笑わず姫とカボチャパイーエーリカ①ー
白い雲と夏の濃い青空を映した湖面に、影が横切る。
「ねえ、見て」
小さな少女が、空を指差した。
「竜が飛んでる」
「何が飛んでるって?」
屈んで農作物の手入れをしていた父親は、腰を伸ばしながら空を見上げる。
遥か上空を羽ばたく影は、確かに鳥にしては妙だった。だからと言って娘の言うとおりそれが竜だとは、父親は思わない。
「竜なんているわけないだろう?」
父親は汗を拭いながら少女に言い聞かせる。
「きっと渡り鳥だろうよ」
「違うよ!竜だよ!」
「そうか、そうか。よしよし、お前が言うならきっとそうなんだろうな」
頬を膨らませてむくれる少女を、父親は笑って抱き上げた。その間に、竜とも鳥とも判別出来なかったその影は雲の上へと姿を隠してしまう。
実を言えば、影は鳥ではなかった。竜でもなかった。
骨ばった翼に硬い鱗。ギラリと光る爬虫類特有の目玉。
一見竜にしか見えないその生き物は、スピーゲルが魔法で巨大化させた羽蜥蜴『ジギスヴァルト』だ。
本来なら掌にのるほどの小さな生き物である彼は、今はアルトゥールとスピーゲルをその背に乗せるほどに大きくなっている。
「今日はどの街に行きますの?」
背後からアルトゥールが覗きこんで尋ねると、スピーゲルは「そうですねえ…」と眉尻を下げた。
「最近行く先々で騒ぎを起こしてるので……ちょっと足を伸ばして南の方に行ってみましょうか」
「南……」
アルトゥールは夢想した。
色鮮やかな果物。独特な香辛料をつかった料理。他にもどれほど美味しいものがあるのだろう。
「……姫。涎」
「はっ!」
アルトゥールは慌てて顎を滴る涎を拭った。
スピーゲルはため息をついて肩を落とす。
「いい加減、キスの相手見つけましょうよ。何か具体的にないんですか?」
「え?」
「顔がいい相手がいいとか、目の色が碧色の相手がいいとか」
「……具体的……」
何か、そういう話を誰かと最近交わしたような気がする。
考え込み、やがてアルトゥールはポン、と手を叩いた。
「ジビレおばあちゃんですわ」
「はい?」
「おばあちゃんとそういう話をしましたわ」
あの時瞼の裏にぼんやりと思い浮かんだ面影は、どんなふうだっただろう。
「……『背が高くて』……『肩幅が広くて』……」
アルトゥールは記憶のままに呟いた。
それを聞きながら、スピーゲルが頷く。
「背が高くて、肩幅が広くて……なるほど。それから?」
「それから……」
『手が大きくて』『髪が長くて』……。
突然、アルトゥールの耳にジビレの声が響いた。
『あんたもそう思うだろ?アルトゥール』
ジビレの、意地悪そうな笑顔。
「…………あ」
アルトゥールは目を見開き、瞬いた。
最後に会った時、彼女はスピーゲルに言ったのだ。
『スピーゲルって、背ぇ高いね』と。
それから『それに肩幅も広いし、手も大きいし、髪も長いよな』とも。
脈絡のない会話だった。
脈絡がないとあの時は思っていた。けれど、違ったのだ。脈絡は、あった。
「何です?どうしました?」
スピーゲルが、肩越しにアルトゥールを振り返る。
精悍な顔立ち。
太陽の光の下で琥珀色に光る赤い目。
キスをするなら―――……。
『背が高くて』『肩幅が広くて』『手が大きくて』『髪が長くて』。
そして、柔らかに微笑む人がいい――。
突如、アルトゥールの心臓が発火するかのように熱を持った。
「……っ!?」
咄嗟に胸を抑えたアルトゥールの体が、均衡を失い大きく傾ぐ。
「わあ!?姫!!」
スピーゲルが手を伸ばしていなければアルトゥールは空から真っ逆さまに落ちていただろう。
「突然どうしたって言うんですか?下手したら死んでましたよ?」
スピーゲルは少し怒っているようだった。けれどアルトゥールも自分に起きたことを、うまく説明出来ない。
「何だか……急に胸が……ひっく」
「……姫?」
「ひっく」
