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E4 ~魂の叫び~  作者: たま ささみ
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第2章  日本自治国総電脳化計画

翌日、剛田室長は金沢市にある内閣府で非公式に開催された、日本自治国総電脳化計画のカンファレンスに出席していた。

 その結果を受けて、部下に報告及び素案をもって行動を指示することにしていたのである。

 室長到着の時間が近づいたE4は、ミーティングの準備に入る。

 自治国軍が所有するオスプレイで伊達市に戻ると剛田室長から連絡があったからだ。

 同時間帯、日本自治国警察府会議のためWSSSに飛んでいた杏と不破も、ESSSに戻るべく、別のオスプレイに乗り込んでいた。

 杏、不破、共に夕方から身体のオーバーホールが待っている。



 剛田室長はESSSに戻ると、すぐに庁内のミーティング室へと足を向けた。

 杏と不破が戻るまで、剛田室長は椅子に座ったまま一言も話さず珈琲を飲んでいた。そこに、悠々と現れた、杏、不破両名。

「遅かったな」

 剛田室長が2人を下から見上げ、不機嫌そうな声を出す。

「あら、これでもマックスのスピードで来たんだけど」

「ま、いい」

 剛田室長は、1度だけ、深く溜息を吐いた。

 杏は壁に寄りかかったまま、腰に付けたピストルを取り出すと、ぐるぐると回して遊びながら、顔だけ徐に剛田室長の方を向いた。

「で、室長。そのくらい重要な機密って、何?」

 剛田室長が、杏に手招きをする。あまり大きな声で話したくないらしい。ひとり、もうひとりと、皆が剛田室長を取り囲むように席を立つ。

「内密の話だ。くれぐれも、洩らすな」

 メンバーも、少し緊張した面持ちで剛田室長の言葉を待つ。


「話題に上っているのは、日本自治国総電脳化計画だ」


 皆が一瞬、目を丸くした。

「室長、それって」

 一番初めに言葉を発したのは八朔だった。

「一般市民も総電脳化する、ってことですか」

「そうだ」

「今更なんのメリットがあるっていうんです?」

 あからさまに、馬鹿馬鹿しいという表情をする八朔。剛田室長の前でも本心を隠さない。

 それに比べ、北斗はいつもどおりのポーカーフェイスで呟いた。

「総電脳化すれば、少子化問題に拍車が掛かることくらい、小さな子どもでも解りそうなものですが」

 剛田室長は目を瞑り、一言だけ皆に告げた。

「そうだな、北斗。これには絡繰りがあってな。半島から移民を受け入れる作戦が内閣府内部で進行しつつある」


 これには皆が驚いたようで、いち早く設楽が素っ頓狂な声を上げた。

「何だそりゃ。国民が許しませんよ、そんなこと」

 西藤も右手を左右に激しく振りながら、設楽に同調する。

「今迄日本は世界中で唯一移民を受け入れていない自治国ですけどね。だからといって半島のために総電脳化するなんて、国民が納得するわけないでしょう」


 半島とは、第3次世界大戦で疲弊した朝鮮半島における居住民たちだった。ここには地球温暖化で国そのものを失った東南アジアの国々や大戦後行き場を失ったイスラム教国家、果ては天災による被害を受けたゲルマン民族や漢民族など、ありとあらゆる民族がひしめき合う様に暮らしていた。先住民族は、今や数えるほどしか残っていない。

 それらの居住民が日本に押し寄せるとなれば、国民の居住区は今以上に限られてくる。また、治安の悪化やテロ組織の流入も心配の種になる。これから先、日本自治国内にて少子化が進行するとあっては、移民の数は夥しいものとなり、日本という国は時を待たずして、破綻してしまうだろう。


 チームメンバーが固唾を飲んで見守る中、剛田室長はまだ目を開けなかった。

 漸く開いたその眼差しは、作戦とやらに否定的な感情を抱いているのがメンバーたちにも分った。

「何、作戦が実行されるのは何年か先だ。総電脳化に当たっては昔から市民団体の反対運動も盛んだしな。ただ・・・」

「ただ?」

 杏が剛田室長に聞き返す。

「移住期限が設けられているとしたら、強制的にでも電脳化するかもしれない」

 八朔が目を大きく見開いて、皆の後ろから剛田室長の前に躍り出た。

「ケツから逆算するってことですか」

 剛田室長は深く頷いた。

「この話を推進しているのは、安室玲人前内閣府長官及び壬生雅東現内閣府長官だ。彼らなら、本当にやりかねない。そのための準備を進めているという話も聞こえている」

「それにしたって」


 何も言わずに剛田室長の話を聞いていた倖田と不破、そして紗輝の3人は、ふうっと深呼吸するように溜息を吐いた。話のテンポについていけないのか、はたまたどちらとも言えない感情が胸の中にあるのか、3人とも口を開こうとはしない。

 そんな3人を、設楽が茶化す。

「俺達は電脳化してるから構わないとして、どうよ?5千万総電脳化して移民を流入させるってよ」

 

 不破がやっと口を開いた。

「時期尚早でしょう、どう見ても」

 そしてそのまま、再び口をつぐんだ。倖田と紗輝は、不破の意見に同調したと見える。目がそれを物語っている。ほんの少し、首を縦に振ったかと思うと、2人はその場を離れ、近くの椅子に座りこんでしまった。

 杏は、そんなメンバーたちを尻目に、テーブルに両手をついて剛田室長に問いかけた。

「内閣府で反対派はいないの?」

 剛田室長は、大きく首を横に振る。

「総理は賛成していない。その総理でさえ口出しできないでいる。薄い望みがあるとすれば、何らかの理由で内閣府の人事が一新されることだけだろうな」

 杏が口元をにこやかに上げて、ピストルを腰に仕舞い込んだ。

「その二人が何かの事件で弾劾されるか、若しくは、暗殺」


「おいおい、物騒だな、そりゃ」

 お喋りの設楽が杏の方に顔を向け、意地悪そうな表情を浮かべる。


 今日も設楽を無視している杏。

「総理の腹積もり次第でしょ。E4は総理の直轄組織だもの」

 直接行動に関わらない設楽は、執拗に質問する癖がある。杏にとっては、何より忌み嫌うべき行動である。

 設楽にしてみれば、噂話の一環だが、杏は噂話そのものに興味はない。故に、かなりの確率で設楽の問いかけを無視していた。

 今日もそうだった。設楽は一人ツッコミ一人ボケの準備がある。

「まあ、命令があれば暗殺も、ってことか」


 設楽を一瞬見た杏は、次の瞬間設楽に背を向けると、あらためて剛田室長に問いかけた。

「それがこの国における正義であれば、ね。ところで室長、暗殺が真実味を帯びてきたとして、E4はじめ、警察府にお咎めが来ないの?」

「総理の決断なら、当然マスコミを操作するさ」

 

