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E4 ~魂の叫び~  作者: たま ささみ
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第3章  電脳汚染

杏たちが内閣府長官暗殺計画から解放されたある日、長官たちの推進する朝鮮半島移民政策が、ゴシップ誌によって白日の下に晒された。俗に言う、スクープというやつである。

 日本自治国内は、右往左往の大騒ぎになった。

 テレビ番組では毎日のように移民政策が繰り返し放映され、一部の識者達は、国民の相知らぬところで電脳化計画が進んでいると息巻いた。

 そこに移民政策反対勢力が現れ、内閣府前では移民政策反対のプラカードを掲げ、毎日のようにデモが行われた。


 そんな非日常の毎日に、一人の男性が興した新興宗教が、日本国内を席巻し始めていた。

 名を麻田彰寅といい、宙に浮くことができる導師として、世の興味を独り占めにしつつあった。

 だが、古来からある宗教法人にしてみれば、異端者である。宗教法人では、麻田が教えを説くフリーランスリバティー教通称FL教を、カルト教団と呼び、自分たちと区別しようと躍起になっていた。


 麻田は、大学を好成績で卒業した者たちを側近として重用した。側近たちの中には、医師や薬剤師はおろか、軍隊や警察官、IT、理学系など、各方面に秀でた者たちが多かった。

 徐々にカリスマと呼ばれるようになった麻田は、以前は学者として大学で教鞭をとっていた。麻田もご他聞に漏れず電脳化していたわけだが、何故かマイクロヒューマノイドであることは秘密にしていたようだった。

 大学教授としての評判は然程ではなかったが、麻田が仕事を辞め、ライフワークとして宗教を興すと、一般人に電脳化やマイクロヒューマノイド化の普及を説いていた。

 麻田の訓えは瞬く間に持て囃され、世の中に生きづらさを感じていた人ほど、リバティー教にのめり込んでいくのだった。


 遠い過去の出来事からも分かるように、カルト教団は自分たちを認めさせるため、テロ行為を行う可能性が往々にしてあるため、E4では、いつでも活動できるように訓練を行っている。

 暴走するカルト教団を制圧する任務は、W4ではなくE4が担っている。設楽はダイレクトメモのオーバーホール後、なお五月蝿くなった。

「チーフ。これって俺達の出番ですよね」

「危険な教団だと指定されればな」

「俺の勘では、絶対に危ないですって、この教団。そのうち爆弾や毒ガスばら撒きますよ、きっと」

「向こうも電脳化しているだろう、お前、ハッキングして来い」

「ばれたら?」

「ばれないようにするのがお前の仕事だ」

「確かに」

「ほら、任務に精を出せ。その前に、バグとビートルの様子を見て来てくれ。そして北斗に、ここに戻るよう伝えろ」

「了解。うちのチーフはやっぱり人使いが荒いや」


 

 地下でバグとビートルと遊んでいた北斗が49階のE4室内に戻ってきた。北斗は背筋を伸ばして杏の目の前に立つ。

「何でしょうか、チーフ」

「近頃目立ってきた教団なんだが、お前に潜入捜査をお願いするかもしれない」

「実は僕にお鉢が回りそうかな、と思っていたんです」

「事件化しているわけではないが、怪しいのは確かだ」

「命令されればすぐにでも」

 杏は身体の力を抜いて、壁にもたれた。

「まあ、室長の判断を待つさ」


 剛田室長からの命令は、暫くなかった。北斗を送り込むのは最終手段と決めているようだ。それとも、危なすぎて手を拱いているのかもしれない。

 しかし、いつまでも傍観しているわけにはいかない。

 潜入捜査の時期を見極めている、というのが、杏の予想だった。

 そんな折、公務の種類を問わず、電脳をハッキングし死に至らしめるという事件が勃発した。行方不明になった者も多かった。

 犠牲になったのは、役人、警察官、学校の教師と様々だったが、やっと行方が知れたとぬか喜びしていると、その人間は真逆の性格に変わっていたという。


 ある日、剛田室長からの命令が北斗に下った。

「本当はキャンセルしたかったが、仕方がない。北斗、フリーランスリバティー教団、所謂ところのFL教に潜入してくれ」

「了解しました、室長」


 今回北斗が化けるのは、大学を卒業し大企業に就職したが、半年前に職を失ったという設定。周囲には、現在は無職か夜勤の警備会社でアルバイトをして食いつないでいるというもの。

 一般人に電脳化を勧めているということは、電脳化して自分たちの信者を増やす目的もあるかもしれないと杏に言われ、電脳化だけは避けて潜入を続けます、と。何とも頼もしい限りである。

 ダイレクトメモを使えないのは少々痛かったが、衛星通信を使いE4には定期的に連絡するという。

 衛星通信とは、スマートフォンの進化版である。

 E4では、衛星通信にスクランブルをかけて発信者や受信者、通信ログなどが部外に漏れないようなシステムを採用している。

 通常、電脳を繋いでおけば無用の長物だが、北斗が潜入捜査に就くときだけは、この方法を使い、北斗の衛星通信が何らかの方法で外部との通信の記録を傍受できないようにしている。

 とはいっても、衛星通信は日に一度が限界だ。外部へ通信しているとなれば、受信者が誰なのか、傍受はできずとも北斗自身の信用を損ねてしまう恐れがあるため、必要最小限の通信のみに限られている。



 翌日、北斗の姿はE4から消えていた。

 早速、FL教団を訪れたものと思われる。

 地下では、バグやビートルたちが五月蝿い。


「ネエ、ホクトハドコニイッタノ?」

「ハヤクカエッテコナイカナ」

「マサカ、クビニシテナイヨネ」

「シタラー!アブラサシテー!」

「ホズミデモイイヤ、アブラ!アブラ!」


 設楽は椅子にどっかりと座りこんで、ハッキングに忙しい。代わりに八朔がバグたちの寝床に歩いていく。

「オソイヨ、ホズミッタラ」

「ハヤクシテー!ウゴケナクナル」


 八朔は、少し機嫌が悪かった。北斗の代わりに行くこともそうだが、設楽がハッキングの美味しいところを独り占めしているからだ。

「ほら、並べ。順番に油を注してやるから」

「ジュンバン?」

「なんだ、言葉の意味知らないのか」

「イチレツニナラベバイイノ?」

「そうだ」

「ホクトハボクタチノバンゴウオボエテテ、ナラバナクテモアブラサシテクレタカラ」

「俺は北斗みたいに優しくないんだよ。ほれ、並べ」

「ハーイ!ミンナ、ナラボー!」


 そういいながら、順番に並ぼうとしないバグたちを見て、八朔は目を三角にして怒り出す。

「並ぶまで、油注してやんないぞ。北斗が甘やかしすぎたんだな」


 バグたちが八朔の周りを囲む。

「ホクトノワルクチイワナイデ!」

「ソウダヨ、イチゴウキカラナラベバイインデショ」


 やっと、バグやビートルが整列し始めた。

 八朔は、ふと考えた。こいつらも、北斗が潜入する教団周辺で、今回は稼ぐようになるかもしれない。オーバーホールはしないまでも、すぐ出動できるよう点検だけはしておかなくては。

