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笑わず姫と苺飴ーリュディガー⑤ー

詩は何とか覚えたが、賢人の格言は結局『祈りは短く。腸詰めは長く』くらいしか頭に残っていない。

何とか人に見せられるようになったのはヴェラーだけだ。

「とにもかくにも、やれるだけのことはやりましたわ」

胸をはり、アルトゥールはこんがりと焼かれた子羊の肉を口の中に押し込んだ。

花嫁比べを明日に控え、アルトゥールはスピーゲル、リュディガー、マルガレーテと夕食を囲んでいる。

マルガレーテがニコニコと言った。

「そうですね。最初はどうなることかと思ったけれど……本当に頑張りましたね」

「ありがとう、マルガレーテ。これ、おかわり頂ける?」

「ええ、勿論」

「……ちょっと……食べ過ぎじゃないですか?」

スピーゲルがアルトゥールの袖を引いた。

「いくらなんでも、明日に響きますよ?」

「大丈夫ですわ。スピーゲルは心配性ですわね」

アルトゥールは、正直調子に乗っていた。

明日はいよいよ本番だ。結果がどうであれ、アルトゥールは苺飴を食べることが出来るし、つらかった本漬けの日々―――と言っても3日もなかったのだが―――に別れを告げられる。

(……それに、こんな機会でもなければヴェラーを踊れるようにはなれなかったんですもの)

ヴェラーを踊れるようになれたのが嬉しい。

嬉しくて安堵して、ついつい、アルトゥールは食べ過ぎてしまった。




***




「……と、あと鍋をお借りできますか?このくらいの」

両手を使って、スピーゲルは鍋の大きさをあらわした。

それを見たマルガレーテの侍従は、控えていた調理人に命じて鍋をとって来させる。

「これでよろしいですか?」

「はい。ありがとうございます」

鍋を受け取り、スピーゲルは頭を下げる。

(もう……あの人は……)

夕食時のアルトゥールは、少しばかりおかしかった。何だか妙に饒舌で顔が赤く、そして見るからに食べ過ぎていた。

おかしいおかしいと思っていたら、どうやら葡萄酒と葡萄の果実水を間違えて飲んでいたらしい。

つまり、アルトゥールは酔っぱらっていたのだ。

スピーゲルが気づいた時には、アルトゥールは自分で立ち上がることも出来なくなっていた。

部屋へ連れていき、寝かせ、そしてスピーゲルは酔い醒ましの薬湯を作るために調理場にやって来た。

(お酒と果実水の違いも分からないなんて……困った人だな)

味で分かりそうなものなのに。

借りた鍋を作業台に置き、スピーゲルは探してきた薬草を、これまた借り物の小刀で刻み始める。

料理は、本来は嫌いだ。

飲み食いの時と同様に、大昔、目を怪我した時のことを思い出すからだ。

師が動物を狩った時や、召し使いのベーゼンが食事を作る時に聞こえる断末魔。あまりの恐怖に、スピーゲルは食べられなくなった。

痩せ細るスピーゲルに心を痛めたベーゼンが、押さえつけるようにしてスピーゲルの口に料理を入れ、スピーゲルは泣きながらそれを飲み込んだ。

「…………」

スピーゲルは目を細めた。

断末魔など、いい加減もう聞き慣れそうなものを。

「水はこちらをお使い下さい」

マルガレーテの屋敷の侍従が、そう言ってスピーゲルの脇に水桶を置いた。

「え?あ、ありがとうございます。えっと……」

「ヴァルターと申します」

屋敷に来たときに迎えてくれた彼は、年の頃は五十才程。後ろへなでつけた黒い髪に、白い筋が何本か見える。細面の顔は知的で、若い頃はさぞ女性に騒がれただろうと想像できた。

スピーゲルは、ヴァルターにまた軽く頭を下げた。

「あの、度々すみません。色々と頼んで……」

スピーゲルが乳鉢を貸して欲しいと頼んだ時も、アルトゥールの休憩用に何か甘い物が欲しいと言った時も、彼は嫌な顔一つせずに必要なものを提供してくれた。他の召し使いが、外套を決して脱がず顔を見せないスピーゲルを遠巻きにするというのに。

ヴァルターは表情を変えずに首を振る。

「とんでもございません。それに、葡萄酒と果実水の間違えはこちらの不手際でございますから」

「いや、そんなことは……」

そういえば、とスピーゲルは考え込む。

食前、アルトゥールの前に置かれた硝子の杯に、ヴァルターが瓶から果実水を注ぐのを確かに見た。

では、何故アルトゥールは果実酒を飲んでしまったのだろう。

(途中ですりかわった?)