 設楽はヒューッと口笛を鳴らす。

「そういう筋書きでしたか、これもケツから逆算して行われるんでしょ」

 剛田室長は勿論だと言わんばかりに設楽のいる方に顔を向けた。

「逆算するとなれば、ここ1~2か月の間に動かねばならん。総理の決断さえあれば、E4とW4に命が下るだろう」

 知りたがりの設楽と八朔は、また身を乗り出して剛田室長に近づいた。

「W4?向こうに凄腕のスナイパーなんていましたっけ」

「またお前たちのさるかに合戦が始まったな。向こうにだって優秀なスナイパーはいるさ。暗殺主体が複数の場合、同時に動かねば前長官、或いは現長官の傀儡が長官になる恐れだってある」


 剛田室長は、椅子に座っている倖田と紗輝の方に向き直り、一歩踏み出した。

「最後の瞬間は、お前たちに任せることになる。よろしく頼む」

 倖田と紗輝は小さく頷くだけだった。


 言葉を聞いた杏が、右手で剛田室長の背中をコンコンと優しく叩いた。

「で、あたしたちは何をどうすればいいのかしら」

 不破や西藤も再び剛田室長を取り囲むように移動した。不破の1オクターブ低い色気のある声が室内に響く。

「北斗は?今回出番あるんですか」

「今のところ考えていない。一番、一般人に近いからな」

「スナイパー主体となれば、倖田と紗輝だけに任せるんですか」

「いや」


 剛田室長はこれからのスケジュールを指示するといって、また皆を呼び寄せ、自分は椅子に腰かけた。

「皆、電脳を繋げ」

 各々が、耳たぶ部分についているアクセサリーを1回、強く押した。イヤホン型の線がアクセサリーから伸びる。その線を耳の鼓膜に押し当てるという、初期型の電脳線。現在では小脳を弄り電脳線を小脳に繋ぐパターンも多く存在していたが、E4の連中は、初期型で何ら問題なく職務をこなしているので、新規型に変えたいという申し出は誰からも無かった。


 各自が離れている時、また、何らかの事情で電脳を繋げない場合には、左右どちらかの腕を義体化し、ダイレクトメモと呼ばれる方法で連絡を取り合う。時計にインプットされた通信線を経由し、時計右端のボタンを1回押すことで通信が可能になる。同じように、脳内に囁きかけるという趣旨の機器だった。


 今日は皆が一堂に会し、尚且つダイレクトメモのオーバーホールを受けていない剛田室長がいるため、アクセサリを介して電脳を繋ぐ方法をとった。スクランブルをかけているので、他人に聞かれる心配はない。それはダイレクトメモも同じなのだが。

 杏にしてみれば、ダイレクトメモだけは設楽や八朔にも義体化を進めて欲しいところだった。


 そんなことを杏が考えていると、剛田室長が伝える言葉が、鼓膜を経由して皆の脳内に取り込まれていく。


(作戦についてだが、基本的に2人ずつ指示を与えるので聞き漏らすな)

 皆がコクリと頷く。


 剛田室長の指示がメンバーたちに飛ぶ。

 まず、設楽と八朔は今回、E4室内にて情報収集に当たることとされた。方法は、古来から使い古されているハッキング。

 ハッキング先は、内閣府と警察府。ハッキングする際には米国CIAの協力を得て、ハッキング元が何処だかわからないようにするのは常識中の常識である。


 設楽と八朔が同時に、春日井総理及び安室前内閣府長官並びに壬生現内閣府長官のスケジュールデータを盗むことが真の目的だと剛田室長は語気を荒げる。

 そして、素早くリアルデータをチョイスすることが求められる。

 ただし、スケジュールだけでは長官たちの警護が厳しくなることが予想されるため、そこらへんの些末なデータもチョイスせよ、という指示だった。

 それに対し、設楽のお喋りは留まる所を知らない。食い入るように剛田室長の目を見ている。


(なんでまた警察府なんですか)

(まあ聞け)


 内閣府のサーバーから、安室前内閣府長官及び壬生現内閣府長官のスケジュールを管理しているデータを盗むのが真の目的ではあるが、警察府に内閣府のスパイがいないとも限らない。

 また、両方同時にアタックすることで、内閣府に一種の安心を齎すことができるかもしれない。

 内閣府だけにアタックすれば、現内閣府長官のスケジュールが盗まれたことを知ったとしても、先方は何が目的か直ぐに気付いてしまうだろう。警察府長官のデータも同じように盗み、できるだけ攪乱させることが必要だ、というと、剛田室長は一息ついた。

 設楽は及び腰だ。

(上手くいきますかね)

(上手くやれ。それしか今は言えない)

(はいはい、了解です)

(内閣府はまだしも、警察府のサーバー覗くのって大変なんだよな)

(CIAの協力があるだろう。ぶつくさいわず、給料分の仕事をしろ)

(わかりましたー)


 剛田室長が次に命令を下すのは杏と不破だった。

(五十嵐、不破)

(はい)


 杏と不破に与えられたのは、レディバグとレディビートルを伴って安室前内閣府長官及び壬生現内閣府長官の居宅に向かい、内部を調査するという任務だった。

 長官たちのスケジュールが合わない場合、各居宅において暗殺を実行するという。

 

 だが、内閣府の長官ともなれば、SPやオリジナルビーストリィ、或いはマイクロヒューマノイドも存在するであろうことを杏も不破も知っている。居宅内に侵入し、間取りその他生活様式を隅々まで調査することは、至難の技になる。

 E4で使用されているレディバクやレディビートルたちは、カメレオン部隊として居宅に侵入も可能だが、今回の任務に向いているかといえば、答えはNOだった。


(あたしもカメレオンになれればいいのに)

(まあ、そう急くな)

(他に何かいい手があるかしら)

(お前、今晩オーバーホールがあるだろう)

(そこでカメレオン化してくれる?)

