることすらしないエメリッヒ公子は、コンラーディンにしてみればただの融通が利かない愚か者だ。
―――――こんなはずではなかった。
コンラーディンは歯軋りをして憤る。
聖騎士団の副団長ともなれば、華やかな生活が待っているはずだった。
けれど実際には、次から次へと舞い込む魔族討伐要請により遠征に次ぐ遠征の日々。田舎宿の堅く古臭い寝台に、コンラーディンはうんざりしていた。夜な夜な華やかな舞踏会や晩餐会が繰り広げられている王都が懐かしくてたまらない。
しかも期待していた聖騎士としての手当ても大した金額ではなく、自由につかえるだろうと踏んでいた聖騎士団の潤沢な活動予算も、エメリッヒの裁可なしには一枚の銀貨すら持ち出せない。
その上、配下の騎士達はコンラーディンを『剣も持てないくせに、お妃にとりいって地位を手にいれた』と影で蔑んでいる。
(それの何が悪い!)
国王は若く美しいお妃に夢中だ。出世するためにはお妃にとりいるのが一番てっとりばやいということは今や王城の誰もが知っていて、そして皆お妃の機嫌をとろうと必死だった。
コンラーディンも同じ様にしただけだ。お妃の美しさを褒め称え、高価な贈り物をし、その行動に追従した。
――――――何もかもが聖騎士団の団長になるためだったのに、王族であるエメリッヒ公子が団長の任にあったために、副団長に甘んじるより他なかった。そして、そのせいでこの不満この上ない状況である。
(だから、せめてこのくらい……)
コンラーディンは部屋に備え付けられている机の引き戸を引いた。そこにあった小さな袋を手に取り、そっと紐解く。中には金貨が入っていて、その黄金色の輝きにコンラーディンは相好を崩した。
今日の昼過ぎのこと。
エメリッヒが視察のために外出している間に、『魔族をつかまえた』と主張する者が聖騎士団が宿舎として借り上げた宿屋を訪れた。
コンラーディンの前に引きずり出されたのは、三人の銀髪の子供だった。
一目で浮浪児と分かるほどに薄汚れた子供達のうち、年嵩の少年はひどく殴られていて、気を失っているようだった。その少年にすがり、小さな子供二人が泣き叫ぶ。
うるさくてかなわない。蹴り飛ばして黙らせたいが、こんな汚い物に触れては特注で作らせた上等の革靴が汚れてしまう。
『魔族くずれです』
コンラーディンの副官が、コンラーディンの耳元で囁く。そして、子供達を連れてきた商売人と思われる男と強欲そうな老婆を冷たく一瞥した。
魔族を捕まえた者には褒賞金が与えられる。その褒賞金目当てにただの魔族くずれを『魔族だ』と偽って聖騎士団に引き渡そうとする者は少なくないらしい。彼らもそういう浅ましい類いなのだろう。
副官はまた囁いた。
『まともに相手をする必要はありません。追い返しましょう。子供達は孤児院にいれる手配を……』
『いや、待て』
副官を、コンラーディンは制した。
『コンラーディン様?』
『金貨を持て』
『……は?』
『この者達は魔族を捕まえたのだ。褒美をあたえなければならぬ』
副官は顔色を変えた。
『何を……何を言ってらっしゃるのです!これはただの魔族くずれです!目が赤くありません!』
副官の訴えに、老婆が横から口を出す。
『目は魔法で色を変えているのです!魔族ですからね!』
老婆の主張に、コンラーディンは頷いた。
『聞いたか?早く金貨を持って来ぬか』
『ですが……っ』
まだ食い下がる副官の肩を、コンラーディンは手で突いた。
『エメリッヒ様が留守の今、責任者はこの私だ。その私に逆らうのか?』
魔族を捕まえた者への褒賞金は、聖騎士団の活動予算から支出される。本来エメリッヒの許可がなければ資金は動かせないが、彼が不在の場合、正当な理由さえあれば副団長のコンラーディンが代理として許可が出せる。
副官が渋々ながら差し出した二袋の金貨を、コンラーディンは老婆達に与えたように見せかけて、実は一袋だけこっそりくすねていた。
コンラーディンはほくそえむ。
後は火刑執行許可書に署名して、エメリッヒが視察から帰ってくるまでにこの魔族くずれどもを本当の魔族として火炙りにしてしまえばいい。
黒焦げの死体をエメリッヒが本当の魔族かどうか判別出来るわけはないし、記帳上正当な支出である褒賞金が、実はコンラーディンの懐に入っているとは誰も思うまい。
散々割りをくってきたのだ。これくらいの役得はあってもいいはずである。
――――――コンラーディンの天秤は、魔族くずれの子供三人の命より、金貨一袋を重しと判じていた。
魔族を忌み嫌い、その命も尊厳もないもの同然と軽視するコンラーディンにとって、それは当然のもので、彼は良心の呵責など一切感じていなかった。
コンラーディンが火刑を急がせたのには、もう一つ理由がある。魔族の火刑執行の場に不在だったとなれば、エメリッヒの団長としての面目は丸潰れだ。悔しがるエメリッヒの顔を想像するだけで、コンラーディンはこれまで溜まり溜まっていた鬱憤が晴れていく気分だった。
けれど、計画はそううまくはいかなかった。
副官が密かに出した使いから話を聞いたエメリッヒが、予定より早く視察から帰ってきたのだ。
エメリッヒはコンラーディンの署名した火刑執行許可書を握りつぶし、コンラーディンが座っていた長椅子を蹴り飛ばした。
情けなくも床に転がるはめになったコンラーディンは、エメリッヒへの恨みをつのらせる。
(エメリッヒめ!!)