 誰か手の空いている人間を、地下に派遣してもらおう。


 それにしても、北斗はビートルやバグたちに愛されているんだと、今更ながらに恐縮した。それもこれも、北斗の愛情がこいつらにも判るのだろう。

「今から点検するけど、誰に来てもらうからな」

「フワガイイ」

「サイトウデモイイ」

「サキハイヤ」

「何でだよ」

「ロボットノクセシテシャベルナ!ッテオコルンダ」

「そうか、じゃあ、紗輝だけは声かけないでおくよ」


 49階のE4室に戻ると、八朔はまず不破に声掛けする。

「不破さん、これからバグとビートルの点検するんだけど、手伝ってくれない?」

「いいよ。暇だし」

「ありがとう、バグたちにさ、紗輝だけは嫌、って言われちゃって」

「紗輝は人見知りが激しいのかな」

「ロボットが話すのがお気に召さないらしい」

「そうなの?役に立つのになあ」


 そして、八朔は地下1階の指示室へ、不破は地下2階のバグの寝床へと別れて入り、点検に入った。

 不破がバグたちに一列に並ぶよう指示すると、バグたちは素直に並ぼうとしている。

 そこで、不破が先日の北斗と杏の会話を思い出した。

 掃除ロボットの改良である。

 四角い部屋を丸くしか掃かない掃除ロボットたち。

 いつも北斗が掃除していることを伝えると、八朔は不破に頭を下げた。

 北斗もIT担当者に言えばいいのにと口にしそうになった八朔だったが、北斗の性格を知っているため言葉にはしない。

 その代り、バグたちの点検後、掃除ロボットのプログラム変えておくことに同意するのだった。



 最初にバグの点検をする。動かない、あるいは身体の一部分に軋む音がするなどの修理個所は見つからなかった。ただ、バグたちがまたオイルを欲しがるので、各自に1滴のみ、不破が注してあげた。

「フワモカモクダケドイイヒトダネ」

「アリガトウ」

 不破はバグたちに対して久しぶりに笑顔を見せた。

「どういたしまして」

 

 次はビートルの番だ。大きな修理個所は見つからなかったが、カメレオンモードだけは八朔と不破では見極められなかった。


 不破が杏にダイレクトメモを飛ばす。

(チーフ。今地下のバグたちのところにいるんですが、カメレオンモードに入るのに、命令指揮系統の人間がいないとダメですよね。チーフにお願いできますか)

(了解した。今すぐそちらに向かう。地下2階だな)


 5分もしないうちに、杏は地下2階に着いた。ダイレクトメモを使ったままだ。

(今後、北斗を助けるためにお前たちの力を借りることがあるだろう。準備をしておいてくれ。バグ!ビートル!カメレオンモードに切り替えろ!)

 一瞬で、バグやビートルの姿が見えなくなった。

(よし、そのまま天井に移動)

 天井からミシミシと音がする。

(今度は、壁に足をつけろ)

 杏の声に従い、バグとビートルたちは動いていく。

(最後だ、ビートル、角から糸を出してくれ。バグは羽根を使ってこのボールを撃ち落とせ)

 言われたとおりに、ビートルは角から太めに糸を出し、バグは羽根を鳴らしながら、杏が投げたボールを落していく。


 杏は満足げに語った。

(これなら大丈夫だろう。皆、ご苦労だった。北斗の任務に関わる補助で、お前たちが必要になるかもしれない。その時はよろしく頼むぞ)

 バグやビートルたちは皆、元気に叫んだ。

「ハーイ!マカセテー!」



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇



 その頃北斗は、FL教団の門を潜り、教団幹部と会っていた。

 比較的広い部屋に通された。応接室だろうか。FL教団設立者のカリスマ麻田導師と、教団幹部の写真が至る所に貼られている。

 そこに、1人の幹部と思しき人物と、SPだろうか、がっしりした体格の男が2名、現れた。写真に写っているのを見れば、目の前の人物は幹部だろう。その男性が、にこやかに笑いながら北斗の前に座った。

「こちらには、どういった理由から」

 北斗は嘘八百を並べ立てる。

「半年前に失業して、今は無職です。その後思うように就職も出来ず、人間が信用できなくなってきたのです。導師様の訓えを巷の噂でお聞きして、教団に入信させていただきたいと思いまして」

「以前はどのようなお仕事を」

「夜勤の警備員です」

「お仕事もお辛かったことでしょう。導師様は、総ての入信者に幸せをとお考えです」

「入信させていただけますか」

「普段は入信料をいただいておりますが、お金が総てではありません。あなたのような方を救うことこそが、我々の本分です」

「ありがとうございます。わたしはいつからこちらにお世話になれますか」

「準備が整えば、いつでもよろしいですよ」

「感謝します」

「ところで」

「何でしょう」

「電脳化や義体化をされていますか」

「いいえ、そういった職とは縁がありませんので、全身生身です」

「そうですか。では、明日、教団本部までお越し願います」


 北斗は、相手の幹部職員が片方の口角だけを4~5mm上げたのを、見逃しはしなかった。



 翌日からFL教団内部に入ることを許された北斗。

 ザックに着替えを入れて、衛星通信のための小型電話をメガネケースに忍ばせ、ポロシャツに短パンという軽装で、アパルトモンを出た。

 E4のビルがある中心部から車で10分のところに北斗のアパルトモンはある。狭い間取り的に、独身者が多い。

 職種は様々で、お隣の年配男性は、それこそ警備会社で夜勤の業務に就いていた。彼との世間話から得た情報を基に、北斗は警備会社勤務の実情を潜入先で喋ることもある。その男性には、北斗自身、ウェブ監視の仕事に就いているという嘘を吐いている。嘘の上書きは、時に混乱を招くので北斗は好きでなかったが、警察関係者とは知られたくない。ましてや、E4だ。警察内部ですら知られていない組織なのだ。


 道すがら、北斗はFL教団のことを考えながら歩いていた。

 今回は、剛田室長に言われた通り、半年前に警備会社をクビになったというシナリオで、教団内部に潜入する。失敗すれば、自分もFL教の餌食となり得る。

 洗脳、マインドコントロール。たぶん、そういった流れで信者を集めているのだろう。誰もが電脳化、あるいはマイクロヒューマノイドになりたくて入信するわけではあるまい。

 その中で、使えに足る人物だけが幹部として重用され、一般市民からむしり取った金財で私腹を肥やしているに違いない。

 それよりも心配なのは、FL教団が更なる狂暴化を遂げ、内閣府を脅し、内閣が取引に応じない場合だ。一般的な例ではあるが、教団の首謀者たちは漏れなくテロを起こす。

 テロとなれば必ずや一般市民を標的にし、死の盾にするだろう。

 21世紀初頭、諸外国ではテロが頻発した。ある宗教が暴走した結果である。それが高じてある国は核のボタンを押し、負の連鎖が始まったと聞く。

 日本でも、20世紀末に彗星のように現れたカルト教団が、何度となくテロ行為に走った。その首謀者は全員拿捕され、死刑台の露と消えた。その現実があるからこそ、今、E4はテロ制圧組織として成立しているのかもしれない。


 北斗は、電車を2度乗り換え、1時間かけてFL教の本部に辿り着いた。

 玄関を開けようとしたが、固く閉ざされていた。

 インターホンなるものを見つけようとしたが、この周囲には無い。その代り、何台もの監視カメラが訪問者を食い入るように見つめていた。


「困ったな、時間の約束、しとくんだった」


 途方に暮れる北斗。

 そこへ、1人の若い女性が通りかかった。

「すみません、今日からお世話になる北斗と申します。こちらに来るよう仰せつかったのですが」

「お一人入信されると聞いておりました。さ、こちらへどうぞ」

 女性が案内したのは、正面玄関ではなく裏口だった。ここにも、監視カメラが2台。相当の気の入れようだ。

「正面玄関をお使いになるのは導師様だけ、ですか」

「はい、導師様と幹部の方々がお使いになられます。私どもは、こちらのドアから出入りしているのです」

「修練があると聞いたのですが、こちらで?」

「いいえ、修練は各地の道場にて行っております。たぶん、昨日お越しになられた場所が道場だと思います」

「すると、僕はどうしてこちらに呼ばれたのですか」

「導師様は、入信する方々のお顔を全員記憶されます。毎日想起されながら私どもにお力を与えてくださるのです」

 女性は、応接室に北斗を通すと、短く礼をして立ち去った。


 思ってもみなかったことだった。

 一度に何千人の顔を覚えるというのか。いや、そうではないだろう。監視カメラがあれば記憶の役割は果たす。入信者をぐっと引き寄せる作戦に違いない。

 ならば、どうして。

 北斗が瞬間的に感じ取ったのは、麻田導師が気に入った連中をこの本部に置き、幹部養成候補として別に洗脳するためという新たなシナリオだった。

 何故なら、勢いがあるこの教団に、今日、自分だけが入信するとは考えにくい。1日に数十人の入信希望者がいるだろう。それなのに、今、此処にいるのは自分一人。

 有り得ない。

 そうか、昨日、入信するには金が必要だと言った。

 なのに、自分からは取らないと言われた。

 あの時はさして気にも留めなかったが、幹部候補からは金を取らず、何か別の仕事をさせるのかもしれない。

 修練しないとなれば、それはそれ。

 都合の悪い話ではない。

 入信者からの情報が入ってこないのは不覚だったが、何れ、この教団で何が起きているのか、これから何が起きるのか捜査するのが自分の役割だ。

 