(研究所で、今迄研究させていた成果がでるらしいぞ)

(じゃ、不破も一緒に、ってことね)

(北斗と設楽、八朔と俺を除いた5人は、今晩8時から義体化とカメレオン化のオーバーホールを行う)


 そこに割って入ったのが紗輝だった。

(室長。ERTでは皆カメレオン化してますが、俺、それが嫌でこっちに回してもらったんですけど)

(じゃあ、どうやって相手に知られないで行動する)

(マジすか)

(お前が考える以上にE4は過酷だぞ。それが嫌ならERTに戻れ)

(半分喧嘩別れした部署になんか、戻れませんよ)

(なら、オーバーホールしろ)


 嫌そうに顔を歪めてそっぽを向く紗輝を除き、メンバーへの指示は続く。

 倖田と紗輝は、スケジュール先及び居宅周辺を網羅して、長官たちの暗殺場所を特定する役割を与えられた。

 紗輝はそれでも返事をしない。よほどオーバーホールがお気に召さなかったらしい。

 倖田は、普段から無口なので返事をしなくても差し障りが無い。少し頷いただけで、OKしたと判断できる。


 西藤は軍隊出身なので腕っぷしが強い。それを活かして、杏と不破の後方支援に回ることとされた。

(よろしくね、西藤。あたし非力だから)


 剛田室長が呆れたように言い放つ。

(何を言ってる、五十嵐。お前が一番、力が強いじゃないか)

(マイクロヒューマノイドだから、仕方ないの)

(五十嵐、これ以上ふざけないでくれ)


 剛田室長は、再度呆れたように口をへの字にしながら杏の方を睨む。

 他のメンバーも苦笑するしかない。何故なら、メンバーが本当のことを言えば、あとで杏に何をされるかわかったものではないからだ。


 皆にもう一度役割分担を確認すると、剛田室長は低く、一言だけ発した。


(皆、慎重に頼むぞ)


 皆が電脳線を外すと、早速設楽と八朔がIT室にのろのろと足取りも重く入ったかと思うと、そのまま篭った。

 他のメンバーは、今晩のオーバーホールまでお役御免と相成った。紗輝は面白くなかったのだろう。席を外したまま、待てど暮らせど戻ってこない。

 紗輝が研究機関に出向かない可能性があるため、見張り番として西藤を送ろうかと剛田室長が嘯く。

「今晩、紗輝が向こうに行かなかったら連絡を寄越せ。仕事を舐めている奴は元の部署に戻す。E4には必要ない」

「室長ったら、今日はやけに厳しいのね」


 何故か、杏は剛田室長の前では女性らしい話し方をする。剛田室長がいなくなると、途端に男と見間違えるように話すというのに。

 チーフという役目を全うするからこその男言葉なのか、それとも剛田室長に甘えての女言葉なのか、その違いは明確ではない。真意も明らかではなかった。

 

「さて、我々はどこで時間を潰そうかしら」

「遊んでいいとは言ってないぞ」

「あら、そう。じゃ、バグとビートルの点検にでも行きましょうか」

 そこに不破が賛同した。

 倖田は、自席に戻り相変わらずヴィントレスのオーバーホールに余念がない。紗輝もこれくらい真面目だったらいいのにと剛田室長は歯ぎしりしていた。

「まったく。使えないやつをくれといった覚えはないんだが」

「スナイパーなんて、仕事してナンボの世界でしょ」

「意識共有できないやつは好かん」

「そういえば、北斗は?」

「バグたちのところに行った。あいつは真面目だからな。一番大変な仕事をしているのに、文句の一つも言わん」

「囮として相手の懐に入り込むのは本当に大変よね」

 杏の言葉に、不破も頷きながらバグたちに注す油を探していた。どうやら北斗が持って行ったらしく、所定の場所には置いていなかった。

 不破が杏の肩をポンポンと叩く。

「じゃあ、俺達も行きますか。今頃バグたちに遊ばれてますよ、あいつ」

 不破の方に向き直り相槌を打ちながら、顔だけは西藤の方を向いている杏。

「そうね。西藤。貴方は時間になったら機関の方に出向いて。紗輝の姿だけは捜してちょうだい」

「了解」

 西藤の低い声を背に、杏と不破は、連れ立ってバグとビートルたちが眠っている地下に向かって歩き出した。



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・◇

 