屈辱と怒りに、コンラーディンは気が狂いそうだ。
エメリッヒは後のことをコンラーディンの副官―――実はコンラーディンが副団長になるまでは彼が副団長だった―――に任せて、数人の側近だけを連れて王都へと向かった。コンラーディンの解任を国王に求めるためだろう。
そのことも、コンラーディンを不安にさせた。
『お妃様のお気に入り』を自称してはいるものの、あのお妃はどこか掴みどころがない。
唇は少女のように清らかな微笑みを浮かべているのに、目の奥には狂気じみた冷たさが見え隠れして、コンラーディンは時々彼女が恐ろしくてたまらなかった。
あのお妃がコンラーディンを簡単に見限ったとしても、不思議ではない。
何の得もない聖騎士団副団長の地位には今更未練はないが、更迭されるとなると宮廷の面々にどんな目で見られるのかが気になった。
憐れまれるか、嗤われるか、蔑まれるか――――いずれにしても無駄に矜持が高いコンラーディンにとって、それに耐えがたい屈辱だ。
『―――中止だってよ』
『子供はどうする?』
『……どうせ魔族くずれだ。そこら辺に転がしておけばいいんじゃないか?』
廊下から洩れ聞こえてきた従騎士達の声に、コンラーディンは目を見開く。
「……は、ははは。そうだ。そうしよう」
コンラーディンはふらつきながらも扉に向かい、取っ手を押す。
まがりなりにも副団長であるコンラーディンの登場に、廊下にいた従騎士達は慌てふためいた。
「コンラーディン様!」
「す、すみません。騒がしくして……」
膝まずく彼らを見下ろし、コンラーディンは命令を下した。
「火炙りの中止は中止だ」
「…………は?」
「……え?あの?」
「聞こえなかったのか!?魔族を火炙りにせよ!すぐにだ!!」
コンラーディンの怒号に、従騎士達は戸惑うように顔を見合わせた。
「で、ですが……」
「エメリッヒ様は火炙りは中止と……」
「そのエメリッヒ様の命令である!!すぐに魔族を火炙りにするのだ!!早く用意を進めよ!」
「は、はい!!」
従騎士達は慌てて駆けて行った。
廊下に残されたコンラーディンは、歪んだ笑いに肩を揺らす。
「ははは……エメリッヒめ。貴様の命令など知るものか」
中止を命じたはずの火刑が執行されたと知ったら、エメリッヒはどんな顔をするだろう。
自分こそが正しいという顔をしているあの偉そうな公子の鼻をあかしてやりたい。
コンラーディンが広場に出ていくと、コンラーディンにエメリッヒの名において火刑の執行を命じられた者と、エメリッヒから後をまかされた副官達の間で、その場は紛糾していた。
「コンラーディン様がエメリッヒ様の命令だと仰って……」
「何を言う!エメリッヒ様は中止と申されたのだぞ!」
彼らの足元で、魔族くずれの子供二人はまだぐずぐず泣いている。
憐れとは勿論コンラーディンは思わなかった。むしろ目障りだ。
副官はコンラーディンに気づき、抗議の声を上げた。
「コンラーディン様!どういうことですか!?エメリッヒ様は火炙りは中止と……」
「そのエメリッヒ様はどこにおられる?」
混乱する場で、コンラーディンは一人ゆったりと余裕の笑みを浮かべた。
「エメリッヒ様がおられないなら、責任者はこの私だ。さきほども言ったはずだぞ?」
嫌みったらしく言ってやると、副官は奥歯を噛みしめるようにして黙りこむ。
いい気分だった。 初めて『副団長』の地位に感謝した。
―――――その時、地が揺れた。
山が割れたかのような激しい揺れに、コンラーディンだけでなくその場にいた全員が膝をつく。
嵐のような土埃に襲われ、視界が遮られた。
「な、何事だ!?何があった!?」
慌てふためくコンラーディンの耳を、空を切り裂くような咆哮が襲う。
思わず見上げたそこには、いるはずがないものがいた。
鋼鉄のような鱗。獰猛そうな目玉。
二階建ての家ほどに大きな巨体に、コンラーディンは腰を抜かしてその場にへたりこんだ。
「り、竜だ!」