 北斗は、2回、大きく深呼吸して、部屋の中を見回した。

 こちらにも、麻田導師の写真が何枚も貼ってある。これでもか、というくらい。変装していても見抜けるかもしれないと、少し北斗の口元が緩んだ時だった。

「お待たせした、同志よ」


 麻田導師が姿を現した。サングラスをかけ、ぼさぼさの天然パーマ頭を、後ろに纏めてゴムで束ねている。その隣には、幹部らしき男性が2名、傍らに侍っていた。

 北斗は先程の口元を、きゅっと結び直し、爽やかな青年を装う。


「うむ。聞いた通りだ。君は目の輝きが違う」


 麻田導師が北斗を見て、にこやかに笑った。北斗の第一印象は、悪くなかったようだ。

 よし、これで中枢部分に入り込める要素が増えた。

 ただし、こういう場合、往々にして喋り過ぎは好ましくない。北斗はにっこりと微笑んで、あちらの出方を待った。

 導師が傍らの幹部らしき男性に何やら耳打ちした。

 もう一人の幹部らしき男性が、北斗の目を食い入るように見つめる。監視カメラじゃあるまいし。それとも、記憶術の勉強でもしているのか。

「君、運転免許は?」

「はい、持っています」

 北斗はまたもや驚いた。

 入信し修練するはずが、運転免許。何を運ぶというのだろう。


「君には、明日から導師様を全国にお送りするお役目をお願いしたいとのことです。今日はもうお出掛けにならないので、ご自分の部屋でお休みください」

「僕がですか?」

「そうです。導師様をお送りするということは、大変重要なお役目になります。朝は5時に起床し、お役目に備えるように」

「承知しました」


 導師様は、片脚を少しだけ引き摺りながら、ドアの向こうに消えた。導師様の傍らに侍っていた2名の内、1名が北斗を連れて部屋を出る。先程食い入るように見ていた男性だ。

 ここは、何も話してはいけない。

 北斗の勘がそう言っている。

 案の定、嫌味めいた言葉が男性の口から洩れてくる。

「お役目をただの運転手と思わぬよう。君はとても運がいいのだから。本当であれば道場にて苦しい修練を熟さなければここには来られないというのに」

 苦々しげに言葉を吐く。

 北斗は返事のしようがない。

「はい」

「兎に角、何か問題があれば道場に戻すことなど容易いのだから、注意しなさい」

「はい」


(のっけからパワハラかよ)


 北斗は心で声を上げる。それでも、うわべの顔は爽やかに。

 男性は、教団本部内の裏口脇の部屋に北斗を通すと、小走りで立ち去った。北斗は、4畳ほどの部屋の中を見回す。

 テレビが1台、小さな箪笥が一棹。テレビの隅に、監視カメラ1台、このぶんだと、盗聴器もついている予感がする。天井にも監視カメラが1台備え付けられている。


(ここで電話は無理か。いやいや、持ち物検査されなかっただけ幸運だと思え)


 着替えなどを箪笥に仕舞うと、押し入れから布団を出し、北斗は電話を入れてあるメガネケースを取って毛布にくるまった。音声電話は難しいが、活字オンラインなら。潜入捜査時、初日に連絡しないと、チーフが五月蝿い。



「チーフへ


 FL教団本部にて麻田導師の運転手を拝命。監視カメラだらけの建物ゆえ、定期連絡は1週間に一度の割合で。新展開があった場合のみ、都度、音声或いは活字オンラインを送ります。


                                北斗」


 北斗の身を案じていたE4メンバー。

「室長」

「どうした、五十嵐」

「ダイレクトメモで話すわ、準備して」

 皆が時計の右端に手を添えた。紗輝だけは、お腹一杯という顔をして、時計に手を掛けない。杏は怒鳴りたかったが、怒鳴って手を掛けるようならまだいい。紗輝は絶対に言うことを聞かないだろうと予想していた。

 剛田室長の声が響く。

(北斗から連絡が来たか)

(ええ、活字オンラインが届いたわ)

(無事に潜入できたか)

(無事みたい。FL教団本部で運転手するらしいけど)


 相変わらず、設楽は脳ミソが軽い。

(ダイレクトメモ、初めて使ったけどいいっすね。北斗、幹部じゃなくて運転手?笑える)

 ふざけている設楽を前に、剛田室長の雷が今にも落ちそうになっている。

(設楽。今度はお前がFL教団に行くか?)

(ご勘弁を。修練とか鍛練とか、苦手なんです、俺)

(北斗の任務を敬いこそすれ、軽々しく口にするな。お前が馬鹿に出来る任務ではない)

(すみません)


 心の中では、北斗に敬意を表しているであろう設楽は、素直に謝った。

 問題は、設楽ではなく紗輝かもしれない。

 オーバーホールしたばかりの機器調整を兼ねた会話だったが、紗輝にいくら言っても暖簾に腕押し糠に釘。

 もう、流石の杏も見切りをつけるしかなかった。

(室長、紗輝のことだけど)

(ああ、私からも話したんだが、無理だな。機器の確認も出来やしない)

(辞令渡せば?)

(どこにやる)

(どっかに吹っ飛ばして構わないんじゃないの。本人、一般人になりたがってるし)

(困ったやつだ。ERTでの行動は別に問題なかったらしいんだが)

(ERT側が、早く出したくて嘘ついたのかも)

(こら、そこまで言うな)


 この会話を聞いて、設楽と八朔が身を縮めている。辞令が出る、という事実が有り得るのだとすれば、自分達もその中に入ってしまいかねないと危惧してのことであろう。

 西藤が剛田室長と杏の会話に交じってきた。

(俺が後で話してみます。問題なく繋がれば、それこそ問題なく終わりますよね)

(西藤。そうしてくれると助かる)

(なんで西藤の言うことは聞くのに、あたしじゃダメなのかしら)


 剛田室長が、大きく一度、咳払いをした。

(さ、皆、これからのスキームをレクチャーするぞ)

 杏も真面目な表情に戻る。西藤が紗輝に声を掛け、レクチャーに入る様促した。紗輝は嫌そうにしていたが、北斗の命の危険を西藤が簡単に説明したため、仕方なく時計のボタンを押す。

 剛田室長は、不満げではあったが言葉にすることはなく、そのままレクチャーが始まった。

(北斗からの連絡待ちではあるが)

 杏がフォローする。

(あたしたちの突入シミュレーションだから、よく聞いて)

 剛田室長は杏の左肩をポン、と叩いて話を続ける。


 考えられる突入ケースは2,3通り。

 1つには、北斗からの定期連絡が途絶えた場合。かなりの危険が北斗に迫っていると考えられる。

 2つには、教団がテロ行為を断行した場合。北斗が警察府に捕まってはならないため、至急教団本部に乗り込む。

 3つには、その他北斗に命の危険が迫っていると判断されるとき。ただこれは、新展開があったときに連絡があるはずなので、総合的に判断しなければならない。

 これら突入に備えるため、教団本部周辺に工事業者風のバスを用意し、周囲で何かしらの工事が行われているような偽装を行う。バスには通常1名が乗り込み、アンドロイドを装備し教団本部の出入りを記録する。

 バグとビートルについても、突入時に備えて手入れを怠らぬように。


 本来はカメレオン化し北斗をフォロー、事件化する前に事態を鎮静させ、ハッキングによる公務関係者の死の理由を明かせれば北斗を引き揚げさせるのだが、運転手として雇ったということは、逃げられない様、何らかの画策しているのかもしれない。

 FL教団の真意が図りかねる今、やみくもに動くのは止め、北斗からの連絡を待つ。


 設楽が口を挟んできた。

(室長、公務関係者の死ですが)

(何か判明したのか)

(体重が死ぬ前よりも若干少ない状態で見つかっていると聞きました)

 杏が設楽の肩を突く。

(胃の内容物がゼロなんじゃないの)

(いえ、それがね、胃には固形物などの内容物が見つかっているというんですよ)

(とすると、外傷は?)