アルトゥールは右手で強く胸を押さえつけた。けれど、内臓が飛び上がるような感覚を押さえつけることは叶わなかった。
「ひっく」
「……しゃっくりですか?」
眉をひそめて覗きこんできたスピーゲルに、アルトゥールは頷いた。
「そうみたいですわ……ひっく」
「水を飲んでもだめだったの?」
「私は呼吸を止めるといいと婆ちゃんから教わったけど」
「呼吸を止めて水を飲むんでしょう?」
「いやいや、耳をひっぱるといいんだよ」
一人の女の言葉に、その場にいた他の女達が一斉に反論を唱えた。
「耳をひっぱる!?」
「それはないわよ!それだけは絶対ないない!」
小さな村の小さな井戸の周りで、洗濯の片手間に女達は『しゃっくりを止める方法』について意見を交換している。
しゃっくりを止めるためには水を飲むのがいい、というスピーゲルの持論に従い、アルトゥールとスピーゲルは近くにある村に寄って井戸をかりたのだ。だが……
『止まらないですわ!ひっく』
『……おかしいですね……』
結局、水を飲んでもアルトゥールのしゃっくりは止まらなかった。
そこで、井戸端で洗濯中だった女達に二人は助けを求めたのだ。しゃっくりを止める方法を知らないか、と。
「つまり、ひっく。呼吸を止めて、ひっく。水を飲むと、ひっく。いいんですのね?ひっく」
アルトゥールが確認すると、女達は頷いた。
「やってみなよ」
「損するわけじゃないし」
「モノは試しさ」
「ひっく。わかりましたわ、ひっく」
アルトゥールは水がたっぷり入った水桶を前に、鼻をつまむ。
「いぎまずわ!ひっく」
勢いよく、アルトゥールは水桶に顔を突っ込んだ。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……長くない?」
女達の一人が不安げに呟いた直後、アルトゥールが水桶から勢いよく顔を上げた。
「ぷはっ!ぐ、ぐるじいですわ!ゲホッゴホッ」
「何で普通に呼吸止めてるんですか!呼吸を止めて水を飲むんですよ!」
顔を青ざめて咳き込むアルトゥールの背中を、スピーゲルが急いで擦る。けれど、そのアルトゥールの背が小さく跳んだ。
「ひっく……」
女達は『あーあ……』と肩を落とす。
「ダメだったわね」
「まぁ、そのうちおさまるわよ」
ケラケラ笑う女達に、アルトゥールは勢いよく顔を上げた。
「『そのうち』じゃダメですわ!ひっく。早く止めないと……死んでしまいますわ!!ひっく」
アルトゥールの真剣な様子に、女達は笑うのをピタリとやめて、怪訝そうに顔を見合わせた。
「死ぬって……?」
「もう500回を越してしまいましたわ!ひっく。このままじゃスピーゲルとの約束を果たす前に、ひっく。死んでしまうかもしれませんわ、ひっく」
地面についていた両手を、アルトゥールは砂利ごと握り締める。
悲壮感漂うその姿。
赤ん坊を背負った女が一人、スピーゲルにすり寄り囁いた。
「もしかして……『しゃっくりを1000回したら死ぬ』ってあれ?この娘さん本気にしてるのかい?」
「教えてあげなよ、そんなのウソっぱちだって」
逆側からも別の女が囁くと、スピーゲルは指先で頬を掻いた。
「言ったんですが……すっかり信じ込んでるんです。頑固というか、素直というか……」
フ、とスピーゲルは微かに笑う。
「子供みたいな人ですから」
それを見ていた女達は、スピーゲルの両側でほくそ笑んだ。
「ああ。そういうところが可愛い……ってやつね?」
「恋っていいわねぇ」
「……いや。いやいや、何言ってるんですか。違いますよ?違いますからね?」
滝のような汗を流しながら疑惑を否定するスピーゲルの目の前を、一人の少女が通り過ぎた。
小さな足音に、アルトゥールは顔を上げる。
少女は、黒い髪を頭の後ろで三つ編みにして垂らしていた。
髪と同じ黒い瞳で、笑うわけでもなく、じっとアルトゥールを見つめる。
「……お姉さん、もうすぐ死んじゃうね」
澄んだ声が、静かに響く。
風が吹き、少女の前髪が揺れた。
(……今……)