「竜だ―――!」
「逃げろ!」
悲鳴が交差し、火炙りを見物しようと広場に集まってきていた人々が逃げ惑う。
その混乱のなかに、煤色の外套をまとった長身の男がいた。
男は逃げることもせず、怯える様子も見せない。まるでその男のまわりだけ、時間が止まっているようだった。
ゆっくり、男はコンラーディンに近づいてくる。
異様な静寂を纏うその男が、コンラーディンは訳もなく恐ろしかった。
「あ……ああ……」
逃げ出したかったが、腰が抜けていて立ち上がることすらできない。
コンラーディンの怯えた様子に、騎士達は男に気づいた。騎士達は次々に鞘から剣を抜く。
「何者だ!?」
「止まれ!!」
けれど、男は止まらない。
若い従騎士が、剣を振りかぶって男に突進した。
男は振り下ろされた剣をあっさりかわすと、従騎士の背中を蹴りつける。
「貴様あ!」
もう一人の騎士が男に剣を振り下ろすも、その騎士も不意に屈みこんだ男に膝裏を蹴られて地に沈んだ。
男の、外套が揺れた。
肩にフードが落ち、その容姿があらわになる。
コンラーディンは息を飲んだ。
長い銀の髪。
鋭い赤い目。
「そんな馬鹿な……」
その男を、コンラーディンは震える指で指差した。
「ま、まさか……本物の魔族!?」
その男が返事をすることはなかった。
けれど、その髪といい、目といい、間違いない。魔族だ。
魔族の男は剣を手に襲ってくる騎士達を、次々と素手で薙ぎ倒しコンラーディンに近づいてくる。
「ひ、ひいい!」
コンラーディンは恐怖でまともに動かない足を引きずるようにして後ろずさった。
逃げなければ。殺される。
必死にもがくコンラーディンに、魔族の男が手を伸ばす。
まるで死神の手のように、真っ白な手だ。
お仕舞いだ――――コンラーディンは堅く目をとじた。
王城では聖騎士団に連なる人々が次々と魔族に殺されている。その人々の死に様が脳裏を過った。
きっと自分も彼らと同じように無惨に切り裂かれ、埋葬されるべき遺体すらまともに残らないのだ。
けれど、魔族の男の白い手はコンラーディンを通り過ぎた。
「――――エルゼ。ヨナタン」
驚くほどに、優しい声だった。
魔族の男は、コンラーディンの背後で手を取り合い震えている魔族くずれの子供の頭を優しく撫でる。
二人の子供は一瞬怯える素振りをみせたが、男をじっと見上げて安堵した表情を見せた。
「靴の人だ!」
「迎えにきてくれたの?」
魔族の男は笑って頷くと、ぼろ布のように横たわる少年を抱き起こす。
「……『ザシャ』」
伏し目がちに、男は何かを唱えた。
薄い唇から零れた言葉は光になり、
死んだように動かない魔族くずれの少年に降りそそぐ。
コンラーディンが呼吸すら忘れるほどに、その光景は美しいものだった。
少年の紫に腫れ上がっていた頬が、みるみるうちにもとの色を取り戻す。切れて血が滲んでいた唇も、もうどこに傷があったのか分からない。
少年が、薄く目をあけた。
「……あんた……」
その目尻から、涙が耳へと流れる。
「……魔族、だったんだ……ね」
魔族の男は困ったように目尻を下げた。
「僕が怖いかい?」
少年は、小さく頭を振る。
「……もっと怖いもの……たくさん知ってる……」
「……そうか」
どこか悲しげに微笑むと、魔族の男は少年を一息に抱き上げた。
「―――――ジギスッッッ!!」
魔族の男が声を張り上げる。すると、咆哮で周囲を威嚇していた竜が頭を下げた。
その背に、魔族の男は少年を押し上げる。逃げるつもりのようだ。
「に、逃がすか!!」
呆然としていた副官が、我に返って魔族の男に向かって剣を振るう。
魔族の男の腕に鮮血が走った。
赤い血が、石畳に散る。
魔族の男は小さく舌打ちすると、すばやく身を屈ませ副官の鳩尾を肘で打つ。
副官の手から剣が滑り落ち、その剣は座り込んでいるコンラーディンの股関すれすれに突き立った。
「ひいいいっ!」
コンラーディンは泡を吹いて気絶した。