(特にないそうです)

 八朔も設楽に負けじと横から口槍を入れる。

(行方不明から戻った人間も同じですね)

(戻った人間もいるのか)

(はい、ただ、ですね)

(どうした)

(性格が真逆になったり、半身麻痺という異変が見つかっています)

 杏が八朔の方を向いた。

(まるで脳梗塞にでもなったような姿だな)

(チーフ、そうなんですよ。こちらもほんの少し、体重が減っているらしい)


 皆がしん、と静まりかえった時だった。

 紗輝が剛田室長にその眼を向け、初めて口を開いた。

(脳を切り取ってる)

(なんだと?)

(今の電脳化は、脳にシグナルを送って脳全体を見える状態にしているだけで、アンドロイド化しているわけじゃない。とすれば、やつら自分たちで電脳化の研究をしているのかも)

(なるほど)

(電脳化した人間が蜂起を起こせば、立派なテロになりますよ。信者を秘密裏に電脳化、マイクロヒューマノイド化すればいいわけだから、兵隊としては、いくらでも代わりが利く)

(電脳研究やマイクロヒューマノイドの実験をして、何を起こそうというのか)

(これはあくまで仮説ですが・・・電脳汚染)

(電脳汚染?)

(一般人を電脳化する際に、洗脳するわけじゃないですか。そこからウイルスみたいなものをばら撒いて我々公務関係者の脳を汚染するんですよ)


 設楽が鼻で笑う。

(そんなの、出来っこない)


 紗輝は、その一言が気に入らなかったらしく、横を向いて口を閉ざしてしまった。

 剛田室長の雷が設楽に落ちる。

(設楽。通常の思考に捉われるな。時に宗教団体は、我々の思考を遥かに飛び越して、とんでもない方向に走る)


 杏が紗輝の考えに同調するように、紗輝と設楽を見つめる。

(十分に考えられるシナリオね、だから電脳化を説いて回っている)

 今迄大人しかった不破も、紗輝に首肯し、杏を見る。

(教団だけのシナリオなんでしょうか)

(というと?)

(例えば、安室前長官や壬生現長官が背後にいるとしたらどうでしょう。法律を変えずに一般人を電脳化できる)

(電脳汚染は?説明がつく?)

(そちらまでは。ただ、自分たちに都合の悪い人間だけを排除して、大人しくさせることだってできるかもしれない。反対に、自分たちに都合の良い人間を増やすこともできる)

(朝鮮半島移民政策は完璧に国民の支持を得ることができる、というわけね)


 剛田室長が徐に立ち上がった。

(皆、いつでも教団にいけるよう、準備を進めておけ。バグとビートルも忘れるな)


 それにつられて、皆立ち上がって敬礼する。

(了解)



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇



 当の北斗は、麻田導師の運転手として、忙しい毎日を送っていた。

 街頭での演説が主だったが、時には2時間も離れた山の奥にいくこともあった。

導師が行く先々で、一般人の人だかりができ、しーんと静まった中、一般人の電脳化及びマイクロヒューマノイド化の演説をぶちあげる麻田導師。

 1時間ほどの演説が終わると、鼓膜が破れんばかりの拍手喝采が巻き起こる。人々と握手をしながら、微笑みかける導師。

 決して顔が良いわけでもなく、演説に適した声でもなく、上手い演説ではない。それでも、なぜか聴衆は麻田導師の演説に酔いしれ、我を忘れたように手を振り握手を求め、熱狂的な姿を見せる。

 何処に行っても同じ光景が見られた。

 北斗自身は、幹部職員と一緒に後ろに立って演説を聞いているのだが、声は聞き取りづらいし話し方もお世辞にも上手とは言えない麻田導師を見て、一つだけ感心したことがあった。

 決して上から目線ではなく、聴衆とともに歩むという姿勢の表れか、身振り手振りを交えたその姿は、そこを通りかかったとしても立ち止まってしまうようなカリスマ性が見受けられる。

 そこで感じるものは、得も言われぬ幸福感。

 一つの演説会場で2時間ほど聴衆と握手し終えると、車は何キロか先に向かう。こうして日本国内を回りながら、電脳化及びマイクロヒューマノイド化を説いて歩く。飛行機は使わない主義らしい。スケジュール管理がしっかりしていると見えて、日に3箇所くらい演説に費やし、あとは各地に設けられた道場に向かう。道場では信者に訓えを説き、修練を見守っていた。


 演説は週に5日のペースで行われ、主として土日に演説する。あとは、本部に戻り疲れを癒す日が1日。

 あとの1日は、2時間以上も離れた青森市の山の奥に行く。

 そこには研究施設と思われるコンクリートの建物が辺り一面に広がっていた。幹部連中に聞いたところ、これも、自分たちで建てたのだという。建築士や設計士なども信者の中に居て、幹部に重用されているのかもしれない。


 研究施設に行くときは、何棟もある施設内を比較的自由に中を歩き回れるのだが、1か所、厳重に鍵がかかって入れない場所があった。ここで衛星通信を使えばE4に場所を特定してもらえるのだが、周囲の目と監視カメラがそれを許さなかった。

 ここには、幹部の中でも一定の者しか入れない何かがある。

 教団のコアは此処にある。

 北斗の勘が働く。

 だが、北斗は此処に入れる術を持たない。


 北斗の休みは、麻田導師の休養日である。信者が殆ど道場から出してもらえないのに比べ、北斗は外出を許されることも多かった。ただし、尾行付きで。

 尾行を巻けば信頼を失う。北斗は知らぬふりをして、買い物に出掛けることが多かった。そして、必ずトイレに入ると、音声ではなく活字オンラインを使って定期連絡を行っていた。


「こちら北斗。青森市近郊の山中に、謎の研究施設あり。詳細判明次第、追って連絡する」



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇



 北斗が教団に潜入してから、1か月が経った。

 普段なら半年スパンで潜入捜査を行う北斗だが、この教団に関しては、少し焦っていた。なぜこうも焦るのか自分でもわからなかったが、コアの存在を知ったからだと自分を冷静に見つめ直す。


 毎週、麻田導師が研究施設に行くたびに、北斗は散歩と称しながら例の研究施設が見える場所を必ず散歩コースにいれていた。

 今度は何か収穫があるのではないか、今度こそは、そんな思いが胸の底から湧きあがるが、そうは問屋が卸さない。

 研究室は固く鍵で閉ざされ、北斗の知らぬ何かが推し進められていた。


 そうして、またひと月が過ぎていった。

 

 そんなある日のことだ。麻田導師を研究施設に送り届けた北斗は、また散歩していた。例の研究施設が見える場所から人の顔が見える程度に離れて。

 すると、知った顔の先輩警官が研究員に連れられ例の研究施設に入っていくのが見えた。確か、応援部隊にいた人だ。

 警察府にいるとき、大きな金融テロがあった。テロ業者の尻尾を掴むため、裏取に時間が掛かり各警察に応援を求めたことがあり、その時北斗は若くして下働きを務めた。だから、北斗のことは覚えていないだろう。