「ア、アンダ」

「フワモイッショダ」

「ドウシタノ、フタリデ」

 バグとビートルが杏と不破の方に走るようにやってきた。

 大好物のオイルを持っていないか前から後ろから、ぐるぐると見回す。オイルは、先程北斗が持ってきていたはずだ。

「オミヤゲナイノ?」

 不破がビートルの角を撫でながら頭を掻く。

「部屋になかったんだ。北斗が持って来てないか?」

「ソウイエバ、サッキホクトガキタヨ」

「バグノ3ゴウキガチョウシワルイミタイ」

 ビートルたちは、杏と不破の周囲を踊りながら回る。

「ボクタチハシヨウタイデショ?モシコワレタラココニハイラレナイノ?」

 杏はビートルの角をもう一度撫でた。

「壊れないように修理する。安心しろ」


 実際には、試用体を借用している限り、壊れれば研究機関に返すことになる。

 だが杏には、そこまで厳しくする気にはなれなかった。こいつらもオーバーホールさえできれば返す必要などないのだ、と。

 杏自身、自分がマイクロヒューマノイドとして小さな頃から生きてきた。当然、オーバーホールも数えきれないほど受けてきた。それが杏の唯一のコンプレックスでもある。

 同じ境遇とまではいかなくとも、バグたちを、何とかして助けたい気持ちが強かった。


 一番技術的に高度な腕を持っているのは設楽だ。お喋りさえ過ぎなければ、ヤツは優秀な技術者だなと、迂闊にも独り言を吐いたらしい。

 1台のバグが目を瞬かせて杏のことを見ていたが、不破はそれに反応するでもなく、ビートルやバグたちの相手をして遊んでいた。


 杏は北斗を探した。

 バグとビートルが遊ぶこの空間には姿が見えない。杏は、歩みを進め、バグたちの寝床に近づいた。

 何やら、どこからか掃除機のようなモーター音が聞こえてきた。バグたちの寝床に近づくにつれ、モーター音は大きくなる。

 バグたちの寝床を覗くと、北斗が中を掃除していたのだった。

 杏は北斗の後ろから、モーター音に掻き消されないように、大声で話しかけた。

「北斗、こんなところで何をしていた」

 北斗が掃除機のスイッチを切って杏に向き直る。

「チーフ。いやあ、中を見たら埃が溜まってて。バグの3号機が調子悪いのも、このせいかなと思って」

「何もお前の仕事じゃないだろうに」

「うちの掃除メカたちは、四角いところを丸く掃くようにインプットされてるような気がするんですよ」

「いえてるな」

「あとはビートルの寝床を掃除すれば終わりなんで」

「そうか。では、今日のところはお前に任せよう。設楽と八朔に言って、掃除メカたちの資質を改善してもらうことにするから、お前は無理するな」

「ありがとうございます」

「ところで北斗、バグたち用のオイルを知らないか」

「ああ、機材室の棚の中に仕舞ってあります。バグたちに見せたら取り合いになって、そこら中に振り撒いてしまうから」

「了解。皆オイルをご所望のようでな。そっちは私と不破が担当しよう」

「すみません、助かります」

「ここはお前の担当箇所じゃないんだ、謝るな」

「俺は生身故に戦闘には加わりませんから、皆のように激しい任務はないですからね」

「お前は根っから真面目な奴だな。生身故の過酷な任務だってあるだろうに」

「皆に比べれば、大したことないですよ」

 北斗は微笑んで、また掃除機のスイッチを入れ、今度はビートルたちの寝床へ向かった。


 実際には、北斗の任務が一番過酷である。

 生身のまま潜入、内偵捜査する役目を担っている北斗。囮となって敵に近づき、証拠を手に入れたり盗み出したりとスパイの役目を果たす。それは時に、命の危険さえ生じる恐れすらある。

 北斗自身、ハードな任務であるのは百も承知だろう。内偵捜査する場合、義体化していると公務系の仕事に就いているのがバレバレになるため、北斗は全身生身のままだ。電脳経由の会話もできない。だから、身体面も心理面もタフでなければならない。

 だが北斗は、辛いしんどいと音を上げたことがない。

 だからこそ、剛田室長も杏も、北斗を信頼している。


 杏から言わせれば、今日のこの掃除だって、設楽や八朔が地下二階に降りて現状を把握し掃除メカの性能をあげておけばいい話である。他の者は、設楽たちに声掛けさえすれば済む話なのだ。

 設楽と八朔は、基本的に腕はいいのに、どこか間が抜けている時がある。業務内に酒を飲み遊んでいることもしばしば。

 杏にしてみれば、剛田室長の了解さえもらえれば、彼らの脳内を掃除したくなることすらある。あるいは、フルバージョンでマイクロヒューマノイドの義体化を進めたいくらいだ。マイクロヒューマノイドになれば、過度の飲食を抑えられる。マイクロヒューマノイドに必要な飲食は、日に一度のドリンク剤だけである。

 妄想気味に杏が思い耽っていると、いつの間にか足音も無く不破が近くにやってきていた。

「チーフ。口元上がってますよ。また設楽と八朔のマシーン化、考えてたんでしょう」

 杏は目を丸くする。そしてふっと笑った。

「よくわかったな。あいつら、腕はいいのにチャラチャラし過ぎてる。マイクロヒューマノイドにでもなれば、酒も飲まないし食事も1度で済むだろう?」

「確かに。腕はいいですからね、全身義体化できたら室長も喜びますね」

「お前もなかなか言うじゃないか、不破」

「内緒ですよ、チーフ」


 バグとビートルに油を注し終えた不破と杏は、掃除をしている北斗を遠くから眺めながら、ジャンプし1階に上がることで、その足取りを地下から消した。


 

 午後8時。

 内閣府の研究機関である国立科学研究所。

 研究所では、複数のスタッフがのんびりと廊下を歩いていた。ここのスタッフは、全員がマイクロヒューマノイドである。

 杏も、力が発揮できなかったら、ここから放り出されていたかもしれない。

 なまじ腕力や筋力の数値が幼少の頃から抜きん出ていたために、5歳から10歳までをこの研究所で生活する羽目になった。

 お役御免とはいえ、6ケ月ごとのオーバーホールは欠かしたことがなかったが。


 杏と不破が研究所に着くと、倖田と西藤の顔が見えた。紗輝の姿は、まだ見当たらない。本当に来ないのなら、剛田室長のことだ、明日付で異動書にサインすることだろう。

 剛田室長を甘く見てはいけない。

 E4では、こういった人通りの多い場所でのやりとりは主にダイレクトメモを使用することにしていた。電脳線が見えると一般人ではないことが瞬く間に露呈するからである。


 杏は時計のボタンを押してダイレクトメモを使い、倖田と西藤に目線を向ける。

(倖田、西藤。お前たち、紗輝を見なかったか)

 西藤が首を横に振りながら杏の方を見た。

(いえ、チーフ。昼に部屋を出て以来、顔はみてません)

 倖田も話に交じってくる。

(カメレオン化がそんなに嫌なんすかね)

 杏は、苦々しいといった顔で首を竦める。

(ERTではやりたい放題にしていたようだが、E4は違う。今夜来なければ辞令が出るぞ)

 西藤が時計を見た。とっくに集合時間は過ぎている。

(チーフ、連絡してみましょうか)

 杏は軽く頷いた。

 西藤が、時計の右端ボタンを押す。

(こちら西藤。紗輝、聞こえるか)

 応答はない。

 杏の業腹は限界を超えつつあった。自分の時計をポケットから出し、右端のボタンに手を掛ける。

(紗輝、五十嵐だ。あと10分待つ。それで来なければクビだ。仕事を舐めるな)


 オーバーホール室は、研究所2階にある。

 杏たち4人は目の前にあるエレベーターに見向きもせず、ロビーの端まで行くと階段を使って2階に上がる。

 杏と不破は、並んで歩いていた。

(畜生が。来たとしても腕1本へし折ってやる)

(まあまあ、チーフ。そう怒らないで。利き手を折れば使い物にならなくなる。もう一本の腕は生身だから、折ったら傷害罪に問われる)

(構うものか)

(そんなこと言って。ここで暴れたら粉砕されますよ)