聞き間違いだったのだろうか。
アルトゥールは訊き返そうとしたが、それより先に井戸端にいた女の一人が、目をつり上げて怒鳴った。
「エーリカ!!何てこと言うんだい!」
エーリカと呼ばれた少女は怯えたように瞳を揺らし、走って行ってしまった。
その背中を、アルトゥールは呆然と見送る。
「……やっぱり……ひっく」
呟き、後ろを勢いよく振り向く。
「スピーゲル!やっぱり、しゃっくりを1000回すると死ぬんですわ!ひっく」
「……いや、だから……」
アルトゥールの必死な訴えとは対照的にスピーゲルは冷静、というより呆れ顔である。
「何度も言ってますけど……しゃっくりを1000回したところで死にはしませんから」
「だってあの子が死ぬって言いましたわ!ひっく」
「エーリカは可哀想な子でねえ」
いつからそこにいたのか、腰がまがった老婆がアルトゥールの背後にいた。
老婆は開いているのか閉じているのかよく分からない目で、エーリカが走り去って行った方向を眺めている。
「家族を先頃亡くしてね。身寄りがないから村長の家で面倒をみてるのさ……可哀想な子だよ」
「……でも、気味が悪いよ。あの子」
横から、先程エーリカを叱りつけた女が口を出す。
アルトゥールは尋ねた。
「気味が悪い?ひっく」
何故だろう。少し大人しそうではあるが、可愛い女の子だったのに。
気まずそうに、他の女が口を開く。
「前までは口数は少ないけど普通の女の子だったんだよ?でも、家族を亡くしてから妙なことを言うようになってね」
「妙なこと?」
「『もうすぐ死んじゃう』……て」
その場に、冷たい空気が流れる。
遠く、小鳥の囀りが聞こえた。
「実際、言われた人間は早いと十日足らずで死んじまうのさ。加治屋の息子も。隣町から来た行商人も、それから……」
「うちの下の子もね」
エーリカを怒鳴った女が、俯きながら言った。
「エーリカに『死んじゃうよ』って言われた次の日、村の裏にある池で溺れたんだ」
「……偶然でしょう?」
スピーゲルが遠慮がちに言うと、女はスピーゲルを睨み付けてきた。
「そうだとしても!気味が悪いじゃないか!まるであの子が呪い殺したみたいだ!」
勝ち気そうな女の目に、涙が盛り上がる。
隣にいた女が、慰めるように肩を抱いた。
「……すみませんでした」
スピーゲルが頭を下げると、周りにいた女達が気にするなというように薄く笑った。
「……寂しいんだろうねぇ」
老婆が言った。
「寂しくて、大人の気を引くようなことを言うんだろうねぇ」
「……」
老婆の言葉に、アルトゥールは立ち上がる。
「姫?」
歩きだしたアルトゥールの後ろを、スピーゲルがついてきた。
「姫?どうしたんです?」
「あの子……エーリカを探すんですわ。ひっく」
何故、とはスピーゲルは尋ねてこなかった。
二人は洗濯途中の女達に別れを告げ、井戸端を後にした。
垣根に挟まれた砂利道を歩き、家を数軒通りすぎ、山羊が飼われている柵も通りすぎる。
その先に家があった。
壁は崩れ、庭は草が生え放題で、人が住んでいる気配はない。
庭を覗くと、蹲っている小さな背中が見えた。
「……エーリカ?ひっく」
エーリカがゆっくり、こちらを向いた。
蔦が生い茂る煉瓦作りの小さな家の壁を、アルトゥールは見上げた。
「……あなたの家ですの?エーリカ。ひっく」
アルトゥールとは目を合わせずに、エーリカは頷く。
「……隣に座ってもよくて?ひっく」
これにも、エーリカは黙ったまま、また頷く。
アルトゥールはエーリカが膝を抱えて踞るその隣に、同じように膝を抱えて座りこんだ。
「…………どうしてわたくしや村の人達に『もうすぐ死んじゃう』なんて言ったんですの?ひっく」
「直球ですね……」
スピーゲルが後ろで呟いたが、アルトゥールは無視した。
聞きにくいことを遠回しに尋ねるような気が利いたことが出来たなら、アルトゥールは『傲慢だ』なんて陰口をたたかれずにすんでいる。