誰が、何の目的で。

アルトゥールの隣には、スピーゲルが座っていた。向かい側にリュディガーとマルガレーテ。

手洗いに行くと、食事中にリュディガーが席を立ったのは覚えている。

(……でも、まさか)

そう、まさかだ。いくらなんでも、まさか。

「リュディガー様にも困ったものです」

「え!?」

まるでスピーゲルの心のうちを読んだかのようなヴァルターの言葉に、スピーゲルは驚いて軽く肩を揺らした。

ヴァルターはスピーゲルが刻む薬草を手にとり、先の枯れた部分を指先で取り除いてくれている。

「お小さい頃はよかったのですが……甘やかされたツケと申しますか……いい加減大人になってもよい年でしょうに」

「……」

不安が、ムクムクと胸のうちで育っていった。

そしてその不安を決定づけるように、一人の侍女が遠慮がちにヴァルターに話しかけてきた。

「あの……ヴァルター様」

「どうした?」

侍女は客人であるスピーゲルの前であることを気にしつつも、ヴァルターに促されるままに口を開く。

「戸締りの点検をしたのですが……鍵が」

「鍵?」

「予備の鍵が一つ見あたらなくて……」

嫌な予感に、スピーゲルは薬草を刻んでいた手を止め、侍女に尋ねた。

「どこの鍵がないんですか?」

「あの……客間の鍵が……夕食の前には確かにあったんですが」



***



体がフワフワとして、気持ちがいい。

まるで雲の上に横になっている気分だ。

髪を撫でる手がくすぐったくて、アルトゥールは寝返りをうった。

それでもしつこく追いかけてくる手を、やんわり払う。

「……くすぐったいですわ。スピーゲル」

当然スピーゲルがそこにいるのだと、アルトゥールは目を開けた。……が。

「……え?」

自分が置かれている状況が、アルトゥールは理解できなかった。

間違えて葡萄酒を飲んでしまい、スピーゲルが寝台まで運んでくれたことは覚えている。その後眠くてたまらず、『薬湯を作ってきます』とスピーゲルが部屋から出ていくのを待たずに瞼を閉じたはずだ。

(……ゆ、夢?)

そうだとしたら悪夢だ。

寝台に横たわるアルトゥールの体に、リュディガーが馬乗りになっていたのである。

リュディガーがひきつった笑顔でアルトゥールを見下ろした。

「……やっぱり、君とスピーゲルはそういう仲だったんだね」

「……そういうって……?」

何のことなのか分からない。それに、何故リュディガーがアルトゥールの寝台でアルトゥールを組み敷いているのだ。

リュディガーが優しげに笑った。だが、目が笑っていない。

「とぼけても無駄だよ。わかってるんだ。だから僕の求婚を断ったんだろう?」

リュディガーの左手は、アルトゥールの両手首をアルトゥールの頭上でまとめあげている。振り払おうにもビクともしない。

薪割りすらしたことがないように見えても、やはりリュディガーは男なのだ。圧倒的な力の差を感じ、アルトゥールは奥歯を噛み締める。

リュディガーが何をしようとしているのか分からないほど、アルトゥールは子供ではなかった。

「……手を放してくださらない?痛いですわ」

無表情な仮面の下で、アルトゥールは焦り、怯えていた。

そんなことはお見通しだと言わんばかりに、リュディガーが嘲笑う。

「悪いけど、その頼みは聞いてあげられないなぁ」

「声をあげますわよ!」

「お好きにどうぞ?扉の鍵は僕が持っているからね。誰も助けに来れないよ。部屋に入れず扉の前で右往左往するだろうスピーゲルに()()()()()()()()()()