 怒り心頭に発しかねない杏を宥めつつ、不破は、とあるドアの取っ手に手を掛ける。ガラスで仕切られた室内には、スタッフが5人、待機していた。

「E4です。よろしくお願いします」

 スタッフは室内に入った4人の身分証明書をカードリーダーで読み込むと、各自の顔と一致させていく。

 一致させた順番でだろうか、それとも初めから順番が決まっていたのか、スタッフから先に名前を呼ばれたのは不破だった。


 不破のオーバーホールが始まった。

 通常、マイクロヒューマノイドの場合、身体全体に聴診器のように磁気を当て、パーツの力が弱まっていれば、そのパーツを交換する、という単純な作業工程が組まれている。

 一方で、スポットブースターと呼ばれるパワー増幅器に磁気を当てることで新しいパーツに力を吹き込み、己の能力を上げていくという方法が採られている。

 研究チームのスタッフによって、不破はスモックに着せ替えられ、十字架に磔にされたような格好になり、パーツ交換を待っていた。

 カメレオン化のオーバーホールがどんなものか、杏や不破でさえお目にかかったことは無い。

 通常のオーバーホールに何かを組み合わせて行うのだろうか。


 その予想は、半分だけ合致していた。

 研究チームのスタッフが、2人がかりで違う色のパワー増幅器のような機器を運んできた。

 杏も不破も目にしたことが無い機器だった。

 カメレオン化するためのパワー増幅器だというスタッフの言葉が示すように、機器の色は心なしか虹色に光っていた。

 通常のパーツ交換のようにパーツに磁気を当て、カメレオン化の能力を吹き込んでいく。

 今回は全てのパーツを交換するため、いつもよりスタッフの数も多い。時間も労力も2倍というわけであろう。


 不破のオーバーホールを廊下脇で見ていた杏は、しばしば玄関口の方に目をやっていた。

 杏の時計で、最後通牒の連絡をしてから8分。

 あと2分は約束通り待つつもりでいたが、杏はお人好しではない。ことビジネスに関しては、遅れるという選択肢は杏の中には無い。遅れたことに対する言い訳も一切聞かない。


 あと1分。

 あと30秒。


 不破のオーバーホールが終わり、磔状態から元に戻ったちょうどその時。

 残り5秒。


 玄関口に紗輝の姿が見えた。

 口笛を吹きながらエレベーターに乗り込む。階段の方が早いし研究室内に近いというのに。

 またも杏は切れかかったが、ここは研究所。ESSSのように暴れていい場所ではない。

 そうはいっても、一言いわねば気が済まない。

 オーバーホール室の前に来た紗輝に、杏からの強烈なパワハラ節が飛ぶ。


(殿様出勤だな)


 パワハラもなんのその。紗輝は上手くかわす。

(10分以内に着きましたよ、ご命令のとおり)

(あと5秒遅ければ、貴様の腕1本を室長に見せられたんだがな)

(5秒あれば楽勝ですよ)


 暖簾に腕押しの紗輝を見て、杏はなんだか馬鹿らしい気分に襲われてきた。パワハラして何になる。


(これから西藤がオーバーホールに入る。心臓くらいは倖田のように義体化したらどうだ?)

(それ、業務命令ですか?)

(まさか。貴様の身体を心配しての老婆心というやつだ)

(それなら、お断りします。人間が人間たる所以は、この生身の身体に凝縮されてますからね)

(私と不破に対する嫌味か)

(滅相もない。持論なだけです)


 杏は紗輝から目を逸らし、西藤のオーバーホールの様子を見つめた。

 不破のそれとは違い、義体化している部分はパーツ交換をするものの、義体化していない生身の部分については、特殊デバイスを駆使した結果、戦闘モード状態で身体が消えるようプログラムされた薄い膜が身体を包み込むというものだった。

 不破のオーバーホール時には見もしなかったが、そういえば、杏も不破も脳部分だけは手を付けない。杏は、カメレオン化する場合には既存の義体化した部分からパーツごとにカメレオン化する特殊デバイスを持ってくるのかと思っていたが、研究の進んだ今日、義体化していなくてもデバイスだけでカメレオン化できるという、単純でありながら世界の先端を行くオーバーホール方法が出来上がっていたことに、杏は感嘆の溜息を洩らす。

 先程の話だと、紗輝は義体化することへの拒絶感が犇いていた。これなら紗輝も文句があるまい。


 デバイスをオンにするためには、いくつかの方法があった。

 ひとつには、電脳経由で室長、あるいはチーフ等、プログラムに組み込んだ指揮系統から命令があった場合。その場合はオートロックが自動的に解除され、即座にカメレオンモードになる。

 もうひとつは、自己判断でカメレオン化する場合。時計の左端を2回押すと、カメレオンモードに移行する仕組みだった。


 西藤は利き手の右腕と心臓、両足と両目を義体化している。軍隊時代、軍主導の上、強制的に義体化したものだというが、今の任務では都合がいいという。

 目は濃い色のサングラスをかければ殆どわからない。なんでも、遠くの敵を見極めるに当たり、小隊全員が義体化の憂き目にあったのだという。

 だが、両足は敵を追いかける際、疲弊することが無い。消耗品ではあったが。利き手の義体化はE4に属する限り、この上なく便利である。

 武器が無くても素手で戦える要素が西藤には揃っていた。


 西藤のオーバーホールが終わると、次は倖田の名が呼ばれた。

 倖田は、利き手の右腕と利き目の左目、あとは心臓を義体化している。

 以前は利き目を義体化していなかったが、ライフル射撃の細かい作業は目を酷使するため、少しでもピントがずれると任務にならないのだという。

 ゆえに、義体化を決意したと聞く。

 心臓も任務に不可欠なためかと思いきや、心臓の場合はある種の安心感を得るために義体化していた。

 本人曰く、以前は蚤の心臓だったとか。あの太く大きな声からは、想像もつかない。

 

 次に研究室に入ったのは紗輝だった。

 杏のオーバーホールは、女性の身体ということも手伝って、最後に回されていた。

 紗輝は、利き手の右腕のみ義体化していた。

 先程の会話からもわかるように、基本的に義体化を好まない紗輝は、できることなら一般人に戻り、幸せに結婚したいと願っているようだった。

 右腕を切り落とし電脳事実を隠しておきさえすれば、一般人になれると思って疑わないようだった。小脳を弄らなければ電脳化もばれないと思っているのである。


 全身義体化し電脳化している杏からすれば、考え付きもしないことである。


 男性たちのオーバーホールが終わり、4人は杏に挨拶をすると研究所を出て自宅に帰っていった。

 杏のオーバーホールは、皆が帰った夜半に女性スタッフだけで行うこととされていたようだ。

 身体を酷使している杏の場合、一度に全ての部位を交換している。

 杏自身は身体の酷使だと思っていたが、それは試用体としての杏だからこそで、全てを交換しないと、どこかが急にバーストするのではないかという剛田の心配な思いを払拭するための願いでもあった。


 魂の宿った肉体が一度に無くなることで、自分が消滅したような感傷に浸る杏がいた。紗輝が義体化することに拘りを持っているのが何となく理解できるような気がする。

 それは一般人に限らず、マイクロヒューマノイドでも同じことだった

 杏にしてみれば、意識はどこへと限りなく飛んでいくものの、パッシブなものでしかないと思っている。

 自分の生い立ちを思い出せない杏にとって、誰にも相談できず、剛田にすら哀しみを打ち明けられない現状は、辛いとまではいかなくても、心にぽっかりと穴が開くような、そんな気分になっていた。