 北斗の心臓は、ばくばくと音を立てる。心なしか、血圧まで上がっていそうな気がした。


 北斗は周囲を見回した。誰かいないか、誰か。

 その時、運よくメガネをかけた人のよさそうな研究員が、別の施設から出てきた。確か、VRの研究施設だった。


「すみません、ちょっといいですか」

「何か?」

 北斗は例の研究施設を指差す。

「あそこに知った顔の警官が入っていったんですが、何の施設なんですか?」

「どうして?」

「いやあ、半年前に職質されましてね、それが原因で職失ったもんで。今思い出しても腹が立ちますよ」

「なら仇が取れるさ」

「というと?」

「あそこは脳を切り取るところだから。あそこに入ったが最後、人間ではなくなる」

「人間で無くなる?」

「そう、良くて半身不随、悪けりゃ死体」

「半身不随ったって、切られた記憶があったら俺達みんな捕まっちまう」

「大丈夫だよ、海馬は必ず切り取るんだ。そして電脳化する」

「海馬?」

「短期の記憶中枢だよ、今日のことは忘れる」

「へへっ、そういうわけですかい。何にしても、あの時の仇がとれたってわけだ」


 薄ら笑いを浮かべ警備員上がりの芝居を打った北斗は、研究員に挨拶すると、早々にその場を離れた。

 北斗の両耳に、キーンとした音を感じたかと思うと、寒気が走る。全身にブツブツと鳥肌がたっていた。


 北斗は医療に精通しているわけではないが、職業柄、一般的な勉強はしている。

 短期の記憶中枢は海馬、すなわち側頭葉の古皮質にあるとされる。それに対し、長期の記憶は大脳新皮質で、連合野という部分にあると言われている。

 いや、記憶の話ではない。

 脳を切り取る、その言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。気を取り直そうと努めるも、なかなか切り替えが上手くいかない。

 帰路の運転に支障が出ては不味い。早く冷静にならなければ。


 今、人類は、どんなことがあっても脳への介入を禁じている。

 マウス、ラット、ラビットで脳を弄る研究があったと聞くが、終ぞ人間には応用されなかった。

 それこそ、人類への冒涜だからである。

 禁忌を平気で破り、脳にメスを入れるという暴挙に出た教団。

 脳を切り取り、電脳化する。

 一体、どういうことなんだ。


 冷静になりながら、北斗は目の前の現実を整理していた。

 切り取った脳を、どのように使っているというのだろう。

 あの研究員は、電脳化と言った。

 脳死してしまえば、電脳化もへったくれもない。いや、脳死しても心臓は動く。違う、心臓が問題なのではない、切り取った脳は直ぐにその働きを止めるだろう。

 そもそも、今現在の電脳化の技術は、電気信号を脳に送り脳を活性化させるとともに、脳の並列化を進めているのだと聞く。

 脳を取り出してしまうなど、現在の方向性とは相反するような気がするが、もし、電気信号や他の何かを脳に繋げてマイクロヒューマノイド化してしまえば、少なくとも組織の壊死などは起こらない。


 そうか、試用体。バグやビートルのように、マイクロヒューマノイド化した試用体を作製しているに違いない。

 でも、なぜ?

 ここで疑問符が北斗の脳裏を過る。

 電脳化した警官たちが半身不随になるだけなら、元々電脳化しているから電脳化した人間を作製する必要もない。

 そうか。一般人への応用。

 脳のコピー。または、積み替え。積み替えて脳を空にしてしまえば、死体になって日本海や津軽海峡に浮かぶだけだ。


 北斗は、この事実と推理を一刻も早くE4に伝えたかったが、運悪く、次の休養日は1週間後だった。

 

 1週間、熟考に熟考を重ねた北斗だったが、やはり答えは出なかった。答えを出す必要もない。今の現実を送信しさえすれば、E4で調べてくれるだろう。自分は、自分のすべきことを冷静な判断力で熟していくだけだ。

 北斗はそう考えると、やっと体が軽くなった気がした。


「こちら北斗。例の施設は脳を切り取る電脳化施設と判明」


 外出のたび、トイレで活字オンラインとはいえ、尾行されている身では長々と文字を打つことも叶わない。ましてや、返事をもらうことはできない。返事が来るとき、どんなに頑張ってもバイブレーションの響きが辺りに伝わるからだ。尾行者に気付かれてしまう。

 活字オンラインを送り終えると、北斗はトイレを出て本屋に寄った。電脳化していない一般人は、本そのものか活字オンラインを使って本を読む。

 北斗は、過去に行ったとされる脳研究の本を、活字オンラインで購入したかったが、教団内では監視カメラも目を光らせていて、足がつく恐れがある。衛星通信を使っていると知られてはいけない。今回は諦めて、週刊誌とマンガを買って帰るのだった。



 また、麻田導師が山の中に行く日が来た。

 幹部たちの浅知恵なのかもしれないが、信者には、研究施設に行く日を「山中に篭る日」と嘘を吐いている。

 その日は、麻田導師の機嫌がすこぶる良かった。

 何かいいことがあった、或いはこれからあるのだろう。あの研究施設なのかもしれない。北斗はアクセル全開で山の中へと向かっていた。


 研究施設に着くなり、麻田導師は例の研究施設へと足を運んだ。幹部たちも然り。大勢の人間が、ドアの中に消えていく。

 

 北斗はその辺をぶらぶらしながら、また他施設の研究員を探そうときょろきょろしていた。

 そこに、1台の車が止まり、中からホームレスと思われる年配の男性が降りた。服装や顔の色からして、ホームレスに違いない。

 驚いたことに、その男性も例の研究施設に入っていく。

 男性は、一般人のはず。

 北斗のアンテナが、ビリビリと頭の中で鳴り響く気がした。

 もしかしたら、もしかしたら、一般人への脳の積み替え。今日はその記念日なのかもしれない。


 最初に中に消えた麻田導師や幹部たちは、なかなか出てこなかった。30分、1時間、2時間。北斗は、研究施設が見えるような場所を選んで散歩していた。ぎりぎり、顔が見えるくらいだ。

 すると、急に例の施設のドアが開いた。中から出てきたのは、麻田導師と幹部たちだった。導師たちは、談笑しながら応接間のある部屋へと移動していった。北斗は変わらず、散歩を続けていた。北斗の推理は、半分当たったと思われる。

 

 10分後くらいに、先程のホームレス男性が施設内から外に出てきた。別に、来た時と足取りも変わらず、ハタと見る限り、変化はない。その男性が歩いていく方向に北斗も歩き出した。

 何かしら変化があるのでは、と思っていた北斗は、がっかりした気持ちが先に立っていた。

 だが、ぼさぼさの髪をかきながら、男性が耳の後ろを触った時だ。

 一般人にはない、公職関係者でも少ない新タイプの電脳線が現れた。首の後ろに、電脳線を繋ぐセクションが施されていた。このタイプは、ダイレクトメモ機能を有しているとも聞くが、本当かどうかはわからない。

 少なくとも、E4で皆がオーバーホールしないところを見ると、些末なアップグレードしかないのだろう。


 男性を見るのに精一杯で何も考えていなかった北斗だが、一般人に電脳化を施したという事実は、些末なものなどではなかった。第1級の機密事項だ。2日後に休養日、即ち定期連絡の日がやってくる。そこで報告せねばならないと、はっとした北斗だった。


 定時連絡の日、北斗は何度もトイレに入って、尾行者を困らせた。トイレに篭りながら1回だけ、衛星通信を使った。

「こちら北斗。一般市民に電脳化施術成功の模様」



 北斗の潜入捜査は早いもので、3ケ月目を迎えようとしていた。これまで有益な情報は、2~3回くらいしかない。

 教団側も、流石に秘密の施術と見えて、ボロを出す様な真似はしない。

 北斗も休養日は毎週のように出かけていたが、「元気だ」という定時報告のみだ。


 空虚な毎日が続く中、北斗はちょっとぼんやりとしながら、研究施設の中を歩いていた。例の研究室界隈を歩くのが、最早週課となっている。今日も何も起こらない。そう決めて歩いていた北斗は、見たことのある顔を遠くに発見して驚いた。