エーリカは、やはりアルトゥールと目をあわせようとしない。
「……だって……影を背負ってるから」
「影?」
「お父さんとお母さんと……お兄ちゃん達が死ぬ前にも見えた。だんだん影、濃くなるの」
エーリカは顔を上げ、ようやくアルトゥールと目をあわせる。
「影が真っ黒になったら死んじゃうよ」
痛々しいほどに澄んだ、真っ黒な瞳。
(……何て……悲しい目かしら……)
そして、何て綺麗なんだろう。
(……スピーゲルと同じですわ)
色も形も違うけれど、スピーゲルも時々こんなふうに悲しい目をしている。
悲しみをたたえた目。
祈るように、耐えるように、澄みきった瞳。
エーリカは、体を捩って背後のスピーゲルを見上げた。
「お兄さんは大丈夫。きっと長生きするよ。よかったね」
スピーゲルは少し戸惑う素振りを見せる。
「……君は、そういうのが見えるの?」
スピーゲルが尋ねると、エーリカは「見える」と答えた。
「ちっちゃい頃から見えるよ。お母さんもちっちゃい頃は見えたって。大人になったら見えなくなるんだって」
エーリカは壊れかけた家を眺めて、瞳を潤ませた。
「……本当はね。影が見えるって言っちゃダメなの。みんな怖がるから内緒にしなさいってお母さんが言ってた。だから私、お母さんとお父さんとお兄ちゃんに影が見えても黙ってたよ?そしたら、お母さんとお父さんとお兄ちゃん、死んじゃった。馬車でおでかけして、車輪が壊れちゃって、崖から落ちたんだって」
エーリカが辿々しく話す事情に、アルトゥールも、そしてスピーゲルも、何も言えずに凍りついた。
この子は、この小さな体でどれだけ色々な感情を抱えて生きているのだろう。
エーリカは、自らの膝に顔を埋める。
「……もし……もし私が言ってたら……影が見えるって言ってたら、お母さん達、死なずにすんだかな?気を付けて、事故にあわずにすんだかな?」
堪らず、アルトゥールはエーリカの肩に腕を回して抱き締めた。
(この子は……)
嘘をついているわけでも、寂しくて大人の気を引きたいわけでもない。
「……だから、わたくしに教えてくれたんですのね?ひっく、影が見えるから気を付けるように。ひっく」
アルトゥールが尋ねると、エーリカは膝に埋めた顔を、微かに上げた。
「……うん」
「エーリカは優しいんですのね。ひっく」
エーリカは驚いたように目を見開く。そして顔を赤くした。照れているようだ。
「……しゃっくり、止まらないね」
「ひっく……困ってますの。このまま1000回しゃっくりしたら死んでしまいますわ。ひっく」
エーリカは黙って考え込んでいたが、おずおずと口を開いた。
「あのね……息を止めたらしゃっくりとまるよ?お父さん言ってたよ?」
「残念ながらそれは試したけれど、ひっく、ダメでしたわ、ひっく」
「じゃあ……」
また考え込んだエーリカの手に、小さな石が当たる。
「……っ」
「何ですの?」
アルトゥールは小石が飛んできた方を伸び上がって窺う。
庭の先に子供達がいた。
生意気そうな男の子を先頭に十人あまり。
アルトゥールとエーリカを背に庇うように、スピーゲルが立ち上がった。
先頭にいた男の子が、エーリカを指差して叫ぶ。
「そいつは魔族なんだ!そいつに近づいたら呪われて死んじゃうんだぞ!」
「そいつと話してるお前らは魔族の仲間だ!」
口々に叫ぶと、子供達は手にしていた小石をエーリカに―――アルトゥールとスピーゲルにも投げてよこした。
それらの小石を手で払って、スピーゲルは子供達を窘める。
「エーリカは魔族じゃない!石を投げるなんてやめなさい!」
「魔族!」
「穢らわしい魔族!」
スピーゲルが、唇を噛み締める。その体の影に隠れて、エーリカは小さな体を更に小さくし、目に涙を溜めていた。
アルトゥールは手を握りしめた。
(どうして……)
こんな仕打ちをうけるのだろう。
魔族だからだなんて、そんな理由は納得出来ない。第一、エーリカは魔族ではないではないか。