アルトゥールは眉をひそめた。あまりに悪趣味な発言だ。

「……どうしてですの?わたくしのことなんて、好きでもなんでもないでしょうに」

「好きだよ?君は綺麗だし、それに―――」

右手の指先で、リュディガーはアルトゥールの首筋をなぞった。

「君と結婚しないことには財産が手に入らない」

まるで金貨を数えるかのような目付きだ。アルトゥールはリュディガーを睨み付けた。

「『ふり』でいいと言ったではありませんの!」

「嘘も方便、てね。本当はこんな強引な方法は好きじゃないんだけど……仕方がないよね。僕を好きにならない君が悪いんだよ?ベーゼン」

意味不明の理屈を捏ねて、リュディガーの唇がアルトゥールの唇に近づいてくる。

アルトゥールは青い目を見開いた。

(……キス……)

ずっと憧れていたキス。

ようやく夢が実現しようとしているというのに、アルトゥールの心は冷めきっていた。

キスが、したかった。

寂しさも、悲しみも、すべて溶かしてしまうような熱いキスが―――。

「……ち、がう……」

震える唇で、アルトゥールは呟く。

手が、違う。

顔が違う。

唇も、目も、髪も、笑い方も違う。

どんなに背が高くても、肩幅が広くても、手が大きくても、髪が長くても、違う。

リュディガーじゃない。

リュディガーは、スピーゲルじゃない。

「ちっが―――――――――――うっっっ!!」

―――渾身の力をもって身を起こし、アルトゥールはリュディガーめがけて頭突きをくらわした。

「んがあっ!?」

まさかの強烈な反撃をうけ、リュディガーが勢いよく寝台から転げ落ちる。

「い、いひゃい……!」

涙目で起き上がった彼の鼻と口から、ボタボタと血が滴り床を汚した。

「な、なんてことだ!鼻血だ!この僕が鼻血を出してる!」

動揺して目を白黒させるリュディガーの口には―――前歯がない。

アルトゥールは寝台の上から裸足で飛び降り、駆け出した。扉に飛び付き引き開けようとしたが、鍵がかかっていて開かない。

リュディガーを振り向くと、彼はまだ『鼻血が!』と騒いでいる。歯が欠けたことには気づいていないらしい。

今のうちに早く部屋から出なければ。

焦るアルトゥールの背後で扉がけたたましく鳴り、揺れた。

「姫!」

スピーゲルの声が聞こえ、アルトゥールは扉にすがりつく。

「スピーゲル!?」

「下がって!」

扉ごしの指示にアルトゥールが素直に従うと、すぐに廊下側からの強い衝撃で扉が軋んだ。衝撃は二度、三度と続き、四度目の衝撃で、ついに扉は吹き飛ぶようにして内側へ開いた。