 5人のオーバーホールが終わった翌日から、前内閣府安室長官と、現内閣府壬生長官の居宅へ侵入する策戦に入るE4。

 設楽と八朔は、きちんと仕事分の業務をこなしていたようである。

 今日もまた電脳経由でミーティングが行われる。

 剛田室長を中心とし、周囲を囲むメンバー。北斗だけは輪の中から抜けて、地下のバグやビートルの世話をしに行った。

 剛田室長の低い声が皆の鼓膜に響く。


(設楽、どうだ、スケジュールの方は)

(ここ2か月で拾ってみました。午前10時からの議会出席が延べ20日間。議会終了後は、其々別の時期にロシアやアイスランドに行く予定です。期間は延べ2週間。それから、外国からの賓客を招いてパーティーを開いたり、会談を行う日が延べ1週間。あと、選挙の地元に戻って後援会とのミーティングで延べ1週間。地元では精力的に動くイメージあったけど、そうでもないかな。それでも結構ハードスケジュールですね)

 剛田室長と設楽の会話が続く。

(議会の時は無理だな)

(傍聴席に座るとしても、何も持ち込めません)

(国外に行くのは、最終手段か)

(行くったって、飛行機には武器持ち込めないでしょう)

(オスプレイがあるだろう。お前の運転でな)

(捕まったら向こうの刑事罰対象でしょうが。嫌ですよ、ロシアの警察に捕まるのは)

(向こうでは拷問が復活したらしいからな)

(パーティー会場が一番狙いやすいと思われますが)

(外国からの賓客か。どのレベルか分るか)

(長官たちと同じクラスです)

(そうか。パーティー会場を第一の標的としたいところだが、賓客にトラブルがあればこちらが孤立しかねん。会場の様子を確認し、作戦を実行するかどうか検討する)

(となると、パーティー終了後に自宅を狙うと?)

(総合的に判断する)

(了解)


 他のメンバーは、設楽と剛田室長の会話を黙って聞いていた。誰も口を挟もうとはしない。

 剛田室長は、ふうぅと溜息とも何ともつかない息を洩らし、一度電脳を解いた。

 椅子から立ち上がると、部屋の隅に設置してある珈琲メーカーに手を伸ばし、自ら豆を挽き珈琲を淹れ、熱い珈琲を一気に飲み干した。

「皆、今回は私の命令があるまで絶対に動くな。どんなにチャンスがあっても、だ」

 今度は八朔が珈琲メーカーの方に歩き出す。

「チャンスを逃したら、計画が水の泡となって消えるのでは?」

 剛田室長は、皆に背を向けながら八朔の質問に答えた。

「なに、別のチャンスが巡ってくるさ」

「もしかしたら泡沫候補ですか、我々は。W4に花を持たせる気じゃないでしょうね」

「また、さるかに合戦か。いい加減にしろ」

 

 杏も移動して、珈琲メーカーに手を伸ばす。そして、席に戻ろうとする剛田室長を止めた。

「W4、か。彼らもあたしたち同様、内閣官房副長官からの勅命で動いているんでしょう?」

 剛田室長は面倒だといわんばかりに杏の目を見た。

「お前でもW4のことが気にかかるのか」

「まあね、今迄、どちらが成果を挙げたとか失敗したとか、競争意識が激しいもの」

「くだらん」

「まあ、そう言わないでよ。今回も向こうと被ってるの?」

「お前たちには、私が直接命令する。向こうのことは忘れて目の前の任務に集中しろ」

「わかってるわ。ただ、ちょっと嫌な予感がするだけよ」

「嫌な予感?」

「そう。嫌な予感」


 剛田室長は杏の横を通り自分の椅子に座ると、何やら机の引き出しから出すと、皆を呼び寄せた。

「皆、また電脳を繋げ」

 命令に参加しない北斗には、資料を渡さない。他のメンバーは、よろよろと剛田室長の机付近に集合した。


(W4の現在のメンバー表だ。興味があるなら見ておけ。ただし、比べっこはするな)


 不破が、やれやれといった表情を浮かべ、口を尖らせた。

(今回、向こうには期待しない程度に頑張ってもらうとしますか)

 

 杏は、別の意味でW4のメンバーに興味を持っている。

 昔から、E4とW4は仲が悪い。杏と不破は、今迄の経緯を良く知っていた。

 どちらかといえば、W4メンバーがE4に敵意を持っていたと記憶している。協力すればすぐに終わらせることのできる計画も、W4から協力拒否の電話1本で関係はこじれ、そのたび目眩を起こしそうになったものだ。

 E4とW4は、同時に創設されてから3年が経つ。

 どちらも暗殺部隊として創設されたが、現在、E4はテロ行為制圧を担っているのが現状だ。それに比べW4は、未だ暗殺主体のチームである。

 杏は、配られたW4のメンバー表を見た。

 一条芳樹、三条卓、四條正宗、六条詩織、九条尚志。

 全員、元華族の末裔だ。チームリーダーの九条と、三条、一条はスナイパーとしての力量がE4の倖田に勝るとも劣らない。四條はITが得意、六条は情報屋と聞く。女だてらに情報屋とは、畏れ入るばかりである。


(五十嵐、聞いているか?)


 剛田室長の声が杏の鼓膜に響く。杏はW4の面々に気をとられ、ミーティングの内容を聞いていなかった。


(ごめんなさい、聞いていなかったわ)

(スケジュールが確定した。今度はお前と不破、西藤で安室前長官と壬生現長官の居宅内に潜り込んでくれ)

(了解)

(居宅内の情報を得たら、今度は長官たちの身辺を洗って欲しい)

(あら、身辺調査?うちはそういうの苦手の部類じゃない、それこそW4の六条に聞いた方が早いと思うけど)

(向こうが掴んだ情報を、こちらに流すと思うか?)