石が飛ぶ中、アルトゥールは立ち上がる。
「姫!?」
アルトゥールはスピーゲルとエーリカを庇うように手を広げ、子供達に立ち向かう。
そのアルトゥールの額に、子供の一人が投げた小石が当たった。
「姫!!」
スピーゲルが顔を青くする。
額から一筋の血が流れた。
「……あ」
「血……」
おかしなことに、小石を投げた子供達の方がおののいて、後ずさる。
「…………ふふふふふふふ」
流れる血はそのままに、アルトゥールは歪に笑って見せた。
「よく見破りましたわね。わたくしが魔族だと…ひっく」
唇だけを歪ませた妙な迫力を持つその笑顔に、子供達が悲鳴を上げる。
「ま、魔族!?本当に!?」
先頭に立っていた男の子が、脅える仲間達を叱咤する。
「そんなわけあるか!髪の色が違うし、それに目も……」
「―――髪の色?目?」
アルトゥールは子供達に向けて一歩を踏み出した。
邪悪な笑顔はそのまま、子供達を見据える。
「そんなことを気にするなら、何故エーリカが魔族だなんて言いますの?エーリカの髪も目も真っ黒ですのに」
「そ……っそれは……」
勢いを削がれた生意気そうな男の子は、少しばかり怖じ気づいた様子だ。
「ま、魔法で色を変えてるのさ!そうに決まってる!」
アルトゥールは頬から力を抜いた。途端に歪な笑顔は消え失せる。
美しすぎる顔は無表情ゆえに、怒りをたたえているように見えた。―――……いや。実際、アルトゥールは怒っていた。
「髪の色が違うから、目の色が違うから、自分達とは違うから……だから何ですの?」
アルトゥールは子供達を睨み付ける。
美しさが相まった、壮絶な憤怒の表情。
「ひっ……」
恐怖に、子供達が顔をひきつらせる。涙ぐんでいる子もいた。
「人を見下すその言葉が、何より人の心を傷つける呪いだと、あなた達は知るべきですわ」
アルトゥールは、また一歩を踏み込んだ。
子供達は、固唾を飲んで一歩を退く。
「そんなことも分からない思い上がりも甚だしい子供は……ひっく」
両手を、アルトゥールは大きく広げた。
そして大きな目を、更に大きく広げて子供達を見据える。
「しゃっくりをうつしてくれますわ―――!!ひっく」
「ぎ、ぎゃ―――っっっ!!」
一斉に子供達は逃げ出したが、アルトゥールは容赦しない。
逃げ遅れた子供を後ろから両手で抱えると、その子の脇をくすぐった。
「キャー!!あはははは!」
その子が笑い疲れてぐったりすると、今度は草むらに潜んでいた別の子供に標的を定める。
「キャハハハハ!!」
「やめてやめて!あはは!」
「キャー!!」
アルトゥールは次々と子供達を捕まえ、くすぐって回った。
やがて子供達もアルトゥールを魔族だと疑ったことを忘れ、純粋に鬼ごっこを楽しみ始める。
「エーリカ!ひっく」
アルトゥールは、スピーゲルの後ろに身を隠すエーリカに手招きした。
「エーリカ!いらっしゃいな!ひっく」
無理もないことだが、エーリカは躊躇しているようだった。
もじもじと両手を絡め、下を向く
その背を、スピーゲルが軽く叩くようにして押し出した。
「行っておいで」
「……でも……」
「いいから」
スピーゲルはもう一度、エーリカの背を押した。
「行っておいで」
「…………」
エーリカは、躊躇いつつも歩き始めた。一歩、二歩と進み、けれど立ち止まる。
そこに、アルトゥールがもう一度声をかけた。
「エーリカ!いらっしゃい!ひっく」
「……っ」
意を決したエーリカの足が、地面を蹴る。
真っ直ぐ前を向いて走った彼女は、アルトゥールと手を繋ぐと、他の子供達を追いかけ始めた。
子供の笑い声が、あたりに響いた。
穏やかな風が吹き抜け、草木がさざめく。
どこか強張っていたエーリカの顔が自然に笑いだすのに、時間はそれほどかからなかった。
無表情のまま、けれど笑う子供に囲まれて、アルトゥールは走る。
髪が乱れるのもかまわないその姿を、スピーゲルが目で追う。
眩しいものを見るように、目を細めて。