「……っスピーゲル!」

待ち構えたように、アルトゥールはスピーゲルに飛び付いた。軽々と受け止めてくれたスピーゲルは、けれど呼吸が乱れている。それだけ急いで駆け付けてくれたのだろう。

「……すみませんでした」

アルトゥールを抱き締めたまま、スピーゲルが掠れた声で謝った。

何故彼が謝るのだろう。

「……わたくし、何もされていませんわよ?」

されていたとしても、スピーゲルは何も悪くない。悪いのはリュディガーで、スピーゲルが謝る事など、何もないのだ。

アルトゥールの背に回されたスピーゲルの手に、力がこもる。

「……傍から……離れるべきじゃなかった……っ」

その後悔の言葉はあまりに切実で、痛いほどだった。

心配をさせてしまったことが心苦しくて、けれど彼が心配してくれたことが嬉しくて、アルトゥールはスピーゲルを強く抱き締め返す。

感謝も謝罪も、すべてそれで通じる気がした。

「ひどいよ!!」

リュディガーの間抜けな泣き声に、アルトゥールとスピーゲルは僅かに身を離す。

部屋に備え付けられていた鏡台の前で、リュディガーが号泣している。

歯がないことにようやく気がついたらしい。

「こんな……こんなひどいことをするなんて!折角君を僕の花嫁にしてあげようとしたのに!」

バタバタと廊下を走る足音が近付いてきた。

「……何だ?」

「何があったの?」

騒ぎを聞き付けた屋敷の召し使い達が、戸惑いながらも集まってくる。

そのなかに、マルガレーテと、影のように彼女に付き添うヴァルターの姿もあった。

「こ、これは……」

壊れた扉と鼻血を流したリュディガーに、マルガレーテは小さな目を皿のように真ん丸にしている。

リュディガーはまるで癇癪を起こした幼子のように泣き喚き続けた。

「本当ならお前みたいに無教養で大食らいの無愛想な女、僕とヴェラーを踊ることすら出来ないんだぞ!顔だけはいいから花嫁にしてやってもよかったのに!!こんなひどいことするなんて!!」

もはや四離四滅である。人間として男として最低の行為をしようとした自分のことは棚に上げ、アルトゥールを上から目線で攻め立てるリュディガーに、アルトゥールは唖然とするしかない。

「……『僕の花嫁にしてあげようと』……?『花嫁にしてやってもよかった』? 」

アルトゥールのすぐ隣で、スピーゲルが小さく呟いた。そして、一歩を踏み出す。

室温が急激に下がっていくような感覚に襲われたアルトゥールは、目を瞬かせた。

「……ス、スピーゲル?」

目の錯覚だろうか。スピーゲルを中心に淀んだ空気がとぐろを巻き、室内だというのにあちこちに落雷が発生している。いつの間に雷雲のなかに迷いこんだのだろう。

「『無教養』?『大食らい』?『無愛想』?一体自分を何様だと思って上からものを言っているんです?」

更に一歩、もう一歩と、スピーゲルはリュディガーに近づいて行く。全身から怒りを発するその姿に、リュディガーが震え上がって尻餅をついた。

「そもそも教養だとか顔の造りとか、そんな程度の低いもので勝手に彼女の価値を計らないでください」

「ひっ、ひいい!!」

スピーゲルが左の掌で右の拳を包み、力をこめる。手の間接がパキパキと不穏な音で鳴り、リュディガーは青ざめた。

「更に言うなら……お前のような人生舐め腐ってる大馬鹿者の最低なクソ野郎に」

「まままま待てぼぼぼ暴力はやややややめろ」

リュディガーの胸ぐらを掴み、スピーゲルは拳を振り上げる。

「彼女の価値がわかってたまるかッッッ!!」

「待ってーーーッッッ!!」

マルガレーテが、(まろ)ぶように走り出るとスピーゲルの脇にひざまずいた。

「お怒りは……っお怒りは無理もありません!リュディガーがしようとしたことは許されることではありません!でも……でもどうかお願いです!彼を許してください!!」

マルガレーテは必死な様子だった。

その姿に、スピーゲルは上げた拳を振り下ろすことも収めることも出来ずに戸惑っている。

マルガレーテは、尚も必死に訴えた。

「リュディガーは本当は優しい人なんです!ただ大人になりきれなくて……まだ子供なんです!でも、でも花嫁比べのことは……自分でどうにかしようと彼が動くのは初めてで……やりように問題があったことは認めます!けれど彼が自分で考えて自分で動いたのは初めてで……!」

勢いよく、マルガレーテは頭を下げる。

「お願いします!!彼が自立できるかもしれない好機なんです!その好機を取り上げないでください!!」

アルトゥールもスピーゲルも、集まって来た召し使い達も、言葉を失って立ち尽くす。

どうしてリュディガーのような情けない男のためにそこまでするのか、誰もが理解に苦しんでいた。

「お願いします!お願いします!お願いします!!」

床に額を擦り付けるようにして頭を下げるマルガレーテに、スピーゲルが振り上げた拳をゆっくりとおろす。

「……マルガレーテ……」

呆然と、リュディガーが呟いた。




***




マルガレーテに初めて会った日がいつか、リュディガーは覚えていない。マルガレーテの死んだ母親とリュディガーの母親が仲が良かったことで、リュディガーとマルガレーテは歩き始める前から一緒だったからだ。