(無理ね。わかったわ、でも苦手分野は時間もかかるわよ)

(何言ってる、町の情報屋を何人も握ってるだろう。知りたいのは、W4の動きだ)


 杏は、剛田室長のいうとおり、町の情報屋に詳しい。彼らを動かせば、ある程度、いや、それ以上の情報が耳に入ってくる。精度はピンキリ。それでも、週刊誌と繋がっている情報屋は、精度の高い情報を握っている場合が多々ある。

 剛田室長の檄が飛んだ。

(ミーティングは終いだ。五十嵐、不破、西藤。早速、長官たちの居宅に行け)


 杏が剛田室長にウインクする。

(了解。カメレオン化の精度も計ってくるから。とはいっても、カメレオン化しなかったら蜂の巣ね)


 剛田室長は、杏の方に目もくれず、不破と西藤を見る。

(ああ、そうだな。不破、西藤。くれぐれも、蜂の巣にはなるなよ)

(了解です)

(こちらも了解。蜂の巣なんて、穏やかならぬ響きですよ。勘弁してください)


 西藤がそういうと、剛田室長はニヤリと両側の口角を上げた。

 それに呼応するかのように、杏、不破、西藤の3人は電脳を解き、室内を出た。

 廊下に出ると、ダイレクトメモを使うため、3人とも時計に手を伸ばす。右端のボタンに手を掛け、一斉にボタンを押す。

 最初に話し出したのは杏だった。


(これから、まず安室前長官の居宅に忍び込む。いいか、居宅周辺にもマイクロヒューマノイドがいるはずだ。万が一に備えて、あいつらには近寄るな。あとは、犬にも近づくな。人間と違って、匂いで嗅ぎ分けるあいつらはカメレオン化なんぞ知ったこっちゃないからな)


 不破と西藤も、ゆっくりと頷いて杏に賛同する。

(そういえばテストケースで、動物だけは無駄に終わりましたね)

(チーフ。今どきのお屋敷で、護衛用の犬がいない家なんて、あるんですか?)

(ロボット犬なら反応しないさ。生身の犬はダメだ)

(カメレオン化してるロボット犬なんていないだろうな、自分、実は犬が苦手で)


 途端に杏が口を大きく開け、あっはっはと豪快に笑う。

(そうか、西藤、お前犬が苦手だったか。どうして今回の任務を引き受けた)

(設楽と八朔に知られたくなかったんですよ。あいつら、すぐ人のことを言いふらす)

(じゃあ、お前も奴らの弱みを握って脅せばいい)

(昼間っから酒飲んでる事と、ゲームして遊んでることですか)

(立派な弱みじゃないか)

(自分は犬も苦手だけど、人間同士のいざこざも苦手でして)

(それなら、目も耳も口も塞いでいるしかないな)

(ライ麦畑でつかまえて、の名言ですね)

(さ、戯言は仕舞いだ。安室前長官の居宅を設楽に確認しろ。拳銃は携行しているな。行くぞ)


 不破たちも腰に下げた拳銃を確認する。

(了解)


 地下の駐車場に着いた3人は、古き良き時代を彷彿とさせる2000GTに同乗し、西藤が運転して地上に出た。そして、安室前長官の居宅がある南の方向にハンドルを切った。

 伊達市から金沢市まで、高速道路を使って2時間。

 現在の高速道路は、かつてのドイツアウトバーンと同様に、速度無制限道路として車が行き来している。冬でも雪の降らなくなったこの時代、札幌市から旧日本海側を縦断して、九州は福岡市まで伸びている。

 四季の無くなった日本は、暮らしやすくなったが、その分風情に欠けると識者はほざく。

 杏から言わせれば、風情より生活だ。

 昔、日本海側といえば、冬は雪の為に毎日のように雪かきが必要だったとも聞く。何十年に一度の割合で、雪が大地はおろか天空まで伸びるのではないかというくらい降り、生活空間さえも雪に埋め尽くされたとも聞く。

 風情も何もあったものではない。

 それに比べれば、今は四季が無くなったがゆえに、風情は感じられないが生活空間としては上々だ。


 そんなことを考えながら、杏は後部座席で足を伸ばしていた。

 杏に、足を伸ばすように言ったのは、剛田だった。



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・◇



 10歳の頃、杏は、毎日のように研究所の外で膝を抱えて縮こまり、下ばかり向いていた。大人たちは、杏に色々なことを課した。杏がそれを拒んだり成功できなかったりすると、途端に顔色を変え、言葉尻さえ異様なほどに変化した。

 杏は、毎日研究所の一室に寝泊まりしていた。

 両親が尋ねて来たことは無い。両親の顔さえわからない。

 何度となく、逃げ出したい心境に駆られた。

 それでも、知っていた。

 逃げ出せば、追っ手が地の果てまでも追いかけてくることを。

 口で言われたわけではない。

 研究員たちの目が、それを物語っていた。


 そんな時だった、剛田に会ったのは。

 いつものように研究所の外で下を向き、足を抱え座っていると、目の前に男性が現れ、頭を撫でてくれた。

「足を伸ばしなさい。自由になれる」

 剛田は研究所長の部屋に入ると、暫く出てこなかった。

 杏は、剛田の言葉に後ろ髪を引かれ、いつまでも研究室に入ろうとしなかった。研究員たちが、杏を連れ戻そうと玄関先まで下りてくる。


 早く、早く。


 あたしを自由にして。


 早く。


 ねえ、早く。



 研究員の1人が、杏の腕を大きな掌で握ったときだった。

「君、その腕を放しなさい」

 漸く、剛田が姿を見せ、杏の方に歩いてきた。

 研究員たちは訝ったが、剛田の後ろから研究所長が顔を出すと、途端に皆、背筋を伸ばしたのを覚えている。

「行こう」

 剛田が杏に手を差し伸べてきた。

 それ以来、杏は剛田の下で育った。

 口数こそ少なかったが、剛田は、杏を機械ではなく人間として扱ってくれた唯一の人だった。



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇



「聞いてます?」

 どこからか声がする。

 それが、運転している西藤の声だと認識するまで、数秒の時間を要した。


「ん?どうした、西藤」

「やっぱり聞いてませんでしたね、チーフ」

「悪い」

「今しがた、倖田から連絡がありました」

「何だ」

「金沢市内、安室前内閣府長官宅で、狙撃未遂事件があったそうです」

「何だと?」

「どうします、これから」

「二人とも、ダイレクトメモで話すぞ」

「了解」


 杏たち3人は、再び時計に手を当てる。

(今回の計画はおじゃんだな)

 助手席の不破が、後部座席の杏を向いた。

(W4でしょうか)

(たぶん、な)

(安室前長官は無理として、壬生長官宅はどうします)


 杏は、伊達市にいるはずの倖田にメモを飛ばす。

(おい、倖田)

(なんでしょう、チーフ)

(安室前長官宅で狙撃未遂事件があったのはいつだ)

(10分前です)

(そこに剛田室長はいるか)

(はい)

(室長に、今後の方針を聞け)