 なんとそれは、以前国立研究所で見たことのある職員2名だった。

 北斗は皆のオーバーホールの際、ちょくちょく運転手をかって出ていた。その際に研究所から白衣のまま出てきたので、直ぐにあの時の研究員だとわかった。

 2人は、談笑しながら例の研究施設へと向かっていた。


 思わず北斗は、自分が監視カメラに映りこまないように注意して、研究員2人の顔を衛星通信のカメラで撮った。

 次の休養日は明日。

 活字オンラインに添付して送れば、2人の経歴や所在がわかるだろう。


 北斗には、いつにも増して時間が長く感じられた。

 暇つぶしに、石ころを蹴りながら、他の施設内を見学して歩く。この時北斗は余裕が無かったのか、信者のひとりが下手な尾行をしていることすら、気が付かなかった。


 翌日、朝から出かけた北斗は、また複合施設でぶらぶらと歩いていた。尾行者が2人、いつもより多い。

 気が付かないふりをしながら、またトイレに篭る。今日は1回目に活字オンラインを使って定期報告を済ませた。

「こちら北斗。2人の経歴探ってください」

 研究施設で撮った写真を添付して、急いで送る。もし尾行者に掴まれば、この電話機を水没させる。水没くらいは直ぐにデータ復旧できるのだろうが、その間に生き延びる方法を考えればいい。


 トイレから出た北斗だが、尾行者は北斗がトイレ内で活字オンラインを使っていることに気が付いてない様子だった。逃げられると思って、人数を増やしたらしい。

 尾行者を巻くこともせず、悠々とした態度で、北斗は教団に戻った。


 翌週。また山中への往路。

 麻田導師がぼそぼそと幹部に話しかけていた。

「オリジナルを通して、仕掛けるぞ」

「はい、何をでしょう」

「馬鹿。電脳汚染だ。オリジナルだぞ。コピーじゃないからな」

「承知しました」


 だいぶ低能の部下をお持ちで。

 北斗は幹部の馬鹿さ加減に呆れながらも、こちらにとっては、とっておきの報告材料になると思った。

 オリジナルによる電脳汚染。

 およそ、何を起こそうというのか察しはつく。

 ただし、ここで表情を変えてはならない。あくまで、寡黙な運転手に徹するのみである。


 例の研究施設に入って出てこなかった人間は、数十人に上っていた。もっといたかもしれない。北斗が確認しただけでも、1日で数人、中に入ることもあった。

 これだけの人数をどうやって集めたのか。

 そうだ、ハッキング。

 脳をハッキングして、教団にくるよう仕向けたか。電脳化しているからこそ、ハッキングには弱い。北斗のような生身では、ハッキングのしようがない。これらの人数を考えれば、かなりのマイクロヒューマノイドが出来上がるだろう。所謂試用体なのだろうが、かなりの数になる。たぶん、コピーというやつなのだ。

 最初に成功したのが、オリジナル。どれがコピーでどれがオリジナルなのだろう。

 どうやって見分けるんだ?

 北斗は運転に徹しながらも、オリジナル、電脳汚染という言葉をいつも考えていた。


 次の休養日、北斗は相も変わらず複合施設にいた。今日は、VRでパチンコをしてみる。そして、トイレに立つ。トイレの中まで音楽やパチンコ玉の音が聞こえるため、活字オンラインには便利だった。音声通信までは出来なかったが。


(なんだ、最初からパチンコ屋にしていればよかった)


「こちら北斗。オリジナルを通して電脳汚染をしかけるとのこと」


 E4では意味が分からないかもしれない。それでも、これしか言い様がない。通信が終わると、また北斗はパチンコに戻り、時間を潰した。


 北斗は、目をVRで隠していたので、気難しい顔をしていても大丈夫だった。

 今頃は、かなりの数の試用体、マイクロヒューマノイドが出来上がっているはずだ。それらはコピー。オリジナルからコピーを経由して電脳汚染。電脳が汚染されるとどのように変化するのかすら、生身の北斗は想像できない。

 壊れる?それともオリジナルと同じ動作をする?思考もオリジナルと同様になるかもしれない。脳の並列化を逆手に取った、教団の思惑。


 いよいよ、カルト教団の電脳汚染計画が始まとうとしている。

 そのXデーは、未だ北斗にも分からないままだった。そして、オリジナルがどこにあるのかも見当がつかない状況の中、北斗は運転手として麻田導師に近づきながら情報を得ようと必死だった。



 ある日のこと。北斗はいつもどおり車を綺麗に洗い上げ、麻田導師の演説に備えていた。車には、幹部2人が同乗する。これも、いつものパターンだ。

 ところが、その日は見たことの無い幹部が助手席に同乗した。

 ぼそぼそ声の導師が、助手席の幹部に向かって話しかけた。

「中村、計画は順次進行しているか」

「はい、導師。順調です」

「では、Xデーには間に合うな」

「オリジナルも動かせます」

「くくく。11月1日、午前11時11分11秒。この世は我々の楽園に変わる」

 

 北斗の顔がスッと赤みを帯びた。

 Xデーの情報を掴んだ。オリジナルはまだ判らないが、これを一刻も早くE4に報告しなくては。

 導師に心を見抜かれてはいけない。表情を硬く、いつもどおりに。

 逸る気持ちを抑えて、北斗はハンドルを右に切り、演説会場に向かうのだった。


 次の休養日。

 北斗はいつものように出かける準備をしていた。

 今日は、重大なことを報告しなくてはならない。

 周囲に尾行が付くのは承知の上だったが、パチンコ屋にでも入り浸り、本屋と往復しながら早めに報告を済ませてしまおう。

 複合施設についた北斗は、計画通り最初はパチンコ屋に足を踏み入れた。そこでトイレに入って衛星通信を使うつもりだった。

 ここなら、少々音がしても分からない空間である。

 パチンコを始めて30分。

 今日はついていない。すぐに弾が無くなる。

 座る台を変えながら、ある時点で、ふっと北斗はトイレの方向に足を向けた。

 トイレに入って、ツールをポケットから出す。壁の方を向いて文字を打ち込みだした時だった。

「こちら北斗。Xデーは・・・」

 瞬間、頭が割れるように痛んだ。そしてそのまま、北斗は床に倒れ込んだ。Xデーの通信報告は、行われることが無かった。


 北斗を後ろから殴ったのは、教団幹部の木村だった。初日からパワハラした人物だ。そうやら、北斗の存在が疎ましく尾行をつけて何とか追い落とそうと必死だったようだが、思いのほか、北斗を追い出す良い材料が出来たと喜んでいる顔だった。


 ただ、木村はあまり頭脳プレイの得意な人間ではないようで、北斗の衛星通信送信機は、木村によってトイレに沈められた。今回は、それが功を奏した格好になった。



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇



 徐々に、コピーの試用体が世の中に蔓延しつつあるのを杏は感じていた。

 北斗が車中にて聞いた「オリジナル」とは、一番初めに作られた試用体か。


 E4内部では、北斗からの報告を聞くたび、紗輝の予言が当たっていることに驚きを覚えつつも、証拠がなく教団の研究施設を捜索出来ない今、教団の動向を注視していた。

 北斗の報告によれば、ハッキングされ教団を訪れた公務関係者は、漏れなく電脳化研究の為に脳を切り取られているという。

 その脳は、試用体に移され、マイクロヒューマノイドになる。一方で、脳の提供者である公務関係者の死を意味する。

 もう、かなりの数のマイクロヒューマノイドが出来上がっているはずだ。

 

 北斗からの報告を待ち続けるだけのE4。教団周辺には西藤が待機しているが、万全の補佐状態とは、決して言えない。


 北斗からの定時報告の日。

 それは、突然起こった。

「室長!北斗の送信機、通信不能のエラーが出ました!」

 設楽の甲高い声が、奥のIT室からE4室内に響く。剛田室長も驚いたのか、今迄になく声が大きくなる。

「何だと?場所はどこだ」

「これは・・・新潟市の複合施設です」

 剛田室長の指示が飛んだ。

「そこに北斗を捨ててはいかないだろう。目立つからな。監禁も視野に入れて、新潟市の教団本部と複合施設を洗え!」


 E4では、北斗の電話が水没などによって通信不能となった場合、直ぐに分かるようなシステム設計になっている。それだけ、潜入捜査の危険性、重要性に重きを置いているのだ。

 今回は、Xデーとオリジナルを発見する前に、北斗の身が危うくなった可能性が大きい。E4ではまず、北斗を救出する作戦を決行した。


 杏が立ち上がり、時計のボタンを押しながら話す。

(バグとビートル、聞こえる?)