両親に溺愛されていたリュディガーは、嫉妬した兄二人によく裏庭の物置に閉じ込められた。

『リュディガー?大丈夫?リュディガー』

暗く、埃っぽい狭い空間から、リュディガーを助けてくれるのはいつだってマルガレーテだった。

『マ、ルガレーテ。あありがどうう』

『もう泣かないで。鼻水拭いてあげる』

リュディガーにとってマルガレーテは特別で、いつでも頼れる絶対的な味方だった。

だから、家を追い出されても当然のようにマルガレーテの屋敷に転がり込んだし、遊ぶ金が足りなくなればやはり当然とばかりにマルガレーテに無心した。

―――頼るのが、いつの間にか当たり前になっていたのだ。

マルガレーテが相続した財産の内、かなりの額を自分が食い潰してしまったと知ったのはつい最近だ。

マルガレーテの名前で方々で借金をしたことに激怒した筆頭侍従のヴァルターに、そう教えられた。『お嬢様を路頭に迷わせる気ですか』と。

―――マルガレーテが破産したら、遊んで暮らせなくなる。

この期に及んで、リュディガーが心配したのはマルガレーテのことではなく自分のことだった。

実家からは見放されているし、今更まともな職についてちまちまと小銭を稼ぐなんてまっぴらだ。

貧乏暮らしで苦労するくらいなら死んだほうがましだとまで思った。

―――花嫁比べで、財産を相続できれば……。

ところが『もっとも優れた花嫁』はなかなか見つからなかった。兄二人の妻は、それぞれ才色兼備の名家の娘だ。それに匹敵するほど美しい娘が街にいないわけではなかったが、その誰もが過去に恋愛絡みのいざこざがあって、リュディガーとはもはや口もきいてくれない。

途方に暮れていたリュディガーの前にあらわれたのが、アルトゥール(ベーゼン)だった。

青い目に黒髪の、絶世の美女。

字もまともに読めずヴェラーも踊れない無教養な娘だったが、それを補うほどの美しさに、リュディガーは懸けた。彼女を手にいれれば、すべてが手にはいる、と。

簡単なはずだった。

きっとすぐにベーゼンは自分に恋をすると、リュディガーは信じて疑わなかった。

でも、ヴェラーをスピーゲルと踊るアルトゥール(ベーゼン)を見て、リュディガーは自分の計画が破綻する予感に身震いした。

本人は―――いや、アルトゥール(ベーゼン)だけではなくスピーゲルも気づいてはいないようだが、スピーゲルを見るアルトゥール(ベーゼン)の瞳の奥に漂う感情。

それを見誤るリュディガーではない。

リュディガーは焦った。

アルトゥール(ベーゼン)自身が自分の想いの方向を自覚してしまえば、リュディガーとの結婚を承諾することは難しくなる。その前に、彼女を手にいれなければならない。

強引だろうと、卑怯だろうと、手段を選んでいられるような余裕はなかった。

そして、リュディガーはその最低な手段を実行に移した。。

まず、夕食でアルトゥール(ベーゼン)の果実水と自分の葡萄酒を入れ換える。

葡萄酒には砂糖と香料が加えられた酒気が強い混成酒を混ぜておいたので、酒に慣れていない若い娘なら一杯で酔いが廻るはずだ。

アルトゥール(ベーゼン)の寝起きする客室の合鍵も密かに手にいれ、あとはアルトゥール(ベーゼン)が酔い潰れてくれるのを祈るだけだった。

狙い通り、酔いがまわったアルトゥール(ベーゼン)は部屋に運びこまれ、すべては計画通り。

けれど―――……。

『リュディガーは本当は優しい人なんです!ただ大人になりきれなくて……まだ子供なんです!』

リュディガーの為に頭を下げるマルガレーテの姿は、リュディガーに少なからず衝撃を与えるものだった。

『お願いします!!彼が自立できるかもしれない好機なんです!』

マルガレーテがリュディガーの為を考えているときに、自分は何を考えていただろう。

自分のことしか考えていなかった。

楽をすることしか考えていなかった。

マルガレーテがどんな思いでリュディガーの傍にいてくれたかなんて、考えようともしなかった。


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