(ドライブして戻れ、だそうです)

(となると、壬生長官宅への侵入も無しということだな)

(狙撃未遂事件の直後ですし、壬生長官宅でも警戒していると思われます)

(わかった。往復4時間のドライブか。室長に、ダイレクトメモのオーバーホールをしてくれと言え)

(俺の口からは・・・)

(じゃあ、戻ってから直接言うとするか)


 杏は、車内のバックミラーに目を移し、わざとミラーをずらして杏を除いている西藤と目を合わせた。

(西藤、聞いてのとおりだ。このままとんぼ返りするぞ)

(了解)

(室長と設楽たちも、至急ダイレクトメモのオーバーホールをしてもらわないとな)

(今回は皆揃っていたから良かったですよ)

(全くだ。倖田がいなかったら今頃どうなっていたか)


 帰路、誰も言葉を発しようとはしない。制限速度のない道路で、コンクリートのザラザラとした音だけが3人の耳に残るのだった。

 金沢市での事件を受け、警察車両が続々と金沢市内に向かっているようだった。昇り車線では交通規制も行われ、検問を強いている箇所もあったが、反対車線を走る杏たちの車に目を光らせる者はいないも同然。

 車は、往路にも増してフルスピードで伊達市に向かい走り続けた。



 2時間後。

「ご苦労」

 杏たち一行が帰るなり、剛田室長が一言だけ呼びかける。

 その机の前に、杏が立ちはだかった。

「室長。ダイレクトメモのオーバーホール、よろしくね」

「うむ。今迄さして重要性を感じなかったが、いかんな。危機管理意識に欠けていた」

「そうよ、今日だって倖田がいたから良かったようなものの」

「私と設楽、八朔もダイレクトメモを入れるとするか。北斗にも入れてやりたいが、任務に差し支えそうでな、可哀想だが」

 自分の椅子に座っていた北斗がくすっと小さく笑った。

「大丈夫ですよ、電脳化してるとばれたら、それこそ生きて帰れやしない。僕はこのままで構いません」

「五十嵐、設楽と八朔を呼んでくれ」


 剛田室長は、奥のIT室にいた設楽と八朔を呼び寄せろという仕草をした。杏が奥の部屋に声を掛ける。

「設楽、八朔。出てこい」

「何ですかー」

「二度とは言わない。出てこい、早くしろ」

「チーフは人使い荒いですよ」


 だらだらとIT室から出てくる設楽、八朔両名。2人は、剛田室長に睨まれると蛇を目の前にした蛙のように身体が凍り付いたようになった。

「設楽、八朔」

「何でしょうか、室長」

「お前たち2人と私で、これからダイレクトメモのオーバーホールに行く」

 相変わらず、設楽はお喋りに花を咲かす。

「あれ、今の計画から離れていいんですか」

「馬鹿者。こういう齟齬があるから、今日中にオーバーホールするんだ」

「あ、計画台無しってやつですね」

「口を慎め。誰が聞いているかわからん」

 ぺろりと舌を出す設楽。

 剛田室長は、新聞を丸めて作ったメガホンで設楽の頭を何度も叩きながら八朔を見る。

「向こうには予約を入れてある。八朔、お前が運転しろ。設楽は後ろを向きながら運転しそうで怖くてかなわん」

「了解」

「すみませーん。車の運転中くらい、大人しくしてますよ」

「嘘を吐け」


 IT組2人を伴った剛田室長は、1分もしないうちに上着を羽織って廊下へ出た。慌てて室長の後を追う設楽と八朔。

 杏のパンチが2人の背中に炸裂する。

「室長において行かれるぞ、走れ!」

「はいはい、わかりましたよ」


 いつも五月蝿い設楽と八朔がいないと、本当に室内が静かになる。紗輝は何処へいったものやら、先程から姿が見えない。

 倖田はライフルの手入れをしていたし、北斗は活字新聞を読んでいた。杏は倖田の右側に寄り、その肩を叩く。

「倖田、状況を詳しく聞かせてくれ。電脳に繋ぐ。北斗は、もし聞きたければ活字オンラインに繋げろ」

「了解」

 北斗は左手を横に振る。

「僕はこのままで。明日の新聞に詳細が載るでしょうから、そちらを見ます」

「そうか。不破、西藤、お前たちも電脳に繋げ」

「了解」


 倖田が太く大きな声で話し出す。

(今日の午後2時30分、金沢市にある安室前長官の居宅にライフル銃が発射されました。確認された銃痕は全部で3発。角度から見て、2人の人間がライフルを発射した模様です。中には安室前長官の妻がいましたが無傷。安室前長官はちょうど議会中で内閣府に出掛けていて、実害はなかったようです)

(議会中なのに居宅に向けて発射されたのか?)

(はい。何かスケジュールの確認違いがあったものと考えられます)

(W4ともあろうものが、凡ミスだな)


 倖田の声とは正反対の、不破の低く甘い声が響く。

(チーフ。何か他の意図があってのことかもしれませんね)

 

 杏は少し驚いたように不破を見た。

(他の意図?)

(狙っているぞ、という意志表示)

(あるいは、狙われているぞというサイン、か)

(W4が真面目に仕事しているなら、こんなヘマは冒さない。端から暗殺計画などないのかもしれませんよ。そう考えれば、我々の計画がどこからか漏れていたと考えても不思議ではない)

(そうだな、誰かが向こうにリークした)


 杏は、電脳を繋ぎながらも意識は別の所に飛んでいた。

 今回の1件、自分たちの空回りだったということか。いや、違う。

 E4の動きを知る者。E4内部ではなかろう、さすれば、内閣官房副長官。総理直結の命令指揮系統。

 総理は長官たちに「狙っているぞ」という意志表示をしたのか。

 そのためにW4が使われた。そしてE4には暗殺の命が下った。


 杏にはどうしても違和感が残った。

 全てW4に任せても良い案件のはず。どうして自分達に命令が下ったのか。W4がどんな命を受けたのか知らないが、自分たちは、剛田室長からはっきりと「暗殺」と聞いた。

 待てよ、その時の記憶が欠落している。

 やはり、空回り。


 どちらにせよ、今回の長官たちを狙った事件で、一般人への電脳化を進める計画をストップさせるまではいかずとも、その時期を遅らせることはできるだろう。

 命と引き換えにしてまで、電脳化計画を進めはしないはず。

 それにしても、春日井総理の掌で踊らされたE4ということか。



 電脳を解いた杏は室内の飾り棚に寄りかかり、疲れたように、ふっと目を閉じた。


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