(キコエテルー)

(あんた達も一緒に行くわよ)

(ハーイ)


 杏は西藤に向けてオンラインメモで指示を飛ばした。

(西藤!お前はそのまま待機、教団本部の車の出入りを確認!)

 そして不破に声を掛ける。

「不破、行くぞ!」

「了解」


 伊達市のE4が入る建物から、バグとビートル、そして不破と杏が乗った2000GTが飛び出す。

 杏は、ダイレクトメモを切らずに不破と会話していた。

(フルスピードで何分かかる?)

(1時間弱)

(そうか、バグ!ビートル!フルスピードで行くぞ!)

(ハイハーイ)

(まったく、お前たち危機感というものが無いのか)

(アルヨー、ホクトノキキダシ)

(万が一、北斗が青森市の山中に運ばれたら不味いな)

(脳を切られる)

(西藤!そこから出る車のナンバーを基に、何処に行くか設楽たちに調べさせる。設楽!聞いているか!)

(こちら設楽。チーフ、聞こえてますよ)

(今言った通りだ、教団に出入りする車がどこに行くか調べろ)

(教団から出て、北上する車があったら知らせますか)

(高速に乗って北上する車があったら知らせろ。高速に乗らない場合は要らない)

(了解)

 杏が運転席の不破を見上げる。

(多分、トイレの中で殴られて倒れたはずだ。教団内部に一旦は戻るだろうが、そこで始末はしないだろう。教団本部に寄らないで、というのは考えにくい)

(どうしてです)

(お気に入りの運転手が突然いなくなったら、麻田はキレるだろうさ)

(その前に、北斗の正体を初めから知っていて運転手に雇ったのかもしれませんよ)

(向こうが一枚上手だったと?)

(そうなれば、新潟にいる必要はありません)

 不破は、北斗の運ばれるところが、教団本部説であることに些か懐疑的である。

(いや、脳を取り出す前に、北斗の正体を暴こうとするはずだ)

(その根拠は)

(どこの手先か、普通なら気になるだろう?)

(うーん。やはり、バグたちを全部新潟市にもっていくのは、ややリスキーかと)

(本部に寄らないで、そのまま研究施設に行くことも有り得るか)


 不破がハンドルをポン、と叩くと、益々車のスピードは上がっていく。

(例の研究施設ですが、もう場所は判明しましたよね)

(北斗がカメラを使用した1回だけだが、微弱電波が確認できたからな)

(ビートルと我々が別に追いかけては?)


 杏から、倖田と紗輝に向けて命令が飛ぶ。

(倖田!紗輝!お前たちは、青森の山中に行け!向こうでバグとビートルに合流しろ!)

(了解)

 杏は、緊張感の感じられないバグとビートルにも命令する。

(バグ!ビートル!2台は青森市の山中にある研究施設に向かえ!施設で倖田と紗輝に合流しろ!残り3台は、そのままついてこい!)

(ワカッター)

(バグ!研究施設に着いたら、門のところに張り付け!北斗の乗った車を中に入れさせるな!)

 ビートルは、自分の名が呼ばれないのが不満とばかりに杏に話しかける。

(ボクラハ?)

(ビートルは研究施設実験棟前に張り付け!万が一に備える!)

(ハーイ)

(皆、カメレオンモードにするのを忘れるな!)


 不破の運転する車は、猛スピードで教団本部のある新潟市を目指していた。一刻の猶予もならない。

 北斗が新潟に留まるのか、または青森に連れ去られるのか、それだけでもわかれば北斗奪還は容易い。もし、場所がわからなければ、どちらにせよ時間との闘いになる。

 事態は切迫していた。

 北斗の命が、最大級の危険に晒されている。

 普段、焦るということのない杏も、この時ばかりは焦らずにいられない。北斗の所在を示す唯一の通信機器にアクセスできない今の状況は、かなり逼迫した事態といっても良い。

 杏は、知らず知らず、右手で拳を作り、力を入れて握りしめていた。

(チーフ、焦りは禁物です)

 不破の言葉で、杏は我に返った。不破は杏の右手の上に、自分の左手をそっと置いた。

(すまない、つい)

(西藤の方は、どうなっているか確認しましょう)

(そうだな。西藤、そちらの状況はどうだ)


 新潟市にいる西藤から冷静な声が届く。

(先程1台の車が教団に入りました。裏口に寄せたところを見ると、麻田導師や幹部の乗った車ではないようです)

(北斗の可能性もあるな)

(はい。あとどのくらいでこちらに着きますか)

(不破、あと何分くらいかかる)

(あと20分もあれば)

(急げ。西藤、カメレオンモードにして、建物内を探ってくれ)

(了解)


 西藤一人では心許無かったが、今は西藤に託すしかない。あと20分、何としてでも持ちこたえてくれ、と杏は願った。


 杏たちが新潟市に入った。教団本部まで、あと10分。

 教団内に入ったのが北斗を乗せた車だとすれば、麻田導師、或いは幹部連中によって北斗に対する制裁を決めている頃だ。

 杏は、逸る気持ちを抑えて西藤に語りかける。

(西藤、北斗はいたか)

(いえ、見つかりません。まだ確認していない部屋があるので、このまま続けます)

(頼むぞ)


 教団本部まで、あと3分、2分、1分。

 着いた!

(カメレオンモードで行くぞ、不破!)

 杏はカメレオンモードになり、そのまま敷地内に入っていく。その後ろを援護する形で、不破とバグ、ビートルが敷地内を動き回っていた。

(西藤、どこだ!)

(建物西側の裏口脇の部屋にいます。北斗はここにもいません。残るは、麻田導師の書斎部屋だけです)

(わかった。我々もこれから突入する!)



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇



 殴打による失神から目覚めた時、北斗は車で移動している最中だった。どうやら、複合施設で捕まった時に、麻か何かの袋に入れられたようで、周囲の景色が見えることは無かった。北斗は車がどこを走っているか、見当もつかなかった。

 車内に何人乗っているかもわからないが、自分を襲った奴らは、少なくとも2人以上いたはずだ。

 北斗は、比較的冷静だった。

 周囲が見えない状況でありながら、道が段々でこぼこになっていることに気が付いた。教団本部の周辺では、道がでこぼこになっている箇所がある。 麻田導師は、でこぼこを上手く運転できる人間の車にしか乗らない。さすれば、ここは教団本部近く。

 さては、教団本部で拷問か。

 言わなければ言わないで、言えば言ったで青森市の山中に連れて行き、例の脳を取り出す研究施設に捨ててくる気なのだろう。

 どうにかして、自分の居場所をE4に知らせることができないものか。それは大変難しい問題であることは北斗自身、百も承知だった。

 

 自分を乗せた車が、どうやら教団本部に着いたらしい。

 袋のまま、腰の辺りを持ち上げられ、身体がへの字に折れ曲がった状態で北斗は教団内に連れて行かれた。

 皆、何も話さない。北斗も、まだ気を失ったふりをしていた。

 とある部屋のドアを開けると、北斗を担いでいた人間は、どさりと北斗を部屋の真ん中に投げ出した。余りに痛くて、思わず声を出しそうになったが、北斗は必死に我慢した。

「導師。やはりこいつ、胡散臭いやつです。トイレに篭って通信してましたよ」

「その通信機はどこだ」

「そのままトイレに流してきました」

「馬鹿者!通信ログを精査すれば、こやつが何も言わずとも素性が確認できたものを」

「す、すみません」

「お前はどうしてそう短絡的なのだ」

 麻田導師の声だ。

 もしかしたら、最初から俺が内偵者だと気付いていたのに、運転手を任せたのか?

 考えてみれば、おかしいことばかりだった。

 どこの馬の骨とも知れない俺を、一度見ただけで運転手として採用し、研究施設ではどこを散歩していても咎められることがなかった。入信するときだって、持ち物検査すらしなかった。

 麻田導師の方が一枚上手だったか。

 こうなっては仕方がない。E4のメンバーがここか研究施設を割出して、救出してくれるのを待つしかない。

 もし、それが叶わなければ、なるようにしかならない。


 すると、北斗を入れていた麻の袋が取られ、北斗は漸く室内の様子を窺い知ることができた。ここは、麻田導師の書斎部屋。信者がいないとき、ここの掃除を頼まれたことがある。書斎に、何か大切な書類があるかと思って調べたが、何もなかったのを覚えている。


 その麻田導師は、氷のような瞳を、北斗に向ける。そして冷たい口調で問いただした。

「お前が入信者でないことは、その眼を見れば直ぐにわかった。誰の差し金だ」

 北斗は無言を貫き通す。

 北斗を捉えた脳ミソの足りない幹部の木村が、北斗の頬を思い切り殴った。殴られた衝撃で北斗の頭は床に叩きつけられる。血の匂いがする。どうやら口の中を切ったようだ。

 すると、麻田導師は怒りに肩を震わせた。

「大馬鹿者!暴力は何も生み出さない。私の訓えに背けばどうなるか分かっているな」

「す、すみません。それだけはご勘弁を」


 

 麻田導師は、今度は信者に語りかけるような穏やかな口調で、北斗に話しかけた。

「魂は肉体に宿らず。尊厳ある死こそが高尚な意識の全て。この意味が分かるか」

 北斗は別の幹部に起こされ、後ろ手に腕を縛られていたが、口には何もされていなかった。

「自爆テロも辞さない、というわけですか」

 

 麻田導師がぐふふ、とシニカルな笑いを浮かべる。

「お前さんは賢い。どうだ、このままここにいては」

 生と死の狭間に立つと、人は冷静になるのか、それとも泣き叫び我を忘れ、そのまま地獄に堕ちるのか。

 北斗は地獄に堕ちたとしても、正義を貫きたいタイプだ。

「いえ、遠慮します」

「そうか。お前、あの研究施設についても知っているな。できることなら仲間になって欲しかったが、お前が望まないなら仕方がない。餌食になってもらうとするか」



 一瞬間。



 パン、パンと拳銃が発射される乾いた音、幹部たちの慌てふためく声。そして教団内の護衛ロボットが次々と、ガシャッと音を立てて崩れ落ちる。麻田導師の書斎部屋から教団内部全体に、皆が逃げ惑う姿が錯綜した。

 杏は目の前にいた幹部を蹴り飛ばし、右腕を撃つ。幹部は叫び声を上げてその場にうずくまった。

 幹部の中に、拳銃を所持している者がいた。恐怖のためか、辺り構わず銃口を向け発砲してくる。幹部の顎をパンチで叩き割った杏は、援護をしている不破に伝える。

(こいつにも手錠を)

(了解。また派手にやらかしましたね)

(足りないくらいだ)

 

 カメレオン化した杏、不破、バグは書斎部屋に留まり、西藤とビートルたちが教団本部内に散らばりながら、出くわした人間の手足を撃ち、教団を制圧していく。幹部たちや下働きの信者たちが、次々と後ろ手に手錠を掛けられていた。


 杏は倖田たちに向けて、帰還のメッセージを発する。

(倖田、紗輝!北斗を発見した。E4に戻れ!バグ、ビートルもだ!)

(了解。研究のカモにならなくて何よりです)

(ボクタチモカエルネ)


 北斗は教団幹部たちの制圧の邪魔にならぬよう、部屋の片隅に避難していた。その前にバグが現れ、カメレオン化したまま、北斗の縄を解き保護する。これで北斗の身は安心と思っていい。

  

 10分ほどで教団本部内を制圧すると、杏だけがカメレオン化を解き、床に降り立った。そして北斗の方を見る。

「大丈夫か、北斗」

「はい、怪我はありません」


 麻田導師は、杏を怖れるどころか、カメレオン化の技術が欲しいと言わんばかりに杏をじっと見つめていた。

「何という高い技術。やはり、義体化はこうでなくては」

「麻田。そういう場面ではなかろうが。これが見えないのか」

 杏の拳銃は、ピタリとその照準を麻田導師のこめかみに合わせていた。


 麻田導師は、シニックな笑いを止めず、なおも杏を見つめ続ける。

「君は私を殺せない。私の口から聞きたいことがあるはずだ」

 杏が拳銃を上に向ける代わりに、カメレオン化したままの不破が、銃の照準を麻田導師に合わせた。

 麻田導師がぼそぼそとした声で、杏に向けて呟いた。

「取引しないか」

 拳銃を再び麻田導師に向けながら、杏がじりじりとその顔に近づき、低い声で尋ねる。

「何を材料に?」

「Xデーとオリジナルを明かそう。その代り、私の命を助けてくれ」

「小賢しいやつだな。ま、いい」

 北斗がXデーを叫ぶ。

「11月11日午前11時11分11秒」

 麻田導師がくぐもるような声で笑う。

「それは、君を嵌めるための嘘だ。実際には、10月10日。10時10分10秒」

 杏が拳銃を構えたまま、今一度麻田導師を尋問する。

「今度は本当なのか?オリジナルは、誰だ」

「オリジナルは・・・」


 その一瞬。

 渇きながらも重みのある音が炸裂し、瞬きもしないまま、麻田はバタンッと後ろに倒れ込んだ。

 1発のライフル弾が、麻田の額に命中したのだった。血しぶきが室内に広がる。一旦麻田から離れた不破が屈みながら麻田に近づき、脈を計る。

 もう、麻田は絶命していた。

 杏は窓枠に近づき、弾丸が当たりひび割れた窓の外を睨んだ。200mほど離れた場所に、ビルが立ち並んでいた。

 多分、狙撃はそこから行われたものだろう。1発で獲物を仕留める程の、優秀なスナイパーと見える。

 これから駆け付けても、狙撃犯には逃げられるだけ。それより、狙撃されたことで、杏たちが犯人だと勘違いする幹部連中も出てくるはずだ。


 またも、狙撃。


 忸怩たる思いではあったが、杏はその場を離れることに決めた。

 そして、時計の右端ボタンを押す。

(皆!麻田が狙撃された!直ぐに警察が来る!ここを立ち去るぞ!)

(了解)

(アン、ラジャー!)

 

 西藤がバスに戻り、バグやビートルも門の外に出た。不破は北斗を2000GTの後部座席に乗せ、杏は自ら助手席に乗る。キュキュキュッとタイヤの音を鳴らしたかと思うと、不破が運転する車は、物凄いスピードでその場を立ち去った。地元警察のパトカーの音が、遥か遠くに聞えていた。



 オリジナルの存在を聞き出せなかったE4だが、麻田導師の死と幹部たちの逮捕により、年末Xデーの電脳汚染は阻止できた形となった。

 麻田導師が殺害されたことは、マスコミ操作の末、非公表とされ、各地の道場では幹部連中が訓えを実践し、信者に修練を行わせていた。

 そこから、教団は幹部同士がいがみ合う形になり、2つの組織に分れたという。


 新Xデーに備え、E4ではオリジナルを探し続けたが、当ての無い旅のようなものだ。どこをどう探せばよいのかわからない。

 麻田導師自身がオリジナルではないかという意見も出たが、狙撃されたということは、使い道がないと判断されたも同然。

 オリジナルは必ず生きている。

 そして、一般人の電脳化と洗脳、これがカギとなる。

 今、E4で分るのは、精々その程度だった。

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